高村正彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
日本の旗 日本の政治家
高村 正彦
こうむら まさひこ
Komura Masahiko 1-3.jpg
生年月日 1942年3月15日(72歳)
出生地 日本の旗 日本 山口県周南市
出身校 中央大学法学部法律学科
前職 弁護士
所属政党 自由民主党大島派
親族 父・高村坂彦
公式サイト 衆議院議員 高村 正彦 =Koumura.net=

選挙区 旧山口2区→)
山口1区
当選回数 11回
任期 1980年6月23日 - 現職
議員会館 衆議院第1議員会館701号室

日本の旗 第126・140代 外務大臣
内閣 小渕内閣
小渕第1次改造内閣
福田康夫内閣
福田康夫改造内閣
任期 1998年7月30日 - 1999年10月5日
2007年9月26日 - 2008年9月24日

日本の旗 第3代 防衛大臣
内閣 第1次安倍改造内閣
任期 2007年8月27日 - 2007年9月26日

日本の旗 第70・71代 法務大臣
内閣 第2次森改造内閣
任期 2000年12月5日 - 2001年4月26日

内閣 村山内閣
任期 1994年6月30日 - 1995年8月8日
テンプレートを表示

高村 正彦(こうむら まさひこ、1942年3月15日 - )は、日本政治家弁護士(登録番号:10863)。自由民主党所属の衆議院議員(11期)、自民党副総裁(第13代)。

経済企画庁長官第50代)、法務大臣(第7071代)、防衛大臣第3代)、外務大臣(第126140代)、衆議院農林水産委員長番町政策研究所会長(第3代)を歴任した。

徳山市長、衆議院議員を務めた高村坂彦の四男。

来歴[編集]

山口県徳山市(現周南市)出身。父・高村坂彦衆議院議員初当選を機に東京都へ移る。東京都立立川高等学校中央大学法学部法律学科卒業。23歳で司法試験に合格。司法修習第20期を修了し、弁護士登録。同期に江田五月(元参議院議長)がいる。

政界へ[編集]

1980年、父・高村坂彦の引退に伴い、第36回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧山口2区から出馬し、初当選。同期で中大法学部の同窓に長野祐也中曽根派)がいる。小選挙区比例代表並立制導入後は山口1区から出馬し、中選挙区時代も含めて通算11期連続当選している。早くから河本敏夫率いる新政策研究会の次世代を担う領袖候補に目されていた。

1994年自社さ連立政権村山内閣経済企画庁長官に任命され、初入閣。当時大学生だった長男を秘書官に任命し、批判を受けた。1995年、所属していた派閥の名称が、新政策研究会から番町政策研究所に変更される。

橋本内閣[編集]

1996年には第2次橋本内閣では、閣僚経験者でありながら池田行彦外務大臣の下で外務政務次官に就任し、ペルー日本大使公邸人質事件では解決に向けて奔走した。

小渕内閣[編集]

1998年小渕内閣外務大臣に就任。ガイドライン関連法の成立に尽力し、国会答弁では「スーパー政府委員」の異名を取った[1]小渕改造内閣でも留任。2000年には第2次森改造内閣法務大臣に就任し、この頃から総裁候補の1人に目されるようになった。

2000年7月、番町政策研究所(旧河本派)の会長に就任。河本敏夫の死去した2001年以降、旧河本派は、高村派と称される様になる。

山崎拓加藤紘一小泉純一郎の「YKK」に森喜朗を加えた「MYKK」に高村を加えて、「MY3K」と称されることもあった。この頃、小泉の後継を窺い、麻生太郎古賀誠平沼赳夫らと共に士志の会を結成した。

2003年自由民主党総裁選挙に出馬。高村派所属議員の他、宏池会堀内派林義郎やその長男・林芳正大勇会鈴木恒夫森英介[2]平沢勝栄らが高村の推薦人に名を連ね、保守党党首から自民党に復党した野田毅も高村を支援した。結果は最下位(54票)に終わったものの、議員票では高村派議員数の16人を大きく上回る47票を獲得。一定の存在感を示した。

