憲法改正論議
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憲法改正論議(けんぽうかいせいろんぎ)とは、日本国憲法の改正をめぐる議論のこと。「改憲論議」、「改憲論」、「憲法論議」ともいう。本記事では憲法改正を巡る議論について記述する。
近年は、日本国憲法に改正すべき点があるとする政治家が増える一方で、改正反対をとなえる市民団体・反戦団体の動きも活発化している。日本共産党・社会民主党の政治家は憲法改正に反対しており、憲法改正について「憲法改悪」と表現している。
かつては日本の世論調査において日本国憲法を改正すべきとする意見は少数であることが多かったが、近年は改正すべきとする意見が過半数を占める場合もある。なお、平和主義の堅持など、一定の条件を満たすことを前提に改正を容認している人はいるものの、9条改正賛成派は今なお過半数を占めるには至っていない。
自民党が新憲法草案を発表し、国民投票法制定を提案した2005年頃から、憲法改正論議は活発化した。しかし2007年の日本国憲法の改正手続に関する法律案を巡る与野党協議の決裂で、自民党と民主党の協力関係が崩れた事に加え、改憲を公約に掲げた自民党が参院選で大敗したことにより、自民党主導の改憲の見通しが全く立たなくなったことから、現在は議論は低調である。
目次 |
[編集] 憲法改正案の歴史
[編集] 前史
[編集] 明治以前
日本において、国家の組織に関する根本規範としての憲法の改正に関する歴史を見ると、飛鳥時代に制定された大宝律令が、奈良時代に養老律令として一度改正されただけで、少なくとも形式上は明治初期まで存続していた。ただし、時代が経つに従い次第に形骸化していった。
現在の改正議論でこのような経緯に触れられることもあるが、現在の憲法とは法秩序について異なる部分が多く、どのあたりまで参考になるか評価が難しい。
[編集] 大日本帝国憲法
詳細は大日本帝国憲法を参照のこと。大日本帝国憲法制定前に、民間でも憲法私案が作られていた。
なお、大日本帝国憲法も、日本国憲法制定まで一度も改正されなかった。
[編集] ポツダム宣言受諾後
ポツダム宣言受諾後、日本国憲法制定までに大日本帝国憲法の改正案として提案された改憲案には、日本共産党[1]、社会党[2]、進歩党[3]、自由党[4]、憲法研究会[5]、 佐々木惣一、 里見岸雄のものがあった。
[編集] 日本国憲法
日本国憲法は形式上大日本帝国憲法の改正手続を経て制定された。制定経緯、制定法理等の詳細は日本国憲法を参照のこと。なお、日本国憲法は1947年に施行されて以来改正されたことはない。
日本国憲法施行以来、自衛隊の合憲化や天皇元首化を提言する側からの憲法草案がいくつも発表されてきた。いくつか例を挙げると、中曽根康弘(1961年)[6]、維新政党・新風(2003年)[7]、愛知和男(2004年)[8]、読売新聞(2004年)[9]、 PHP総合研究所(2004年)[10]、自由民主党(2005年)[11]、創憲会議(2005年)[12]、日本公進党、大石義雄、中川八洋などのものがある。
なお、自民党「憲法改正草案大綱(たたき台)」(2004年11月17日)は、時の防衛庁長官・中谷元の要請に応えて陸上自衛隊の幹部(防衛庁勤務の3佐)が作成した「憲法草案」を採り入れていたことが判明。“自衛隊に使い勝手のいい(=楽に軍事行動を起こせる)「改憲」案だ”との批判を受けて撤回された。
主要な左派・革新派が過去に社会主義的改憲を主張した事もある。しかし近年は憲法改正反対派が主流となっていることから、主要な左派・革新派から日本国憲法の改正案などの発表はされていない。
- 社会党(現在の社民党)は、当初「日本に社会主義社会を確立する」と社会主義的改憲を主張していた。現在の社民党は、護憲を方針としており、改憲論議自体も反対している。
- 日本共産党は、当初、帝国憲法改正案に反対するとともに日本人民共和国憲法草案をもっていた。現在は綱領を改定して護憲を方針としている。
政党などの憲法に関する意見表明としては、平和や人権を強化する「護憲的改憲」(日本新党など)、21世紀の日本の形を構想して自由濶達に議論する「論憲」(民主党)、創造的議論で国家権力の恣意的解釈を許さない基本法にする「創憲」(民主党)、憲法9条は別としてとにかく新しい人権を加える「加憲」(公明党)、憲法を活かす「活憲」(辻元清美代議士など)、憲法を修正する「修憲」、米国憲法のように補正を加えていくなどの「追憲」、「廃憲」、などの造語競争が起こっている。自民党の中では野中広務元官房長官が護憲を主張している。
[編集] 世論の最近の動向
2005年、自民党が立党50年を機に第一次素案[PDF]を発表した。この後、与党優勢を背景に国民投票法制定も含めて憲法改正に関する環境整備を進めようとする改憲派と、主に戦力の不保持を規定している日本国憲法第9条を守ろうとする護憲派が対立した。護憲派からは、九条の会などが結成された。
自由民主党の新憲法草案は、“自衛軍”、軍事裁判所(軍法会議)の明記以外にも、環境権など新しい人権の追加という受け入れやすい要素をあわせもっていた。
2004年~2005年の世論調査では、改憲賛成に「議論した結果改正することがあってもよい」という容認まで含めれば、60%~80%台に増えている(読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本世論調査会)。
ただ、9条改正の賛成、反対だけを問うアンケートでは、賛成57%、反対36%(日本世論調査会)、賛成・反対ともに39%(NHK) といった数字も出ている。もっとも、護憲サイトのマガジン9条が2006年1月に実施したアンケートで、「9条を変える」が82%、「9条を変えない」が18%となった。ネット投票の誤差や組織投票呼びかけへの反応などの限界、投票者の年齢層などを指摘する声もあるが、“結果こそが全てである”とする改憲派の自信と護憲派の危機感を呼んだ。
