岡田克也
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おかだ かつや
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| 生年月日 | 1953年7月14日(58歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 東京大学法学部卒業 |
| 前職 | 通商産業省大臣官房 総務課企画調査官 |
| 所属政党 | (自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (国民の声→) (民政党→) 民主党 |
| 称号 | 法学士(東京大学・1976年) |
| 親族 | 美濃部貞亮(高祖父) 村上紋四郎(義曾祖父) 村上信二郎(岳父) 村上孝太郎(義伯父) 村上誠一郎(義兄) |
| 公式サイト | 岡田かつや ホームページ |
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| 内閣 | 野田改造内閣 |
| 任期 | 2012年1月13日 - 現職 |
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| 内閣 | 野田改造内閣 |
| 任期 | 2012年1月13日 - 現職 |
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| 内閣 | 野田改造内閣 |
| 任期 | 2012年1月13日 - 現職 |
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| 内閣 | 野田改造内閣 |
| 任期 | 2012年1月13日 - 現職 |
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| 内閣 | 菅内閣 |
| 任期 | 2010年6月8日 - 2010年9月17日 |
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その他の職歴
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(2009年9月16日 - 2010年6月8日) |
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(1990年2月19日 - 現職) |
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岡田 克也(おかだ かつや、1953年(昭和28年)7月14日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(7期)、副総理、内閣府特命担当大臣(「新しい公共」担当)、内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)。
民主党幹事長(第4代・第8代・第11代)、民主党代表(第4代)、外務大臣(第142代・第143代)などを歴任した。
ジャスコ創業者の岡田卓也は父。イオン取締役兼代表執行役社長の岡田元也は実兄[1][2][3]。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 生い立ち、官僚時代
三重県四日市市の岡田呉服店を前身とする岡田家の7代目当主でスーパー「岡田屋」を経営していた岡田卓也の次男として生まれる。男3人兄弟であった。4歳年下の弟(東京新聞記者)は母方である高田家の養子となった。2009年(平成21年)の自身のブログで1月31日に享年100歳で老衰で死去した長寿で麻雀が好きだった母方(高田家)の祖母が大好きな、おばあちゃん子であったと書いている。
四日市市立中部西小学校と中部中学校を卒業した。平成13年(2001年)8月1日に朝日新聞社の取材を受けて、「育った町の四日市市についてどう思うか」との質問に「公害の町」であると回答した。「中部西小学生だった頃に第2四日市コンビナートが建設された事から公害問題が顕在化して、中部地区にも大気汚染による被害が拡大した。同級生(昭和28年度生まれ)で四日市ぜんそくの症状で悩んでいた人もいたし、自分が卒業した後に、中部西小学校の後輩になる9才年下(昭和37年度生まれ)の女の子が4年生(9歳)で死亡したなど公害で亡くなった四日市地域の人もいた」と発言した。
父の経営するスーパーが三重県四日市市を拠点とする「岡田屋」から、他社である兵庫県姫路市を拠点とする「フタギ」と大阪府吹田市を拠点とする「シロ」の3社が提携を行い合併して「ジャスコ」となり事業が拡大すると共に、四日市市中心から全国的な経営をする必要から父子で大阪に移住して、大阪教育大学附属高等学校池田校舎を経て東京大学法学部を卒業する。
国家や社会など公的な仕事に就くという幼少時からの夢のため、国家公務員を目指した。厚生省への就職も考え迷ったあげく、1976年(昭和51年)通商産業省(現在の経済産業省)に入省する。同期には高橋はるみ北海道知事らがいた。
通産省では中小企業対策や石油問題などを手がけた。町村信孝の直属の部下だったこともある。1985年(昭和60年)に米国のハーバード大学の国際問題研究所に派遣された。研究員として1年間滞在して、ハーバード大学のケネディスクール(ジョン・F・ケネディアメリカ大統領を冠して設立された行政学を専攻するコース)で学び、エズラ・ヴォーゲルらと交流した。この頃から政治への問題意識を抱き始め、同時に官僚として出来ることの限界に気付くようになる。(生い立ちについての参考文献は著書「岡田語り」の引用である。平成22年6月24日発売)
[編集] 政界入り
