福山哲郎

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日本の旗 日本の政治家
福山 哲郎
ふくやま てつろう
Tetsuro Fukuyama cropped 1 Members of the Global Legislators Organization for a Balanced Environment Edward Davey and Tim Hitchens 20130530.jpg
2013年5月30日
地球環境国際議員連盟のシンポジウムにて
生年月日 1962年1月19日(52歳)
出身校 同志社大学法学部卒業
京都大学大学院
法学研究科修士課程修了
前職 大和證券従業員
所属政党 民主党
称号 修士(法学)(京都大学・1995年
公式サイト 福山哲郎 公式サイト

選挙区 京都府選挙区
当選回数 3回
任期 1998年7月26日 - 2004年7月25日
2004年7月26日 - 2010年7月25日
2010年7月26日 - 現職
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福山 哲郎(ふくやま てつろう、1962年1月19日 ‐ )は、日本政治家学位修士(法学)京都大学1995年)。参議院議員(3期)、学校法人龍谷大学理事、学校法人瓜生山学園理事。

参議院環境委員長、参議院内閣委員会理事、民主党政策調査会会長代理、外務副大臣内閣官房副長官などを歴任。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

東京都出身[1]京都府立嵯峨野高等学校同志社大学法学部卒業。大学卒業後、1986年大和証券に入社し、1990年退社。同年、松下政経塾に入塾(第11期生)。政経塾在籍中の1991年スリランカを訪れ、アリヤラトネの主催する社会運動・サルボダヤ運動に参加していた。1992年、松下政経塾の「地域から日本を変える運動」で、最初に設立された同塾の地域政経塾である京都政経塾の塾頭に就任。その後、東京政経塾塾頭、松下政経塾政策調査室長等を務める。1995年京都大学大学院法学研究科修士課程修了。

政治家として[編集]

2010年3月ハインリヒ・ベル財団ベルリン日独センター日本国際問題研究所の合同会議にて日本駐箚ドイツ特命全権大使フォルカー・シュタンツェル(左)、ハインリヒ・ベル財団ラルフ・フュックス(中央)と

1996年第41回衆議院議員総選挙旧民主党公認で京都1区から出馬したが、落選。なお当初は新党さきがけからの立候補を検討していたが、総選挙直前にさきがけ、社会民主党を離党した議員らで結成された旧民主党に参加した。1998年第18回参議院議員通常選挙京都府選挙区から無所属で出馬し、初当選。この選挙では、京都府選挙区で福山、西山登紀子日本共産党)が当選し、非自民系候補で2議席を独占した。当選後、民主党に入党し、3回連続当選。2005年、参議院環境委員長に就任。

2009年9月、鳩山由紀夫内閣外務副大臣に任命される。翌2010年6月、菅内閣内閣官房副長官に就任し、2011年の菅内閣総辞職まで務める。在任中は外交問題に疎い菅直人首相を補佐するため、菅が出席する国際会議にしばしば随行した。官房副長官退任後、参議院外交防衛委員長に就任。

2012年4月、民主党社会的包摂PT会長に就任。同年6月、一般社団法人 京都府身体障害者団体連合会会長に就任[2]

2012年12月、民主党「次の内閣」ネクスト経済再生・科学技術・宇宙政策・情報通信技術(IT)・海洋政策担当に就任。

2013年5月、学校法人龍谷大学理事、学校法人瓜生山学園理事に就任。

政策・主張[編集]