一方、2007年4月の読売による世論調査では、改憲賛成が過半数を占めたものの、大きく数を減らした。中でも9条に関しては改正賛成が35%にとどまる一方で、改正せず解釈で対応するべきとの意見及び厳密に守るべきとの意見が合計で6割ほどになった。特に民主党支持層で改憲反対が増えたことから、安倍内閣への反発と見られるが、特に9条については改正反対の意見が根強いことをうかがわせる結果となった。2008年4月に同紙が行なった調査では、わずかながら改憲反対が賛成を上回った(42.5パーセントに対し43.1パーセント)。一方で、各政党が憲法議論をさらに活発化させるべきだと思う人は71%であり、時代にそぐわない部分が増えているとの認識が根強いと読売は分析している[1]。
改憲の積極的な賛成者は、近隣諸国からの侵略からの防衛や抑止のために、また、海外に派兵して国際貢献もできるようにするために、軍の保持を明記して疑いなく合憲にしようと主張する。積極的賛成ではないが容認する中間層は、新しい人権を追加する改憲に賛成である。北朝鮮の脅威等もあることから自衛隊から軍への昇格にもあまり反対しない状況が生じている。ただ、9条に関しては改正に反対する人も多い。
改憲反対者には、自衛隊強化は軍拡、防衛を標榜する先制攻撃につながると反対する人、自衛隊を廃止すべきという人、現行憲法で十分であり現時点での改正は不要という人がいる。
[編集] 憲法改正の限界
日本国憲法第96条にいう「改正」の意義について議論がある。学説は主に、限界説と無限界説に分かれる。
[編集] 限界説
改正に限界があるとする。 かかる見解によれば、憲法の根本原理が改正の限界となる。
- 法実証主義的限界説は、憲法の改正権は憲法によって与えられる以上、制定権による根本的決断たる憲法を変更する能力を持たず、改正に限界があると説明する。
- 自然法論的限界説は、実定憲法には自然法が上位し、憲法をも含めての全実定法の効力の有無は自然法への適合・不適合によって決せられるとするならば、改正規定による憲法改正においても自然法上の制約があるとして、改正に限界があると説明する。かかる見解によれば、自然法に反するような憲法の変革は「あらわな事実力による破壊であって」憲法の制定としても認めることはできず、そこから生まれた憲法は正当性を主張できないとする[2]。
- また、憲法改正の発議を委ねられている国会の構成員たる国会議員は、日本国憲法第99条によって「憲法尊重擁護義務」を負うところ、現憲法を否定するような改正を認めれば明らかな背理となり、よって憲法は現憲法を否定する変更を「改正」としては予定していないとする見解がある[3]。ただし、帝国憲法発布の際の勅語にも「現在及将来の臣民は此の憲法に対し永遠に従順の義務を負ふへし」(原文旧字カタカナ)とある。
- 限界説は、日本国憲法は明治憲法の改正として成立していることの説明として、八月革命説を用いる(福田恆存など保守派の、「改正に限界があるとすれば、天皇主権から国民主権への改正によって成立した日本国憲法は改正の限界を明らかに越えたものである」という批判に対応するため)。
[編集] 無限界説
改正に限界がないとする。
- 法実証主義的無限界説は、憲法の規定に価値序列は存在せず、憲法自身が改正を認める以上、憲法の規定の改正に限界はないと説明する。
- 主権全能論的無限界説は、制憲権は万能であるがゆえ、改正について憲法の枠によって拘束されることはなく、改正に限界はないと説明する。
[編集] 憲法の変遷
憲法の変遷とは、憲法の規定の文言になんらの改定が加えられることなく、国家機関の違憲的行為等が行われることによって、事実上規範の意味が変化し、憲法改正されたのと同じ結果を生ずることを意味する。一般的には事態を客観的に観察した結果を示す言葉であるが、これに法的性格を持たせることができるか議論がある。 実効性が失われた憲法規範は法としての性格を持たないとして、これを肯定する見解がある。 他方、違憲状態はあくまでも事実にしか過ぎず、法的性格をもちえないとして、これを否定する見解がある[4]。
[編集] 憲法改正の論点
日本での憲法改正をめぐる論点はいくつかある。
- 戦後間もなくから、天皇の地位を憲法上明確に元首と定めることや、憲法上規定される人権を必要に応じて法令で制限できるようにすべきだ、といった復古的な改憲を望む声があった。
- 憲法12条改正に関わる論議:上記自民党復古的改憲論者は国民の人権を保護する憲法13条・憲法12条を改正し政府が警察力によって国民の人権を制限したり、私有権を制限する道を開こうとしていた。
- 国民投票法自民党当初案では個別投票方式ではなく、一括投票方式で様々な条文を一度に改正が可能な制度になっていた。連立相手の公明党まで反対したので一括投票方式には固執しなくなったが、現在の国民投票法でも一括投票方式も可能な条文となっている。
- 日本国憲法第9条・自衛隊の議論(及びこれに伴う軍事裁判所・憲法裁判所の設置)も、数十年間、憲法改正の主な論点であった。
- 憲法制定当時からの時代が進むにつれて新しいタイプの人権が意識され、裁判所においても一定の新しい人権を解釈にて認めるようになってきた。
- 自民党が衆議院を与党多数で押さえている結党50周年のタイミングで新憲法草案を発表すると、時代が変わってきたので以下のような点で新しい憲法が必要であるという改憲派と、改憲は不要あるいは危険とする護憲派の間で、熾烈な論争になってきている。
その他、今の憲法前文には、日本の歴史・伝統・文化の記述が無いので、歴史・文化・伝統を憲法に明記すべきという意見もある。また、国会が行政を監視する機能を作るないしは強化すべきという意見もある。
以下に主な論点の内容を概説する。
[編集] 天皇の地位
象徴天皇制のあり方について議論がある。第二次世界大戦が終わると、共産主義や近代政治学(丸山眞男ら)の立場などから天皇制批判が数多く提議された。1950年代から1960年代には、共産主義者を中心に天皇制の廃止を訴える意見が大多数存在していたこともあった。
