御法川信英
| 生年月日 | 1964年5月25日(47歳) |
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| 出身地 | |
| 出身校 | コロンビア大学大学院修士修了 |
| 前職 | 衆議院議員公設秘書 |
| 所属委員会 | 農林水産委員会委員 財務金融委員会委員 |
| 世襲 | 2世 父・御法川英文(元衆議院議員) |
| 選出選挙区 | 秋田県第3区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 所属党派 | 自由民主党(無派閥) |
| 党役職 | 国会対策委員会副委員長 農林部会副部会長 外交部会副部会長 財政・金融・証券関係団体委員会副委員長 厚生関係団体委員会副委員長 農林水産関係団体委員会副委員長 青年局次長 秋田県県支部連合会常任顧問 秋田県第3選挙区支部長 |
| 会館部屋番号 | 衆・第一議員会館321号室 |
| ウェブサイト | 衆議院議員・みのり川信英 |
御法川 信英(みのりかわ のぶひで、1964年(昭和39年)5月25日 - )は、日本の政治家、自由民主党前衆議院議員。秋田県大曲市(現・大仙市)出身。父は元衆議院議員の御法川英文。タレントの御法川法男(みのもんた)は縁戚にあたる。[要出典]。座右の銘は「至誠通天」。
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[編集] 経歴
秋田県立横手高等学校・慶應義塾大学法学部卒業、コロンビア大学国際関係・公共政策学大学院修士修了。秋田銀行に入行したのち、父・英文の私設秘書、公設第一秘書を勤めた。
秋田3区の自民党候補は、英文と村岡兼造の間で、いわゆるコスタリカ方式を適用しており、2人が小選挙区と比例区を選挙毎に入れ替わりで出馬する事になっていた。しかし、総選挙を前に英文が急死。村岡はコスタリカ方式の盟約は解消されたと一方的に判断して、比例区に回る予定を一転、小選挙区から出馬する。
これに、御法川陣営が反発。亡き英文の長男・信英を無所属で擁立し、保守分裂の弔い合戦となった。信英は民主党と連合の支援も受けて村岡を破り、2003年11月に衆議院議員に初当選。敗れた村岡は政界引退へと追い込まれた。当選後は支援を受けた民主党には入党せず、自民系無所属議員と院内会派「グループ改革」を結成。2004年6月に同会派を解散し自民党へ入党。平成17年(2005年)1月に自民党秋田県第3選挙区支部長に就任。
郵政民営化には採決の直前まで反対の立場だったが、武部勤自民党幹事長ら執行部の説得に応じ賛成票を投ずる。反対すれば非公認、刺客擁立がなされるため直前に意見を翻した。また、自身への刺客として村岡兼造の次男・村岡敏英の名を示唆されていた。2005年の総選挙で再選を果たし、同年11月に自民党国会対策副委員長就任。
なお、派閥には所属していないものの、武部勤元自民党幹事長を中心に結成された党内政策集団「改革フォーラム 新しい風」(武部グループ)に属し、代表幹事を務めている。2007年には衆議院議事進行係に任命された。
2008年8月、福田康夫改造内閣において外務大臣政務官に就任。
2009年の第45回衆議院総選挙では、再び村岡と対決するが、民主党の京野公子に敗れて共に落選。比例での復活当選も果たせなかった。
[編集] 所属する議員連盟
[編集] 著作
- 「国際安全保障政策-アメリカで学んだ戦争と平和-」二宮浩輔(編集)『コロンビア大学院で考えた世界と日本』はる書房 、2002年。