  • 民主党「地球温暖化対策本部」事務総長として「地球温暖化対策基本法案」を国会に提出する[3]など、環境政策に深く関わる。鳩山由紀夫内閣の成立後は、外務副大臣として鳩山イニシアチブを推進した。
  • 1999年8月、参院本会議国旗・国歌法の採決で反対票を投じた。
  • 2008年戦時性的強制被害者問題解決促進法案を参議院に提出[4]する際、提出者の1人に名前を連ねた。
  • 2009年9月22日、国連気候変動首脳会合における鳩山首相の演説文書を作成。この文書の起案から外務官僚を排除し「脱官僚」をアピールした[5][リンク切れ]
  • 2009年11月24日温室効果ガスの25%削減による家計への影響を検討してきた政府のタスクフォース(有識者会議)は、最小3万円、最大76万5千円の負担がかかるとの試算を報告した。これについて福山は、国民にネガティブなイメージを与えるとして非公開とするよう求めた。また、タスクフォース内での意見対立も深刻であったため新しいメンバーによる再試算を迫る小沢鋭仁環境大臣に対し「リシャッフル(再編)した方がいいと思う」と答えた[6]
  • 2010年3月12日文藝春秋2月号の「CO2 25%削減 『友愛』外交の敗北」と題された記事と、その後福山がライターの横田由美子に圧力をかけたとするブログ「ペコちゃんジャーナル」[7]により名誉を傷つけられたとして、1650万円の損害賠償と謝罪広告を求めて、文藝春秋と横田を東京地裁提訴した。横田と文藝春秋は法廷で「民主主義への挑戦」、「言論封殺」であると反論している。福山は、この記事について「環境部門で強硬な意見を持つものの影響を受けて、国民に対する配慮をせず、政府を取り仕切っているという印象を与えるが、虚偽だ」と主張をしている[8]。2011年10月12日、福山が圧力をかけた事実はなくブログの記載が名誉毀損に当たるとして、横田に33万円の賠償とブログの該当部分の削除を命じる一審判決が下った[7][9]。一方、「月刊文藝春秋」「WiLL」「週刊朝日」などの記事については朝日新聞が違法性がないと明記し、毎日新聞は記事の大部分について「政治家が批判を受けるのは当然」とされたと報じている[9]。2012年7月3日東京高裁にて、福山が謝罪広告を含めたすべての損害賠償要求を放棄する代わりに、プログの該当部分を削除する形で和解した。
  • 2013年6月DV防止法改正及びストーカー規制法改正に民主党の法案担当者として関わった[10]
  • 選択的夫婦別姓制度導入に賛成[11]

人物・エピソード[編集]

  • 甘い物好きであり、議員会館の部屋の冷蔵庫の中には常にアイスクリームを保管しているという。
  • 第45回衆議院議員総選挙前にニコニコ動画で開催された各党政策討論会について、視聴者の自由なコメントの書き込みを中止するよう要求したと角谷浩一が「徹底討論!ネット上での誹謗中傷を考える」で証言したが、2010年5月4日の「とりあえず生中(三杯目)」の中で誤解であったことを認めている。ニコニコ動画側では「ご出演いただいた番組は、そもそも政治関係の動画のコメントを自粛していた選挙期間中の番組であり、番組中のコメント自粛はニコニコ動画側の判断でした。特定の政党からの圧力も一切受けていません」としている。
  • その直後、2009年9月1日の番組[12]では「結果をあわてないでほしい」「アメリカの大統領も交代してから100日は『ハネムーン』の期間がある」「まずは予算編成で、民主党がどれだけ約束を守ってやろうとしているか、あたたかく、厳しく見守ってほしい」と発言している。
  • 2010年民主党代表選挙における菅直人の推薦人の一人。
  • Ustreamでの放送にて田原総一朗が献金をしている事が明らかになる[13]
  • 2010年7月に行われた第22回参議院議員通常選挙では、民主党の戦略により、京都府選挙区(2人区)に民主党公認候補が2名擁立された。立候補した河上満栄は、当選したばかり(2009年9月の第45回衆院選)の現職の民主党衆議院議員であり、現職の衆議院議員が参院選に立候補するという異例さや、激戦が予想されることもあり、メディアの注目を浴びた。
  • 財団法人日本漢字能力検定協会が設立をめざしていた資格標準化機構に関する文部科学大臣への陳情の場に同席し、「検定の資質を上げる仕組みが必要だ」と意見を述べた[14]
  • 2004年民主党のメールマガジンによると、年金未納問題の際に国民年金が3年9か月間未納だった[15]

役職[編集]

以下は公式プロフィールによる[16]

  • 民主党ネクスト内閣官房長官
  • 民主党政策調査会長
  • 外交防衛委員会/委員
  • 原子力問題特別委員会/委員
  • 憲法審査会/委員
  • 京都府身体障害者団体連合会会長
  • 京都造形芸術大学客員教授
  • 学校法人龍谷大学理事
  • 学校法人瓜生山学園理事

著作[編集]

  • 「原発危機 官邸からの証言」ちくま新書 2012年
  • 「民主主義が一度もなかった国・日本」(共著) 幻冬舎 2009年
  • 「21世紀・日本の繁栄譜」(共著) PHP研究所 2000年

所属団体・議員連盟[編集]

家族・親族[編集]

妻、長男[1]

略歴[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
松井孝治
日本の旗 内閣官房副長官 (政務担当・参議院)
2010年 - 2011年
次代:
長浜博行
先代:
伊藤信太郎
橋本聖子
日本の旗 外務副大臣
2009年 - 2010年
次代:
武正公一
藤村修
議会
先代:
佐藤公治
日本の旗 参議院外交防衛委員長
2011年- 2013年
次代:
加藤敏幸
先代:
郡司彰
日本の旗 参議院環境委員長
2005年- 2006年
次代:
大石正光
党職
先代:
桜井充
民主党政策調査会長
第14代:2014年 -
次代:
現職