小野寺五典
| 生年月日 | 1960年5月5日(51歳) |
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| 出身地 | |
| 出身校 | 東京水産大学水産学部海洋環境工学科 東京大学大学院法学政治学研究科修士課程 |
| 前職 | 地方公務員(宮城県) 東北福祉大学助教授 |
| 所属委員会 | 外務委員会(理事) 災害対策特別委員会 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | 宮城6区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 所属党派 | 自由民主党(古賀派) |
| 党役職 | 宮城県支部連合会会長 宮城県第6選挙区支部長 外交部会会長代理 水産部会副部会長 |
| 会館部屋番号 | 衆議院第2議員会館432号室 |
| ウェブサイト | 小野寺 五典 公式ホームページ |
小野寺 五典(おのでら いつのり、1960年5月5日 - )は日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。自由民主党宮城県連会長、自由民主党シャドウ・キャビネット影の外務大臣。
外務大臣政務官(第3次小泉内閣)、外務副大臣(安倍改造内閣・福田康夫内閣)を歴任した。
目次 |
[編集] 来歴
宮城県気仙沼市生まれ。宮城県気仙沼高等学校、東京水産大学水産学部海洋環境工学科(現在の東京海洋大学海洋科学部)卒業。大学卒業後の1983年(昭和58年)には宮城県に就職、水産資源の研究に携わった。宮城県職員としての初任地は同県志津川町(現在の南三陸町)であり、同地には5年間勤務した[1]。1990年(平成2年)に退職し松下政経塾に入塾(11期生)。
1993年(平成5年)に東京大学大学院法学政治学研究科修士課程を修了、その後は東北福祉大学専任講師を経て1996年には同助教授に就任。
[編集] 衆議院議員初当選~辞職
1997年(平成9年)、衆議院宮城県第6区で菊池福治郎の公職選挙法違反による辞任を受けて補欠選挙が行われ、小野寺は自由民主党公認で立候補して当選したが、選挙区内の有権者に線香セットを配ったことが公職選挙法が禁止する「寄付行為」に当たるとして、仙台地方検察庁に書類送検され、2000年(平成12年)に議員辞職した(小野寺の辞職により、宮城県第6区では衆議院史上初の“補選の補選”が行われることとなった)。
記者会見で小野寺は、「不勉強ゆえの軽率な行動を反省している」と述べ、新聞社の取材に対しても、「(線香セットを配るのが違法になるとは)知らなかったが、『知らない』では済まされない」と述べた(朝日新聞[いつ?])。本件で小野寺は略式命令による罰金40万円の有罪判決を受け、公民権が3年間停止された。
議員辞職後、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所客員研究員を経て、学校法人増子学園(東北福祉情報専門学校)理事長、及び東北福祉大学特任講師に就任した。この間に、東北放送ラジオの番組にコメンテーターとして出演していたことがある。
[編集] 衆議院議員復帰後
公民権停止が解除された2003年(平成15年)、第43回衆議院議員総選挙において自由民主党の公認を受けて宮城6区から再び立候補して当選、衆議院議員に復帰した。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、対立候補・菅野哲雄 (社民党)を破って3度目の当選(この選挙では、菅野も比例復活当選)、組閣された第3次小泉内閣において外務大臣政務官に就任した。2007年7月に組閣された安倍改造内閣において外務副大臣、同9月に福田康夫内閣に代わった後にも同職に再任された。同年10月8日にイランで発生した邦人誘拐事件においては、外務省緊急対策本部長を務めた。
2009年(平成21年)に実施された 第45回衆議院議員総選挙では、菅野哲雄を5万票以上の大差で破り、菅野の比例復活も阻止した。一方、所属政党の自由民主党はこの選挙で大敗、小野寺は宮城県内6つの小選挙区において唯一の自由民主党衆議院議員となった。再選後、自民党宮城県連の会長に就任した。
