廿日市市

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はつかいちし
廿日市市
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Flag of Hatsukaichi.svg
廿日市市旗
Hatsukaichi Hiroshima chapter.JPG
廿日市市章
市旗・市章、共に1988年昭和63年)4月1日制定
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 広島県
団体コード 34213-1
面積 489.42km²
総人口 112,752
推計人口、2014年7月1日)
人口密度 230人/km²
隣接自治体 広島市大竹市江田島市
山県郡安芸太田町
山口県岩国市
島根県益田市
市の木 サクラ
市の花 サツキ
廿日市市役所
所在地 738-8501
広島県廿日市市下平良一丁目11番1号
北緯34度20分53.6秒東経132度19分53.7秒
廿日市市役所
外部リンク 廿日市市

廿日市市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町

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弥山からみた厳島神社および対岸の阿品・地御前

廿日市市(はつかいちし) は、広島県西部にある

郵便番号の上3桁は738、739。市外局番は、0829(一部地域を除く)。

概要[編集]

広島市の西に隣接し、瀬戸内海広島湾)に面した港町である。日本三景・「安芸の宮島(厳島)」が特に有名である(詳細は厳島を参照)。同島の厳島神社世界遺産にも指定されている。

市の母体は旧佐伯郡廿日市町である。廿日市は中世以来、厳島神社の造営・修繕と西中国山地産の木材の集積を基盤とした木材産業の町であり、山陽道(西国街道)の廿日市本陣を中心に発展した。高度経済成長期以後は広島市の西のベッドタウンとして発展し、1988年(昭和63年)4月1日に単独市制施行して「廿日市市」が発足した。全国で655番目の市、広島県では14番目の市(合併により消滅した松永市因島市を除き、現在も存続している市としては12番目)である。

廿日市の町は商業・工業都市の側面が濃かったが、平成の大合併によって周辺の4町村(佐伯町吉和村大野町宮島町)を編入したことで、西中国山地の豊かな自然や、世界遺産にも選ばれた厳島神社を含む安芸の宮島などの新しい顔を併せもつこととなった。

都市雇用圏で全国第8位の規模をもつ広島都市圏(10%通勤圏人口約158万人)を構成する一都市である。人口は2005年に旧宮島町・旧大野町と合併して以来ほとんど横ばい傾向(合併時約11万5000人)だが、近年は微減傾向にある。これは中心市街地の人口増と山間部の過疎化が相殺しているため。

市制施行後の文化振興政策には一定の評価がある。例えば市の文化ホール「さくらぴあ」では、人口規模の割に著名な人物・団体の公演が多く催され、出演者からも高評価を受けて新たな公演につながる好循環を生んでいる[1]。 また、市名の由来である「廿日の市」という市民主体の市を毎月20日に催したり、姉妹友好都市であるニュージーランドマスタートンとの交流から、JETプログラムによってニュージーランド出身の「国際交流員」を招いて様々な活動にかかわらせたりするなど、多様な取り組みがみられる。

各地の大規模合併の例に漏れず、都市基盤整備、教育・文化サービスなどの地域間格差是正が最大の課題になっている。

現在の形式のけん玉発祥の地である。

地理[編集]

広島県の西部に位置する。

北は西中国山地の脊梁部で島根県山口県とも境を接し、南は瀬戸内海(広島湾)の穏やかな海岸線が続く。沿岸部は都市化が進む一方、内陸の農村地帯は過疎化の進行が著しい。

なお、特定外来生物に指定されているアルゼンチンアリは、1993年に市内の木材港(広島港廿日市地区)周辺において、アジアで初めて個体が採集された。その後日本各地に拡散・定着している。廿日市市においても生態系や住環境への被害拡大が深刻である。

