坂口力

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日本の旗衆議院議員 坂口 力
生年月日 1934年4月1日(77歳)
出身地 三重県一志郡白山町(現・津市白山町
出身校 三重県立大学(現・三重大学大学院医学研究科
学位・資格 医学博士
前職 三重県赤十字血液センター所長
世襲
選出選挙区 比例東海ブロック
当選回数 11回
所属党派 公明党
党役職 副代表
会館部屋番号 衆・第一議員会館617号室
ウェブサイト 衆議院議員 坂口 力 ホームページ
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坂口 力(さかぐち ちから、1934年4月1日 - )は、日本政治家公明党所属の衆議院議員(11期)。厚生労働大臣(初代)等を歴任。医師医学博士

目次

[編集] 略歴

[編集] 人物・政策

  • 省庁再編で統合された厚生労働省の初代大臣である。政府として初めてハンセン病患者に対する国の責任を認め、2001年5月11日熊本地裁の「ハンセン病国家賠償請求訴訟判決」を受け入れ、控訴しないことを決定。患者・元患者に対して謝罪した。
  • 2003年労働者派遣法改法案が議論されていた際、厚労大臣として国会で「厳しい雇用失業情勢や働き方の多様化等に対応いたしまして、迅速、円滑かつ的確な労働力需給の結合を促進し、企業活動に必要な労働力の確保を図りますとともに、一人でも多くの方が雇用の機会を得られるようにするためのもの」「今回の直接雇用の促進の措置を法律に明記することにより、さらに派遣労働者から直接雇用に移る労働者がふえるものと確信しているところでございます」と断言した[1]が、実際には派遣労働者は雇用の調整弁として使われることになった。
  • 労働者派遣法をめぐっては、規制緩和を唱えるオリックス宮内義彦およびザ・アール奥谷禮子と、労働者保護を唱える民主党の「次の内閣・雇用担当大臣」(当時)の城島光力が激しく対立。結果として宮内・奥谷路線が政策として採用されたが、議論の過程で宮内の文書や奥谷の行動が問題となり、城島の質問趣意書に対して衆議院の厚生労働委員会は宮内と奥谷の一連の行動について、「議会制民主主義の基本的なルールを踏みにじるかつてない暴論である」との見解を正式に決定した。ことの顛末は、サンデー毎日[2]にて報道されている。
  • 菅直人とは若手議員の頃からの親友。かつて旧社会党伊藤茂元運輸大臣と旧民社党米沢隆元委員長の4人で「仲良しクラブ」を結成し、定期的に勉強会や研修旅行をしていた間柄である。平成20年末には衆院第1議員会館で体調を崩した坂口を菅が発見し、腕を抱えて坂口の部屋まで送り届けたこともあった。しかし、菅が総理大臣に就任してからは厳しい視線を送っており、「友人、菅総理に贈る最後の言葉」と題して退陣を促すコメントを発表した[3]
  • 積極的にテレビ出演するほうではないが、『ビートたけしのTVタックル』に出演したときには、坂口の独特の髪型を出演者のたけしや大竹まことにイジられていた。

[編集] 役職歴

  • 公明党
    • 副代表
    • 参議院選挙対策本部副本部長
    • 社会保障制度調査会顧問
    • 税制調査会顧問
    • 憲法調査会顧問
    • がん対策推進本部顧問
    • 三重県本部顧問

[編集] 脚注・出典

  1. ^ 国会会議事録検索システム 第156回通常国会衆議院本会議 平成15年04月22日 [1]
  2. ^ http://www.jojima.net/pdf/20090218.pdf
  3. ^ 産経新聞2011年6月23日付、公明・坂口氏が首相に退陣勧告 友人として「心配で見ていられない」

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
初代
厚生労働大臣
2001 - 2004
次代:
尾辻秀久
先代:
津島雄二
厚生大臣
2000 - 2001
次代:
廃止
先代:
吉川芳男
村上正邦
労働大臣
2000 - 2001
1993 - 1994
次代:
廃止
羽田孜鳩山邦夫
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