桑名市と四日市市を地盤としていた竹下派所属の山本幸雄の後継者として出馬をした。竹下登と財界との関係で繋がりが深かった父の岡田卓也を通じて打診、克也が「やってもいい」と意欲を見せたことで自由民主党竹下派の新人候補として出馬に至った[4]。1988年(昭和63年)7月に大臣官房総務課の企画調査官を務めたのを最後に通産省を退官した。中選挙区の三重1区から1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に出馬した。滑り込みの4位であったが当選した。選挙結果である当選順位は、同じ自由民主党候補の川崎二郎と北川正恭より得票数が少なく自由民主党では最下位であった。中選挙区制度では他の自由民主党候補との競争や労組出身の伊藤忠治に勝てずに自分が選挙に強くない事を実感した。自民党離党後に新生党から出馬して、新党ブームで無党派層の支持を得た。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙ではトップ当選をした。新進党と民主党で一貫して唱えた二大政党制を推進する小選挙区制が有利に働いて、強力な地盤が形成されて、三重3区で大差で連続当選している。
自民党時代は、当初経世会(竹下派)に所属していたが、小沢一郎の唱えた政治資金規正法や選挙制度の賛成派として竹下登ら守旧派と対立し、離脱して羽田派(改革フォーラム21)に所属した。羽田孜、後藤田正晴らと共に政治改革を訴え、若手国会議員の代表格として頭角を現していく。
一連の政争を重ねる中で「一国の総理大臣が、金集めがうまいかどうかで決まる」(本人談)という当時の自民党の派閥政治を目の当たりにし、愕然とする。1993年(平成5年)、宮澤内閣改造内閣不信任案に賛成して自民党を羽田派の議員で集団離党した。この際に「岡田に暴力をふられた」と叫んだ浜田幸一議員との乱闘があり、3年半の自由民主党議員生活に終止符を打った。
その後は、羽田孜や小沢一郎に従って新生党結党に参加した。翌年の1994年(平成8年)に新進党に合流した。1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙に敗北した後の新進党内の抗争激化を受けて、翌年の1997年(平成9年)に小沢一郎が新進党解党を宣言する。議員総会で「新進党解党を了承するように」と発言した小沢一郎に対して「有権者を裏切る行為だ」として岡田は解党に強く反対するが、決定は覆らなかった。以後、小沢とは民主党と自由党の合併(民由合併)まで袂を分かつこととなる。
[編集] 民主党時代
[編集] 野党時代
新進党の解党後、国民の声、民政党を経て新民主党に参加する。政策調査会長代理に就任する。以後、衆議院安全保障委員長、政策調査会長、幹事長代理を歴任する。2002年(平成14年)の民主党代表選に立候補するが菅直人に敗れて、幹事長に就任する。
2004年(平成16年)、菅が年金未納問題で代表を辞任して、有力後継候補と目されていた小沢一郎も同様に国民年金未払が発覚して、代表選出馬を辞退する。この事態により、岡田が同年5月18日より代表を務めた。
代表就任以降、「野党」ではなく「政権準備党」を名乗るなどして衆議院選挙での政権交代をアピールした。2004年(平成16年)7月11日の参議院通常選挙では自民党を1議席上回る50議席を獲得した。
2004年(平成16年)9月13日の代表選挙で無投票再選を果たす。役員人事で幹事長に川端達夫、代表代行に藤井裕久を任命する。
2005年(平成17年)8月の郵政民営化問題を契機とする衆議院解散(郵政解散)で自民党が分裂選挙となったことから、当初は「政権獲得千載一遇のチャンス」などといわれたが、小泉劇場の前に民主党は埋没し、9月11日の総選挙では公示前勢力を64議席下回る113議席に終わり大敗をする。岡田は9月12日に代表を引責辞任した。
2006年(平成18年)9月、民主党の改造人事で民主党副代表に就任する。
2007年(平成19年)、政治改革推進本部長、衆議院予算委員会筆頭理事、党地球温暖化対策本部長に就任する。
2009年(平成21年)3月、小沢一郎の公設秘書が西松建設事件で逮捕され、5月に小沢が代表を辞任すると、党若手議員からの支持を受けて5月16日の代表選挙に出馬した。事前の世論調査では優位に立っていたが、対立候補の鳩山由紀夫に僅差で敗れる。翌17日、党幹事長に就任[5]。
[編集] 鳩山政権
2009年(平成21年)8月の第45回衆議院議員総選挙では小選挙区制導入以来の自身最多得票数で再選する。民主党がこの選挙で第1党となったことから与党議員となった。
2009年(平成21年)9月に発足した鳩山由紀夫内閣で外務大臣に就任する。菅直人副総理と並びポスト鳩山の有力候補とも目されたが後任の党代表選では菅の推薦人に名を連ねた。菅内閣で再任された。
[編集] 菅政権
2010年(平成22年)9月17日に、民主党代表選挙で再任された菅直人の要請を受けて、3度目の民主党幹事長に就任をする[6][リンク切れ][7]。
[編集] 野田政権
2011年(平成23年)8月の民主党代表選で選出された野田佳彦による組閣で財務大臣就任を要請されたが固辞した。[8]。新執行部の発足[9]に伴い幹事長を退任した。公務をする充電期間として閣僚を退き、複数のベテラン議員と共に民主党最高顧問となった。12月に民主党行政改革調査会会長に就任。