    • 安芸冠山(1,339メートル、吉和)……広島県第2位の標高がある。「吉和冠山」ともいい、単に「冠山」といえばこの山を指すことが多い。山頂からの眺望のよさから、西中国山地の中でも人気のある山である。中下流部に広島平野を抱える太田川の源流であり、林野庁から水源の森100選に選定されている。
    • 弥山(535メートル、宮島町)……宮島にそびえる山。古来より信仰の対象とされてきた。山中には大同元年(806年)に弘法大師が護摩行をした火を絶やさず燃やすという「消えずの霊火堂」など、「弥山七不思議」という伝承が伝わる(弥山を参照)。宮島ロープウェーで気軽に山頂の近くまで登ることができ、眺望がよい。元旦には初日の出参りの人で特に賑わう。
    • 大峯山(1,040メートル、玖島)……広島市街地から一番近い千メートル峰で、登山道が整備されている。
    • 極楽寺山(693メートル、原)……山頂に真言宗の古刹・極楽寺がある。広島地方気象台が発表する「広島の初冠雪」とは、その冬初めて極楽寺山が雪化粧していると麓から観測したことを指す[2]
    • 野貝原山(719メートル、明石)……なだらかな頂上一帯はかつてのうが高原として開発されたが、現在は廃墟となっている。電波中継所がある。

隣接する自治体・行政区[編集]

広島県

山口県

島根県

気候[編集]

沿岸部(廿日市・大野・宮島)[編集]

瀬戸内海式気候に属し、年間を通して温暖・少雨である。

市の年平均気温は15.2℃、年降水量の平年値は1554.6ミリ[3]。これは廿日市小学校校庭(四等三角点)の計測値である。

雨は梅雨期と台風接近時に集中する。積雪は沿岸部では少ない。夏の夕方には、日中の海風と夜間の陸風の交替による「夕凪(ゆうなぎ)」という無風状態が顕著に起こる。暑さ・日差し・高い湿度に加えて、2時間から3時間以上もまったくの無風状態が続くのが、周辺では夏の風物詩になっている。

佐伯地区[編集]

沿岸部と吉和地区の中間にある中山間地域であり、冷涼多雨の傾向にある。

地区の中心である津田には、気象庁アメダス観測機器が設置されているが、梅雨末期や台風接近時にはしばしば、1時間降水量や1日降水量などで周辺より突出した値を観測している(アメダス「廿日市津田」の観測史上最大1時間降水量は、1987年9月11日の87ミリ。最大日降水量は、2005年9月5日の346ミリ)。

廿日市津田の平均気温と降水量[4]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均気温( 1.3 1.7 5.4 10.9 15.7 19.8 23.5 24.2 20.1 13.9 8.4 3.3 12.3
最高気温( 6.1 6.8 10.9 17.0 21.7 24.7 28.1 29.3 25.3 20.1 14.5 8.9 17.8
最低気温( -3.0 -2.9 -0.1 4.3 9.4 15.0 19.5 19.9 15.5 8.4 3.0 -1.5 7.3
降水量(mm 65.1 80.1 150.5 174.8 207.4 339.9 312.6 186.5 236.9 105.2 85.0 45.1 1991.3

吉和地区[編集]

内陸部にある吉和地区は、市内で唯一日本海側気候に属する。吉和地区は沿岸部に比べて月別平均気温が5℃以上低く(月平均気温は1月がマイナス2.0℃、8月が22.3℃[5])、豪雪地帯対策特別措置法の定める「豪雪地帯」でもある(ちなみに、吉和地区が「豪雪地帯」の日本最南端[6])。1963年昭和38年)のいわゆる三八豪雪では、1月31日に吉和集落で積雪197cmを記録した[7]

降水量は市内で最も多く、平年値は2194.6ミリとなっている。

行政[編集]

  • 市長 - 眞野勝弘(真野勝弘、2007年11月3日 -
    前職の山下三郎に続き、推薦政党は自民民主公明社民新社会党と、共産党を除くほぼ全ての政党である。これは前職の山下が元々社会党所属だったことが影響している。革新色の強い新社会党が自民党と同じ候補を支援するのは全国的にも珍しい。

廿日市市庁舎の他、旧宮島町・旧大野町・旧吉和村・旧佐伯町に支所を置いている。

廿日市市庁舎 複合施設
支所画像

市議会[編集]

