小平忠正
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こだいら ただまさ
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| 生年月日 | 1942年3月18日(69歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 慶應義塾大学法学部卒業 |
| 前職 | 牧場経営者 |
| 所属政党 | (民社党→) (新進党→) (新党さきがけ→) (旧民主党→) 民主党 |
| 称号 | 政治学士(慶應義塾大学・1964年) |
| 親族 | 小平忠(父) |
| 公式サイト | ◆衆議院議員 小平忠正◆ |
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| 選挙区 | (旧北海道第4区→) 北海道第10区 |
| 当選回数 | 7回 |
| 任期 | 1990年 - 現職 |
小平 忠正(こだいら ただまさ、1942年3月18日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(7期)、衆議院議院運営委員長(第72代)、東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会の合同協議会会長(初代)。
農林水産政務次官、衆議院逓信委員長、衆議院農林水産委員長、衆議院外務委員長などを歴任した。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
北海道空知郡岩見沢町(のちの北海道岩見沢市)にて生まれた。北海道札幌南高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。慶應義塾大学卒業後、ジョージタウン大学への留学を経て、1969年に総合商社である東洋棉花(のちのトーメン、現在の豊田通商)に入社した。1972年に退社し、その後は故郷である北海道に戻り、空知郡栗沢町で牧場を経営する。
[編集] 政界入り
民社党北海道総務局役員を経て、1990年の第39回衆議院議員総選挙に、旧北海道第4区から民社党公認で出馬した。その結果、得票数は同区最下位の5位ながら初当選を果たした。以後連続当選7回を果たす。
1994年、民社党解党にともない、野党第一党である新進党の結党に参加するが、1995年に離党した。その後、北海道知事退任直後の横路孝弘の仲介で、中選挙区時代のライバルであった鳩山由紀夫が代表幹事たる新党さきがけに入党した。1996年、内閣総理大臣指名選挙で自由民主党総裁の橋本龍太郎を支持し、第1次橋本内閣で農林水産政務次官に任命された。野間赳とともに同職を務め、第2次橋本内閣の発足にともない、退任した。
[編集] 民主党
1996年、旧民主党の結党に参加した。同年の第41回衆議院議員総選挙では、北海道第10区にて立候補した。この北海道第10区には、鳩山家の縁の神社や、自身の農場がある栗山町を含んでいた。この選挙において、自由民主党の前職である渡辺省一に小選挙区で完勝した。その際、北海道における民主党の基盤づくりに尽力し、北海道総支部連合会の初代代表に就任した。その後、衆議院逓信委員長、農林水産委員長などを歴任した。また、党内のグループでは、政権交代を実現する会や民社協会に所属した。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化に反対し無所属で再選を目指す山下貴史、自由民主党の飯島夕雁の猛追を受けるが、飯島を破り小選挙区で6回目の当選を果たした。同年、民主党代表の前原誠司の下で党代議士会の会長に就任し、前原の後任の代表である小沢一郎の下でも留任した。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、北海道第10区で飯島を大差で破り、7選を果たした。その後、民主党の中央選挙管理委員会にて委員長に就任し、2010年の2度の民主党代表選挙を取り仕切った。同年9月、衆議院外務委員長に就任した。
2011年9月、衆議院議院運営委員長である川端達夫の総務大臣就任にともない、後任の議院運営委員長に就任した。同年11月、国会に新設された東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会の合同協議会にて、初代会長に就任した。
[編集] 人物
2004年、年金未納問題の際、農林水産政務次官退任時の農林水産省の事務手続き不備により、その後の7年2か月間の年金未納が発覚した。
[編集] 家族
父は民主社会党創設時のメンバーであり、同党の副委員長を務めた小平忠である。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: (新設) |
両議院の議院運営委員会の合同協議会会長 初代:2011年 - |
次代: (現職) |
| 先代: 川端達夫 |
第72代:2011年 - |
次代: (現職) |
| 先代: 鈴木宗男 |
2010年 - 2011年 |
次代: 田中眞紀子 |
| 先代: 鉢呂吉雄 |
2002年 - 2004年 |
次代: 高木義明 |
| 先代: 前田武志 |
2000年 |
次代: (廃止) |