しかし、2004年の時点で日本共産党が綱領を改正。元首・統治者ということを認めないという条件の下、天皇制の是非については主権在民の思想に基づき国民が判断すべきであるという趣旨に改めており、また憲法改正に反対する立場を堅持していることから、かつてのような強硬な天皇制廃止論は影をひそめているのが現状。また、各種の世論調査では、象徴天皇制の現状維持を主張する意見が大多数となっている。現在のところ、象徴天皇制は日本国民の大多数に支持されている制度であると言って差し支えないと思われる。
ただし、護憲派の中には、字義通りの護憲ではなく、実際には天皇制廃止論者が少なくない[要出典](つまりその限りでは改憲派である)。特に、護憲派として政治活動を行う人物にはその傾向が強い[要出典]。そのため、天皇条項を含めた(あるいは天皇条項に関心のない)護憲派と対立する場面も見られる[5]。なお、今上天皇は2009年の結婚50年に当たっての記者会見で「大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います。」と発言している[6]。
また、日本を立憲君主制とみなす立場からは、天皇を名実ともに国家の元首と明記するべきだという意見もある。関連して、外国大公使の親授式も天皇の国事行為として明記するべきとする意見もある。
[編集] 日本国憲法第9条、自衛隊
憲法9条では、戦争放棄と戦力の不保持を規定しているが、一方で自衛隊が存在している。自民党、民主党および保守的論客は、この状況を解決するために、戦争放棄を定めた第9条第1項の平和主義の理念は守りながら、第9条第2項を改正して戦力の保持(自衛 "隊" から自衛 "軍" へ)を認めるべきと主張してきた。
なお政府見解によれば、国家は、急迫不正の侵害から自国を守る権利を有し、かかるいわゆる「個別的自衛権」は、その性質上憲法9条によっても放棄されない。そのために必要最小限の実力を持つことは可能であり、その実力組織に該当するのが、自衛隊である。場合によっては、“防衛用”核兵器もこの実力に該当する可能性はある、といった説明がされている。この点については非核三原則を参照。
護憲派は、条文をそのままに自衛隊の行動を控えさせるという立場もあれば、自衛隊を廃止して非武装中立の立場をとるべきだとする意見もある。しかし自衛隊を廃止すると国の防衛が不可能になってしまうことや、災害時の復旧活動も自衛隊なしでは困難なため、護憲派を含め、この自衛隊を廃止する見解には反対する意見が多い。また、「自衛隊が憲法上明記されていないことは、自衛隊は合憲なのか違憲なのか曖昧な状況が続いているので問題である」とする意見も多く、自衛隊を軍隊と明記することが検討されている。さらには防衛省が戦前の軍部のように暴走するのを抑えるため、文民統制を改憲によって強化することも検討されている(現在、日本国憲法第66条第2項に文民条項がある)。
自由民主党のうち1955年の合併前の旧民主党に近い勢力は自衛隊を法理論的にも合法なものにするために、第9条に対する改憲論議を行ってきた。しかし、旧自由党に近い勢力は現状維持を求め、改憲には反対であった。
社民党は、政権についていた間は自衛隊を合憲としていた。現在では、自衛隊は違憲として縮小を図り非武装の日本を目指すとしている。
[編集] 国際情勢と憲法改正論議
1990年に、中東で、イラク軍が突然イラクの隣国であるクウェートに不法に侵攻し、占領した。これに対し国際社会は猛反発し、アメリカやフランスなどの多国籍軍が、イラク軍と戦ってクウェートから撤退させた。日本は第9条を理由にして軍事行動には参加せず、巨額の財政援助をしたが国際社会がこれを評価しなかったことなどから、日本国内では、国際貢献のあり方についての議論がおきた。財政援助による貢献を評価されるよう理解を求めるべきとの主張もなされたが、具体的な活動による貢献・援助を拡大すべきとする主張が主流とされた。
その後、PKO協力法が制定されPKO活動が始まった。自衛隊の海外でのPKO活動は高い評価を受けたが、「憲法違反だ」との主張が根強くあり(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法#適用上の問題点)、そのためPKO活動を完全に合憲とするために憲法を改正すべきという意見が多くある。この点については、専守防衛・集団的自衛権も参照。
2002年に、小泉純一郎首相の北朝鮮訪問によって、過去に北朝鮮が日本人の拉致を行ってきた事実を認めた事が明らかになると、日本が第9条を掲げていても他国がこれを無視して日本の国民の生命を脅かす行為を防ぐ事は出来ないとする意見が高まり、第9条改正論への追い風となった。
2004年の始めには、イラクへ人道支援のために自衛隊を派遣した。イラクが戦闘地域であるため、自衛隊のイラク派遣は憲法上問題がある、それ以前に米国などによるイラク戦争は侵略戦争であるから、それに加わることはできないという意見が出た(国連による武力制裁決議はされていない)。米国が自衛隊を「有志連合」の一員として(つまり通常の軍隊として)扱ったこと、自衛隊が米軍の燃料補給を行ったこと(武器・弾薬については行っていない)も問題視された。
それ以外にもテロ戦争で流動化した現在の国際情勢においては、テログループなどを対象とした国防・治安維持を想定に入れる必要があり、憲法9条は現状にそぐわないとする意見もある。
このほかには、有事法制との関係で、非常事態における国家緊急権の確立などについての議論がある。
[編集] 公益及び公の秩序
憲法12条/13条/29条は国民の生命・自由・財産権・幸福追求といった重要な基本的人権の尊重が保証されている条項であり、この条項において示す「公共の福祉」とは、現在の通説(一元的内在制約説)において、人権相互の矛盾衝突を調整するために認められる衡平の原理のこととされている。この条文が新憲法案において「公益及び公の秩序に反しない限り」に差し替えられている事に対する論議。
自民党憲法調査会の趣旨説明としては戦後導入された「個人主義」が(国民に)理解されず利己主義に変じて家族と共同体の破壊につながっているので、そのように変更したい」という説明である(詳細 後述)