定数は30人。

会派の構成[編集]

2013(平成25)年5月1日現在

会派名 議席数 議員
フォーラム21 3 小泉敏信、広畑裕一郎、三分一博史
新政クラブ 9 仁井田和之、北野久美、新田茂美、田中憲次、佐々木雄三、井上佐智子、堀田憲幸、岡本敏博、有田一彦
クラブみらい 3 山口三成、枇杷木正伸、中島康二
公明党 3 砂田麻佐文、大﨑勇一、細田勝枝
クラブ進風 5 山田武豊、石塚宏信、荻村文規、藤田俊雄、角田俊司
成蹊会 4 栗栖俊泰、林忠正、徳原光治、高橋みさ子
日本共産党市議団 1 植木京子
修身会 1 松本太郎
みんなの党はつかいち 1 山本和臣

主な国の行政機関[編集]

上記3出先機関は、いずれも廿日市地方合同庁舎(廿日市市新宮一丁目15番40号)に入居している[8]

歴史[編集]

市名の由来[編集]

本来、「廿日市(はつかいち)」という地名は現在の本町付近を指す狭い地区名称であり、1889年に廿日市町が発足して以降、合併を重ねて次第に広範囲を指すようになった。

廿日市という名称は、現在の中央公民館(本町)周辺で中世以来開かれていた「廿日(はつか)の市」に由来する。厳島神社平清盛の庇護により平安時代末期に大きく発展し、地域に影響力をもったが、鎌倉時代に入ると承久の乱に伴う権力争いの中で貞応年間(1222年-1224年)に火災で社殿を焼失した。鎌倉幕府の命により厳島神社を再建するために対岸の地域(現在の廿日市市本町)に多くの鋳物師たちが移り住んだことから、木材等の生活物資・再建物資の集積が始まった。 厳島神社の年4回の祭礼の最終日がいずれも20日であったことから、早くも鎌倉時代中期には毎月20日に市が立つようになり、二十日の市=「廿日市」という名称が徐々に定着していったと思われる。

当時、この地域一帯は「佐西(ささい)の浦」と呼ばれていたと考えられている。1370年応安3年)、今川貞世九州探題として大宰府に下向する際に記した紀行文『道ゆきぶり』の中に、貞世が「かひだとかやいひける浦」(「現在の安芸郡海田町)を通って「佐西の浦」(佐西郡の海岸、現在の広島市佐伯区五日市から廿日市市串戸付近)から宮島へ参詣し、「地の御前」(現在の廿日市市地御前)から山道に入って周防国へ向かう旨の記述がある。

廿日市という地名の初出は1454年享徳3年)である。山口県柳井市の賀茂神社に残された当時の詫び状に、同神社の梵鐘(享徳3年頃鋳造)の鋳工「廿日市ひかしかり屋三郎次郎」の名が見える。

現在も日本各地に残る「○日市」という地名は安土桃山時代以降盛んになった市に由来するものが多く、鎌倉時代に市立てされたことが確認されている廿日市は、現存する最も古い「市」地名の一つとされる。

一日市から十日市までは各地に見られるが(市場を参照)「廿日市」は珍しく、現在の住居表示制度にある正式な地名としては「廿日市」は当市が唯一の例である。かつて愛媛県内子町に廿日市という地区があったが現在は内子町内子となっており、廿日市自治会館(内子町廿日市集会所)として名を留めている。

市域の歴史[編集]

先史時代[編集]

現在の廿日市市域に人が居住しはじめたのは有史以前の時代のことである。市域では旧石器時代の遺跡として、冠遺跡と頓原遺跡(いずれも吉和地区)が見つかっている。また速谷神社(上平良地区)境内からは旧石器時代末期から縄文時代初めごろとされる安山岩製の槍先型石器が発掘されているほか、厳島の北西岸の下室浜では後期旧石器時代のナイフ型石器が出土している(厳島を参照)。

