小野寺五典
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おのでら いつのり
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| 生年月日 | 1960年5月5日(53歳) |
| 出生地 | 宮城県気仙沼市 |
| 出身校 | 東京水産大学水産学部海洋環境工学科 東京大学大学院法学政治学研究科修士課程 |
| 前職 | 地方公務員(宮城県) 東北福祉大学助教授 |
| 所属政党 | 自由民主党(岸田派) |
| 称号 | 法学士 |
| 公式サイト | 小野寺 五典 公式ホームページ |
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| 内閣 | 第2次安倍内閣 |
| 任期 | 2012年12月26日 - |
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| 選挙区 | 宮城6区 |
| 当選回数 | 5回 |
| 任期 | 1997年12月 - 2000年1月 2003年11月10日 - 現職 |
小野寺 五典(おのでら いつのり、1960年5月5日 - )は日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、防衛大臣(第12代)、自由民主党宮城県連会長。
外務大臣政務官(第3次小泉内閣)、外務副大臣(安倍改造内閣・福田康夫内閣)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長等を歴任した。
目次 |
来歴 [編集]
宮城県気仙沼市生まれ。「五典」という名前は、5月5日の午前5時に生まれたこと、実父の名前に「典」がついていたことに由来する。気仙沼市長を務めた小野寺信雄は岳父。宮城県気仙沼高等学校、東京水産大学水産学部海洋環境工学科(現在の東京海洋大学海洋科学部)卒業。大学卒業後の1983年(昭和58年)には宮城県に就職、水産資源の研究に携わった。1990年(平成2年)に退職し、松下政経塾に入塾(11期生)。
1993年(平成5年)に東京大学大学院法学政治学研究科修士課程を修了、その後は東北福祉大学専任講師を経て1996年には同助教授に就任。
1997年(平成9年)、衆議院宮城県第6区で菊池福治郎の公職選挙法違反による辞任を受けて補欠選挙が行われ、小野寺は自由民主党公認で立候補して当選したが、選挙区内の有権者に線香セットを配ったことが公職選挙法が禁止する「寄付行為」に当たるとして、仙台地方検察庁に書類送検され、2000年(平成12年)に議員辞職した(小野寺の辞職により、宮城県第6区では衆議院史上初の“補選の補選”が行われることとなった)。記者会見で小野寺は、「不勉強ゆえの軽率な行動を反省している」と述べている。本件で小野寺は略式命令による罰金40万円の有罪判決を受け、公民権が3年間停止された。
議員辞職後、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所客員研究員を経て、学校法人増子学園(東北福祉情報専門学校)理事長、及び東北福祉大学特任講師に就任した。この間に、東北放送ラジオの番組にコメンテーターとして出演していたことがある。
公民権停止が解除された2003年(平成15年)、第43回衆議院議員総選挙において自由民主党の公認を受けて宮城6区から再び立候補して当選、衆議院議員に復帰した。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、社会民主党公認の菅野哲雄を宮城6区で破り、 3度目の当選(菅野も比例復活当選)。選挙後に組閣された第3次小泉内閣において外務大臣政務官に就任。2007年7月、安倍改造内閣において外務副大臣に任命され、同年9月発足の福田康夫内閣でも再任された。同年10月8日にイランで発生した邦人誘拐事件においては、外務省緊急対策本部長を務めた。
2009年(平成21年)に実施された 第45回衆議院議員総選挙では、菅野哲雄を5万票以上の大差で破り、菅野の比例復活も阻止した。一方、所属政党の自由民主党はこの選挙で大敗、小野寺は宮城県内6つの小選挙区において唯一の自由民主党衆議院議員となった。再選後、自民党宮城県連の会長に就任した。
同年に行われた2009年自由民主党総裁選挙では一時立候補に向けた準備を行ったものの[1]、最終的には立候補を断念した[2]。この総裁選挙で小野寺は、「党再生のためには中堅・若手が存在感を示し、古い体制を壊して創り直すべき」として、自身が所属する党内派閥・古賀派の谷垣禎一ではなく、麻生派の河野太郎に投票している。翌年10月に設置された自由民主党シャドウ・キャビネットでは、「影の外務大臣」に就任。
2010年(平成22年)に発生した尖閣諸島問題では、グーグルマップにおいて尖閣諸島の魚釣島について中国側呼称(釣魚群島、釣魚島)が併記され、あたかも中国とのあいだに領有権問題が存在するかの如くになっていると主張。Googleの日本法人を訪れて[3]中国側表記の削除を要求した[4][5]。
2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災では、気仙沼市をはじめとする地元選挙区も津波被害を受け、小野寺の実家や自宅も全壊した。
2012年、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長に就任。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、宮城6区で5選。選挙後に発足した第2次安倍内閣で防衛大臣に任命され、初入閣した。
政策・主張 [編集]
所属団体・議員連盟 [編集]
著書 [編集]
- 「一票の値段-有権者の権利が危ない! 棄権しても政治のツケは払わされる-」三天書房、1996年2月、ISBN 4883460029
論文 [編集]
脚注 [編集]
- ^ [1] 『河北新報』2009年9月17日[リンク切れ]
- ^ 断念の背景として小野寺は、「推薦人の壁で中堅、若手の3人(小野寺、河野太郎、西村康稔)とも立候補できない可能性もある。新しい自民党をつくるため一歩下がることを決意した」とした (『河北新報』 平成21年9月18日)
- ^ 2010年10月14日参議院予算委員会 山本一太の質問
- ^ 自民党、グーグルに尖閣の中国名削除を申し入れ[リンク切れ]
- ^ 本件については、当時の前原誠司外務大臣も小野寺による抗議の翌日、平成22年10月14日の参議院予算委員会における山本一太の質問に対し、「全く正当な行動」と応答してグーグルに申し入れる考えを示している(【予算委】尖閣で中国名併記のグーグルマップ 外相が削除申し入れへ 『産経新聞』 2010年10月14日
- ^ a b c “2012衆院選 宮城6区 小野寺五典”. 毎日jp (毎日新聞社) 2013年1月18日閲覧。
外部リンク [編集]
| 官職 | ||
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| 先代: 森本敏 |
第12代:2012 - |
次代: 現職 |
| 先代: 岩屋毅 浅野勝人 |
木村仁と共同 2007 - 2008 |
次代: 伊藤信太郎 山本一太 |
| 先代: 松宮勲・荒井正吾・田中和徳 |
福島啓史郎・河井克行と共同 2004 - 2005 |
次代: 山中あき子・伊藤信太郎・遠山清彦 |
| 議会 | ||
| 先代: 福井照 |
2012 |
次代: 荒井聰 |
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