一方、法曹関係者からは「憲法12条・ 13条自民党案は(表面的には大して違わないよう見えるものの)、実は時の為政者により「公益」「公の秩序」と判断された基準により(国民の生命・身体や言論の自由等の基本的)人権の制約することを可能とするものである。」という警告がなされている(法曹関係者の自民党12条・13条案批判 )。
現、日本国憲法では「公共の福祉に反さぬ限り国民の人権は最大限尊重されねばならない」と定めており、人権制限条件である「公共の福祉」の法解釈に論争があったが、現憲法「公共の福祉に反さぬ限り」とは「他人の人権と衝突しない限り」との意味で、「政治家」が「公益・公秩序の維持を名目に国民の人権を勝手に制限できない」との一元的『内在制約』説が支配的である。(→公共の福祉)
自民党草案を(大日本帝国憲法・全体主義国憲法と同じ)『外在制約』型人権条項とみなし、「自民党12条、13条改訂案の(一見小さな)文面置き換えは『此れが可決されると、政治家が公益・公秩序名目で勝手に国民の人権を制限する事が可能になり、近代民主政の基盤の立憲制が根底から覆りかねない』内容を含んでいると警告する法曹関係者もいる。→法曹関係者の自民党12条・13条案批判
そして、大日本帝国憲法(外在制約型)は、1890年の制定直後は問題なかったが、1925年に人権抑圧法として有名な治安維持法の制定を許して以降、その恣意的運用が始まり特高警察の跋扈する国家になった。つまり、外在制約型になっても直ちに全体主義国家のようになるわけではないが、政治家による人権制限立法が合憲になるので、問題人物が権力を握ったり、誤った法律が成立すると大惨禍を招くとする見方もある。
尚、西欧自由民主主義国では内在制約型「人権を制約するのは本人の自主規制か他人の人権だけで、為政者が公益等を理由に人権制限する事を違憲とする型」が一般的である。(他国の例は詳細記事「公共の福祉」参照)
自民党議員たちの意見 自民党憲法調査会での発言
- 公共の福祉の概念が曖昧で公共の利益にすべき渡海紀三朗議員
- 公共の福祉を実現する為の権利制限を明記すべき衛藤晟一議員
- 公共の福祉は借りてきた概念で日本語になじまない森本恒夫議員
- 公共の福祉は輸入された概念で、戦後学者によって良い様に解釈されてきた。公共の利益と他人の権利を侵害しないと言う制約原理である事を明記すべき。葉梨康弘議員
- 復古的改憲論押し付け憲法論 参照
自民党憲法調査会議事録[13]
自民党憲法調査会 論点整理(引用)
この分野における本プロジェクトチーム内の議論の根底にある考え方は、近代憲法が立脚する「個人主義」が戦後のわが国においては(国民に)正確に理解されず、「利己主義」に変質させられた結果、家族や共同体の破壊につながってしまったのではないか、ということへの懸念である。(国民の生存権等基本的)権利が(国民の何らかの)義務を伴い、(国民の身体や言論の基本的)自由が(国民の何らかの)責任を伴うことは自明の理であり、われわれとしては、家族・共同体における責務を明確にする方向で、新憲法における規定ぶりを考えていくべきではないか。(なので利己主義を制限する為、公益・公秩序のうえで必要と「政治家が」判断すれば「国民の基本的人権を制限する法律」を制定する権限を「政治家に」あたえるべきと思い、公益・公の秩序に変更した)
自民党憲法調査会に対する批判、見解
自民党の指摘するように、自由民主主義の源流は、政府の権力を制限し、個人の自由を重んじる個人主義である。しかし、国民の民度が低くて利己主義になったという、自民党憲法調査会の評価には、「憲法で人権制限立法を認める危険を軽視している」との指摘がある。 → 法曹関係者の自民党12条・13条案批判
また、そういう意味で自民党の憲法12条、13条改訂案は現自民党案のまま国民投票に掛けられるなら「公益及び公の秩序」を守るという名目で、基本的人権の制限・剥奪が可能となる。日本は基本的人権のない国になるとする論者もいる→[14]
国家的利益や全体的利益を優先させ、人権を制限しようとするものがある。基本的人権の制約は容易となり、人権制約の合憲性についての司法審査もその機能を著しく低下させることとなる。という見解を日本弁護士連合会は出している。→[15]
2007年5月現在、憲法12条・13条改訂が憲法3原則のうち国民主権・基本的人権尊重の根幹に触れる憲法的に非常に重大な問題と指摘されているにも拘らず、与党の告知や野党の問題提起は必ずしも積極的には行われておらず、主として法曹界からの問題指摘が中心である。また、自民党が国民投票法を一括投票にして(9条と12/13条等)各条項の抱き合わせ採決を図ったことは日本弁護士連合会他いくつかの団体が批判している。→[16]
[編集] 新しい人権の明記と権利の制約
日本国憲法において、基本的人権の尊重は三大原則の1つであり、多くの条文が人権の規定に当てられている。
日本国憲法のうち「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とうたっている第25条の生存権や教育権などの人権に対しては、解釈が分かれている[7]
- 「政治指針に過ぎず、(たとえば個々の国民が訴訟で生活扶助を要求できるような)直接具体的に与えられた権利ではなく、国の法的義務はない」とする我妻栄のプログラム規定説、
- そういう具体的権利ではないが抽象的な法的権利であるという鵜飼信成らの抽象的権利説、
- そういう具体的権利であるとする和田鶴蔵らの具体的権利説。
具体的権利を個々に記載するために憲法改正が有効かというと、1、2の立場なら有効、3なら不要ということになろう。
第13条も当初は、プログラム規定説に似た一般原則規定説で「具体的権利ではなく第14条以下に規定する基本的人権の総称」と解釈されていた。 しかし、1960年代以降、幸福追求権は憲法に列挙されていない新しい人権も包括する権利で、それら新しい権利は裁判上の救済を受けられる具体的な権利であると解されるようになり、判例も認めている[8]。(補充保障説)。これは具体的権利を個々に記載する憲法改正は不必要という人の論拠になろう。
