野田聖子
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のだ せいこ
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| 生年月日 | 1960年9月3日(51歳) |
| 出生地 | 福岡県八幡市(現北九州市) |
| 出身校 | 上智大学外国語学部 |
| 前職 | 帝国ホテル従業員 |
| 所属政党 | (無所属→) (自由民主党→) (無所属→) 自由民主党(無派閥) |
| 称号 | 外国語学士(上智大学・1983年) |
| 親族 | 野田卯一(祖父) |
| 配偶者 | 鶴保庸介(元夫・未入籍) 木村文信 |
| 公式サイト | 野田聖子オフィシャルホームページ |
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| 選挙区 | (旧岐阜1区→) (岐阜1区→) 比例東海ブロック(岐阜1区) |
| 当選回数 | 6回 |
| 任期 | 1993年7月19日 - 現職 |
| 所属委員会 | 予算委員会 |
| 議員会館 | 衆議院第1議員会館504号室 |
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| 内閣 | 麻生内閣 |
| 任期 | 2009年9月1日 - 2009年9月16日 |
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| 内閣 | 福田康夫改造内閣 麻生内閣 |
| 任期 | 2008年9月24日 - 2009年9月16日 |
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| 内閣 | 小渕内閣 |
| 任期 | 1998年7月30日 - 1999年10月5日 |
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| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 1987年4月 - 1990年2月4日 |
野田 聖子(のだ せいこ、1960年9月3日 ‐ )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)。旧姓は島(しま)。
岐阜県議会議員(1期)、郵政大臣(第64代)、福田康夫改造内閣で内閣府特命担当大臣(科学技術政策・食品安全)、麻生内閣で内閣府特命担当大臣(科学技術政策・食品安全・消費者)を歴任した。
祖父は衆議院議員、経済企画庁長官、建設大臣、大蔵事務次官等を歴任した野田卯一。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。オリンピックの年にちなみ、聖子(せいこ)と命名された。
田園調布雙葉高等学校を中途退学し、ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクール(Jonesville High School)に入学し卒業。1983年、上智大学外国語学部比較文化学科を卒業し、帝国ホテルに入社。フロント業務などを経て、同ホテル女性史上初の国際セールス部員に抜擢される。
1984年、祖父・野田卯一の妻・光が死去し、卯一の養子となる。その際、島から野田に改姓した。
[編集] 政治家へ
1987年、岐阜県議会議員に史上最年少で立候補し当選する。この時期に消費税導入をめぐり、自民党と社会党の攻防(社会党は1989年の参院選で議席倍増)を目の当たりにし、「女性の立場から日本社会党委員長の土井たか子人気に動揺、危機感と政治家としての自覚を持ち、国政を目指すことを決意した」という。
第39回衆議院議員総選挙(1990年)では自民党からの公認が取れず、旧岐阜1区から保守系無所属として立候補するも落選。1993年の第40回衆議院議員総選挙に再び立候補し、「衆議院にも自民党の女性議員を」との公約を掲げて初当選した。新政策研究会(河本派)に所属した。自民党はこの選挙で過半数を割り込み、宮澤内閣は総辞職。8党派による細川連立政権の発足に伴って自民党は史上初めて下野し、野田は野党議員として政治活動のスタートを切った。
