田中慶秋
|
たなか けいしゅう
|
|
|---|---|
| 生年月日 | 1938年3月6日(75歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 東海大学工学部卒業 |
| 前職 | 小糸工業従業員 |
| 所属政党 | (民社党→) (新進党→) (新党友愛→) 民主党 |
| 称号 | 工学士(東海大学・1961年) |
| 親族 | 曽我部久美子(義妹) |
| 公式サイト | 闘い続ける。衆議院議員・田中けいしゅうホームページ |
|
|
|
| 内閣 | 野田第3次改造内閣 |
| 任期 | 2012年10月1日 - 2012年10月23日 |
|
|
|
| 選挙区 | (旧神奈川県第4区→) 神奈川県第5区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 任期 | 1983年 - 1990年 1996年 - 2005年 2009年 - 2012年 |
|
|
|
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 1971年 - 1983年 |
田中 慶秋(たなか けいしゅう、1938年3月6日 ‐ )は、日本の政治家。政治活動時には田中 けいしゅう(たなか けいしゅう)と表記されることもある。
衆議院議員(6期)、民社協会会長、衆議院労働委員長、衆議院内閣委員長、衆議院経済産業委員長、民主党副代表、衆議院国家基本政策委員長、法務大臣(第91代)などを歴任した。
目次 |
来歴 [編集]
生い立ち [編集]
福島県双葉郡浪江町生まれ。東海大学工学部卒業。1961年、小糸工業に入社。労働組合活動にも参加し、ゼンキン同盟小糸工業支部委員長や書記長、横浜地区同盟副議長を務めた。
民社党 [編集]
1971年、神奈川県議会議員選挙に出馬し、初当選。神奈川県議を3期12年務めた後、1983年の第37回衆議院議員総選挙に民社党公認で旧神奈川県第4区(定数4)から出馬し、当選。
1986年の第38回衆議院議員総選挙でも再選するが、1990年の第39回衆議院議員総選挙では、リクルート事件への関与が取り沙汰され、落選。1993年の第40回衆議院議員総選挙に再起を期して出馬するが、新党ブームの煽りを受けて新党さきがけ、新生党の候補者が高い得票数で当選する一方、民社党公認の田中は非自民でありながら再び落選した。
新進党から新党友愛へ [編集]
1994年、民社党の解党により新進党の結成に参加。1996年の第41回衆議院議員総選挙では小選挙区比例代表並立制の導入に伴い神奈川県第5区から出馬し、6年ぶりに返り咲きを果たした。1997年、新進党解党に伴い翌年の新党友愛結党に参加。1998年、民主党に入党する。
民主党 [編集]
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、自由民主党の坂井学に敗れ、比例復活もならず落選した。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、神奈川5区で坂井に比例復活すら許さぬ大差で6回目の当選を果たす。同年、衆議院内閣委員長に就任。2010年、衆議院経済産業委員長に就任。
2011年の民主党代表選挙において、田中自身は前原誠司への支持を示唆するも、田中が所属する川端グループ(民社協会)内では支持候補を一本化できなかったため、自主投票を決定した。9月、民主党副代表、衆議院国家基本政策委員長に就任。2012年10月、野田第3次改造内閣で法務大臣に任命され、初入閣を果たした[1]。なお、国務大臣としての所管事項として「北朝鮮による拉致問題の早期解決を図るため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[1]を担当することになった。
2012年10月23日、下段記載の外国人実業家からの政治献金問題及び暴力団との交際問題を巡り、与野党からの批判を受けたことなどから就任から3週間で法務大臣を辞職した[2]。なお、田中は大臣辞職の理由を「体調不良のため」としている[2]。小平忠正国家公安委員会委員長が1日のみ臨時代理を務め[3]、10月24日に田中の前任法務大臣だった滝実が再登板することとなった[4]。2012年12月16日執行の第46回衆議院議員総選挙で落選。
人物 [編集]
政治活動の際には、本名の「田中慶秋」ではなく、名を平仮名に開いた「田中けいしゅう」名義を用いることが多い。野田第3次改造内閣にて入閣した際にも、『官報』には本名と政治活動時の名義を併記し「田中慶秋(田中けいしゅう)」[1]と掲載された。
東海大学在学中は柔道部に所属し、初代主将を務めた[5]。東海大学評議員、同窓会副会長、柔道部OB会会長を務めている。また、東海大学電気工学会の会長を務めている[6]。旧民社党出身の議員で構成される民社協会会長を務めている。静岡空港建設に際しては、建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わった。[7]