2012年(平成24年)1月13日に、野田政権の内閣改造(野田改造内閣)により入閣し、内閣府特命担当大臣(「新しい公共」担当)、内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)の4ポストを兼任することとなった[10]。また、国務大臣としての所管事項として「行財政の抜本的見直しを推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[10]や「公務員制度改革を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[10]と「社会保障及び税に関する改革を一体的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[10]を、それぞれ担当することになった。また、内閣総理大臣臨時代理への就任順位は、内閣官房長官の藤村修を抑えて筆頭となったため[10]、いわゆる副総理となった。
[編集] 政策・主張
[編集] 外交・国際問題
- 日米同盟を基軸としながらも、中国重視の姿勢を見せている。国際貢献には積極的な姿勢をみせ、党代表時代には日本国憲法第9条を改正した上で国連を中心とした集団的安全保障への参加と武力行使を容認する姿勢を示した[11]。これは前任の菅直人が提唱した穏健な国防・改憲議論とは一線を画すものであり、この路線は後任の前原体制にも引き継がれた。
- 中台問題では訪台や台湾当局者の会談の際に独立反対を明言し、台湾側から厳しく批判された[12]。
- 靖国参拝問題について2005年6月2日の衆議院予算委員会で小泉純一郎首相に対し、A級戦犯を昭和の受難者だと位置づけて合祀している靖国神社には参拝すべきでないと述べた。また参拝に関する小泉の姿勢が、日本の国連常任理事国入りや北朝鮮をめぐる六カ国協議などに大きな影響力を持つ中国との関係をぎくしゃくさせている原因の一つであると指摘。小泉にはアジア各国に対して信念を説明して理解を得る責任があり、それができないのなら辞任すべきだと述べた[13]。
- 麻生首相が靖国神社が宗教法人を任意解散して祭式の非宗教的・伝統的な特殊法人に移行する私案を発表していることに対して、「国の施設にすることに違和感を持つ。信教の自由との関係はどうなるのか」と批判している。中国や台湾が領有権を主張する尖閣諸島に関し、鳩山由紀夫首相が2010年5月27日の全国知事会で「帰属問題は日本と中国の当事者同士でしっかり議論して結論を見い出してもらいたい」と発言したのに対しては「尖閣に領土問題はなく、議論の余地はない」と述べ、尖閣諸島に領土問題は存在しないとの認識を示している。
- 「民主党核軍縮促進議員連盟」を作り、核不拡散・核軍縮の提言を行っている。非保有国への核使用を無条件に違法とする国際法の確立や非核三原則の東北アジアにおける共有を提案し、将来的な核兵器の廃絶を目指している[14]。
- 歴史教科書問題では、(日本の侵略戦争について謝罪した1995年の)村山談話に基づいて、「韓国・日本・中国共通の教科書を作るのが最も理想的」と繰り返し主張している[15][16]。
- 沖縄返還及び非核三原則に纏わる4つの密約(西山事件の問題他)は全て公開されるべきであるとする立場で、外務省にも2009年(平成21年)11月までに報告するよう命じている。
[編集] 在日外国人
- 2008年(平成20年)3月11日に行われた反対派との討論会において、ジャーナリストの櫻井よしこが「外国籍のまま選挙権を与えるとアイデンティティーと実際の国籍の間のギャップを永続的に固定化してしまう」と外国人参政権の問題点を指摘すると、「それも含め本人が背負っていく話だ。もし私が外国で二、三世として生まれ育ち、『選挙権を得たければ国籍を捨てろ』といわれたら許せない」と反論した[17]。
- 2008年(平成20年)5月20日のブログで、会長を務める在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟が、北朝鮮を除く特別永住者と一般永住者の地方議員および首長選挙における選挙権を認めるべきだとする結論を出したと報告。「多文化共生」「多様な価値観を認める」を基本的な考えとしたもので、この結論が最善のものであることを確信していると述べている[18]。
- 2009年(平成21年)1月13日のブログで、視察した地元四日市市と桑名市のハローワーク(四日市公共職業安定所 ・桑名公共職業安定所 )に大勢の日系人が来ていたと述べ、一家で来日している日系人が失業した場合に子どもが通学できなくなる問題などが起きているとして、政治が雇用について対応していかなければならないと記している[19]。
[編集] 経済・財政
- 「自由で公正な社会」を標榜する。経済政策では「小泉(元)総理以上の市場経済主義者」を自認するなど、政府の役割を認めながらも自由主義的な傾向が強く[20]、民主党内では改革派と見られている。一方で、「実質的な機会の平等」を実現するため教育の重要性を繰り返し説いている。
- 政策の優先順位が低いとして道路予算の見直しを訴えている。三重県の道路建設促進協議会の顧問就任も拒否している。
- 自動車ユーザーにガソリン税の暫定税率を負担させながら道路特定財源の一般財源化を行うのは、租税法定主義の原則から問題があるとして、暫定税率の廃止を主張している[21]。
- 財政再建に向けて積極的に提言をしており、公共事業費の削減[22]、公務員の人件費2割削減[14]、特別会計の1割削減[23]などの歳出カットを訴えている。
- 所得格差是正のため、所得税や相続税の最高税率見直しを含む累進課税の強化を実行すべきだと述べている[24]。
- 年金の基礎部分にあてる財源として、将来的な消費税引き上げの議論を始めるべきだとしている[25]。
- 日本経団連の政党に対する政策評価を批判している。評価の理由説明が不十分な上、各企業の政党に対する献金について介入するやり方に問題があるとしている[26]。
[編集] 環境
民主党地球温暖化対策本部長を務め、地球温暖化対策に関しては、麻生政権が中期目標とした「2005年比15%削減」を地球温暖化対策として全く不十分と批判し、民主党は温室効果ガスの排出量を2020年までに1990年比25%削減することを中期目標とすることを表明している[27]。
[編集] 行政改革・社会保障