人権追加の改正が必要かどうかというテーマに関して、解釈の範囲内で運用すれば十分であるという反対論と、もはや現代では不十分となってしまったので明記すべきだという推進論とがある。
まず、反対論は「人権明記とセットで発議されることで第9条の改正が可決されやすくなる」ことを危惧している。基本的人権は「人間である以上誰でも当然にもっている権利」であって、憲法が書いたから与えられるものでも、国民が国家機関から恭しく押し頂くものでもない。そして、上記の具体的権利説や補充保障説のように憲法が新しい人権も将来にわたって包括して保障しているから、細目を追記するための憲法改正など不必要であるという。また、多くの憲法学者からは人権条項とセットで、国民の義務を規定する条項が挿入されることに反対する意見が出ている(後述)。
一方、推進論は、特に、山崎拓をはじめ、自由民主党、公明党などの改憲派が主張している。そして、日本国憲法制定時に想定されていなかった人権を、現代社会の必要性に応えて、他の人権と同様憲法に明記していくのは当然必要という。プログラム規定説、抽象的権利説、一般原則規定説などがとられて、司法、行政などによって拡大解釈、縮小解釈などブレが起こってしまうのを防ぐべきという。
自由民主党の新憲法草案で明記した新しい人権は次のとおり。
- 環境権 - 良好な環境を享受する権利(これを要求しているNPOもある)(本草案では、全国民が良好な環境を享受する権利としてではなく、国の環境保全の責務として記載)
- プライバシー権 - 個人の私生活などを守ることができる権利(本草案では、個人情報の保護等として簡単に記載)
- 知る権利 - 国や地方自治体に情報公開を要求できる権利(国政の説明責任として記載)
- 知的財産権 - 発明者の権利(ただし本草案では濫用を戒める留意点も追記されている)
- 犯罪被害者の権利 - 犯罪被害者のための権利(全国犯罪被害者の会も要求)
- 障害者の権利 - 障害者が住みやすい国を創るために必要な権利(本草案では障害の有無に関わらない平等として追記)
この憲法草案では、人権が追加された一方で、歯止めとして、国民には「自由及び権利には責任及び義務が伴う」ことが追記された。同時に、「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」などに置き換えられた。第21条における言論の自由・表現の自由を大韓民国(第六共和国)憲法第21条4項の規定などに倣い「青少年の保護」を主な理由に「公衆道徳・社会倫理を逸脱する表現は対象外」とするものがその代表例である。但し、表現の自由に対する制約は自民党・保岡私案において明記されたのを始め党内でもこれを支持する意見が優勢であったが、2005年公表の党草案からは除外されている。この他、同草案では両性の平等を規定する第24条を「両性は家庭を保護する責務を負う」とする内容に改める案が提示されているが、この案に対しては「戦前の閉鎖的な家制度への回帰を目論むものだ」との反発も出ている。
上記のような論点に関して批判派は、「公共の福祉」は他の個人の人権との衝突を国家が調整することを指す言葉であって、(→公共の福祉#一元的内在制限説(通説))戦時の秩序維持のための人権制限や、国家事業のための個人の財産の収用までも意味しかねない「公益及び公の秩序」への置き換えは行き過ぎである、一元的外在制約説への逆戻りである、権利・自由は義務や責任を果たす事への対価として下される物ではなく別個に存在する物である、あるいはそもそも憲法で規定することではないと指摘する。憲法で国民の義務や権利の制限を記述することは、「憲法とは人民を入れておく檻ではなく、政府を入れておく檻である」、すなわち、「憲法は国家権力の恣意的な行使で基本的人権を侵されないために国家を規定するもの」という立憲主義に反すると懸念される。「自由及び権利には責任及び義務が伴う」については、自由や権利は“義務を果たし責任を取る事の代償に与えられる”性質のものではないとの意見がある。
2006年初頭現在、世論調査では、9条改正をどうするか明示しないで新しい(人権明記を含めた)憲法への改正に賛成かどうかと聞かれると、60%台~80%台が賛成している。これは、護憲派が懸念し改憲派が期待している状況といえるであろう。
「人権」も参照
[編集] 首相公選制の導入
現状は、衆議院において最大勢力を占める政党の党首が内閣総理大臣となる仕組みのため、一般の有権者には何ら関係ない党首選挙で選ばれた人物が(それこそ党内の勢力関係だけで雌雄が決してしまう場合もある)、総選挙の結果とは無関係に、自動的に総理の座に就いてしまうという問題点がある(ただし、党首選挙あるいは党内の派閥抗争は国民に選ばれた議員がやっていることであるから、一種の間接選挙ということにもなる)。
これを改め、直接選挙で選べるようにしようという首相公選制の主張も従来から行われている。憲法には総理大臣を国会で指名することが明記されている以上、首相公選制を実現するためには憲法改正が必要となる。こうした主張はアメリカの、大統領制を理想とする考えに基づいているが、日本は議院内閣制でイギリスの議会制度に近いため、大統領制に近づけるには議会と首相の権力バランスをどう配分し直すかが問題となる。首相公選制を採用している国は例が少なく過去にはイスラエルがあったが、対パレスチナ強硬派の人物が選ばれ、和平プロセスが崩壊して戦争状態となったために同国は首相公選制を取りやめている。
そのため日本では憲法改正で「衆議院議員選挙は、衆議院議員選出のためと内閣総理大臣選出のために行われる」と明記して議院内閣制に基づいた制度にして国民と首相との距離を縮める制度にすることが検討されている。首相公選制が導入されば、国民が内閣総理大臣を選ぶことになることになるため、国民主権が強化され、首相の任期・責任が明確化することで、首相の政治基盤と民主的正統性が担保されることが期待される。また、毎日新聞社の全国世論調査では、国民の7割以上が、首相公選制の導入を支持、歓迎している。その理由は「政党の派閥などの関係で、国民が望んでいない人物が、首相になることを防ぐために首相公選制は必要」との理由が多い.
