江藤拓
| 生年月日 | 1960年7月1日(52歳) |
|---|---|
| 出身地 | |
| 出身校 | 成城大学経済学部 |
| 学位・資格 | 経済学士 国会議員政策担当秘書 |
| 前職 | 江藤隆美総務庁長官秘書官 |
| 所属委員会 | 農林水産委員会 |
| 世襲 | 2世 父・江藤隆美(元・衆議院議員) |
| 選出選挙区 | 宮崎2区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 所属党派 | (自由民主党→) (無所属→) 自由民主党(無派閥) |
| 会館部屋番号 | 衆議院第2議員会館718号室 |
| ウェブサイト | 江藤 拓オフィシャル・サイト |
江藤 拓(えとう たく、1960年7月1日 - )は、日本の政治家。自由民主党に所属する衆議院議員(4期)。農林水産副大臣(第2次安倍内閣)。
目次 |
来歴・人物[編集]
宮崎県門川町出身。父は、建設大臣、運輸大臣、総務庁長官を歴任した元衆議院議員の江藤隆美。
宮崎県立宮崎西高等学校を経て、1985年に成城大学経済学部を卒業。ハーバード大学国際問題研究所客員研究員、江藤隆美秘書などを経て、2003年の第43回衆議院議員総選挙に、父の地盤を引き継いで宮崎2区から無所属で立候補し、当選する。当選後の追加公認で自民党に入党、亀井派に所属する。
2005年7月5日の郵政民営化法案の衆議院本会議採決で反対票を投じたため、同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、無所属で宮崎2区から出馬。自民党公認候補の上杉光弘らを破って当選したが、当選後の特別国会に再提出された郵政法案の採決では、一転して賛成票を投じた。その後、10月28日に党紀委員会からの離党勧告を受け、自民党を離党した。
翌2006年11月27日、自民党に復党届と誓約書を提出。12月4日に党紀委員会で復党が認められ、自民党に復帰した(郵政造反組復党問題)。復党後は無派閥となっていたが、2007年10月に、かつて所属していた亀井派の流れを汲む伊吹派に再入会した。
慰安婦問題に関して、歴史事実委員会が2007年6月14日に出した意見広告「THE FACTS」に賛同者として名を連ねた[1]。
2008年8月、福田康夫改造内閣において農林水産大臣政務官に就任。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に自由民主党から出馬し当選。公明党の推薦も受ける[2]。
2010年6月、所属していた伊吹派を再び退会した[3]。以降は無派閥で活動する。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で4選。同月発足した第2次安倍内閣において農林水産副大臣に就任。
宮崎県で流行した口蹄疫問題への対応[編集]
2010年4月に発生した宮崎県の口蹄疫問題について、5月11日の衆議院農林水産委員会において[4]「民主党に現場の本当の苦しみをわかってほしい」「地元では赤松農相の解任を求める声が上がっているが、今は一丸となって取り組むべきだ」と述べた[5]。5月20日、本会議で代表質問を行った[6]。
所属議員連盟[編集]
- 創生「日本」(副幹事長)
- 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(事務局次長)
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(拉致議連)
- 真の人権擁護を考える懇談会
- 高速道路建設推進議員連盟
- トラック輸送振興議員連盟
- オートバイ議員連盟
- 捕鯨議員連盟
脚注[編集]
- ^ 歴史事実委員会の全面広告画像
- ^ 比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)。
- ^ 決断 : 江藤拓 日常活動報告2010年6月8日
- ^ “衆議院TV”. (2010年5月11日)。衆議院農林水産委員会速記録 平成22年5月11日
- ^ 産経新聞 口蹄疫問題、ネットで“炎上”赤松農水相に批判 「報道統制」のデマも2010年5月12日配信 この様子はニコニコ動画に投稿されネットに広がる一方、過激な批判や「原口一博総務相が報道規制を指示している」とのデマも流れた。
- ^ 衆議院本会議【口蹄疫】江藤議員その2
外部リンク[編集]
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 佐々木隆博・吉田公一 |
加治屋義人と共同 2012年 - |
次代: (現職) |
| 先代: 谷川弥一・澤雄二 |
野村哲郎と共同 2008年 - 2009年 |
次代: 佐々木隆博・舟山康江 |