- 積極的に税源を移譲するなどして地方主権を進め、国と地方のあり方を変えるべきだとしている[28]。
- 政策を官僚に丸投げするやり方を批判し、政治家主体の行政を実現すると語っている。
- 役人の天下り問題には厳しい姿勢を取っており、全面禁止を主張している[29]。
- 将来的には子ども手当てを月4万円に引き上げるべきだと言っている。それには高額所得者に有利な配偶者控除や扶養控除制度の廃止、歳出の削減に加えて新たな財源の手当てが必要だとしている[30]。
- 河野太郎、野田毅ら自民党議員の有志を含む超党派で取りまとめた年金抜本改革案を発表している。年金一元化、基礎年金の全額税方式といった従来の案に加え、270兆円の純債務を別勘定に切り離す、20年程度で新方式へ完全移行することなどを提唱している[31]。
[編集] 選挙関連
- 政治家への入口を狭くしてしまうことが組織全体の活力の低下につながるとして、国会議員の親族が同一選挙区から連続で立候補する世襲規制を打ち出している[32]。
- 2005年(平成17年)の衆議院選挙後にTBSの「新・調査情報」のインタビューにて「政治は真面目なものであるべき」と主張するなど、小泉内閣における「劇場型民主主義」に対して批判的な姿勢を取った。
- 企業・団体からの政治献金は全面的に禁止するべきとし、あわせて、インターネット献金の普及、個人献金の税額控除、公設秘書の増員などの制度の導入を主張している[33]。
[編集] 政策・主張 (外務大臣として)
[編集] 「核」について
[編集] 「アジア非核地帯構想」を提唱
- 2009年(平成21年)10月12日、パキスタンを訪問。海上自衛隊のインド洋での給油活動の継続を求めるパキスタン政府に対して、鳩山由紀夫内閣は給油活動延長の意思はないことを説明し、理解を求めた。また、パキスタンが核保有国であることを非難し、「核のないアジア」を提唱したが、ザルダリ大統領からは「日本は(同じく核保有国の)インドを説得して欲しい」と反論された[34]。これに対して、岡田は「インドの国防費の拡大は中国をにらんだものだ。」「オバマ米大統領は核のない世界を提唱したが、自分は核のないアジアを提唱したい」など述べたが、同意は得られなかった[35]。
- また、同日に行われたクレーシ外相と会談で、核の不拡散問題について、パキスタンが疑念を抱かれるようなことがあれば、国際社会の対応は厳しくなると述べ、第3国などに核物質などが流出することがないように管理の徹底を求めたが、クレーシ外相は、「パキスタンは責任ある核兵器国である。核物質の管理に責任を持って対応している」と不快感を示し、「パキスタンの安全保障上の懸念も理解してほしい。南アジア地域の安定を図りたい。パキスタンは攻撃的ではなく防衛的な政策をとっている」と反論した[36]。
[編集] イランの核開発疑惑
2010年(平成22年)2月24日、岡田はイランのラリジャニ国会議長と会談した。この時、岡田はイランの核問題について「国連安全保障理事会が新たな制裁決議を採択する場合、日本も従わざるを得ない」と述べ、イランの核開発を容認しないとの認識を示した[37]。
[編集] 非核三原則
2010年(平成22年)3月14日、非核三原則を堅持するとした政府(鳩山由紀夫内閣)方針に対し、岡田も堅持を表明しつつも「内閣がそれぞれ決めること。将来にわたって縛ってしまうのがいいのか」と述べ、非核三原則を法制化をする考えはないとの認識を示した[38]。
3月17日、衆議院外務委員会で、非核三原則の法制化について「ロシアや中国の艦船が日本の領海を核を積んで通過しないという担保をどう取るのか。そういう問題に決着がつかないと、法制化は難しい」と述べ、改めて、現段階では法制化する必要はないとの認識を示し[39]、有事の際のアメリカ軍による核搭載艦船の一時寄港については「日本国民の安全が危機的状況になったとき、原理原則をあくまで守るのか、例外を作るのかは、その時の政権が判断すべきことであり、今将来にわたって縛るわけにはいかない」と述べた[40]。
[編集] 東シナ海ガス田問題
2010年1月17日に中国の楊潔チ外相と会談し、2008年6月18日にガス田の共同開発で日中両国が合意した[41]東シナ海の「白樺」について、中国がガス生産に踏み切った場合は「日本としてしかるべき措置をとることになる」と警告した[42]。
[編集] 竹島問題
日本は竹島について「歴史上も国際法上もわが国固有の領土」という立場を取っているが、岡田自身は「竹島が大韓民国に不法占拠されている」という言葉は「信念」として使わないと、2010年(平成22年)3月26日・4月14日に衆議院外務委員会で、自民党の新藤義孝の質疑に対して答弁をしている[43]。尖閣諸島に関しては「(中国とは)議論の余地はない」と強硬姿勢を示しており、2010年9月の尖閣沖衝突事件でも、中国人船長の逮捕を強く主張したとされている。
[編集] 普天間基地代替施設移設問題について
[編集] 「嘉手納基地統合案」から「現行案」へ
鳩山政権を揺るがすことになったいわゆる普天間基地移設問題では、外務大臣就任当初から県外移設の選択肢には否定的な立場をとる一方で、辺野古移設の現行案ではなく嘉手納基地との統合案について度々言及。しかし閣内で十分な調整を経ないで発言したため、県外移設を模索していたとされる首相方針との食い違い、閣内不一致を指摘された(同案そのものは自民党政権時代にも検討され、米側にも様々な見解が存在したが、高速航空機が主体の嘉手納基地で、海兵隊のヘリを同時管理することが困難だとして、最終的には米側が否定的な結論に至った経緯がある)。加えて地元嘉手納町では既に深刻な騒音被害が倍増することなどへの懸念から猛反発が起き、岡田も統合案を封印した。年末近くから日米関係を重視して現行案に回帰していき、年明け後は北澤俊美防衛大臣と共同歩調をとる形で、鳩山首相に対して現行案の受け入れを主張した。