逆に公選反対論者はアメリカ大統領制の問題点などを指摘し、公選制は権力の集中を招き独裁国家の道を切り開く可能性がある他、たとえ民意が反映される仕組みでも政治不信に陥りやすい二大政党制下では有権者の投票率は低いままに抑えられる可能性があると主張している。
[編集] 両院制
「ねじれ国会」も参照
両議院の構成と役割を大きく異なるものにするか、参議院の権限縮小・廃止により一院制を採用するか、など議院の扱いをめぐる議論がある。
世界では一院制も両院制もあるが、主要な民主先進国は両院制が多い。また通常単一国家では一院制であることが多い。なお、両院制を採っている国でも民選制である代議院とは別の議員選出制度(アメリカ・ドイツ:連邦構成体の代表、イギリス:世襲の貴族、カナダ:政府による任命)を施行していることが多く、日本のように両院の議員がほぼ同じ方法で選挙され、かつ下院が優越している国は皆無である。(比較憲法学者の西修曰く、「異質な制度が悪いわけではないが、合理性に欠ける点が問題)
両院制のメリットとして一方の院の暴走を止め慎重な審議を行うことができること、異なる投票形式・投票時期で得られた民意を反映できることなどがある。また伝統的に参議院は「良識の府」とも呼ばれ、衆議院のような党派的支配とは一線を画して審議を行なってきたと言われていた。そして衆議院、参議院の選挙が頻繁に行なわれることより政権政党に緊張感が生まれしっかりとした政権運用を期待することができると言われる。他にも衆議院解散後の国政上の緊急時において緊急集会により権力の空白期間をなくすなどの役割もある。
しかし近年では参議院も衆議院と同様な政党支配に置かれ、実質的に衆議院の採決と同様の採決を繰り返すに過ぎないことが多く、その存在意義が薄れてきたという意見がある。しかもあまりの選挙の頻発は逆に選挙への興味を削ぎ、投票率を下げるとも言われる。またその運用コストや選挙費用などの無駄も問題視され、改憲によって参議院の縮小・廃止論が浮上している。そのことから現在の憲法改正論議上では議題にあまり挙がっていない。
なお、自民党・保岡私案では二院制を維持しつつも閣僚就任を衆議院議員に限定するなど、衆議院を優越させる規定が置かれていた点が同党の参議院議員から反発を招き、撤回に追い込まれている。
[編集] 軍事裁判所・憲法裁判所の新設
軍事裁判所(軍法会議)は終戦まで、敵前逃亡や脱走など軍法違反行為を行った兵士を裁く特別裁判所として存在した。最前線の戦場では、裁判官無しのまま、上官による即決裁判で判決、銃殺刑の執行までが行われた時期もあった。
日本国憲法第76条第2項では「特別裁判所は、これを設置することができない」として禁止された。よって、自衛隊の職種にも軍法会議・軍事裁判を担当する「法務科」は存在しない。自民党新憲法草案では、「自衛軍」の保持を明記するのと同時に、「軍事裁判所」を置くとしている。しかし、新憲法草案でも「特別裁判所の設置は禁止」とされており、矛盾しているとの指摘がある。
内閣法制局に憲法解釈を握られている状況を変えるため、最高裁判所と別に「憲法の番人」としての独立機関である「憲法裁判所」の設置が提案されている。憲法裁判所の設置は、衆議院憲法調査会、自民党、民主党でも提案されたが、自民党新憲法草案には採用されなかった。
[編集] 公金による私学助成
詳細は「私学助成」を参照
現行の私学助成制度は、日本国憲法第89条に定める
- 「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」
に違反するので改憲するのならこれも直すべきといわれている。自民党新憲法草案もこの解決を含む。
[編集] 国家主権の移譲・共有
民主党の憲法提言に含まれている概念[9] で、日本国民が有している国家主権を、移譲したり、共有するというもの。今まで憲法が定めてきた「日本国の主権は国民に存する」という原則が覆されるものであるが、これを否定する事は欧州連合の存在(最終的には「欧州連邦」となるであろうと目される)を否定する事であり、賛否が分かれている。
[編集] 憲法改正論議の経緯
「日本国憲法は、太平洋戦争敗北後、日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) によって作られ、押しつけられた憲法である。日本政府はGHQの憲法改正案を拒否すると天皇の地位が危うくなるため、GHQの憲法改正案をやむをえず受け入れたものである」とする押し付け憲法論や「日本国民自らが定める憲法」にするために憲法を改正して自主憲法を制定すべき、とする自主憲法制定論が保守派の人々によって強く主張された。
押しつけ憲法を改正して自主憲法を制定し、日本を「真の独立国」とするために、三木武吉は保守合同をしてどうにか改憲派の国会の勢力を憲法改正が発議できる3分の2以上の議席にして自主憲法の制定を実現させようとした。そして三木武吉、鳩山一郎らの努力によって1955年11月15日、日本自由党と日本民主党が合同し自由民主党(自民党)が結党した。これが保守合同である。自民党初代総裁には鳩山一郎首相(当時)が選ばれた。 自民党は、党是の第一条に憲法改正して自主憲法制定を目指すことを明確に明記した。鳩山一郎は、「この1600億円の大金を使っている、警察予備隊は、あれは一体、巡査(警察)なんですか?兵隊(軍隊)なんですか? それは、軍隊でありますから、私は憲法改正が必要であると思います。」と発言し、憲法改正が必要であるという考えを明確に示し、憲法改正を実現させる決意を示した。
そして鳩山内閣と自民党は保守勢力を増やすために公職選挙法を改正して小選挙区制度を導入しようとしたが(ハトマンダー)、これには野党だけでなく自民党内からも懸念の声が噴出し、小選挙区を導入することはできなかった。また、鳩山内閣は改憲を実現するために内閣憲法調査会設置法を国会で成立させた。
しかし、自民党は改憲が発議できる3分の2以上の国会における議席を確保するには至らなかった。その後も自民党は1965年までに憲法調査会(第一次)を設置するなど憲法改正について積極的な動きを見せていたが、国民の間には憲法9条を改正しようとする動きに対しての反発があり、社会党など護憲派の反対もあり、自民党は長期にわたって政権を維持するものの悲願である憲法改正を実現させることはできなかった。
戦後の世論の動向が憲法改正に積極的で無かった事から、自民党も当面の目標として改憲を掲げなくなった時期があった。世論動向から改憲を掲げる事が政党にとって必ずしも有利にはならないといった判断から、政治の場で改憲を語る事への自粛が求められ、大臣など政府の公職に就いている人物が改憲を積極的に主張し難い状況が続き、憲法議論そのものまでがタブー視される時期が続いた(80年代には自民党内にも党綱領からの削除を求める意見があった)。“そもそも改憲を言えるのは一般の国会議員だけであり、中枢にいる閣僚、まして総理大臣が主張するなど論外”とする意見もある(憲法第99条:天皇、国務大臣、国会議員、他全ての公務員の憲法尊重擁護義務規定)。