郵政民営化反対[編集]

総務会郵政民営化法案の提出に反対した[3][4]衆議院本会議の採決では棄権した。後に参議院の審議で付帯決議付きの法案が可決され、過疎地の郵便局も存続の見通しが立ったため、衆議院の解散後に賛成の立場を明らかにし、自民党の公認を受けた。

2006年自由民主党総裁選挙では、同じ山口県選出の安倍晋三を高村派を挙げて支持し、安倍内閣では内閣府特命担当大臣(金融担当)山本有二、在職中に死去した農林水産大臣松岡利勝の後任に赤城徳彦を送り込んだ(赤城は事務所費問題が発覚し短期間で更迭)。2007年第1次安倍改造内閣では防衛大臣に任命される。

安倍の後継総裁を選出する2007年自由民主党総裁選挙では、早くから麻生太郎包囲網に参加し、福田康夫を支持。

福田内閣[編集]

福田康夫内閣では外務大臣に任じられる。福田康夫改造内閣でも再任された。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、全国的に自民党への猛烈な逆風が吹き荒れる中、保守王国・山口県で圧倒的な強さを見せ、山口1区で民主党新人の高邑勉を破り、10選(派閥領袖で小選挙区で当選したのは高村正彦、麻生太郎二階俊博古賀誠の4人)。高邑勉には5万票弱の大差をつけたが、比例復活を許した。山口1区で次点以下の候補が比例復活は初。

第二次安倍内閣[編集]

2012年自由民主党総裁選挙では、再び安倍晋三への支持を表明。総裁に当選した安倍の下、自民党副総裁に起用された。番町政策研究所の会長職は、副総裁を退任した大島理森が継いだ。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、山口1区で11選。

2013年3月25日横綱審議委員会委員に就任。

政策・主張[編集]

北朝鮮に対する姿勢[編集]

毎日新聞による小渕内閣の外相時代の評価は高く、北朝鮮問題でも「拉致問題解決なくしてコメ支援なし」の原則を公言していた。当時は北朝鮮に宥和的な政治家が対朝外交の主導権を握っていて、積極的な議員外交が繰り広げられていた[5]

2006年10月25日の参議院外交防衛委員会で北朝鮮による日本人拉致問題の進展に関して「被害者が数人帰国なら進展」との見解を示した。また、翌日の記者会見では「何人かでも帰国すれば進展であることは間違いない」と踏み込んだ発言を行い「進展の度合いに応じて行動を取っていく。日朝関係改善のために当然だ」と北朝鮮に対する制裁の段階的解除を検討する方針を明らかにした。

2008年6月13日、内閣総理大臣福田康夫に北朝鮮がよど号犯の引き渡しに協力することと引き換えに、北朝鮮に対する経済制裁の一部を解除することを提案した。同日、福田内閣は条件付きで北朝鮮籍船の入港を認め、人道支援物資に限定した対北朝鮮制裁措置の一部解除を表明した(人道支援物資の定義を高村は明示していないため、この決定は事実上の経済制裁解除になる)。北朝鮮に対する経済制裁解除の決定について、高村は拉致被害者家族会に一切の連絡を行っていなかったため、家族会は「政府には拉致問題との取引をしないよう要請する。家族はだれも納得しない」との緊急声明を発表する事態となった[要出典]

中国に対する姿勢[編集]

2007年11月2日の衆議院外交委員会で、化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約に関して、民主党の松原仁は「昭和20年の敗戦後に中国側へ兵器を引き渡した際の引継書には化学兵器も含まれていた」と指摘したが、高村は「どっちに立証責任があるかといえば、それは条約上の建前からいって、日本側にあるんだろうと思います。これについては引き渡したものですよ、これについては日本側に責任はありませんよと。それは非常に困難なのではないかな、こういうふうな感じを、今御質問を聞きながら思いました」と述べた[6]

2008年3月17日に参院予算委員会で、中国・南京などにある抗日記念館の展示内容について、「事実関係に疑義のある展示や青少年の教育上、過度に残虐な表現がある展示がみられることは残念だ」と述べた。南京盧溝橋の抗日記念館には、日本軍兵士による「百人斬り」の記事や写真などが掲示されており、高村は「指摘すべきは指摘し、中国側の適切な対処を求めていく」と語った[7]

