谷川秀善

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日本の旗 日本の政治家
谷川 秀善
たにがわ しゅうぜん
Shuzen Tanigawa IMG 5343 20130706.JPG
生年月日 1934年2月3日(80歳)
出生地 兵庫県尼崎市
出身校 大阪大学法学部
前職 大阪府副知事
所属政党 自由民主党町村派
称号 法学士
親族 谷川正秀
谷川とむ
公式サイト 谷川秀善ウェブサイト

選挙区 大阪府選挙区
当選回数 3回
任期 1995年7月23日 - 2013年7月28日
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谷川 秀善(たにがわ しゅうぜん、1934年2月3日 - )は、日本政治家

参議院議員(3期)、外務副大臣大阪府副知事自由民主党参議院幹事長を歴任。

来歴[編集]

兵庫県尼崎市生まれ。兵庫県立尼崎高等学校大阪大学法学部卒業。1957年大阪府庁に入庁した。赤間文三大阪府知事秘書、大阪府理事、生活文化部長、企画調整部長を経て、1992年中川和雄知事の下、大阪府副知事に就任する。府庁内では強面で知られ、辣腕をふるった[要出典]

1995年、大阪府庁を退職。第17回参議院議員通常選挙に定数3の大阪府選挙区から自由民主党公認で出馬し、最下位で初当選した。2001年第19回参議院議員通常選挙では、小泉旋風を受けてトップ当選。2004年第2次小泉改造内閣外務副大臣に任命された。外務副大臣在任中、イラクで邦人誘拐事件が発生し、アンマンに設置された対策本部で陣頭指揮を執る[要出典]

2007年第21回参議院議員通常選挙では、安倍内閣や自民党への逆風が影響し、最下位で3選。同年8月、自民党両院議員総会長に就任。10月、福田康夫内閣清和政策研究会会長の町村信孝内閣官房長官に就任し、閥務に時間を割けなくなったため、町村、中川秀直、谷川の3人が町村派代表世話人に就任する。2009年3月、体調不良により辞任した山崎正昭に代わり、自民党参議院幹事長に就任。

2010年7月の第22回参議院議員通常選挙では自民党が改選第1党になり、与党が参議院で過半数を割り込む。参議院議員会長の尾辻秀久が参議院副議長に就任し、参議院国会対策委員長の鈴木政二が参議院議院運営委員長に就任したため、参院幹事長の谷川が事実上、後任の参院議員会長が決まるまで暫定的に参院執行部の大部分を1人で取り仕切った[要出典]

同年8月、自民党参議院議員会長選挙への出馬を表明。参議院議員会長は事前に立候補者1名が内定し、無投票で選出されるのが慣例であったが、超党派で中堅・若手から推された元外務大臣中曽根弘文も立候補を表明したため、史上初の投票が行われる。谷川は町村額賀古賀3派の推薦を得たが、自身が所属する町村派から造反者が現れ、獲得した票数は共に40票となった。そのためクジ引きが行われ、中曽根に敗れた。

2012年6月、翌年の第23回参議院議員通常選挙には立候補せず、引退することを表明した[1]

2013年11月、秋の叙勲で旭日重光章を受章した。

人物[編集]

  • 生家は浄土真宗本願寺派萬徳寺で、かつては住職も務めていた[要出典]
  • 長男の谷川正秀は、1991年尼崎市議会議員選挙に出馬し、初当選。1992年には生家の住職を継いだ。2006年、4期目の途中で市議を辞職し尼崎市長選挙に立候補したが、現職の白井文に大差で敗れた。その後は父である谷川の公設第一秘書を務める。
  • 次男で秘書の谷川とむ[2]が2012年の第46回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬するも落選。現在の肩書きは自由民主党大阪府第十九選挙区支部支部長。

政策[編集]

所属していた団体・議員連盟[編集]

発言[編集]

  • 「尻に火が付いているのに消さないと言っている。かちかち山のタヌキじゃあるまいし、大ごとになってしまうと言いたい。非常に心配している」(2009年6月9日、日本郵政社長人事問題で揺れていた首相の麻生太郎に)[3]
  • 「立ち上がるには、ギプスと杖2、3本いるのとちゃいますか」(2010年4月10日、たちあがれ日本の結成について)[4]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
田浦直
日本の旗 参議院経済産業委員長
2003年 - 2004年
次代:
佐藤昭郎
先代:
鎌田要人
日本の旗 参議院決算委員長
2000年 - 2001年
次代:
岩井國臣
公職
先代:
逢沢一郎
阿部正俊
日本の旗 外務副大臣
逢沢一郎と共同
2004年 - 2005年
次代:
塩崎恭久
金田勝年
党職
先代:
山崎正昭
自由民主党参議院幹事長
2009年 - 2010年
次代:
小坂憲次