1994年6月29日、首班指名選挙で自民党は日本社会党委員長の村山富市を首班候補に擁立。これに反発し、新生党の小沢一郎の誘いに乗って一時は武部勤、伊吹文明、中山正暉ら10数名と離党を考え断念した渡辺美智雄が「社会党の委員長なんか首相に推せるか」と旗を振る中、野田は渡辺、武部、伊吹や中曽根康弘、中尾栄一や赤城徳彦や山本有二らと共に、非自民連立与党の統一候補となった河本派出身の海部俊樹元首相支持に傾いた。しかし、議場の入り口で河本敏夫から直々に説得され、涙ながらに投票を棄権した。
[編集] 郵政大臣
第2次橋本内閣で郵政政務次官に就任(1996年11月7日)。1998年7月30日発足の小渕内閣では、37歳10ヶ月の若さで郵政大臣に抜擢された。小渕首相から「将来の女性首相候補」と持ち上げられ、野中広務、古賀誠ら自民党内の重鎮からも目を掛けられた。1999年、自民党国会対策副委員長、衆議院議院運営委員会の議事進行係(女性としては初)に就任。2000年、自民党政調副会長、筆頭副幹事長に就任。
2001年、保守党所属の参議院議員・鶴保庸介と「結婚式」と称して盛大な式を挙げ、多額の祝儀を集める。翌2002年1月にも、結婚披露宴に代わる「初春の集い」をかつての職場である帝国ホテルで開催し、この時も多額の祝儀を集めている。2007年に2人が離別したことが知られた際、元々籍を入れておらず、一緒に住んでもいなかったことが鶴保によって語られた。2003年12月、国会議員生活10年の節目に高村派を退会。派閥にとらわれず国民の支持を広げるためといわれる(2003年9月自由民主党総裁選挙では番町研会長高村正彦推薦人)。また法的に結婚していないとできないはずの不妊治療をしている国会議員として、マスメディア(主にテレビや女性誌)に何度も取り上げられている。また人工授精による受精卵が凍結状態にあることがで報じられた[1]。
政策課題の筆頭として子どもの問題を重視し、児童買春・児童ポルノ禁止、発達障害(超党派「発達障害の支援を考える議員連盟」に所属して2001年11月24日、発達障害者支援法は成立)などの課題に積極的にかかわり、児童ポルノ禁止法を代表的にすすめた一人である。
2004年、「e-Japan重点計画特命委員会デジタル・アーカイブ小委員会」では「ヨン様はあまりに礼儀正しく素晴らしい紳士であり、その背景には韓国の徴兵制がある。一方、日本の青年達は親を殺すようになった。日本の青年にヨン様のようになってもらうために、日本に軍隊を作って男の子達を徴兵制で鍛えなおしてもらったらどうか」 と発言した。その後きょうと青年政治大学校講師も経験。
[編集] 郵政民営化
2005年4月27日に政府提案(閣法)で上程された郵政民営化法案に反対したため、民営化反対派の急先鋒だと見なされたが、雑誌『経済界』2005年4月号のインタビューでは「民営化に反対と言ったことはありません。今の竹中プランでは駄目だと言っているのです。改革という言葉に酔うのではなく、将来を考えた本当の改革をしてもらいたいと訴えているのです。」と答えている[2]。また、「国民生活を直撃」するインパクトを持ち、規制緩和の手本である合衆国ですら国営だと指摘し、法案が古い「二項対立論の焼き直しにすぎない」とも発言した。
批判や反対論を法案上程後一貫して主張し、全国特定郵便局長夫人会が2005年6月14日に行なった郵政民営化反対の国会へのデモ行動に出席して挨拶に立ち、再度法案成立への反対を表明。さらに、衆議院本会議の採決で自民党が党議拘束をかけた場合でも反対する意向を表明した。
7月5日の衆議院本会議における法案採決では、賛成するよう党議拘束がかけられたものの造反して青票(反対票)を投じ、5票差で可決されたが、参議院では反対多数で否決された。なお、鶴保庸介は所属する二階グループ会長・二階俊博の判断を尊重し、参議院本会議の採決で白票(賛成票)を投じたが、8月10日に国会内で記者会見を開き、「夫としては当然、妻の応援に向かわなくてはならない」と述べ、二階グループを退会。その理由として「党の選挙対策本部事務局長である、二階俊博党総務局長に迷惑はかけられないから」と説明した。さらに「法案に反対した者すべてが改革反対論者であるような風潮や、総裁の言動に疑問を感じる」と付け加え、小泉純一郎を批判した。