[編集] 人物像
[編集] 個人として
- 支持者には「真面目でクリーン」といったイメージで捉えられることがあり、「ミスター・クリーン」と呼ばれることもある[44]。その容姿などから「ロボコップ」とあだ名されることもある[45][46]。
- 趣味は読書・映画鑑賞など。他にも音楽をレトロなカセットテープで聞くことがあり、GACKTの「君に逢いたくて」を好んでいる。
- 10代からカエルの置物を収集している[44]。日本国外に出かけた際にも、「安価でどこの国にもあり、また、お土産に何を買うかあらかじめ決めておけば悩まなくてもいいから」という理由で、かならず買い求めるようにしている[47][48]。東京の事務所にはカエルの置物が大量に飾られている[44]。“カエル”には2つの意味があり、一つは「海外へ出張しても、無事妻や子供達の元へ『帰る』」という思い、もう一つは「政権を『変える』」という意味が篭っているとされる。
- 今日では大手流通グループとなったイオンだが、岡田の少年期はジャスコが三重を中心とした地域企業から関西・全国へと拡大していく過程であり、父の苦労する姿のほうが印象に残っているという[49]。
- 高校時代に進学していた大阪教育大学附属高等学校池田校舎で、当時の学園紛争に巻き込まれ、同校には後にハーグ事件をおこす西川純らが中心となって「学園封鎖」の先頭に立っていた。大多数の学生が学園封鎖に賛成していたが、岡田はごく少数の封鎖反対派の立場に回り、「高校生は将来の日本を背負うために今は勉強すべきだ。政治の問題を学校に持ってくることが本末転倒ではないか」と主張し譲らなかったという。
- 大学時代は勉強より読書に夢中だった。大学の教養課程では佐藤誠三郎の名物ゼミに所属し、社会科学の古典を週に何冊も読んだ。当時、衝撃を受けた本としてドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を挙げ、三兄弟の中でもイワンに共感を覚えたという。
- 尊敬する歴史上の人物として織田信長をあげており、本人曰く「日本の歴史上最高の人物だと思う。変革期・激動期に、旧来の考えにとらわれず信念に基づいて行動した。タブーをおそれない改革精神と実行力を見習いたい。やり方は荒ぽかったが、あの時代はあれしかなかったと思っている」と述べている。
[編集] 政治家として
- 政策通として知られ、環境から経済、安全保障まで幅広い分野に精通している[46]。
- 世襲政治家として国会議員が地盤を継承する事に反対する立場から、強力な地盤がありながら、三重3区を子供など血縁者に継がせない方針である。
- 民主党代表時代には、手堅い手腕でボトムアップによる全会一致主義の党運営を行った。一方、党内で意見が分かれた場合には代表預かりとすることが多かった。
- 演説の内容が細かく、大下英治の著書によると、民主党の藤田幸久元衆議院議員が有権者に「小泉総理は生命保険のキャッチフレーズを提示したが、岡田代表は約款を読んでいる」と揶揄されたと言った。
- 派閥政治を嫌い、党内のどのグループにも属していない。ただし、渡部が呼びかけた反小沢系の議員グループ七奉行の会には名を連ねており会合にも参加するなど、将来の総理・党代表を意識して党内の有力議員との連携は図っている。
- 民主党政権が成立した後の与党時代になってからは公務の都合と警備の重要さで回数が少なくなったが、野党時代から選挙活動として定期的に何度も地元三重県の三重3区(桑名市・いなべ市・四日市市北部「富田地区」・菰野町の4箇所を重点)に座談会と呼ばれる対話集会を行っている。
- 岡田家は、三重2区の(四日市市中部地区の出身)であり、出身地から考慮すると三重2区(四日市市南部・鈴鹿市・亀山市)から立候補するのが正当であり出馬計画もあったが、鈴鹿市を地盤としていた北川正恭三重県知事の後継者となった中川正春との調整で、三重3区(四日市市北部・桑名市・母の実家の三重郡菰野町・いなべ市など)から立候補する事とした。桑名市出身の山本幸雄から桑名市の地盤と、山手満男(東洋紡績出身の四日市市の政治家)→田中覚(四日市市塩浜地区出身の三重県知事)が地盤としていた岡田家の出身地の四日市市を岡田が地盤として継承した。
- 三重3区では対立候補の平田耕一が四日市市北部(富田地区・富洲原地区)を地盤としており、近隣の三重郡川越町に岡田克也選挙事務所を設置して、四日市市北部を重点に選挙活動をしている。四日市市北部では、岡田呉服店を前身とする呉服屋の岡田家と、千代田建材を前身とする建材屋の平田家が成金化して、名門実業家となった四日市中部地区岡田家と四日市富洲原平田家がライバル関係である。①岡田克也の実家の岡田家が(イオングループの経営者)②平田耕一の実家の平田家が(チヨダウーテの経営者)であり、三重3区は資本家(ブルジョワジー)出身の御曹司対決となっている。
- 三重3区ではお互い国会議員として欠如していると有権者に見られている欠点を克服するため、岡田克也・平田耕一の両陣営は庶民的政治家であるとアピールする戦略を実行している。公立学校出身であるとアピールする事を選挙戦術とした。岡田は自身の経歴が四日市市立の中部西小学校・中部中学校を卒業後に大阪教育大学附属高等学校池田校舎と東京大学を卒業した学歴であり、国立高等学校・国立大学出身者であり、一般的な貧困家庭と同じ進学先で、父や兄と違い、自身は金持ちでなくて、庶民的生活をしている事をアピールした。岡田克也は(四日市市中部地区)。平田耕一は(四日市市富洲原地区)の地域出身であるとアピールする戦略を実行していた。対立候補の平田耕一は三重3区で富洲原地区の地縁と三重県立の地元の名門の三重県立四日市高等学校同窓会の支援を重視していて、地縁と学閥を選挙活動の戦術としていた。
