岡田克也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
おかだ かつや
|
|
|---|---|
|
|
| 生年月日 | 1953年7月14日(55歳) |
| 出生地 | 三重県四日市市 |
| 出身校 | 東京大学法学部卒業 |
| 前職 | 通商産業省大臣官房 総務課企画調査官 |
| 所属政党 | (自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (国民の声→) (民政党→) 民主党 |
| 称号 | 法学士(東京大学・1976年) |
| 世襲の有無 | 無 |
| 親族 | 村上誠一郎(義兄) |
| 公式サイト | 岡田かつや ホームページ |
|
|
|
| 選挙区 | (三重県第1区→) 三重県第3区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 任期 | 1990年 - (現職) |
| 所属委員会 | 衆・国家基本政策委員会委員 |
| 議員会館 | 衆・第一議員会館443号室 |
岡田 克也(おかだ かつや、1953年(昭和28年)7月14日 - )は、日本の官僚、政治家。衆議院議員(6期)。衆議院安全保障委員長、民主党幹事長、副代表、民主党代表(4代)などを歴任した。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 生い立ち、官僚時代
公立の小中学校から、大阪教育大学附属高等学校池田校舎を経て東京大学法学部を卒業。公のための仕事に就くという幼少時からの夢のため、1976年通商産業省に入省。同期には高橋はるみ北海道知事らがいた。
通産省では中小企業対策や石油問題などを手がけた。1985年に米国ハーバード大学国際問題研究所に派遣され、研究員として1年滞在。留学中はエズラ・ヴォーゲルに師事した。この頃から政治への問題意識を抱き始め、同時に官僚として出来ることの限界に気付くようになる。
[編集] 政界入り
1988年7月、大臣官房総務課の企画調査官を最後に通産省を退官。自由民主党から1990年の第39回衆議院議員総選挙に出馬、当選した。
当初経世会に所属していたが、政治資金規正法や選挙制度の改正を巡って竹下登ら守旧派と対立し、離脱する。羽田孜、後藤田正晴らと共に政治改革を訴え、若手国会議員の代表格として頭角を現していく。
一連の政争を重ねる中で「一国の総理大臣が、金集めがうまいかどうかで決まる」(本人談)という当時の自民党の派閥政治を目の当たりにし、愕然とする。 1993年、宮澤内閣改造内閣不信任案賛成して自民党を離党、3年半の自民党生活に終止符を打った。
その後は羽田孜、小沢一郎に従って新生党結党に参加し、翌1994年新進党に合流。二大政党時代を目指すが、1996年の総選挙敗北後の党内抗争激化を受け、翌1997年に小沢が新進党解党を宣言する。有権者を裏切る行為だとして岡田は解党に強く反対するも、決定は覆らなかった。 以後、小沢とは民主党と自由党の合併まで袂を分かつこととなる。
[編集] 民主党時代
新進党の解党後、国民の声、民政党を経て民主党結党に参加、政策調査会長代理に就任。 以後、衆議院安全保障委員長、政策調査会長、幹事長代理を歴任する。2002年の民主党代表選に立候補するも菅直人に敗れ、幹事長に就任する。
2004年、菅が年金未納問題で代表を辞任するが、有力後継候補と目されていた小沢一郎が同様に国民年金未払問題により出馬を辞退。 年金未納のない岡田が党内の支持を集め、同年5月13日より代表を務めた。
代表就任以降、「野党」ではなく「政権準備党」を名乗るなどして、常々衆議院選挙での政権交代をアピールした。菅・小沢両氏の辞任・辞退を受けて急に代表に就任したため、その行く末を危ぶむ声も多かったが、2004年7月11日の参議院通常選挙では自由民主党を1議席上回る50議席を獲得した。また、2005年7月3日の東京都議会議員選挙でも民主党は躍進した。
2004年9月13日の代表選挙で無投票再選を果たす。役員人事で幹事長に川端達夫、代表代行に藤井裕久を任命する。