自由民主党岐阜県支部連合会(会長・古屋圭司)は8月10日、岐阜市内で執行部会・常任総務会合同会議を開き、県連規約を改正し、党公認がなくても総選挙で支援することを決定した。会議の席上、法案に賛成した金子一義が異論を唱えたが、これに対し「県連は一致して法案に反対している。地方の声を聞くのが国会議員だ」とする反論も出た。
「金子一義#経歴」、「藤井孝男#郵政国会以降」、「古屋圭司#経歴・政策」、および「松田岩夫#来歴・人物」も参照
2005年の総選挙では、郵政民営化法案に反対票を投じたため、自民党の公認を得られなかったが、小泉主導で送り込まれた刺客候補の佐藤ゆかりを退け、5選を果たした。
詳細は「佐藤ゆかり#岐阜1区騒動」を参照
第44回衆議院議員総選挙で与党が圧勝すると、後援会幹部や岐阜県の自民党所属の地方議員らから法案に賛成するよう強い要望が出たため、野田は再度提出された郵政民営化法案に賛成票を投じた。同年10月に野田は自民党から離党勧告され離党をするが、その後、安倍晋三首相の意向により郵政造反組の復党が検討され、2006年12月に復党(郵政造反組復党問題参照)。
復党にあたっては、「郵政民営化法案に賛成する」等の念書が取られ、「踏み絵」と呼ばれた。また、郵政民営化法案に反対から賛成へと立場が正反対に替わったため、その行為が「変節」と呼ばれ、様々な方面から強い批判がなされた[3]。
[編集] 消費者行政
福田康夫改造内閣で、内閣府特命担当大臣(科学技術政策・食品安全)に就任した。さらに、「消費者行政を統一的・一元的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」と「宇宙開発利用に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」も国務大臣として兼任。消費者庁の設置に尽力した。
麻生内閣でも再任され、麻生内閣末期には消費者庁発足に伴い、「消費者行政を統一的・一元的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」の任を解かれ、新たに内閣府特命担当大臣(消費者)の補職辞令を受けた。事故米不正転売事件では、消費者行政担当相として被害にあった保育園に駆けつけ謝罪をし、子供たちと一緒に食事をした[4]。
1996年4月の衆議院商工委員会で、マルチ商法について「悪質業者は厳しく取り締まらないといけないと思う反面、良質な業者も随分存在している。悪質な例ばかり強調されると、良質なもの、一生懸命頑張っている人のやる気をなくし、新たな産業を潰してしまう。」と述べ、規制に否定的な立場を示していたことが2008年10月16日の参議院予算委員会で明らかになり[5]、野田は「自分の勉強不足で、消費者の視点に立った質問ができなかった」と釈明した[6]。
児童ポルノ単純所持違法化、18歳未満を描写する創作物製作規制を強力に推進したとされる。2009年8月15日(終戦の日)に、麻生太郎内閣総理大臣を含む麻生内閣の他の閣僚が靖国神社参拝を見送る中、閣僚としてはただ1人参拝を行った[7][8]。「国務大臣」の肩書で記帳し私人として参拝したと説明している。
8月30日の第45回衆議院議員総選挙では佐藤ゆかりが転出したため、“しこり”の残る佐藤の後援会は民主党の柴橋正直に支持を鞍替えしたとされる。岐阜1区では柴橋に敗れ落選したが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、6選。
2010年5月にアメリカ合衆国にて卵子提供を受けて体外受精を実施して妊娠したことを、同年8月下旬に『週刊新潮』での自らの手記にて明らかにした[9]。その際には「『超』も『超』の高齢出産になる『おばさん妊婦』を、出産まで温かく見守って戴ければ幸い。何があっても、『それでも私は産みたい』のだ」と主張していた。
2011年1月6日、50歳という超高齢出産にて男児が誕生したことを発表した[10]。また、当面の間は休養することも明らかにしている。2月、事実婚だった一般人男性と1月18日に入籍し男性が改姓したことをブログと手記で公表した。同時に、鶴保と事実婚の関係を続けたのは自身が跡取り娘で名字を維持するためだったことも明かしている[11][12]。
[編集] 政策・主張
