武漢市

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中華人民共和国 湖北省 武漢市
長江沿いの風景、黄鶴楼、江漢関、武漢長江大橋
長江沿いの風景、黄鶴楼、江漢関、武漢長江大橋
簡称:
別称:江城


湖北省中の武漢市の位置
湖北省中の武漢市の位置
中心座標 30°34′21″N, 114°16′45″E
簡体字 武汉
繁体字 武漢
 Wǔhànヘルプファイル
カタカナ転記 ウーハン
国家 中華人民共和国
湖北
行政級別 副省級市
成立 1926年10月
市委書記 楊松
市長 阮成発
面積
- 総面積 8,494.41 km²
- 市区 1,557 km²
人口
- 総人口(2007) 891 万人
経済
- GDP(2008) 3,960 億元
- 一人あたりGDP 44,000元
電話番号 27
郵便番号 430000
ナンバープレート 鄂A
鄂O(公安関連)
行政区画代碼 420100
市樹 水杉
市花
官方ウェブサイト http://www.wuhan.gov.cn/

武漢市(ぶかんし)は、中華人民共和国の中部、湖北省の東部に位置する市で、同省の省都である。副省級市に指定されている。

目次

[編集] 概要

華中地域全域の中心都市であり、経済的重要性から大幅な自主権をもつ副省級市に指定されている。長江をはさんで、武昌漢陽漢口の三鎮が並立し、江城の異称がある。夏は酷暑となり、重慶南京と並んで三大ボイラーと呼ばれている。上記のとおり、夏は30℃を超える。風があまり吹かないので体感温度でみるととても高くなる。

[編集] 歴史

[編集] 古代

黄陂区盤龍城遺跡には3500年前の(商)代・方国都邑が保存され、長江流域で発見された唯一の代都市遺跡として知られる。代には南郡に属し、代に江夏郡となった。代に武昌郡と改められ、江夏県に治所が置かれた。今の武昌である。当時は江北に漢陽があり、長江を挟んで向かい同士の二つの街は双城と称された。代になって武昌漢陽をあわせて武漢の名が始まり、また商業都市として夏口鎮が発達した。夏口は後に漢口と改称される。

[編集] 近代

漢口は1858年の天津条約で開港され、イギリスフランスドイツロシア日本が相次いで租界を設置した。末1853年から1856年にかけて太平天国との攻防が続き、1911年に武昌起義によって辛亥革命が勃発した。

1926年10月、国民革命軍が武漢を攻略し、漢口市政委員会、武昌市政庁及び漢陽市政委員会が成立、12月に武昌漢口漢陽をあわせて武漢と呼ぶことが正式に決定され、1927年には武漢を首都とする中国国民党左派汪兆銘政権(武漢国民政府)が成立したが、南京蒋介石政権に抗しえなかった。日中戦争により1938年には蒋介石の南京政府が武漢に仮の首都を置いた(皮肉にもその後、1927年とは逆に日本軍に推された汪兆銘により南京傀儡政権が樹立される)。その後日本軍に押される形でさらに重慶に移った。

[編集] 戦後・現代

戦後、1949年5月24日武漢市人民政府が正式に成立した。1967年には文化大革命によって大規模な武装闘争が起り、7月20日には群集が中央代表を殴打する7・20事件が起った。

1986年12月に国家歴史文化名城に指定された。1992年5月に沿江対外開放都市に指定され、1993年4月武漢経済技術開発区が正式に発足、多額の外国投資を導入した。1998年8月には長江の洪水によって水位が上昇し、町が危機に瀕したため、江沢民朱鎔基らが来市して防護工作を指示した。

[編集] 行政区画

武漢市の行政区画

13区を管轄する。

[編集] 経済

湖北省、ひいては華中地区の最大の工商業都市である。2008年の全市生産総額(GDP)は3960億人民元(全国第13位)であった。

[編集] 軍事

人民解放軍広州軍区空軍司令部が所在し、湖北・湖南省に展開する空軍第7軍、空軍第15軍(空挺部隊)、武漢基地所属師団を統括する。

[編集] 教育

[編集] 大学

武漢大学の正門

[編集] 交通

[編集] 空港

長江の渡轮

[編集] 鉄道路線

[編集] 路線バス

  • 武漢公交集団

[編集] 軽軌

[編集] 地下鉄

  • 建設中

[編集] 航路

  • 武漢公交集団(主に長江で隔てられている漢口-武昌間を結ぶ)

[編集] スポーツ

[編集] 観光

黄鶴楼

[編集] 友好都市

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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