2005年8月の郵政民営化問題を契機とする衆議院解散(郵政解散)で自民党が分裂選挙となったことから、当初は「政権獲得千載一遇のチャンス」などと言われたが、小泉劇場の前に民主党は埋没し、9月11日の総選挙では公示前勢力を64議席下回る113議席に終わり大敗。岡田は9月12日に代表を引責辞任した。
2006年9月、民主党の改造人事で民主党副代表に就任。
2007年、政治改革推進本部長、衆議院予算委員会筆頭理事、党地球温暖化対策本部長に就任。
2009年3月、小沢一郎の秘書が西松建設からの違法献金容疑で逮捕され、5月に小沢が代表を辞任すると、党若手議員を中心に支持を受けて代表選挙に出馬した。 5月16日、事前の世論調査では優位に立っていたが、対立候補の鳩山由紀夫に僅差で落選する。5月17日幹事長に就任。
[編集] 政策・主張
[編集] 外交・国際問題
- 日米同盟を基軸としながらも、アジア重視の姿勢を見せている。国際貢献には積極的な姿勢を見せ、憲法9条を改正した上で国連を中心とした集団的安全保障への参加と武力行使を容認する姿勢を見せている[1]。これは前代表の菅直人が提唱した穏健な国防・改憲議論とは一線を隔すものであり、この路線は後任の前原体制にも引き継がれた。
- 中台問題では訪台や台湾当局者の会談の際に独立反対を明言し、台湾側から批判された[2]。
- 靖国問題ではこれを外交問題であると位置づけ、中国などからの批判に対して説明不足であることを理由に当時の小泉首相に重ねて参拝中止を要求、中国などを説得出来ないのなら参拝すべきではないとした。
- 「民主党核軍縮促進議員連盟」を作り、核不拡散・核軍縮の提言を行っている。非保有国への核使用を無条件に違法とする国際法の確立や非核三原則の東北アジアにおける共有を提案し、将来的な核兵器の廃絶を目指している[3]。
- 日韓両国で共通の歴史教科書を持つ必要があるとの認識を示している(2004年6月におこなわれたウリ党議長(当時)辛基南との会談にて)。
- 東シナ海ガス油田問題について「微妙な問題は信頼関係を大事にしながら話し合うべきだ」との認識を示している。
[編集] 経済・財政
- 「自由で公正な社会」を標榜する。経済政策では「小泉(元)総理以上の市場経済主義者」を自認するなど、政府の役割を認めながらも自由主義的な傾向が強く[4]、民主党内では改革派と見られている。一方で、「実質的な機会の平等」を実現するため、教育の重要性を繰り返し説いている。
- 政策の優先順位が低いとして道路予算の見直しを訴えている。三重県の道路建設促進協議会の顧問就任も拒否している。
- 自動車ユーザーにガソリン税の暫定税率を負担させながら道路特定財源の一般財源化を行うのは、租税法定主義の原則から問題があるとして、暫定税率の廃止を主張している[5]。
- 財政再建に向けて積極的に提言をしており、公共事業費の削減[6]、公務員の人件費2割削減[3]、特別会計の1割削減[7]などの歳出カットを訴えている。
- 所得格差是正のため、所得税や相続税の最高税率見直しを含む累進課税の強化を実行すべきだと述べている。[8]
- 年金の基礎部分にあてる財源として、将来的な消費税引き上げの議論を始めるべきだとしている[7]。
- 日本経団連の政党に対する政策評価を批判している。評価の理由説明が不十分な上、各企業の政党に対する献金について介入するやり方に問題があるとしている。[9]
[編集] 環境
- 地球温暖化問題に対する危機意識が強く、日本として二酸化炭素排出量を2020年までに25%、2050年までに60%削減させることを法律に明記させるべきだとしている。[10]
- 企業が出す二酸化炭素に課税する環境税の導入を提案している。[11]
[編集] 行政改革・社会保障
- 郵政選挙の際、民主党では郵政民営化ではなく、郵便貯金の上限引き下げなどを主張した。
- 積極的に税源を移譲するなどして地方主権を進め、国と地方のあり方を変えるべきだとしている。[12]
- 政策を官僚に丸投げするやり方を批判し、政治家主体の行政を実現すると語っている。
- 役人の天下り問題には厳しい姿勢を取っており、全面禁止を主張している。[13]
- 将来的には子ども手当てを月4万円に引き上げるべきだと言っている。それには高額所得者に有利な配偶者控除や扶養控除制度の廃止、歳出の削減に加えて新たな財源の手当てが必要だとしている。[14]