- 小沢一郎民主党代表の選挙戦術として2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙で岡田克也が三重5区(三重県南部の伊勢市・尾鷲市・鳥羽市・志摩市・熊野市・度会郡・北牟婁郡・南牟婁郡)に立候補する選挙区の鞍替え作戦が浮上した。2010年(平成22年)の週刊大衆などの週刊誌報道によると、平田耕一議員を支持する富洲原地区の自由民主党関係者から証言があり、岡田克也の秘書は三重3区で、イオングループの組織力と民主党の強力な地盤で小選挙区制での楽勝ムードがある事から、緊張感がなくてだらけていて、衆議院議員選挙中に四日市市松原町の漫画喫茶の駐車場の車の中で昼寝をしていたと報道された。中選挙区制時代は岡田克也の自身の後援会と実家のイオングループが支援組織だったが、小選挙区制の時代となり、自身の組織に加えて日本社会党出身の伊藤忠治の(情報労連・三重県の日本教職員組合・NTT労働組合票・左翼票)と民社党出身の中井洽の全日本労働総同盟(同盟労組票)が民主党及び岡田克也を支持する支援組織となっている。
[編集] エピソード
- 会合に出席するため朝4時半に目覚まし時計をセットしたものの1時間寝過ごし、人生で初めて寝坊をした。翌日も寝坊してしまい、おかしいと思って時計を調べてみると壊れていたという。その時計は初当選以来20年近く使い続けていたものだった[50]。
- 業界からの献金だけでなく、支持者からの贈り物は一切受け取らず、直筆の礼状を添えて送り返しているというが、贈り物として届いた伊勢エビを受け取らず腐らせてしまったり、生花の贈り物も拒否して枯らしてしまったという出来事もあった。
- 自民党時代、総務会で亀井静香と取っ組み合いの喧嘩をして新聞に載ったことがある[51]。
- 小沢一郎は初当選時の幹事長であり、以後新進党解党まで行動を共にし、自ら「政治の世界の父」と呼ぶ人物でもある。しかし以後は小沢の民主党入り後も微妙な関係で、「きちんと話をしたことは一度もない」[52]とされる。2010年の小沢の国会招致を巡っては、岡田が幹事長、小沢が一議員と立場が逆転していたが、小沢との会談をするのにも苦労する有様だった。
- 議員在職当時の大橋巨泉が『毎日新聞』のインタビューで、岡田の真面目さを「議会が終わったらすぐ図書館」と形容した。大橋流の例え話だったのだが、大橋によると、後日2人が会った時に岡田が「僕は議会の後図書館に行ったことはありません」と真面目に反論したという。
- 利益供与や金銭の遣り取りに敏感で、同僚議員との食事であっても割り勘を原則とするため、党若手議員との懇親会を開いた際も、「食事を済ませてから来てほしい」と事前に通告していた[53]。
- 時間厳守に敏感で、2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震においても、定期開催されることになった実務者会合について、議論の中身よりも開催時間(1時間)に強いこだわりを見せ、実際に第一回の実務者会合において、原発の問題で議論が行われている最中に、「時間もないので物資輸送の件に移りましょう」と発言して原発問題の議論を打ち切り、開始からちょうど1時間後に終了宣言し、会合そのものを打ち切っている[54]。
[編集] 主な発言
- 「今の説明、私は納得できません。新進党と書いていただいた有権者に対する裏切りだ」
- 1997年(平成9年)、両院議員総会で新進党解党を宣言した小沢一郎に対し[55]。
- 「イラクの状況から米軍が駐留する責任はあるが自衛隊は憲法上撤退すべきだ」
- ハワード・ベーカー駐日米国大使との会談中に。
- 「金大中前大統領が言われた未来志向のレールの上をうまく走っていないとすれば、主に日本側に問題があると思う」
- 羅鍾一駐日大使との会談中に。
- 「(拉致被害者)5人の方が『いたい』というなら日本にとどめておくことは当然だが、政府が決める必要はなかった。そのことで北朝鮮が態度を硬化させた。世論に迎合しすぎだ」
- 2003年(平成15年)1月19日、拉致被害者5人を北朝鮮に返さないとした日本政府の方針に対してのNHK討論番組における発言。
- 「アルコール中毒で悩んでいる人の目の前にビールを置いたり、糖尿病患者の目の前に饅頭を置いたりするようなものだ。病が深くなるだけで何の意味もない」
- 2008年(平成20年)12月23日、鹿児島県曽於市での講演での発言。2008年度第2次補正予算案に盛り込まれた定額給付金について[56]。
- 「陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えてほしい」
- 2009年(平成21年)10月23日、国会開会式での天皇のお言葉について閣議後の閣僚懇談会で、宮内庁に対しお言葉の見直しを検討するよう求めた[57]。詳細は第173回国会#その他を参照。
- 「公約と(鳩山首相の)選挙中の発言とはイコールではない。公約というのはマニフェストだ」
- 2009年(平成21年)11月4日の国会答弁において普天間基地移設問題についての答弁[58][59]。民主党は2007年(平成19年)7月の国会答弁にて「自民党が選挙の際の発言を履行していない」という趣旨の主張をしていた[58]。
- 「事務的なミスを大きく取り上げ、いちいち大臣を辞めないといけないと結びつけるのは適切なのか」
- 前原誠司外相が在日外国人から献金を受けていたことについて[60]。
- 「政府の邪魔しないでくれ」
- 東北地方太平洋沖地震に際して、野党側からの地震災害救助対策について協力の申し入れを断る際の要請文において同趣旨の発言があったと自民党の小池百合子総務会長が言及している[61]。
[編集] その他
- 1990年2月3日の衆院予算委員会で日本共産党の正森成二から海部俊樹首相らに対し、岡田が自民党から初当選した総選挙においてジャスコの従業員を動員して選挙活動を行ったとの指摘が行われた[62]。