2008年8月7日中国製冷凍食品による農薬中毒事件で日本に輸出が規制された食中毒問題を起こした餃子が中国国内で流通して6月に中国国内で日本で発生した食中毒が発生したことが中国政府から7月初めに中国の日本大使館に伝えられ、それが高村を通じて福田首相にも伝わっていたが、中国側より公表を控えて欲しいと伝えられ、福田と共に8月までその事実を伏せていた。これについて「中国政府の要請で公表を差し控えただけで問題はない」と述べた[要出典]

靖国神社問題について[編集]

靖国神社問題について、「中国が、小泉首相の靖国神社参拝を、戦争美化とか軍事大国化の象徴だとしているのは誤解である。しかし、この誤解を解くのはなかなか大変だ」と述べた。また「国立の追悼施設建設は最良の解決策とは思わない。靖国問題は日中両国の国民感情の相違だから、お互いに知恵と勇気を出さなければならない」と語った[要出典]

統一教会との関係[編集]

弁護士時代に世界基督教統一神霊協会訴訟代理人を務めており、1980年には統一教会の女性信者が強制改宗させられているとして、裁判所に人身保護請求を行なってその信者を解放させたことがある[8]。しかし「今は何の関係もない」としている[9]。また1989年政治資金収支報告書によれば、霊感商法の元締め的会社であるとされる「ハッピーワールド」から時価380万円の高級車(日産・セドリック)を提供されている[10]

いわゆる勝共推進議員であったが、外務大臣に就任した年の週刊ポスト(1998年12月4日号)紙上では統一教会との関係について、冷戦構造下において共産主義反対というところで一致していただけで統一教会の弁護士をやめる際に今後は一切、相談は受けないことを申し入れたこと、統一教会の教祖文鮮明に対してビザ発給などで便宜を図ったことはないこと、1999年の入国に協力するつもりはないことなどを語っている。

党名[編集]

第45回衆議院議員総選挙での惨敗後、舛添要一が党再生を議論する政権構想会議の席上で提起した「『自由民主党』の党名変更」についていち早く反対を表明し、「選挙に負けて自虐的になったのかもしれないが、敗戦直後に『日の丸・君が代反対』という人が出たのに近い発想だ。党名を変えて目くらましをしようというのはあまりにも情けない」と舛添を牽制した。政権構想会議の座長だった伊吹文明ら党幹部の多くも反対したため、党名変更の賛成論は広がらなかった[11]

歴史関連[編集]

2013年5月13日政務調査会長高市早苗が、テレビで「村山談話」を批判した。批判は、「第2次安倍内閣歴史認識が、歴代内閣とは違う点」が強調された。これに関し、「総理が一生懸命に説明しようとしているのに、政府・与党の幹部が誤解を受けたり、利用されたりする発言をすることがあってはならない」と、珍しく苦言を呈した[12]

2014年5月5日の会談において、中国共産党序列3位張徳江の「日本側に主たる問題がある」という発言に対し、「『主たる原因』という表現は中国側にも原因があると認めたもの」と反論した。また、「どちらが『主たる原因』かは双方に立場はあるが、互いにしっかり話し合っていくことが必要だ」と述べた[13]

人物[編集]

  • 内政・外政に渡る要職を経験した政策通だが、特に政界有数の外交・安全保障の論客として知られている[要出典]
  • かつては総裁候補の1人に数えられ、総裁選への出馬経験を有するが、高村派の規模や地味さが災いし、総裁就任は叶わなかった[要出典]
  • 趣味は学生時代から行っている少林寺拳法(五段)[要出典]

政治資金[編集]

家族・親族[編集]

高村家[編集]