- 河野太郎、野田毅ら自民党議員の有志を含む超党派で取りまとめた年金抜本改革案を発表している。年金一元化、基礎年金の全額税方式といった従来の案に加え、270兆円の純債務を別勘定に切り離す、20年程度で新方式へ完全移行することなどを提唱している。[15]
[編集] 選挙関連
- 代表時代にはマニフェストを重視した戦略を貫いた。
- 政治家への入口を狭くしてしまうことが組織全体の活力の低下につながるとして、国会議員の親族が同一選挙区から連続で立候補する世襲規制を打ち出している。[16]
- 2005年の衆議院選挙後にTBSの「新・調査情報」のインタビューにて「政治は真面目なものであるべき」と主張するなど小泉内閣における「劇場型民主主義」に対して批判的な姿勢を取った。
- 企業・団体からの政治献金は全面的に禁止するべきとし、併せてインターネット献金の普及、個人献金の税額控除、公設秘書の増員などの制度の導入を主張している。[17]
- 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟会長として永住外国人に限って地方参政権を持たせることを主張している。
[編集] 人物像
[編集] 個人として
- 身長176cm、体重76Kg、血液型O
- 「真面目でクリーン」といったイメージで捉えられることが多く、「ミスター・クリーン」と呼ばれることもある[18]。信念を曲げない一貫した姿勢や、その容姿から「ロボコップ」とあだ名されることもある[19][20]。
- 趣味は映画鑑賞、読書のほか、10代からカエルの置物を収集している[18]。海外に出かけた際にも「安価でどこの国にもあり、またお土産に何を買うかあらかじめ決めておけば悩まなくても良いから」という理由で、必ず買い求めるようにしている[21][22]。東京の事務所にはカエルの置物が大量に飾られている[18]。
- 3人の子供がおり、育児に熱心で子供好きの一面をもつ。子供は私立ではなく、自身と同じ公立小中学校へ通わせる教育方針である。
- 親族がイオングループを経営している事から、イオングループとの関係性が取り立たされること[23][24]やインターネット上で民主党を支持しない層を中心に「ジャスコ」「ジャスコ岡田」と揶揄される場合があるが、イオングループとの関係を不正確に取り上げられることを嫌う。事業とは出来る限り距離を置くようにしているといわれ、過去イオングループの役職に就いたことはない。
- 本人によれば子供時代はそれほど裕福でもなかったようで、5歳のころは父親の会社は1店舗しかなかったという。一般の庶民を客とした事業のため、庶民の生活からかけ離れてはいけないという父の教えから、学生時代も普通の生活を送っており、幼少時から私立の学校に通うようなこともなかったと語っている[18]。
- 大学時代は勉強より読書に夢中だった。当時衝撃を受けた本としてドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を挙げ、三兄弟の中でもイワンに共感を覚えたという。
- 日帰りの地方遊説の際は大好きな紅茶を水筒に入れて持ち歩き、移動の車中で飲んでいるという。
[編集] 政治家として
- 政策通として知られ、環境から経済、安全保障まで幅広い分野に精通している[20]。
- 強力な地盤がありながら、三重3区を子供など血縁者に継がせない方針である。
- 座談会やオープンセミナーを定期的に開催して、地元の支持者の声を聞く活動をしている。
- 民主党代表時代には、手堅い手腕でボトムアップによる全会一致主義の党運営を行った。一方、党内で意見が分かれた場合には代表預かりとすることが多かった。
- 「真面目」「誠実さ」が2004年の参院選では評価されたが、一方でその真面目さが祟って2005年の解散総選挙では小泉劇場に埋没してしまい、惨敗の要因の一つとなった。
- 演説の内容が細かく、政策の内容を丁寧に説明する。大下英治の著書によると、民主党の藤田幸久元衆議院議員が有権者に「小泉総理は生命保険のキャッチフレーズを提示したが、岡田代表は約款を読んでいる」と揶揄されたと言った。
- 国民に税負担を求める部分についても正直に演説で話すことが多い。
- 派閥嫌いであるが、2006年に入り「NGO海外活動推進議員連盟」と「核軍縮促進議員連盟」を発足させており、党代表時代に弱かった党内基盤を強化し、党代表復帰に備えているという見方もあった[要出典]。