- 2004年(平成16年)、通産省勤務時代に岡田家の資産管理会社の取締役を務めていたことが週刊文春の取材で明らかになり、これが公務員の兼職禁止規定違反にあたるものだったとして代表定例会見で説明、謝罪している[63]。一方で、自身の釈明がマスコミ取材まで行われず、結果的に公訴時効以後にまでに時間がかかったこと、自身のプロフィールに公務員法違反時の勤務先の記載のないことに関しては、経歴をどこまで書くかは本人に委ねられていることを挙げ、隠していたわけではないと釈明した。
- 2006年(平成18年)の秋篠宮妃紀子ご懐妊に際し、同年2月6日の予算委員会開会中にその一報がもたらされ、小泉純一郎首相に対する質問中に「秋篠宮妃紀子さまがご懐妊されたということで、国民の皆様と共にお喜びを申し上げたい」と述べたが、紀子妃の名前を「ノリコ様」と誤読した。
- 2009年(平成21年)7月、鳩山由紀夫の「故人献金」に端を発する政治資金報告書虚偽記載問題に関連して、鳩山の対応を「自民党にも様々な疑惑があるが、自ら非を認めて謝罪をしたのは鳩山氏だけだ」と評価した[64]。
- 2009年(平成21年)3月、「岡田克也と(民主党の当時の代表との不適切な関係を指摘されている)西松建設が怪しい」との見出しで報道した『週刊朝日』[65]に対し、誤解を与える広告であるとして抗議をおこなった[66]。後日、『週刊朝日』側が誤りを認め、謝罪している[67]。
- 2007年(平成19年)、新興宗教崇教真光の第48回秋季大祭に出席し、民主党の石井一副代表と共に祝辞を述べている。
- 2009年(平成21年)元旦に、立正佼成会四日市教会で年越参り、立正佼成会桑名教会で元旦参りをしている[68]。
[編集] 関係団体
- 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
- 民主党日韓議員交流委員会前顧問
- 北京オリンピックを支援する議員の会副会長を務めた。
- 日韓議員連盟所属
- NGO海外活動推進議員連盟
- 核軍縮促進議員連盟
[編集] 家族 親族
- 高祖父 美濃部貞亮(衆議院議員)
- 義曾祖父 村上紋四郎(衆議院議員)
- 義祖父 村上常太郎(最高検察庁次長検事)
- 父 岡田卓也(イオン名誉会長)
- 岳父 村上信二郎(衆議院議員)
- 義叔父[69] 速水融(慶應義塾大学名誉教授、文化勲章受章者)
- 義伯父 村上孝太郎(参議院議員)
- 実兄 岡田元也(イオン社長)
- 義兄 村上誠一郎(衆議院議員)克也の妻多津子の兄
- 実弟 高田昌也(中日新聞社編集局政治部長)
- 長女(昭和61年生まれ)・長男(昭和63年生まれ)・次男(平成4年生まれ)
- 母方高田家(三重郡菰野町の大地主)⇒母は3人姉妹であったので、弟の高田昌也が高田家の養子となった。
[編集] 岡田家の教育方針
- 著書やブログによれば、大学4年生の東京大学を卒業する前に就職先として決定していた通産省以外に、東大法学部で勉強した法律の知識に対する向学心から司法試験に興味を持ち、将来官僚や政治家になるために職業上有利な弁護士資格の獲得に挑戦する事とした。実際は本気ではなかったので「記念受験」として法律の勉強にチャレンジしたが不合格となった。東京大学に入学した事についても、岡田家は父岡田卓也と兄岡田元也が早稲田大学出身なので東大合格にこだわってなくて高望みをした東大の記念受験で合格したと述べている。父は、私立ではなく四日市市立(公立学校)の中部西小学校と中部中学校にあえて息子たちを通学させた。
[編集] 系譜
- 岡田家
- イオングループの岡田家は、イオンのホームページによると、岡田家のルーツは三重県いなべ市北勢町治田であり、1758年(宝暦8年)に初代岡田惣左衛門が天領四日市宿(現在の三重県四日市市中部地区)にて、行商による太物(綿・麻織物)・小間物商の「篠原屋」を創業した。
- 1887年(明治20年)に岡田屋の5代目岡田惣右衛門が四日市久六町にあった店舗を四日市辻へ移転した。 屋号を「岡田屋」と改称した。現在でも北勢町治田には、岡田本家がある。岡田屋となった四日市岡田家は分家であり、家系図や治田鉱山(銀銅山)関係の古文書が複数残っている。古文書の記述や口伝によると、岡田家の祖先は治田鉱山が千姫の化粧料として与えられた江戸初期に、鉱山を管理する桑名藩の役人として四日市に来た。5代目の岡田惣右衛門が個人経営から株式会社組織・岡田屋呉服店に改組した[70]。
- 岡田屋の近代化の貢献したのは5代目岡田惣右衛門である。6代目岡田惣一郎が1927年(昭和2年)に早死にをした後は長男の卓也が2才だったので姉が後見人となった。7代目の岡田卓也は単なる一地方の呉服屋にすぎなかった岡田屋を国内最大規模の流通企業であるイオングループに発展させて事業を拡大させた。克也は四日市市堀木に自宅があったが、長女と長男が東京都内のマンモス大学に進学した事を機に、2008年(平成20年)4月に東京の議員宿舎に引っ越した事をブログなどで後援者に公表している。
┏元也 惣左衛門━惣右衛門━惣助━惣八━惣右衛門━惣右衛門━卓也━╋克也 ┗昌也
[編集] 脚注
- ^ “都市伝説 岡田代表誕生でイオン特売!?”. 夕刊フジ (産業経済新聞社). (2009年5月15日) 2009年10月29日閲覧。
- ^ “どうなる民主党総裁選 株式市場→鳩山支持!? イオンは岡田効果否定”. 日本証券新聞. (2009年5月18日) 2009年10月29日閲覧。
- ^ 滋賀報知新聞2010年10月5日
- ^ 奥野修司「ポスト鳩山を狙う 岡田と菅「新権力者」の肖像」、『文藝春秋』第87巻第12号、文藝春秋、2009年10月、pp. 138-148。
- ^ 日テレNEWS242009年5月17日
- ^ 【民主党役員・閣僚人事】幹事長、岡田氏に決定 産経新聞 2010年9月16日閲覧
- ^ asahi.com asahi.com2010年9月17日