山口県熊毛郡三井村(現光市三井)、周南市東京都
1902年明治35年)12月 - 1989年平成元年)10月没
1931年8月生 - 2009年3月没

主な所属団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 「3候補直撃インタビュー「自民党総裁選」」 Web現代 2003年9月10日、2009年4月19日閲覧。(2008年6月24日時点のアーカイブ
  2. ^ “河野グが首相支持決定 2人は高村氏の推薦人に”. 共同通信社. 47NEWS. (2003年9月5日). http://www.47news.jp/CN/200309/CN2003090501000419.html 2012年11月30日閲覧。 
  3. ^ [http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-13/02_03_0.html “郵政民営化 与党側 特別委設置を提案 共産党は法案撤回要求”]. しんぶん赤旗. (2005年5月13日). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-13/02_03_0.html 2014年6月10日閲覧。 
  4. ^ “郵政民営化反対派も正念場/対決姿勢も思惑それぞれ”. 東奥日報. (2005年2月16日). https://www.toonippo.co.jp/tokushuu/seikyoku/2005/20050216.html 2014年6月10日閲覧。 
  5. ^ 「争点論点 日朝関係 前外相 高村正彦 vs 論説委員 重村智計」毎日新聞 1999年
  6. ^ 第168回国会 外務委員会 第3号
  7. ^ 抗日記念館展示に「残念だ」 高村外相 - 産経新聞 2008年3月17日。(2008年3月22日時点のアーカイブ
  8. ^ 人身保護請求事例
  9. ^ 週刊現代1999年2月27日号『現職国会議員128人の「勝共連合・統一教会」関係度リスト』(一覧全文書き写し 『カルト被害を考える会』より)
  10. ^ 第143回国会 参議院 法務委員会 第3号 平成10年9月22日
  11. ^ 週刊文春2009年12月3日 幹事会で「党名変更」を主張舛添氏は「新党」結成に動くか
  12. ^ “高市政調会長を沈黙させた高村副総裁の一喝”. 週刊文春. (2013年5月30日). http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2717 2014年6月10日閲覧。 文藝春秋
  13. ^ “高村氏「11月に首脳会談を」 中国序列3位に意向”. 日本経済新聞. (2014年5月5日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASDE05002_V00C14A5PE8000/ 2014年6月10日閲覧。 
  14. ^ http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169030.htm
  15. ^ 『しんぶん赤旗』2003年9月12日付
  16. ^ 産経新聞 2008年9月12日
  17. ^ a b 安藤輝国激動の世に生きた政治家 高村坂彦伝』52頁
  18. ^ a b c 安藤輝国『激動の世に生きた政治家 高村坂彦伝』61頁
  19. ^ 「サミット直前、長男を大臣秘書官に起用した高村外相の公私混同」 日刊ゲンダイ、2008年8月2日[リンク切れ]
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 衆議院議員 高村正彦 プロフィール”. 2014年4月20日閲覧。
  21. ^ 連盟役員”. 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟. 2009年9月10日閲覧。
  22. ^ 神道政治連盟国会議員懇談会”. 神政連 WEB NEWS. 2014年4月20日閲覧。
  23. ^ “パチンコが突きつける「賭博民営化」の矛盾カジノとクラブの法改正に暗雲”. 日経ビジネス. (2014年2月28日). オリジナル2014年3月1日時点によるアーカイブ。. http://archive.today/BCdG8 2014年2月28日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
小渕恵三
町村信孝
日本の旗 外務大臣
第126代:1998年 - 1999年
第140代:2007年 - 2008年
次代:
河野洋平
中曽根弘文
先代:
小池百合子
日本の旗 防衛大臣
第3代:2007年
次代:
石破茂
先代:
保岡興治
日本の旗 法務大臣
第71代:2000年 - 2001年
次代:
森山眞弓
先代:
寺澤芳男
日本の旗 経済企画庁長官
第50代:1994年 - 1995年
次代:
宮崎勇
議会
先代:
大原一三
日本の旗 衆議院農林水産委員長
1991年 - 1993年
次代:
平沼赳夫
党職
先代:
大島理森
自由民主党副総裁
2012年 -
次代:
現職
先代:
集団指導体制より移行
番町政策研究所会長
第3代:2000年 - 2012年
次代:
大島理森