河井克行
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| 衆議院議員 河井克行 | |||
|---|---|---|---|
| 生年月日 | 1963年3月11日(46歳) | ||
| 出生地 | 広島県広島市安佐南区 | ||
| 出身校 | 慶應義塾大学法学部政治学科卒 松下政経塾塾生 |
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| 学位・資格 | 学士 | ||
| 前職 | 広島県議会議員 | ||
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所属委員会
内閣役職
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法務副大臣 | ||
| 世襲 | 世襲ではない | ||
| 選出選挙区 | 広島3区・比例中国(コスタリカ方式) | ||
| 当選回数 | 3回 | ||
| 所属党派 | 自由民主党(津島派) | ||
| 党役職 | 国防部会長 | ||
| 会館部屋番号 | 衆・第二議員会館428号室 | ||
| ウェブサイト | 衆議院議員 河井克行 公式ホームページ | ||
河井 克行(かわい かつゆき、1963年3月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員。自由民主党|自民党内では平成研究会(津島派)に所属。広島県広島市出身。広島3区選出。
目次 |
[編集] 経歴
1975年広島市立安小学校卒業、1978年広島学院中学校卒業、1981年広島学院高等学校卒業、1985年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。
[編集] 政歴
- 1985年 慶應義塾大学卒業後、松下幸之助が創設した(財)松下政経塾に第6期生として入塾した。同期生には奈良俊幸らがいる。
- 1990年 松下政経塾を卒塾。地元広島に帰郷し、翌年の県議会議員選挙の準備に入る。
- 1991年 広島県議会議員選挙に立候補し、初当選。
- 1993年7月18日 第40回衆議院議員総選挙に旧広島1区より自由民主党公認で立候補するも、僅差で落選。
- 1996年10月20日 第41回衆議院議員総選挙に広島3区から自由民主党公認で立候補し、初当選を果たす。
- 2000年6月25日 第42回衆議院議員総選挙で無所属の増原義剛(現自民党)に大差で敗れ落選。
- 2003年11月9日 第43回衆議院議員総選挙に比例中国ブロックから自由民主党公認で立候補し、当選。念願の国政復帰を果たす。
- 2004年9月30日 第2次小泉改造内閣において外務大臣政務官に就任。
- 2005年9月11日 第44回衆議院議員総選挙に広島3区から自由民主党公認で立候補し、当選。2009年現在3期目。
- 2006年9月 党国防部会長に就任。
- 2007年8月29日 安倍改造内閣において法務副大臣に就任。同年9月27日、福田康夫内閣で法務副大臣に再任。
コスタリカ方式選挙区事情により、広島県第3区は総選挙ごとに河井と増原義剛が交互に自民党公認として立候補し、もう一方は同様に自民党公認として比例中国ブロックに回る。
[編集] 人物
日刊ゲンダイが「自民代議士の秘書給与ピンハネ疑惑」という見出しで、河井事務所が支援者を公設秘書として登録していながらも給与を渡さずにピンハネしていたと報じた。河井側は「登録している3人の秘書は実働しており、給与はそのまま本人らに支払われている」として名誉棄損で日刊ゲンダイを刑事告訴した[1]。
妻の河井案里(かわい あんり)は広島県議会議員。
「法曹養成と法曹人口を考える国会議員の会」の事務局長であり、法曹人口増員計画につき、「現状に問題があるのは明らか」として、見直しを求める[2]。 鳩山邦夫に近く、同主催の勉強会に定期的に参加している。
[編集] 関係団体
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 自由民主党
- 松下政経塾
- Yahoo!みんなの政治 - 河井克行