[編集] エピソード
- ある地元の会合に出席するため朝4時半に目覚まし時計をセットしたものの1時間寝過ごし、人生で初めて寝坊をしてしまった。翌日も寝坊してしまい、おかしいと思って時計を調べてみると壊れていたという。その時計は初当選以来20年近く使い続けていたものだった。
- 業界からの献金だけでなく、支持者からの贈り物はバレンタインチョコレートであっても一切受け取らず、直筆の礼状を添えて送り返しているという。贈り物として届いた伊勢エビを受け取らず腐らせてしまったり、生花の贈り物も拒否して枯らしてしまった、という出来事もあった。
- 新進党議員総会において一方的に解散を宣言した小沢一郎に対し、声を荒げて食い下がる場面があった。
- 2005年に行われた衆議院解散総選挙の直前にライブドア代表取締役社長の堀江貴文の要請で堀江と会談を行ったが出馬要請を見送った。理由として「堀江氏が真面目に政治に取り組む姿勢を感じられなかったこと、有権者を見下すような発言をおこなったため」などと語った。
[編集] 主な発言
- 「今の説明、私は納得できません。新進党と書いていただいた有権者に対する裏切りだ!」
- 1997年、両院議員総会で新進党解党を宣言した小沢一郎に対し。
- 「イラクの状況から米軍が駐留する責任はあるが自衛隊は憲法上撤退すべきだ」
- ハワード・ベーカー駐日米国大使との会談中に。
- 「金大中前大統領が言われた未来志向のレールの上をうまく走っていないとすれば、主に日本側に問題があると思う」
- 羅鍾一駐日大使との会談中に。
[編集] その他
- 2004年、通産省勤務時代に岡田家の資産管理会社の取締役を務めていたことが週刊文春の取材で明らかになった。無給ではあったものの、これが公務員の兼職禁止規定違反にあたるものだったとして代表定例会見で説明、謝罪している[26]。
- 2009年3月、「岡田克也と(民主党の当時の代表との不適切な関係を指摘されている)西松建設が怪しい」との見出しで報道した週刊朝日[27]に対し、誤解を与える広告であるとして抗議をおこなった[28]。後日、週刊朝日側が誤りを認め、謝罪している[29]。
[編集] 関係団体
- 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟会長
- 民主党日韓議員交流委員会顧問
- 北京オリンピックを支援する議員の会副会長を務めた。
- 日韓議員連盟所属
- NGO海外活動推進議員連盟
- 核軍縮促進議員連盟
[編集] 系譜
- 岡田氏 初代惣左衛門が現在の三重県四日市市にて太物〈綿・麻織物〉・小間物商等を売り歩く行商人として、岡田屋を創業。6代惣右衛門が個人経営から株式会社組織・岡田屋呉服店に改組した。7代目卓也がイオン (企業)ジャスコグループに発展・拡大させた。
惣左衛門━惣右衛門━惣助━惣八━惣右衛門━惣右衛門━卓也━桜子━克也
[編集] 文献
[編集] 著書
- 『政権交代―この国を変える』 講談社、2008年6月、ISBN 406214607X
[編集] 関連文献
- 『岡田克也、父と子の野望』榊原夏、扶桑社、2004年、ISBN 4594048250
[編集] 関連項目
- 民主党国会議員一覧
- 民主党の次の内閣一覧
- 民主党代表
- 新進党、新生党、自由民主党 (日本)
- 山本幸雄 - 岡田を後継者に指名し政界を引退。
- イオン_(企業)
[編集] 脚注
- ^ 2004年7月16日読売新聞
- ^ 台湾を苛めて中国の機嫌を取る岡田代表:時局コメンタリー 2004年9月28日林建良
- ^ a b http://www.katsuya.net/upload/pdf/joyaku_honbun.pdf
- ^ 衆議院予算委員会 平成16年02月10日
- ^ http://katsuya.weblogs.jp/blog/2008/04/post-9c48.html#more
- ^ http://katsuya.weblogs.jp/blog/2007/06/post_c68e.html#more
- ^ a b 2009年5月15日、民主党代表選討論会ほかで発言
- ^ http://katsuya.weblogs.jp/blog/2006/05/post_62e4.html#more