縄文時代には海面の上昇(縄文海進)とともに瀬戸内海が形成され、沿岸部に人が居住していた。地御前南町遺跡(地御前地区)からは黒曜石の石器が出土しているが、これは海を隔てておよそ100キロメートル南西にある国東半島の姫島産のもので、遠隔地とも交流があったとみられている。土器は九州地方の影響を受けたものも多い。このほか野坂や内陸部の原地区にも縄文時代の遺跡があるほか、厳島の沿岸部にも、複数の縄文遺跡が存在している。

北部九州に稲作技術が伝えられるとほどなくしてこの地域でも稲作が始まった。丸小山遺跡(峰高地区)の遠賀川式土器はそのことを裏付ける典型的な西日本の弥生式土器である。また極楽寺山尾根筋の標高260メートル付近にある高尾山遺跡は典型的な弥生時代後期の高地性集落遺跡で、水も引けず耕作に適さないことから海上を見張る役割を果たしていたと考えられている。この高尾山遺跡のほか、上平良地区から原地区、宮内地区にかけては堤上遺跡、河野原遺跡(1~5号)、広池山1号・2号遺跡(宮園団地造成に伴い消滅)、極楽寺二三丁遺跡、風呂谷遺跡、扇平遺跡、長谷1号遺跡など、農耕には適さない高地性集落遺跡が多く見つかっている。

古代[編集]

この地域がヤマト王権の支配下に入ると、部民制のもと佐伯部がおかれた。一帯は佐伯郡(さへきのこほり)として安芸国に組み込まれた。佐伯部は東国人の捕虜を播磨讃岐伊予安芸阿波の5か国に移住させて品部として設定したもので、在地の豪族が「佐伯直」や「佐伯造」となって伴造として業務を管掌していた。これらの豪族は畿内の有力豪族である佐伯連(後に宿禰)に管掌されており、この地域は間接的に天皇・畿内に連なる部民であった。またこの地域の佐伯直は、後に厳島神主家となった。

伝承によると、推古天皇元年(593年)に豪族の佐伯鞍職が神託を受け、勅許を得て厳島の御笠浜に社殿を創建した(「厳島神社縁起」)とされ、これが厳島神社の由来という。文献の初出は811年弘仁2年)に名神に列したというもので、927年延長5年)には『延喜式神名帳』において名神大社に列せられている。以後、廿日市市域の歴史は厳島神社の動向に大きく左右されることになる。

佐伯郡の郡衙(役所)は現在の広島市佐伯区利松あたりにあり、種箆(へら、現在の廿日市市下平良)という郷名が承平年間(931年938年)の「和名類聚抄」に見える。律令制実施後は五畿七道山陽道(古代山陽道)が平安京から太宰府に通じる大路として整備され、市域には種箆と濃唹(おおの、現在の廿日市市大野高畑)という2箇所の駅家があった。

1146年久安2年)、平清盛安芸守に任ぜられ、高野山の高僧から「安芸の厳島神社を修繕すれば、並ぶ者なき官位と栄華を手に入れられよう」と預言されて厳島神社の修繕を決意し、1168年仁安3年)には海上に浮かぶ壮麗な寝殿造の社殿を造営する。摂津国四天王寺からは舞楽を移し入れ、多くの武士や貴族が甲冑刀剣、鏡面を奉納するなど京の文化が多く流入した。中でも「平家納経」は、経文の装飾のみならず経箱・唐櫃に至るまで絢爛豪華な装飾が施されており、平安時代の工芸を今に伝える第一級史料とされる。

12世紀後半には清盛の庇護のもと、佐伯郡内でも平良荘・宮内荘(廿日市市宮内)・大竹・小方(大竹市小方)・川内・寺田・保井田・佐々利別府・石道村・久島郷(廿日市市玖島)・吉和村(廿日市市吉和)などに厳島神社社領が加増されていった。

市の沿革[編集]

