萩原誠司

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日本の旗 日本の政治家
萩原誠司
はぎわら せいじ
生年月日 1956年4月28日(58歳)
出生地 日本の旗 岡山県英田郡西粟倉村
出身校 東京大学教養学部
前職 国家公務員通商産業省
岡山県岡山市長
衆議院議員
帝京平成大学教授
現職 岡山県美作市長
所属政党 自由民主党→)
新党改革→)
無所属
称号 教養学士(東京大学)
親族 父・萩原賢二(元西粟倉村長)
公式サイト はぎわら誠司

当選回数 1回
任期 2014年3月30日 - 現職

Flag of Okayama, Okayama.svg 第31・32代 岡山県岡山市長
当選回数 2回
任期 1999年2月10日 - 2005年8月25日

選挙区 比例中国ブロック岡山2区
当選回数 1回
任期 2005年9月11日 - 2009年7月21日
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萩原 誠司(はぎわら せいじ、1956年4月28日 - )は、日本政治家岡山県美作市長(1期)。岡山県岡山市(2期)、衆議院議員(1期)を務めた。

岡山県英田郡西粟倉村長を務めた萩原賢二は父。

来歴[編集]

岡山県英田郡西粟倉村生まれ。岡山県立岡山大安寺高等学校東京大学教養学部教養学科卒業。1980年通商産業省に入省。

1999年、通産省を退官。岡山市長選挙に自民社民2党の推薦を受けて出馬し、初当選する。2003年の市長選でも再選されたが、任期途中の2005年8月、自由民主党の要請を受け、岡山市長を辞職し岡山県第2区から第44回衆議院議員総選挙に出馬。元々、岡山2区は熊代昭彦の選出選挙区であったが、熊代は首相の小泉純一郎が成立に執念を燃やす郵政民営化法案の採決で反対票を投じたため、自民党の公認を得られず、出馬を断念。熊代は萩原の辞職に伴う岡山市長選挙に立候補したが、高谷茂男に敗れ落選した。萩原は岡山2区で民主党津村啓介に敗れたが、重複立候補していた比例中国ブロックで復活し、初当選を果たした。当選後しばらくは無派閥だったが、2007年7月に古賀派に入会した。また、2005年初当選の議員で結成された83会にも所属していた。

トンネル塵肺訴訟に関連し、全面和解に向けトンネルじん肺対策議員連盟を設立し、事務局長に就任。2007年6月、全面和解が成立した。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙に岡山2区から自民党公認で出馬するが、再び津村に敗れ、比例復活もならず落選。なお岡山2区からは熊代昭彦も無所属で出馬したが、熊代の得票数は萩原に次ぐ3位であった。落選後、9月15日に開かれた第2回自民党再生会議に出席し「何か仕事が欲しい」と発言した[1]

2010年4月、帝京平成大学教授に就任。同年5月に自民党を離党し、舛添要一らが改革クラブに合流して新たに結成された新党改革に入党。7月の第22回参議院議員通常選挙に新党改革公認で参議院比例区から出馬したが、落選した。法政大学情報技術(IT)研究センター学術担当教授を経て、2013年より明治大学国際総合研究所客員研究員。

2014年3月、道上政男の辞職に伴い実施された美作市長選挙に無所属で立候補して当選し[2]、31日に美作市役所に初登庁した[3]

政策[編集]

選択的夫婦別姓制度の導入に賛成[4]

所属団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 「党再生会議」で麻生総裁への「恨み節」” (日本語). スポーツニッポン (2009年9月15日). 2009年9月16日閲覧。
  2. ^ 選挙:岡山・美作市長選 萩原氏が初当選”. 毎日新聞 (2014年3月31日). 2014年4月1日閲覧。
  3. ^ 「市政刷新は笑顔から」 萩原・美作市長が初登庁 岡山”. 産経新聞 (2014年4月1日). 2014年4月6日閲覧。
  4. ^ 読売新聞2010年参院選 各党候補者アンケート

外部リンク[編集]

先代:
道上政男
Flag of Mimasaka Okayama.JPG 岡山県美作市長
第4代:2014年 -
次代:
(現職)