当初は第9条が大きな争点であった憲法改正論議は、その後の情報化社会の到来や国民のプライバシーに関する意識変革と相まって、多様な論点での議論が求められはじめ、また護憲を党是に掲げている社会党に替わって1996年に民主党が野党第一党となった事などから、政治の場で憲法を議題にする事をことさらに問題視すべきでないといった認識も広まり、2004年には自民党だけでなく、公明党、民主党などの各党憲法調査会が結成され、改憲論議が広く交わされる事となった。
[編集] 憲法改正に関連した動き
[編集] 第一期
- 1953年(昭和28年)4月19日: 総選挙で自由党鳩山一郎派が憲法改正、特に九条を中心とした憲法改正を公約とした。しかし鳩山自由党は選挙前から2議席減の35議席にとどまり、憲法改正反対を公約にし、左右に分裂していた社会党は左派が16増の72議席、右派6増の66議席と議席を伸ばした。左派の伸張は、総評の支援もあった。保守全体では三分の二の議席に達していたが、与党の自由党吉田茂派は、この時点では改憲を明言していなかった。
- 1955年(昭和30年)
- 2月27日: 総選挙で、鳩山首相、岸信介らの率いる日本民主党が再び憲法改正を公約にし、左右社会党は護憲を公約にした。日本民主党は65議席増の185議席を得たが、過半数には届かず、総保守でも299議席と、三分の二を割り込んだ。
- 7月11日: 日本民主党、自由党、緑風会の議員有志により、改憲を目指す自主憲法期成議員同盟が結成される。初代会長は緑風会の広瀬久忠。
- 8月: 重光葵外相が、ダレス国務長官と会談。重光外相は日米安全保障条約の不公平の指摘に対し、ダレス国務長官はアメリカ側こそ日米安保条約は不平等だと感じていると発言。日米安保条約の現状は双務的ではなく、公平にするなら日本は海外派兵と遠征能力を持った再軍備、軍事力強化をして貰いたいとダレス国務大臣が発言。重光外相は憲法上無理だとあやふやな答弁を行い、アメリカ政府とアメリカメディア側が「日本は海外派兵を受諾。」「米日合同で太平洋防衛を負担。」と誤解し、大きな国際問題となった。一方でこの事により、日米関係の対等化をはかるためには日本の憲法改正が必要だとする認識が強まる事となった。
- 10月: 左右社会党が合同し、同年11月には自由党と日本民主党の「保守合同」により自由民主党が成立。
- 1956年(昭和31年)3月19日: 鳩山内閣は小選挙区制導入の公職選挙法改正案を提出。これは第一党に有利な小選挙区制を導入することで、改憲に必要な三分の二の議席を得ようとしたものだった。しかし、社会党など野党の反対の他、自民党内でも鳩山派に有利な選挙区割りになっている(ハトマンダー)と反発され、衆議院では修正の上通過した(5月19日)が、参議院で廃案となった(6月3日)。
- 1957年(昭和32年)8月: 岸信介内閣の下、鳩山の提唱で、内閣に憲法調査会(高柳賢三会長)が設置された。これは後年2000年に設置された憲法調査会とは異なり、社会党が改憲への布石であるとして参加を拒否したために、国会に属するものとはならなかった。途中社会党から分離した民主社会党も参加を見送っている。
- 1958年(昭和33年)5月22日: 総選挙で定数467に対し、自民287議席、社会166議席(追加公認除く)となった。自民党は過半数には十分な議席を得たが、三分の二には足りず、また社会党は独力で三分の一を確保。以降野党の多党化が進むものの、しばらくこの形勢が続いた。
- 1965年(昭和40年)6月3日: 憲法調査会が廃止される。
[編集] 第一沈静期
- 1977年(昭和52年): 中国の鄧小平副首相が日本の日米安保とアメリカの核の傘の下で行う日本の軍備強化に理解を示した。諸外国からも日米安保と軍備強化は受け入れられているとの印象を日本国民にもたらし、日本の安全保障観を大きく変えた。
[編集] 第二期
- 1991年(平成3年)1月17日: 湾岸戦争が勃発。日本は憲法の制約があるという理由で海外派兵せず、約140億ドルの資金協力と海上自衛隊掃海艇のペルシャ湾出航(4月)に留まり、特にアメリカからの非難を浴びたことをきっかけに、日本国憲法の限界を認識させられる。
- 1992年(平成4年)6月15日: 国連平和維持活動協力法(PKO協力法)成立。
- 1993年(平成5年)7月18日: 第39回衆議院議員総選挙で自民党と社会党が惨敗(55年体制の崩壊)。新生党、新党さきがけなどの保守新党が勢力を伸ばし、護憲派が衆議院の三分の一を占めていた長年の形勢が崩れた(ただし、さきがけは護憲色が強く、改憲に消極的)。
- 1994年(平成6年)
[編集] 第三期
- 2000年(平成12年)
- 1月20日: 衆参両議院に憲法調査会が設置される。
- 10月: リチャード・アーミテージ前国防次官補が、対日外交の指針としてジョセフ・ナイらと共同で作成した論文「アーミテージ・レポート」、いわゆる「アーミテージ報告」を発表。
- 2001年(平成13年)
- 9月11日: アメリカ同時多発テロ事件(9.11)が発生。
- 10月29日: 米軍が対テロ戦争の一環として行う攻撃・侵攻を援助(後方支援)することについて定めたテロ対策特別措置法が成立。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 3月20日: イラク戦争が勃発。
- 6月6日: 武力攻撃事態法をはじめとする武力攻撃事態対処関連三法が成立。
- 7月26日: イラク復興支援特別措置法が成立。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 4月: 衆参両院の各憲法調査会は、五年間の最終報告書として、衆議院憲法調査会は「衆議院憲法調査会報告書」、参議院憲法調査会は「日本国憲法に関する調査報告書」を各議長に提出した。各報告書とも憲法改正を焦点にしていた。
- 3月14日: 自民党新憲法起草委員会が「論点整理」を提出。
- 4月1日: 憲法学者も加わり市民自身による憲法草案作成に取り組んでいる市民立憲フォーラムが、中間報告「市民立憲案2005」を発表。
- 4月15日: 5年間の最終報告書として、この日衆議院憲法調査会が「衆議院憲法調査会報告書」を、20日には参議院憲法調査会が「日本国憲法に関する調査報告書」を各議長に提出。
- 7月: 自民党新憲法起草委員会が「要綱案」を提出。
- 8月1日: 自民党新憲法起草委員会は新憲法第一次案の条文を発表。主な内容は、自衛隊を「自衛軍」とすること、政教分離原則の緩和、軍事裁判所の設置、改憲に必要な議席数を両院の三分の二から過半数に引き下げることなどが盛り込まれた。また、憲法第12条に「自由及び権利には責任及び義務が伴う」と明記された。
- 9月11日: 第44回衆議院議員総選挙で与党が圧勝。公明党も合わせると、55年体制以降では初めて改憲に必要な3分の2のラインを突破した。ただし、参議院では3分の2に達していないため、憲法96条の憲法改正発議の可決がすぐにできる情勢にあるとはいえない。自民党内では、自民党案での改憲に消極的な公明党よりも、これに積極的な民主党内の旧民社党系と保守系の派閥と連携して発議に必要な議員数を確保した方がよい、との議論も起こった。