市町村制施行以後について述べる。

  • 1889年4月1日 - 町村制施行により佐伯郡廿日市町が発足。
    • 同時に、現在の廿日市市域に含まれる以下の町村が発足。
    • 佐伯郡:平良村、原村、宮内村、地御前村、玖島村、三和村、友原村、津田村、浅原村、四和村、吉和村、大野村、厳島町
  • 1929年4月1日 - 三和村と友原村が新設合併し、友和村が発足。津田村が町制施行し、津田町が発足。
  • 1950年4月1日 - 大野村が町制施行し、大野町となる。
  • 1950年11月3日 - 厳島町が名称変更し、宮島町となる。
  • 1955年4月1日 - 津田町・友和村・玖島村・浅原村・四和村が新設合併し、佐伯町が発足。
  • 1956年9月30日 - 廿日市町・平良村・原村・宮内村・地御前村が合併して新・廿日市町が発足。
  • 1957年6月10日 - 廿日市町が五日市町佐方の一部区域を編入。
    • 高度経済成長期以降、広島市に隣接する五日市町と西隣の廿日市町は、ともに広島市のベッドタウンとして急速に発展を遂げた。五日市町は1980年国勢調査で、廿日市町は1985年国勢調査で、それぞれ人口日本一の町となっている。両者は人口増に伴う都市基盤整備の議論の渦中におかれ、五日市町は広島市との合併を選択して、1985年(昭和60年)3月、旧町域全域を区域とする「広島市佐伯区」が発足した。当初は廿日市町も佐伯区に編入するとの案があったが、廿日市町は単独市制を選択したため立ち消えになった。
  • 1988年4月1日 - 廿日市町が市制施行し、廿日市市が発足。当初は面積47.89平方km、人口約58,000人(1985年国勢調査では52,020人)のコンパクトな市であった。
  • 1989年6月1日 - 広島市と境界変更。
  • 2003年3月1日 - 佐伯町・吉和村を編入。市域が約8倍に拡大する。
  • 2005年11月3日 - 大野町・宮島町を編入。これにより佐伯郡は消滅した。

経済[編集]

産業[編集]

木材港(広島港廿日市地区)は西日本有数の木材専門港であり、周辺では輸入木材に関連した住宅産業、家具関連産業が盛んである。 市内に本社をおく主な企業としては、ウッドワンチチヤスマルニ(木工家具大手)、中国醸造広島醤油フジマートバッケンモーツアルト(本店は広島市中区)などがある、またフマキラーが本店(本社は東京都千代田区)および工場を置いている。また、デオデオが2000年代に本社を移転し、エディオンになってからも主要拠点を引き続き置いている(登記上本店は広島市中区)。その他、他、カルビー広島工場などがある。

旧大野町時代には、サントリーの工場も存在した。

また、以前はけん玉作りも盛んで、最盛期には日本国内で40%のシェアを占めていた[9]

漁業[編集]

瀬戸内海の豊かな恵みを受けた近海漁業が盛んである。特にカキ養殖は非常に盛んで、「カキいかだ」は周辺の風物詩となっている。「地御前かき」は近年全国的なブランドとして知名度を上げている。また大ぶりな「大野のアサリ」も人気がある。

観光業[編集]

「安芸の宮島」の名で知られる厳島(宮島地区)は、世界遺産「厳島神社」のほか国宝や国の特別天然記念物など文化財・自然遺産を数多く抱え、年間を通じて多彩な行事に彩られる世界的な観光地である。沿岸部ではマリンスポーツや釣り・海水浴など、瀬戸内海の特長を生かしたレジャー産業が盛んな一方、北部の吉和地区では800〜1200メートルの標高を生かしたスキー・スノーボード産業や夏の高原レジャーが盛んである。

その他[編集]

大野地区に広島東洋カープの屋内総合練習場がある。

方言[編集]

全域で広島弁(安芸方言)が使われる。都市化により、他地域から転入してきた住民も増えてきてはいるが、彼らの多くがほどなく日常生活で広島弁を使いはじめるほど、広島弁の影響が強い。 なお、近接する山口弁(とくに岩国市などの山口東部方言)の影響も受けており、廿日市市内を西へ行くほどその影響が濃くなる。

