丹羽宇一郎

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丹羽宇一郎(にわ ういちろう、1939年(昭和14年)1月29日 - )は、日本の実業家、外交官。伊藤忠商事会長・社長、日本郵政株式会社取締役、認定特定非営利活動法人国際連合世界食糧計画WFP協会会長などを歴任し、2010年(平成22年)6月から中華人民共和国駐箚特命全権大使を務める。

目次

[編集] 概要

愛知県名古屋市出身。愛知県立惟信高等学校を経て、名古屋大学法学部卒。名古屋大学時代は自治会会長として60年安保闘争の学生運動の先頭に立った。

1962年(昭和37年)、伊藤忠商事に入社。食料畑を歩み、1998年(平成10年)には代表取締役社長に就任。多額の負債を抱えていた伊藤忠商事を2001年(平成13年)3月期決算では過去最高の705億円の黒字を計上するまでに回復させた。2004年(平成16年)から取締役会長。2010年(平成22年)6月16日まで相談役。

『「清く、正しく、美しく」の精神で仕事をしている』と語る。伊藤忠時代、同社の関連会社であるファミリーマート吉野家の弁当を自ら購入し昼食を済ませ、出勤には、運転手つきの自動車などを使用せず、社員の目線に立つために電車を使用していた。mixiにコミュニティも存在する。

2006年(平成18年)から2008年(平成20年)まで内閣府経済財政諮問会議議員、2007年(平成19年)4月1日から地方分権改革推進委員会委員長を務める。

2010年(平成22年)6月17日付で中華人民共和国駐箚特命全権大使に就任した[1]

[編集] 略歴

  • 1939年(昭和14年)1月29日:愛知県名古屋市で出生。
  • 1962年(昭和37年)3月:名古屋大学法学部卒業
  • 同年4月:伊藤忠商事株式会社入社
  • 1989年(平成元年)4月:食料第二本部長心得兼油脂部長
  • 1990年(平成2年)4月:業務部長
  • 1992年(平成4年)6月:取締役
  • 1994年(平成6年)6月:常務取締役
  • 1996年(平成8年)4月:専務取締役 生活産業グループ統括役員兼食料部門長
  • 1997年(平成9年)4月:取締役副社長社長補佐 経営企画担当役員兼海外・開発担当役員兼生活産業カンパニー管掌
  • 1998年(平成10年)4月:取締役社長
  • 2004年(平成12年)6月:取締役会長
  • 2010年(平成22年)4月:取締役相談役
  • 同年6月:特命全権大使 中華人民共和国駐箚

[編集] 中国大使

  • 2010年9月7日に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件の対応にあたるが、中国政府に早朝に呼び出された上、中国側の圧力が増し同事件が大きく騒がれる中で、フジタの社員4人が中国政府に拘束された問題につき、衝突事件被疑者の中国人船長を解放した後に、中国外務省側に会談を申し入れたが拒否された[2]
  • 2010年12月18日、政府・与党内にて対中政府開発援助(ODA)に厳しい声が上がっている中、丹羽は中国への政府開発援助を増額するよう外務省本省に意見具申していたことが判明した。その理由のひとつとして、丹羽は「対中ODAを打ち切ると、中国側の批判を受けることになる」と外務省に「警告」したとされる[3][4]

[編集] エピソード

日本共産党の機関紙である『しんぶん赤旗』が、2006年1月25日付けの記事で、同年1月18日の第1回経済財政諮問会議中の丹羽の発言を報じ、批判した。その記事は

「若い人でも、残業代は要らないから仕事をもっと早くスキルを身につけてやりたい、土日でも残業代は要らないから出社したいという人がたくさんいる。しかし、経営者がしてもらっては困ると言っている。なぜなら出社されると残業代を全部払わなければいけない。 家で仕事をするよりも、会社に来て色々な資料もあるし、これで自分が人よりも早く仕事を覚えて仕事をしたいんだと。それを今は仕事をするなと言っている。ホワイトカラーエグゼンプションの制度がないからだ。」

という発言から作成され、ホワイトカラーエグゼンプション導入時の適用対象と考えられていた「年収900万円以上」に到達しない若手社員に対して長時間労働や残業代削減を強いようとしたとされるものである。しかし同じ会議中で、丹羽は「最低賃金の引き上げによる格差是正」や、「セーフティーネットの整備」も提言している[5]

[編集] 著書

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

外交職
先代:
宮本雄二
日本の旗中華人民共和国特命全権大使
第13代:2010 -
次代:
(現職)
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