- ^ http://katsuya.weblogs.jp/blog/2007/11/post_d9a7.html#more
- ^ http://katsuya.weblogs.jp/blog/2008/06/post-437b.html#more
- ^ http://katsuya.weblogs.jp/blog/2007/11/post_d9a7.html#more 及び2007年参院選民主党マニフェスト
- ^ http://www.dpj.or.jp/news/?num=788
- ^ http://www.katsuya.net/upload/pdf/daihyou_koyaku.pdf
- ^ http://katsuya.weblogs.jp/blog/2006/01/post_8091.html#more
- ^ http://www.katsuya.net/upload/pdf/nenkinseidokaikaku.pdf
- ^ http://katsuya.weblogs.jp/blog/2009/04/post-a548.html#more
- ^ http://katsuya.weblogs.jp/blog/2009/04/post-e143.html#more
- ^ a b c d 次期首相とも目される「ミスター・クリーン」、民主党・岡田克也氏の素顔AFPBB News、2009年5月2日記事
- ^ "融通効かない“ロボコップ岡田” 民主後継争い激化". iza(産経新聞) (2009年5月12日). 2009年7月7日 閲覧。
- ^ a b "岡田氏、政策通の原理主義者 頑固な「ロボコップ」". iza(産経新聞) (2009年5月14日). 2009年7月7日 閲覧。
- ^ 岡田かつやホームページ(2007年10月31日)
- ^ 岡田かつや TALK-ABOUT(2009年3月18日)
- ^ 都市伝説 岡田代表誕生でイオン特売!? iza 2009年5月15日01:21配信
- ^ どうなる民主党総裁選 株式市場→鳩山支持!? イオンは岡田効果否定 日本証券新聞 2009年5月18日13:00配信
- ^ 読売新聞 「アルコール中毒の人にビール」岡田副代表が定額給付金批判[リンク切れ]
- ^ 同会見で、岡田と民主党が当時批判していた小泉総理(当時)の勤務実態のない不動産会社に関するプロフィールへの記載の問題と比較した質問に対し、説明の場を設けていることを理由に「開き直っている小泉さんと一緒くたに議論されることは、極めて不本意」という旨の反論を行った。一方で、自身の釈明がマスコミ取材まで行われず、結果的に公訴時効以後にまでに時間がかかったこと、自身のプロフィールに公務員法違反時の勤務先の記載のないことに関しては、経歴をどこまで書くかは本人に委ねられていることを挙げ、隠していたわけではないと強調した。一連の経緯について、当時国家公務員法を知らなかったことが原因とした説明に対し、岡田が法学部出身であることなどから「俄かに信じがたい」と週刊文春が批判している。また、党をあげて問題視してきた小泉のプロフィールへの記載の問題に関して、「経歴をどこまで書くかは本人に委ねられている」として、自らお墨付きを与えることになり、この問題は立ち消えになった。
- ^ 週刊朝日 2009年4月3日号
- ^ "西松報道、「週刊朝日」に抗議=民主・岡田氏". 時事通信 (2009年3月24日). 2009年6月6日 閲覧。
- ^ 週刊朝日 2009年4月10日増大号
[編集] 外部リンク
- 岡田かつやホームページ(公式サイト)
- 岡田かつや TALK-ABOUT(公式ブログ)
- 民主党・三重県総支部連合会
- 系図でみる近現代 第30回
| 党職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 菅直人 |
民主党代表 第4代:2004年 - 2005年 |
次代: 前原誠司 |
| 先代: 中野寛成 鳩山由紀夫 |
民主党幹事長 第4代 : 2002年 - 2004年 第8代 : 2009年 - |
次代: 藤井裕久 現職 |
| 先代: 菅直人 |
民主党政策調査会長 第4代 : 2000年 - 2002年 |
次代: 海江田万里 |
|
|||||||||||||||||||||||