廿日市市で用いられる山口弁の語彙の例
「せんない(仕方がない、面倒くさい)」「〜しちょる(〜している)」「ぶち(とても)」
それぞれ、広島弁の「たいぎい」「~しよる」「ばり」に対応するが、ニュアンスが微妙に異なるために両方の語彙が混在している。

地域[編集]

人口[編集]

Demography34213.svg
廿日市市と全国の年齢別人口分布(2005年) 廿日市市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 廿日市市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
廿日市市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 57,218人
1975年 65,284人
1980年 76,592人
1985年 89,034人
1990年 101,630人
1995年 112,591人
2000年 114,981人
2005年 115,530人
2010年 114,062人
総務省統計局 国勢調査より

教育[編集]

大学・短期大学[編集]

高等学校[編集]

公立学校

私立学校

中学校[編集]


小学校[編集]


特別支援学校[編集]

郵便[編集]

区内の郵便物の集配は市内にある3つの郵便局(一部地域は大竹市にある大竹郵便局)で行っている。

郵便番号は以下の通り。

電話[編集]

市外局番はほぼ全域が0829(廿日市MA。市内局番は20、30〜40、44〜59、70〜89)。

例外は旧大野町のうち下灘、鳴川両地区と、同じく経小屋の一部、猪ノ打の一部、旧佐伯町の浅原中山の一部で、大竹市と同じ0827(市内局番は52~59)である。0827は山口県岩国MAの局番なので、他地区からこの例外地区にかけると、同じ廿日市市内でありながら県外通話扱いということになる。

なお、かつて同じ0829(旧・五日市廿日市MA)だった旧五日市町地域(現・広島市佐伯区)は現在082-9**-****(広島MA)で、市外通話扱いとなっている。一方で旧湯来町地域は廿日市MAのため、今は広島市佐伯区の一部でありながら、廿日市市からは市内通話扱いとなる。

施設[編集]

図書館[編集]

  • はつかいち市民図書館 - 新宮。市庁舎や文化ホール「さくらぴあ」等と一体化した複合施設である。
  • はつかいち市民大野図書館 - 大野。合併前は大野町立図書館。
  • はつかいち市民さいき図書館 - 津田。合併前は佐伯町立図書館。

美術館[編集]

多目的ホール[編集]

商業施設[編集]

店舗面積が5,000平方メートルを超えるものについて記述する[10]

  • ゆめタウン廿日市(2015年春開業予定) - 市役所・合同庁舎・郵便局・防災拠点等が集積する廿日市市シビックコア地区に開業予定のコミュニティ型ショッピングセンター(CSC)。店舗面積は約50,000m2と広大で、アルパーク西棟・東棟(広島市西区、計47,069m2)やゆめタウン広島(38,700m2)よりも大きく、中国地方でもイオンモール倉敷(82,000m2)・イオンモール広島府中(64,500m2)に次ぐ規模の大型商業施設となる。予定では190店舗、従業員数2,200人(うち新規雇用1,700人)が見込まれ、地域への経済効果が期待される。

かつて存在した施設[編集]

  • 広島ナタリー - 阿品。1974年(町制時代)に開園し、1996年3月に閉園した遊園地。広島都市圏を代表する遊園地の一つであった。現在、跡地に建つショッピングモール「フジグランナタリー」及び住宅地「ナタリーマリナタウン」として、名を留めている。
  • チチヤスハイパーク - 大野。チチヤス乳業が経営する遊園地であったが、中国新聞社に譲渡され「ちゅーピーパーク」として再出発した。遊泳施設「チチヤスダイヤモンドプール」は、ほぼそのまま「ちゅーピープール」として営業している。
  • のうが高原 - 野貝原山に1965年から1986年まで存在した。
  • サントリーバードサンクチュアリ - 旧大野町時代に、サントリーの工場に隣接して存在した。
  • イオン廿日市店 - 地御前。1972年にニチイ廿日市ショッピングセンターとして開店し、1991年に廿日市サティ2011年にイオンと運営母体を変えつつ地域の商業拠点として根付いていたが、2014年3月に施設老朽化のため閉店した。9,009m2

