田上富久
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田上富久 たうえ とみひさ |
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| 生年月日 | 1956年12月10日(51歳) |
| 出生地 | 長崎県五島市 |
| 没年月日 | |
| 死没地 | |
| 出身校 | 九州大学法学部 |
| 前職 | {{{前職}}} |
| 現職 | {{{現職}}} |
| 所属政党 | 無所属 |
| 称号・勲章 | 法学士 |
| 世襲の有無 | {{{世襲の有無}}} |
| 親族(政治家) | {{{親族(政治家)}}} |
| 配偶者 | |
| サイン | |
| 公式サイト | 長崎市役所 こちら市長執務室 |
| 内閣 | {{{内閣}}} |
| 選挙区 | {{{選挙区}}} |
| 当選回数 | 1回 |
| 就任日 | 2007年4月22日 |
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| 退任理由 | |
| 所属委員会 | {{{所属委員会}}} |
| 議員会館 | {{{議員会館}}} |
| 元首 | |
| 内閣 | {{{内閣2}}} |
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| 当選回数 | {{{当選回数2}}} |
| 就任日 | {{{就任日2}}} |
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| その他の職歴 | |
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田上 富久(たうえ とみひさ、1956年12月10日 - )は、日本の政治家。長崎県長崎市長(第32代)。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 市職員時代
今の長崎県五島市出身。1980年、九州大学法学部を卒業し、10月に長崎市役所に入庁。以後本島等、伊藤一長両市長の下で四半世紀余りにわたり一職員として市政を支える。広報や2002年4月より長崎市観光部観光振興課主幹、2004年4月より長崎市企画部統計課長を歴任。「NNU21(Nagasaki New Umidasu 21)」や広報活動にも携わっている。職員時代は、広報や観光などで市役所外の市民や観光客と接する場も多かった。2006年に行われた『長崎さるく博』の提案者で、統計課長となってからも「さるくガイド」として参加した。公職選挙法の定めで、市長選への立候補により失職となった。
[編集] 市長選への立候補
選挙戦では「市政は、一人のものでもなければ、もちろん、家族のもの(伊藤・横尾両家のもの)でもありません。このような形で、新しい市長が決まっていいのだろうかと・・・」と、故人の遺族への情が票になり易いと言われる中で自らの主張を貫いた。「市民力」を合言葉に長崎市民の力で市政を行うべきだと訴え、急ごしらえの選挙活動で超短期決戦を制した。
選挙事務所は4月20日に借り、ポスターは一晩で印刷し、すぐに長崎市内各地の掲示板に夜通しで貼り付けた。選挙立候補に必要な戸籍謄本を取り寄せるために本籍地の五島まで戻っていたため、選挙に立候補届けが完了したのは投票締め切り直前、田上や支援者は2日間で数時間しか寝られないほどの多忙だったという。選挙の立候補は各党関係者とも突然の話であったが、伊藤を支持していた一部の経済関係者や県選出国会議員、市職員時代に携わったイベントの関係者などの支持を受けていた。なお、銃撃事件が立候補につながっていることから、当確時に万歳三唱を行うことは自粛し、支持・支援をしてくれた人々への感謝の気持ちを込めた拍手のみとした。
[編集] 長崎市長として
4月25日に初登庁。直後は前市長殺害の余波を受け「辞めろ」と要求する電話もあったがやがて落ち着いている。5月末には中核市市長会会長に選出されたほか、6月8日より市長と市民が顔を合わせる「ちゃんぽんミーティング」を行っている。また、6月10日には「長崎さるく博」で市職員としてガイドを17回務めた経験を生かし、観光客に「解夏」のロケ地である聖福寺のガイドを行った。観光客への事前の知らせは無かったため、観光客は驚いたという。
6月30日に久間章生防衛大臣が長崎の原爆について「しょうがない」と発言したと伝えられたことを受け、「高校生平和大使」10周年記念会に出席していた田上は「事実とすれば、被爆地として容認できない」と強く非難。7月3日には上京し、午前11時から久間と面会し「被爆者の心情を踏みにじるものとして看過できない」という内容の要請文を手渡し、午後には安倍晋三首相に面会し政府に抗議を行った。これに対し安倍首相は核廃絶の政府の方針を改めて表明した。久間は午後には辞任の意を表明したが、夕方に行った長崎市役所における記者会見では、田上は「決着がついたわけではない」と強調している。なお、面会では久間から釈明の場を設けて欲しい旨の提案もあったという。7月7日の「平和宣言文」起草委員会では抗議をすべしという意見が相次いだ。だが、委員長である田上は久間の発言に特化することなく、核廃絶と逆の方向に向かう意見に対する抗議を述べるほうが良いと考えたため、発言を直接的に批判する言葉は盛り込まれていない。
9月18日には、山崎拓が北朝鮮の核実験について「やらせてよかった」と発言。これに対し21日に抗議文を出し、山崎は22日付けで「今後とも核兵器廃絶に向け全力を尽くす」とした回答書を提出した。
上記のように、被爆都市長崎の市長として、対外的には積極的な活動を行っているが、一方で自らが仕えた本島等元長崎市長の原爆投下積極容認論に対しては一切発言を行っていない。
[編集] 選挙歴
[編集] 2007年
※当日有権者数:364,181人 最終投票率:55.14%(前回比:-パーセントポイント)
| 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 田上富久 | 50 | 無所属 | 新 | 78,066票 | 42.1% | |
| 横尾誠 | 40 | 無所属 | 新 | 77,113票 | 41.6% | |
| 山本誠一 | 71 | 日本共産党 | 新 | 19,189票 | 10.4% | |
| 前川智子 | 59 | 無所属 | 新 | 8,321票 | 4.5% | |
| 前川悦子 | 57 | 無所属 | 新 | 2,677票 | 1.4% |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 29 - 31代 伊藤一長 |
32代 2007 ‐ 現在 |
33代 - |