同年に行われた2009年自由民主党総裁選挙では一時立候補に向けた準備を行ったものの[2]、最終的には立候補を断念した[3]。この総裁選挙で小野寺は、「党再生のためには中堅・若手が存在感を示し、古い体制を壊して創り直すべき」として、自身が所属する党内派閥・古賀派の谷垣禎一ではなく、麻生派の河野太郎に投票している。翌年10月に設置された自由民主党シャドウ・キャビネットでは、「影の外務大臣」に就任。
2010年(平成22年)に発生した尖閣諸島問題では、グーグルマップにおいて尖閣諸島の魚釣島について中国側呼称(釣魚群島、釣魚島)が併記され、あたかも中国とのあいだに領有権問題が存在するかの如くになっていることを指摘、Googleの日本法人を訪れて[4]中国側表記の削除を要求した[5][6]。
2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災では、気仙沼市をはじめとする地元選挙区も津波被害を受け、小野寺の実家や自宅も全壊した。
[編集] 人物
- 「五典」という名前は、5月5日の午前5時に生まれたこと、実父の名前に「典」がついていたことに由来する。
- 気仙沼市長を務めた小野寺信雄は岳父。
- 衆議院選挙の第一声は、いつも大崎市岩出山地区(かつての岩出山町)の中心部で行っている。これは、仙台市の県選管から七つ道具が届くのが最も近い場所だからである。
- 2008年12月5日の衆議院予算委員会で、民主党・仙谷由人の質問中に野次を飛ばし、仙谷から「お前、君も品性下劣だなぁ、小野寺君」と批判された。また別の民主党議員からは、質問者席の後ろで野村克也のようなぼやきを発すると指摘された。ただ本人はテレビ番組[要出典]で、当選1回でも質疑に立てる民主党議員がうらやましいと語った。
- 脱政党を掲げ、反自民の立場だった元宮城県知事浅野史郎からも、自民党国会議員の中でただ1人、当選直後に駆けつけてもらい祝福を受けたことがある。マラソンが得意な浅野に小野寺が大会で何度か勝負を挑み、勝利したこともある。
- 永住外国人の地方参政権に反対[7]
- 中国大使館都内一等地買収問題について、中国政府と菅内閣の対応は相互主義ではないと批判している[8]。
[編集] 所属団体・議員連盟
[編集] 著書
- 「一票の値段-有権者の権利が危ない! 棄権しても政治のツケは払わされる-」三天書房、1996年2月、ISBN 4883460029
[編集] 脚注
- ^ 青山繁晴が緊急取材 東日本大震災の今 『たかじんNOマネー』(テレビ大阪) 2011年4月30日放送
- ^ [1] 『河北新報』2009年9月17日[リンク切れ]
- ^ 断念の背景として小野寺は、「推薦人の壁で中堅、若手の3人(小野寺、河野太郎、西村康稔)とも立候補できない可能性もある。新しい自民党をつくるため一歩下がることを決意した」とした (『河北新報』 平成21年9月18日)
- ^ 2010年10月14日参議院予算委員会 山本一太の質問
- ^ 自民党、グーグルに尖閣の中国名削除を申し入れ[リンク切れ]
- ^ 本件については、当時の前原誠司外務大臣も小野寺による抗議の翌日、平成22年10月14日の参議院予算委員会における山本一太の質問に対し、「全く正当な行動」と応答してグーグルに申し入れる考えを示している(【予算委】尖閣で中国名併記のグーグルマップ 外相が削除申し入れへ 『産経新聞』 2010年10月14日
- ^ 2009年衆院選挙時朝日新聞アンケート回答
- ^ 櫻井よしこ (2011年5月28日). “「相互主義が成り立たない中国に国土を買われるままにしておくのか」”. 『週刊新潮』 2011年5月28日号. 櫻井よしこ. 2011年6月閲覧。
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
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| 先代: 岩屋毅 浅野勝人 |
木村仁と共同 2007 - 2008 |
次代: 伊藤信太郎 山本一太 |
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