交通[編集]

鉄道[編集]

中心となる駅はJR山陽本線廿日市駅だが、集積が進んでいるとはいえない(快速通勤ライナーは廿日市駅を通過する)。 廿日市市で利用者総数が最も多いのはJR宮内串戸駅で、2位がJR廿日市駅、3位JR宮島口駅、4位広電宮島口駅と続く[11][12]

バス[編集]

船舶[編集]

宮島航路
JR西日本宮島フェリー
宮島連絡船宮島口駅 - 宮島駅
宮島松大汽船
宮島航路: 宮島口桟橋 - 宮島桟橋
瀬戸内シーライン
広島・元宇品〜宮島航路:広島港(宇品) - グランドプリンスホテル広島前 - 宮島港3号桟橋
アクアネット広島
世界遺産航路:元安桟橋 - 宮島港3号桟橋
宮島大野航路:宮島口西桟橋[13] - 宮島港3号桟橋

船舶で宮島を訪れる人の数は、上記のほかチャーター便などもあわせて年間283万人以上(2006年)にのぼる。[14]

道路[編集]

高速道路[編集]

一般国道[編集]

その他の道路[編集]

道の駅[編集]

港湾[編集]

名所・旧跡・観光スポット[編集]

廿日市地区
桜尾城跡(桂公園) - 小早川隆景居城
洞雲寺 - 陶晴賢墓所
速谷神社
地御前神社
極楽寺山・極楽寺
アルカディアビレッジ
佐伯地区
岩倉温泉
小瀬川温泉
吉和地区
もみのき森林公園、もみのき森林公園スキー場
女鹿平温泉女鹿平温泉めがひらスキー場
クヴェーレ吉和
ウッドワン美術館
潮原温泉
宮島地区
日本三景「安芸の宮島」
元来は、弥山の山頂から望む多島海の景観が「日本三景」。
厳島神社および弥山原生林(世界遺産
宮島水族館
大聖院
大野地区
妹背(いもせ)の滝
おおの自然観察の森
ちゅーピーパーク中国新聞社広島工場。旧チチヤスハイパーク
宮浜温泉
宮島競艇場

百選[編集]

廿日市市を舞台・モデルとする作品[編集]

文学[編集]

  • 平家物語」 - 巻第四に「厳島御幸」段があるほか、平家が厚く信奉した厳嶋大明神(厳島神社)に関する場面は全編に現れる。鎌倉時代成立。
  • 廃墟から」(原民喜) - 有名な「夏の花」に続く、原民喜の「原爆三部作」の一つ。原爆で被災した「私」は、廿日市町の長兄のもとに身を寄せる。1945年(昭和20年)当時の廿日市ののどかな風景が、広島市内の悲惨な描写と対照的に、象徴的に描かれている。

音楽[編集]

  • 「宮島街道」 -作詞・おきせてる美 作曲・歌 坪北紗綾香 編曲・加藤健一 (2010年)
  • 「桜と空に折り鶴を~はつかいち平和の歌~」 -作詞・作曲 植広佳巳 歌 四季が丘小学校合唱団&ムジークシュトラーセン (2012年)
  • 「明日へ羽ばたけ はつかいち ~ はつかいち音頭~」 -作詞・三宅立美 作曲・田中一夫 歌・北川ひろし (2013年)

廿日市市出身の人物[編集]

政財界・法曹界[編集]

学術・文化・芸術界[編集]

音楽・芸能界・アナウンサー[編集]

スポーツ[編集]

廿日市市にゆかりのある人物[編集]

特産物・名物[編集]

廿日市地区
けん玉カキ醤油コイ
吉和地区
わさびあわび茸
宮島地区
もみじ饅頭しゃもじ宮島細工

姉妹都市・提携都市[編集]

姉妹都市(海外)[編集]

観光友好提携都市[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]