野田は自らを保守本流であると自認し、その保守本流の中身については「(1)日本国憲法の精神」「(2)自由民主党の原理原則」に基づく政治であると説明している。また国の浮沈は、人(野田は「人財」と呼んでいる)を重視することだと主張し、「人財」の開発と育成が必要不可欠だと強調する。
[編集] 女性政策
三年間で八回におよぶ体外受精を受けた不妊治療体験から国会議員として生殖医療に取り組んできたが、少子化問題にも目を向け、2002年秋ごろ、特に力を入れたい政策課題だと表明。小泉政権の少子化対策について、「百点満点で十点」と酷評。自費出版を検討していた自らの体験や体外受精をめぐる夫との軋轢や通院の苦労談、流産の辛さをつづった著書を、新潮社の申し出により、2004年12月に『私は、産みたい』と題して出版。
翌2005年5月には、『だれが未来を奪うのか 少子化と闘う』を講談社から出版し、自党内の「女性が職を持つようになって子を産まなくなった」との発言に対して、欧米など女性労働者が多い国でも、出生率が高いデータ例を示しつつ反論。政府が課題とする少子高齢化と人口減少を切り口に、今後取り組むべき政策ビジョン「人財増産計画」を提言しつつ、党内議員の旧態依然たる意識を厳しく批判している。少子化対策への取り組みこそ社会を安定させると主張する数少ない議員である。
日経ビジネス誌のインタビューに対して、2010年1月、野田は「本気で少子化対策をするには自民党は本当に邪魔な政党でした」と表明し(「自民党が少子化を加速させた 自民党・野田聖子衆院議員インタビュー」)、その主張の内容として、夫婦別姓への賛同、シングルマザーの推奨などを公言している[13]。
[編集] ギャンブル
自民党カジノエンターテイメント小委員会委員長、自民党カジノ議連会長を務めており、カジノ合法化推進に極めて熱心とされる[14]。また、パチンコ業界についても、パチンコチェーンストア協会のアドバイザーも務める[15]。
[編集] 児童ポルノ禁止法
児童ポルノ禁止法強化、児童ポルノの単純所持に対する刑事罰導入の急先鋒である。
[編集] 人物
- 趣味は読書、映画鑑賞、カラオケ、パソコン。日本酒党で「日本酒を愛する女性議員の会」(幹事長:小渕優子)で会長を、また日本酒造協会では顧問を務めている。メールマガジンの名称は「キャサリン通信」だが、このキャサリンは飼い犬(フレンチ・ブルドッグ)の名前。不妊治療の辛いときに橋本聖子に勧められて飼うことにしたという。
- 国会議員としては珍しくハードロックファンであることを公言しており、クイーン、ディープ・パープル、EL&Pを好みとして挙げ、カラオケで歌ったり、自らベースを弾いていたこともあるという。
- 上智大卒業後、日本航空からも内定を受けていたが、日本航空羽田沖墜落事故の影響により取り消されている。
[編集] 事務所放火事件
詳細は「岐阜市衆議院議員事務所放火事件」を参照
2007年8月10日、深夜、岐阜にある野田の事務所に何者かが侵入し、パソコンと防犯カメラ用デッキが盗まれたうえ、事務所に放火された。燃えたのはビル一階の事務所であるが、ビル五階にまで煤が達する火災となった。
野田は「昔から政治活動する人は、いろいろな妨害や危害を加えられてもやり続けている。私もそういう被害にあって、屈せず頑張るしかないというのが率直な心境だ」[16]と述べたうえで、犯行について「ひきょうだと思う」[16]と指摘した。
事件の後、事務所はビル二階に移転。政治日程やメールマガジンの配信などが一時的に滞った。事件の犯人は捕まっておらず、真相は明らかとなっていない。
[編集] 系譜
- 野田家
野田聖子の実父島稔は元建設相の野田卯一の長男として生まれ、幼少期に卯一の岳父である島徳蔵の養子となった。徳蔵は「北浜の怪傑」と呼ばれた伝説の相場師で、晩年は大阪株式取引所(大阪証券取引所の前身)理事長や阪神電鉄社長などを務めた。
島稔は東大卒業後、八幡製鐵(後に新日本製鐵)に勤めていた。娘の聖子は野田卯一の養女となった。
明治維新後に兵部大輔、近代兵制を確立、靖国神社の前身の東京招魂社建立に当たった大村益次郎は遠い縁戚になるという。野田聖子は安倍晋三(元首相)との対談の中で「実は大村益次郎さんは私の遠い縁戚なんです。昔、祖父に、「これは君の遠い縁戚だから」と言われたのを覚えています。」と述べている[17]。
実吉安純━━━実吉雅郎 ┃ ┏富 ┏島徳蔵━━━┫ ┃ ┗光 ┗島定治郎 ┃ ┣━━━━━島稔━━━━野田聖子 ┃ 野田卯一
[編集] 著書
