ジェームズ・マティス
| ジェームズ・マティス James Mattis |
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ジェームズ・マティス大将(2010年撮影)
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| 生誕 | ワシントン州 プルマン |
| 所属組織 | |
| 軍歴 | 1972 - |
| 最終階級 | |
ジェームズ・N・マティス(James N. Mattis)は、アメリカ海兵隊の軍人。現在の階級は大将。NATO変革連合軍最高司令官、アメリカ統合戦力軍(USJFCOM)司令官などの職を経て、現在はアメリカ中央軍(CENTCOM)司令官を務める。
通称は「カオス」、「戦う修道士」、「狂犬マティス」[1]。
目次 |
概要 [編集]
2007年から2009年まで、アメリカ統合戦力軍(USJFCOM)、およびNATO改革連合軍の司令官を兼務していた。その後、2010年8月11日をもってデヴィッド・ペトレイアスに代わりアメリカ中央軍の司令官となった。2007年以前は、第1海兵遠征旅団、アメリカ中央軍海兵隊、イラク戦争での第1海兵師団等の司令官を歴任していた[2]。
来歴 [編集]
佐官昇進まで [編集]
1950年9月8日、ワシントン州プルマンに生まれる。セントラル・ワシントン大学を卒業後[3]、1972年1月1日付で海兵隊に少尉として任官した[4]。
その後中尉に昇任し、第3海兵師団のライフル小隊と武器小隊の指揮に、大尉に昇任後は第1海兵大隊(第1海兵師団・第7海兵連隊隷下)でライフル中隊と武器中隊の指揮にそれぞれあたった。
佐官時代 [編集]
少佐に昇任したマティスは、オレゴン州ポートランドにある新兵募集基地で新兵募集任務に従事した。中佐に昇任したのちは、大尉時代に隷下中隊に属していた経験のある第7海兵連隊・第1海兵大隊の指揮官(大隊長)となる。湾岸戦争において、同大隊は「砂漠の盾作戦」決行にあたって組織されたタスクフォースの1つ、「リッパー」(Task Force Ripper[5])の構成部隊の1つとなり[6]、マティスも大隊長の1人としてタスクフォース・リッパーの指揮に関わった。
その後大佐に昇任、第7海兵連隊の指揮官(連隊長)となった。
准将昇任後 [編集]
准将に昇任したマティスは、南アフガンで展開中の「不朽の自由作戦」において、第1海兵遠征旅団と海軍隷下のタスクフォース58号を指揮する。同作戦で、マティスは海兵隊員としては初めて海軍のタスクフォースを指揮した人物となった[7]。少将へ昇任後は、2003年のイラク侵攻では第1海兵師団(海兵隊から参加した第1海兵遠征軍の主力地上部隊)を率い、それに続くイラク戦争でも変わらず指揮をとった。2004年4月のファルージャでの戦闘(ヴィジラント・リゾルヴ作戦[8])では、市内の暴徒たちの指導者との交渉で重要な役割を担う。またマティスは、11月の作戦(ファントム・フューリー作戦[9])の立案でも大きな役割を果たしている。
その後は中将へと昇進し、マティスは海兵隊戦闘開発コマンドの指揮をとることになった。そして2005年2月1日、彼はサンディエゴの討論会で次のような発言をする。
- アフガニスタンへ行けば、ヴェールをつけていないからと5年間も女性たちを殴りつけてきた連中がいる。男の風上にもおけない奴らでしょう?そういう人間を的にするのは死ぬほど愉快でしたね。実際、戦うというのはとにかく楽しいものです。いや、面白すぎるといってもいい。誰かを銃の的にするというのは楽しい。はっきり言えば、私は喧嘩が好きなんだな。
アドリブによるマティスのこの発言は波紋を呼んだ。海兵隊の当時のトップであるマイケル・ヘギー大将(海兵隊総司令官)もこのスピーチを問題視したものの、マティスは言葉をもっと慎むべきであるが、懲戒処分には当たらないとした[10]。従軍している兵士の多くが市民を虐待していると仲間に告げていたことを示すアメリカ国防総省の調査を受けて、マティスは2007年の5月に「市民に腹がたったりむかつくようなときこそ、アルカイダやその他の反乱分子への勝利だ」と海兵隊員たちに語った。暴徒を抑えるためには戦場での休息こそが鍵になるという考えに対しては、「イラク市民を揺さぶるたびに、アルカイダも墓場に転がっていく」と答えた[11]。
大将としてのマティスは「友よりましな敵はなし」(もとはローマ人スッラの言葉)というスローガンを指針として浸透させた。この言葉は、彼のもとで小隊を指揮していたイラリオ・パンターノ少尉(自己防衛だとして非武装のイラク人を射殺した行為などが問題となった)の査問中にたいへん有名になった[12][13][14][15][16][17][18]。
2010年7月、マティスは国際治安支援部隊(ISAF)司令官兼アフガニスタン駐留アメリカ軍(USFOR-A)司令官に転出することになったデヴィッド・ペトレイアス陸軍大将の後任として、ロバート・ゲーツ国防長官の推薦により、バラク・オバマ大統領よりアメリカ中央軍(CENTCOM)司令官に指名された。正式な指名は7月21日付で発令された[19]。本人事は、きわめて緊急性が高い人事だったこともあり速やかに上院軍事委員会による承認プロセスがとられ、8月5日に上院軍事委員会において承認に向けた公聴会が開催された[20]。本人事は、上院軍事委員会およびその後の上院本会議での採決でも無事に承認を得て、マティスはペトレイアスの後任として8月11日付で正式に中央軍司令官に就任した[21]。これにより、2011年7月にアレン中将が大将昇任・補職に伴って退任するまでの1年近くにわたり、同じ統合軍の正副司令官ポストを共に海兵隊出身の将官が務めるという状況が生まれた。このように、同じ統合軍の正副司令官ポストを共に海兵隊出身の将官が占めるということは、史上初めてのことであった[22]。
脚注 [編集]
- ^ Boot, Max (2006年3月). “The Corps should look to its small-wars past”. Armed Forces Journal. 2007年6月12日閲覧。
- ^ Garamone, Jim (2010年8月11日). “Gates: Mattis brings experience, continuity to Central Command”. American Forces Press Service. Headquarters Marine Corps. 2010年8月18日閲覧。
- ^ United States Joint Forces Command Website
- ^ Reynolds Basrah, Baghdad and Beyond, p. 4.
