中野正志
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なかの まさし
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| 生年月日 | 1948年2月29日(63歳) |
| 出生地 | 宮城県塩竈市 |
| 出身校 | 東北学院大学 |
| 前職 | 宮城県議会議員 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 称号 | 法学士 |
| 公式サイト | 中野まさしHomePage |
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| 選挙区 | 比例東北ブロック(宮城県第2区) |
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 1996年 - 2000年 2003年 - 2009年 |
| 議員会館 | 衆・第1議員会館337号室 |
中野 正志(なかの まさし、1948年2月29日 - )は、日本の政治家。前衆議院議員。自由民主党所属。
目次 |
[編集] 生い立ち
宮城県塩竈市生まれ。父親は消防士であった[1]。東北学院中学校・高等学校を経て、東北学院大学法学部卒業[1]。中学校、高校時代には土木作業のアルバイトに励んだが、弁論を得意とし、大学1年生時には学内の弁論大会で優勝した[1]。
[編集] 職歴
大学卒業後には、約15年間に渡って国会議員秘書を務めた[1]。三塚博の秘書となる。
[編集] 宮城県議会議員
1983年(昭和58年)、宮城県議会議員に当選。以後、3期務める。2期目途中の1989年(平成元年)には無所属で参議院議員選挙に立候補したが、落選した。
[編集] 衆議院議員
1996年(平成8年)10月の第41回衆議院議員総選挙で衆議院議員に宮城2区から自民党公認で立候補し当選。しかし、2000年(平成12年)6月の第42回衆議院議員総選挙で同じく無所属候補として参院宮城で敗北した民主党新人鎌田さゆりに敗れ落選。
2003年(平成15年)、第43回衆議院議員総選挙では小選挙区では敗れたが、比例東北ブロックで復活当選し、返り咲きを果たす。翌年12月、鎌田さゆりが公職選挙法違反事件で連座制のため、議員辞職。2005年(平成17年)4月に行われた衆議院補欠選挙に立候補することも検討したが、断念。自民党宮城県議会議員の秋葉賢也の当選に尽力する。同年9月の第44回衆議院議員総選挙では自民党の比例東北ブロックに回り、名簿順位2位に登載、3選を果たした。2007年(平成19年)、安倍内閣改造内閣の経済産業副大臣に就任。
[編集] その後
2009年(平成21年)8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に自由民主党から出馬。公明党の推薦も受けた[2]が、落選した。2010年(平成22年)、第22回参議院議員通常選挙に比例代表区自由民主党候補として立候補したが落選した。
[編集] 政見
- 永住外国人の地方参政権:どちらとも言えない[3]
[編集] 主な所属議員連盟
[編集] 人物
自民党パチンコ議連に所属し、パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザーを務めるなど、パチンコ業界と関係を築いている。2006年(平成18年)5月21日の統一教会の集団結婚式(天宙平和連合祖国郷土還元日本大会)に来賓として出席した。
[編集] 家族
妻・田鶴子とのあいだに、1男2女がある[1]。
[編集] 脚注
- ^ a b c d e 中野まさしプロフィール 中野まさし公式ウェブサイト、2010年5月27日閲覧
- ^ 衆院選小選挙区 自民128人推薦 2009年8月7日公明新聞
- ^ 2009年衆院選時 朝日新聞アンケート回答
[編集] 関連項目
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 山本幸三 渡辺博道 |
新藤義孝と共同 2007 - 2008 |
次代: 高市早苗 吉川貴盛 |