[編集] 単著
- 1987年12月 『アイアム聖イング』海越出版社、ISBN 4-906203-52-3
- 1994年6月 『改革という美名の下で』海越出版社、ISBN 4-87697-188-9
- 1996年2月 『国民のみなさまにお伝えしたいこと ホンネで語る政治学』PHP研究所、ISBN 4-569-55017-7
- 2004年12月 『私は、産みたい』新潮社、ISBN 4-10-472901-9
- 2005年5月 『だれが未来を奪うのか 少子化と闘う』講談社、ISBN 4-06-212833-0
[編集] 共著
- 2001年10月 『ポストITは日本が勝つ! トップランナー7人の提言』(杉山知之編)、アスキー、ISBN 4-7561-3918-3
- 2005年3月 『よくわかる改正児童買春・児童ポルノ禁止法』(森山眞弓と共編)ぎょうせい、ISBN 4-324-07587-5
[編集] 脚注
- ^ 「朝日新聞」2005年6月5日
- ^ 旧・公式サイト
- ^ 中央ジャーナル
- ^ 上賀茂保育園での給食 上賀茂保育園で園児らと給食を食べる野田聖子氏
- ^ 毎日新聞 2008年10月16日夕刊
- ^ J-CAST2008年10月16日
- ^ “野田消費者担当相が靖国参拝 小泉・安倍両元首相も”. 産経新聞. (2009年8月15日) 2010年1月31日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “靖国、衆参44議員が参拝 閣僚は野田担当相のみ 首相、鳩山代表の姿なく”. 産経新聞. (2009年8月15日) 2010年1月31日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 49歳野田聖子議員が妊娠 第三者の卵子使い体外受精 朝日新聞 2010年8月26日閲覧[リンク切れ]
- ^ 野田聖子氏が男児出産 産経新聞 2011年1月6日閲覧[リンク切れ]
- ^ 公式ブログ2011年2月22日
- ^ SANSPO2011年2月23日
- ^ “自民党が少子化を加速させた 自民党・野田聖子衆院議員インタビュー”. 日系ビジネスオンライン. (2010年2月15日) 2010年2月17日閲覧。
- ^ カジノ立法化に向けて 野田聖子オフィシャルサイト 活動リポート
- ^ パチンコチェーンストア協会役員名簿
- ^ a b 「野田聖子議員『ひきょうだと思う』――事務所放火事件」『asahi.com:野田聖子議員「ひきょうだと思う」 事務所放火事件 - 社会』朝日新聞社、2007年8月10日。
- ^ 野田聖子ホームページ(安倍晋三との対談)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] オンライン記事
- 「レイプ容認発言 古い自民党の危うい意識」(朝日新聞2003年7月13日付「私の視点 ウイ-クエンド」に掲載@野田聖子ホームページ)
- 「実態をしらずに『商業主義』と非難されたくない」(Medical Tribune [メディカルトリビューン、医学新聞])
- YOMIURI ON-LINE(読売新聞) - 大町小町:不妊治療体験記を出版の野田聖子さん「きれい事ばかり語りたくない」(2004年12月23日)
- 「今すぐ少子化対策を講じなければ、国は滅びます」(『経済界』2005年4月19日号に掲載@野田聖子ホームページ)
- 「少子化と闘う 野田聖子氏インタビュー」(楽天ブックスホームページ「著者インタビュー」)
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 岸田文雄 |
第12・13代:2008年 - 2009年 |
次代: 菅直人 |
| 先代: 泉信也 |
第10・11代:2008年 - 2009年 |
次代: 福島瑞穂 (消費者及び食品安全) |
| 先代: 創設 |
初代:2009年 |
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| 先代: 自見庄三郎 |
第64代:1998年 - 1999年 |
次代: 八代英太 |
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