- ^ 毎日jp2011年9月2日
- ^ AFP2011年8月31日
- ^ a b c d e 「人事異動」『官報』号外特1号、国立印刷局、2012年1月13日、1面。
- ^ 『読売新聞』2004年7月16日。
- ^ 林建良 (2004年9月28日). “台湾を苛めて中国の機嫌を取る岡田代表:時局コメンタリー”. 時局コメンタリー. 時局心話會. 2009年10月25日閲覧。
- ^ 国会会議録2005年6月2日
- ^ a b 岡田克也. “東北アジア非核兵器地帯条約(案) (PDF)”. 岡田かつや ホームページ. 2009年10月25日閲覧。
- ^ 2004年6月におこなわれたウリ党議長(当時)辛基南との会談
- ^ 2009年10月7日、東京外国特派員協会の講演
- ^ 「櫻井よしこ氏招き勉強会 外国人地方参政権で民主推進派」 (産経新聞) 2008年03月12日
- ^ 公式ブログ2008年5月20日
- ^ 公式ブログ2009年1月13日
- ^ 衆議院予算委員会 平成16年02月10日
- ^ 岡田克也 (2008年4月30日). “暫定税率の再議決…あまりに便宜主義、国民は怒りを”. 岡田かつや TALK-ABOUT. 2009年10月28日閲覧。
- ^ 岡田克也 (2007年6月26日). “過去最高の国の借金…歳出削減努力の緩みを懸念”. 岡田かつや TALK-ABOUT. 2009年10月28日閲覧。
- ^ 「民主党代表候補討論会」 13頁。
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- ^ 「民主党代表候補討論会」 5-6頁。
- ^ 岡田克也 (2007年11月13日). “経団連の政策評価…民主党はDと言うならもっと説明を”. 岡田かつや TALK-ABOUT. 2009年10月28日閲覧。
- ^ 民主党衆議院議員 岡田かつや | 発言・報道 | 2009年06月11日(木)[1]
- ^ 民主党 (2004-09-13), “民主党代表就任演説(岡田 克也)”, プレスリリース 2009年10月29日閲覧。
- ^ 岡田克也 (2009年5月14日). “決意はさらに大きく強く (PDF)”. 岡田かつや ホームページ. 2009年10月29日閲覧。
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- ^ a b ““選挙中の発言、公約でない”岡田外相 思わずポロリ”. しんぶん赤旗. (2009年11月5日)
- ^ “選挙中の発言、公約でない=普天間めぐり岡田外相-衆院予算委”. 時事通信社. (2009年11月5日)
- ^ 岡田幹事長が前原外相の続投支持産経ニュース 2011年3月5日
- ^ 9分30秒あたりから自民党・小池百合子総務会長 定例記者会見 2011年3月15日
- ^ 衆議院予算委員会 2号1990年2月3日
- ^ 同会見で、岡田と民主党が当時批判していた小泉純一郎総理大臣の、勤務実態のない不動産会社に関するプロフィールへの記載の問題と比較した質問に対し、説明の場を設けていることを理由に、「開き直っている小泉さんと一緒くたに議論されることは、極めて不本意」という旨の弁明を行った。一連の経緯について、当時国家公務員法を知らなかったことが原因とした説明に対し、岡田が法学部出身であることなどから「俄かに信じがたい」と『週刊文春』が批判している。また、党をあげて問題視してきた小泉のプロフィールへの記載の問題に関して、「経歴をどこまで書くかは本人に委ねられている」として、自らお墨付きを与えることになり、この問題は立ち消えになった。
- ^ “献金偽装、自民が騒ぎ立てている…民主・岡田氏”. 読売新聞. (2009年7月4日)
- ^ 週刊朝日 2009年4月3日号
- ^ “西松報道、「週刊朝日」に抗議=民主・岡田氏”. 時事通信. (2009年3月24日) 2009年6月6日閲覧。
- ^ 週刊朝日 2009年4月10日増大号
- ^ “2009年01月01日(木)”. 岡田かつや ホームページ (2009年1月1日). 2009年10月29日閲覧。
- ^ 母の妹の夫(=義叔父)。だが、母とはいとこ同士(=いとこおじ)でもある。
- ^ livedoor ニュース、榊原夏著『岡田克也、父と子の野望』より
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- “民主党代表候補討論会 (PDF)”. 会見速記録. 日本記者クラブ (2009年5月15日). 2009年10月28日閲覧。
- 『政権交代―この国を変える』出版社 講談社、2008年6月、ISBN 406214607X
- 『岡田克也、父と子の野望』榊原夏、出版社扶桑社、2004年、ISBN 4594048250
- 「岡田語り」』。著者岡田克也。出版社、武田ランダムハウスジャパン。平成22年6月24日発売。1500円(税込)。
- 「政権交代この国を変える」 著者岡田克也。出版社 講談社。発売日平成20年6月。販売価格1,500円(税込)。
[編集] 外部リンク
- 岡田かつやホームページ(公式サイト)
- 岡田かつや TALK-ABOUT(公式ブログ)
- 岡田克也 公式ブログ
- 岡田克也 - 公式YouTubeチャンネル
- 民主党・三重県総支部連合会
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第142・143代:2009年 - 2010年 |
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民主党政策調査会長 第4代:2000年 - 2002年 |
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