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で落選時、テレビ朝日系列「スーパーJチャンネル」のインタビューでは、「4年の任期があってですね、もう3年なり2年経つとですね『辞めろ辞めろ』とかこういう事自体は、やはりこの国がまだまだ民度が低い、、民主主義が低いんじゃないかなと」と発言した。[8]
不祥事 [編集]
サニークリニック事件 [編集]
2008年12月、旧厚生省OBで美容外科医師の菅谷良男が、診療報酬の不正請求を行った詐欺の疑いで逮捕・起訴され、懲役1年8月の有罪が確定した事件(後に医師免許取り消し)。両者の関係は2001年に交通事故に遭った田中が、菅谷が経営する「菅谷クリニック(当時)」で整形手術を受けたことに始まる。その際、健康保険診療の対象外である美容的手術であったにもかかわらず、菅谷は健康保険が適用される「瘢痕拘縮」の施術を2ヶ所行った名目で診療報酬を請求。疑義を持った保険組合から問い合わせを受けた田中も、菅谷の請求の通りに治療を受けたと申告したため、診療報酬は菅谷クリニックに全額支給された。これらの経緯は週刊誌などの報道で明るみに出たもので、手口は後の起訴事実と全く同じであるが、立件には至らなかった。また後には、菅谷が教祖を務めた宗教法人「宇宙教団錦教会」の発起人に名を連ねていたことも判明した。この教団倉庫には起訴直前に家宅捜索が入り、隠匿されていた1万件を超えるカルテが押収されている。神奈川県警捜査関係者によれば『田中と菅谷は昵懇の関係にあった』という[9]。さらに田中が代表を務める民主党神奈川県第5区総支部も2005年12月に菅谷が代表を務める医療法人社団「天道会」から104万円の献金を受けていた。田中は「(サニークリニック事件に関する)テレビ報道があって3年ほど前に返金した」と釈明した。[10][11]
政治資金規正法違反 [編集]
政治資金規正法では、外国人が過半数の株式を所有する会社からの献金を原則禁止しているが、2006年から2009年まで、横浜中華街の台湾人飲食店経営者の会社から計42万円の企業献金を受けていたことが入閣直後発覚した。マスコミからの指摘を受け事務所側が確認したところ、同法違反にあたることが判明したとして、2012年10月3日に全額返金した。処分は受けていない。[12]
暴力団関係者との交際 [編集]
法相に就任した直後、田中が、2012年当時約三十年前に暴力団関係者と過去に交際していた事実が発覚。これに関して、田中は「交際はいずれも事後に暴力団関係者だとわかった」と10月12日の記者会見で釈明し、当初は辞任しないと表明していたものの体調不良を訴え入院。19日には辞任の意向を固めたことが報じられ[13]、10月23日に辞職した。[2]
所属団体・議員連盟 [編集]
- 海事振興連盟(副会長兼事務総長)
- 脳卒中対策推進議員連盟(会長)
- サマータイム制度推進議員連盟
- 民主党歯科医療議員連盟(顧問)
- 日本チェコスラヴ友好議員連盟(会長)
脚注 [編集]
- ^ a b c 「人事異動」『官報』号外特29号、国立印刷局、2012年10月1日、1面。
- ^ a b c 田中法相が辞任 野田首相、臨時国会前に事実上の更迭に踏み切る 産経新聞 2012年10月23日閲覧
- ^ 野田首相、後任法相の人選急ぐ=田中氏辞任「任命責任ある」 ロイター・ジャパン 2012年10月23日閲覧
- ^ 滝氏が法相に再任 失点回避狙い首相が判断 産経新聞 2012年10月24日閲覧
- ^ 2012年10月2日付 朝日新聞朝刊7ページ
- ^ 「東海大学電気工学会役員」『東海大学電気工学会』東海大学電気工学会Webサイト運営管理委員会。
- ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会
- ^ 前代未聞の悪夢の落選劇 田中慶秋氏の捨て台詞
- ^ MSN産経ニュース 田中法相の「黒い交際」“身体検査”で官邸は把握していた!? 2012.10.13 18:00
- ^ MSN産経ニュース 診療報酬詐取の菅谷容疑者、民主・田中慶秋前衆院議員の総支部に献金 2008.12.1 22:42
- ^ 産経新聞 2008年12月2日 27面
- ^ 朝日新聞2012年10月4日
- ^ 田中法相辞任の意向、野田首相、事実上の更迭に踏み切る(MSN産経、2012/10/20閲覧)
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 衆議院議員 田中慶秋ホームページ(公式サイト)
- 民主党神奈川県連メインページ
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 滝実 |
第91代:2012年 |
次代: 滝実 |
| 議会 | ||
| 先代: 樽床伸二 |
第13代:2011年 -2012年 |
次代: 古賀一成 |
| 先代: 東祥三 |
2010年 - 2011年 |
次代: 吉田治 |
| 先代: 渡辺具能 |
2009年 - 2010年 |
次代: 荒井聰 |
| 先代: 玉置一弥 |
1998年 |
次代: 岩田順介 |
|
||||||||||||||