- 9月21日: 第163回特別国会召集。衆議院に日本国憲法に関する調査特別委員会(憲法調査特別委員会)を設置。
- 10月12日: 自民党新憲法起草委員会は、新憲法第二次案を審議し了承した。新憲法第二次案では、第一次案を引き継いだ上で、環境権が加えられたほか、知る権利やプライバシーの権利、障害者および犯罪被害者の権利などが盛り込まれている。
- 10月23日: 民主党の旧民社系議員による「創憲会議」の改憲案が明らかに。10月29日正式発表。軍隊保持(再軍備)や外国人参政権禁止、さらに非核三原則(の維持)や生物兵器・化学兵器の不保持を明言すべきではないと提言。加藤秀治郎、西修、百地章らの学者による原案を元にし、自民案より保守色の強い内容とされる。
- 11月22日: 自民党自民党新憲法起草委員会が立党五十周年記念大会で「新憲法草案」を発表。民主党が条文化を見送り「憲法提言」を発表。
- 2006年(平成18年)
- 2月11日: 社会民主党が党大会で、自衛隊について「違憲状態である」とした綱領的文書『社会民主党宣言』を採択。これによって1994年の旧社会党時代の自社さ連立政権での「自衛隊の合憲・容認路線」にかわり、事実上の政策転換となる。
- 2月16日: 自民・公明両党の国民投票法案の概要を発表。
- 5月26日: 自民党の衆議院議員が「日本国憲法の改正手続に関する法律案(憲法改正国民投票法案)」を、民主党が対案を提出。6月1日に審議入りするが、18日に閉会したため、9月の臨時国会への継続審議となったが、本国会閉会で再び継続審議に。
- 9月29日: 安倍首相が衆参両院の本会議で就任後初の所信表明演説を行い、「新しい時代にふさわしい憲法の在り方について与野党において議論が深められ、方向性がしっかりと出てくることを願っている」と述べた。所信表明や施政方針演説で憲法改正に関わる発言をするのは自民党初代総裁の鳩山首相以来51年ぶり。
- 10月2日: 自民党が党憲法調査会を憲法審議会に格上げ。
- 2007年(平成19年)
- 1月9日: 防衛省設置法により、「防衛庁」が「防衛省」に昇格。
- 1月25日: 参議院に日本国憲法に関する調査特別委員会(憲法調査特別委員会)を設置。
- 4月13日: 憲法改正の手続きを定めた日本国憲法の改正手続に関する法律案が衆議院本会議で可決され、参議院へ送付される。
- 4月25日: 政府が集団的自衛権に関する個別事例を研究する有識者会議である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(柳井俊二座長、安保懇)を設置。
- 5月14日: 日本国憲法の改正手続に関する法律(国民投票法)が参議院本会議で可決され成立。
- 8月7日以降: 7月29日に行われた参院選で衆参の第一党が一致しないねじれ現象が発生した影響で、国民投票法で定められ、衆参両院に常設するはずの憲法審査会が、民主党など野党側が憲法審査会の委員数や手続きなどを定める憲法審査会規程の成立に反対しているため、第167回臨時国会召集以降、実質的に設置されず始動できない異常事態となる。
- 11月1日
[編集] 第二沈静期
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 5月18日: 国民投票法が施行。この日以降、憲法改正原案(議員提出案・憲法審査会提出案)の提出と、憲法改正国民投票の実施が可能となる。
[編集] 憲法改正の手続
日本国憲法は、第9章第96条に改正の手続を定めている。この規定を実施するためには法律の制定が必要になるが、2007年になって日本国憲法の改正手続に関する法律が制定され、完全施行は2010年5月18日である。憲法の条文中の「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」および「国民投票…の過半数の賛成」という改正の要件につき、その母数が明確でない(議員の母数につき議員の法定数か現に在職する議員数か、国民投票の母数につき有権者総数か有効投票数か)ため、その解釈には争いがあったが、同法は投票総数を母数とした。
日本国憲法の改正手続きが、諸外国の憲法の改正手続きと比較すると、あまりにも厳しすぎるとする意見がある。そのような立場から出された憲法改正案では、改正手続きが緩和されていることがある(改正手続き規定を改正できるかどうか、学説は二分している)。なお、自民党新憲法案〈憲法改正案〉は、憲法改正要件を緩和している。現行の「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」という要件を、「各議院の総議員の過半数」に緩和する。その後の、国民投票による承認の要件は現行通りである。
[編集] 脚注
- ^ "憲法改正「反対」43%、「賛成」を上回る…読売世論調査". 読売新聞社 (2008-04-08). 2008-04-08 閲覧。
- ^ 芦部信喜 『憲法制定権力』p.113 東京大学出版会 1983年
- ^ 浦部 法穂 『憲法学教室 全訂第2版』p.29 日本評論社 2006年
- ^ 浦部 法穂 『憲法学教室 全訂第2版』p.29 日本評論社 2006年
- ^ 太田光と中沢新一の護憲論を、天皇制廃止論から批判した山口泉『週刊金曜日』 2007年1月26日号「「戦後」の欺瞞に寄生する“知的”(?)スノビズム」など。天皇制に触れない護憲論は、俗物根性の欺瞞と云う見解である。
- ^ “天皇、皇后両陛下:ご結婚50年 会見全文その1”. 毎日新聞(. 2009-04-10) 2009-05-08 閲覧。.
- ^ 水野恒夫「Ⅱ134 『生存権の性格』―朝日訴訟」第18法律研究所、1998年5月6日。
- ^ 森稔樹 「第08回 幸福追求権」 高島平発法制・行財政研究、2004年7月9日。
- ^ 『民主党「憲法提言中間報告」のポイント』 民主党、2004年6月23日。
[編集] 関連項目
[編集] 文献情報
- 諸橋邦彦 「主な日本国憲法改正試案及び提言」 国立国会図書館、2005年3月18日。
- 南部義典 『Q&A解説 憲法改正国民投票法』現代人文社、2007年
- 「主な日本国憲法改正試案及び提言」諸橋邦彦国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 474 (MAR.18.2005)[17]
※平成13(2001)年1月から平成17(2005)年2月までに公表された提言及び試案が収録対象。 - 「主な日本国憲法改正試案及び提言―平成17(2005)年3 月~11 月―」諸橋邦彦 国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 537(APR.24.2006)[18]
- 「星野 秋史]「腐敗亡国日本-下巻」 星秋リコネサンス[19]
[編集] 外部リンク
- リンク集/日本国憲法 - Wikia(日本国憲法に関連するサイトや文書が非常に豊富)
- 衆議院憲法審査会ホームページ
- 参議院憲法調査会ホームページ