- ^ 「砂漠の盾作戦」決行にあたっては、「リッパー」以外にも「パパ・ベア」(Task Force Papa Bear)、「タロー」(Task Force Taro)、「グリズリー」(Task Force Grizzly)の各タスクフォースが、いずれも海兵隊の部隊によって組織されている。
- ^ この他にも、第5海兵連隊・第1海兵大隊などの部隊が「リッパー」を構成していた。
- ^ Reynolds Basrah, Baghdad and Beyond, p. 5.
- ^ 日本語に直訳すれば、「油断無き解決」「隙無き解決」などと訳しうる。
- ^ 日本語に直訳すれば「幻の怒り作戦」「幽し怒り作戦」「幽霊の怒り」「幽き者の怒り」などと訳しうる。この「ファントム・フューリー」という作戦名は、米軍側が命名したものであるが、のちにイラク側からの要請で、アラビア語で「夜明け」「暁」を意味する「アル・ファジル」(Al-Fajr)作戦に名称が改められた。
- ^ Guardiano, John R. (2005年2月11日). “Breaking the Warrior Code”. The American Spectator. 2005年2月11日閲覧。
- ^ “General Urges Marines To Add A Friendly Wave To Their Arsenal,” Los Angeles Times, 17 May 2007.
- ^ “Top 10 Stories of 2005: Pantano, roads, Olchowski are 10-7”. Star News Online. (2005年12月28日) 2007年1月24日閲覧。
- ^ Quinn-Judge, Paul (2005年2月28日). “Did He Go Too Far?”. TIME 2007年1月24日閲覧。
- ^ Phillips, Stone (2005年4月26日). “Marine charged with murders of Iraqis: Lieutenant claims self-defense in shooting of detainees”. MSNBC 2007年1月24日閲覧。
- ^ Jeff Schogol (2005年11月16日). “Marine acquitted in Iraqi shootings will publish a book”. Stars and Stripes 2007年1月24日閲覧。
- ^ Walker, Mark (2006年7月1日). “Pantano case has parallels to Hamdania incident”. North County Times 2007年1月24日閲覧。
- ^ Phillips, Phillips (2006年6月14日). “Sending A Message”. 2007年1月24日閲覧。
- ^ Charen, Mona (2005年2月25日). “Is the Marine Corps P.C.?”. townhall.com. 2007年1月24日閲覧。
- ^ “Obama backs Mattis nomination for CENTCOM”. Marine Corps Times (2010年7月22日). 2010年7月23日閲覧。
- ^ “Petraeus' replacement at Central Command confirmed”. Associated Press. The Fayetteville Observer (2010年8月6日). 2010年8月6日閲覧。
- ^ 実際には、ペトレイアス大将がマティスの着任よりも早く司令官を退任しており、司令官臨時代理を務めていたジョン・アレン中将(当時CENTCOM副司令官、のち大将に昇任しISAF司令官兼USFOR-A司令官)との交替という形であった。
- ^ 現在では、そもそも統合軍の正副司令官には違う軍種の将官が充てられることがほとんどである。(例えば太平洋軍であれば、司令官は代々海軍出身者が充てられており、副司令官には2013年2月現在では海兵隊出身者が就いている。)
| 軍職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ジェイムズ・コンウェイ |
第1海兵遠征軍司令官 2004 - 2007 |
次代: ジョン・サットラー |
| 先代: ランス・L・スミス |
北大西洋条約機構変革連合軍最高司令官 2007年11月9日 - 2009年9月9日 |
次代: ステファン・アブリアル |
| 先代: ランス・L・スミス |
アメリカ統合戦力軍司令官 2007年11月9日 - 2010年8月11日 |
次代: キース・M・フーバー(臨時代理) |
| 先代: ジョン・R・アレン(臨時代理) |
アメリカ中央軍司令官 2010年8月11日 - |
次代: 現職 |