アリー・ラーリージャーニー
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イランの政治家
アリー・アルダシール・ラーリージャーニー
علی اردشیر لاریجانی
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アリー・ラーリージャーニー(2009年)
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| 生年月日 | 1957年 |
| 出生地 | ナジャフ、イラク王国 |
| 出身校 | シャリーフ工科大学、 テヘラン大学 |
| 現職 | イラン国会議長 |
| 称号 | 西洋哲学博士 |
| 親族 | モハンマド=ジャヴァード(兄)、 サーデグ(弟、司法府長官) |
| 公式サイト | دکتر علی لاریجانی |
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| 任期 | 2008年6月 - |
| 最高指導者 | アリー・ハーメネイー |
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| 選挙区 | ゴム |
| 当選回数 | 2 |
| 任期 | 2008年 - 現職 |
アリー・アルダシール・ラーリージャーニー(ペルシア語: علی اردشیر آملی لاریجانی、Ali Ardashir Larijani、1957年 -)は、イランの政治家、哲学者。イラクのナジャフ出身。現イラン国会議長。現公益判別会議(公益評議会)議員[1]。日本国外務省は「アリー・ラリジャニ」と表記しており、日本語メディアでは「ラリジャニ国会議長」と表記されることが多い。
目次 |
経歴 [編集]
1957年、アーヤトッラーであったミールザー・ハーシェム・アーモリーの息子としてナジャフに生まれる。
1979年、シャリーフ工科大学(数学、計算機科学)卒業。テヘラン大学で1981年に西洋哲学修士号、1983年に西洋哲学博士号を取得した。専門はカント哲学[2]。
イラン・イスラーム革命後は革命防衛隊参謀本部次長などをつとめた[2]ほか、1981年から1982年までイラン・イスラム共和国放送(IRIB)最高業務責任者となっている。
1991年から1993年までイスラム文化指導大臣、1994年から2004年までイラン・イスラム共和国放送(IRIB)総裁、2005年から2007年10月まで国家安全保障最高会議書記をつとめた。また、2005年のイラン大統領選挙に出馬したが、第一回投票で6位に終わっている。
2008年3月に行われたイラン国会議員選挙にゴムの選挙区から出馬し当選、また同年6月国会議長となった。2012年の国会議員選挙でも当選し、議長に選出された[3]。
人物 [編集]
- 保守派だが、マフムード・アフマディーネジャード大統領とは対立関係にあるとされる。また、兄モハンマド=ジャヴァードは、司法権人権本部書記、最高指導者最高顧問、弟のサーデグは司法府長官である。
- 何度か訪日している。広島や長崎に訪問しているほか、明治神宮に参拝したことがある[4]。2010年の長崎来訪の際は、長崎原爆資料館を見学、同資料館について「米国が起こした戦争犯罪を世界に知らしめるという意味で意義深く価値がある」と指摘、「世界に一つでも核爆弾が存在すれば全人類の脅威。あらゆる大量破壊兵器は禁止されるべきだ」と述べた。また田上富久市長に対して、イランが核兵器製造を行わないことを伝えた[5]。
- 岳父はモルタザー・モタッハリー。
脚注 [編集]
- ^ “イラン公益評議会議員の任命”. アヤトッラー・セイエド・アリー・ハーメネイー業績・作品研究所. (2012年3月14日) 2012年11月8日閲覧。
- ^ a b 佐藤秀信. “用語解説”. 日本国際問題研究所 2012年11月4日閲覧。
- ^ “Larijani elected new parliament speaker”. Tehran Times. (2012年6月5日) 2012年11月4日閲覧。
- ^ http://www.meijijingu.or.jp/news/100301.html
- ^ “イランのラリジャニ議長が来崎 核兵器製造を否定”. 長崎新聞. (2012年2月28日) 2012年12月20日閲覧。
外部リンク [編集]
- دکتر علی لاریجانی
- Biographyイラン議会のウェブサイトに掲載されているプロフィール。
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