坂口力
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坂口 力(さかぐち ちから、1934年4月1日 - )は、日本の政治家。公明党所属の衆議院議員(11期)。厚生労働大臣(初代)等を歴任。医師、医学博士。
[編集] 略歴
[編集] 人物・政策
- 省庁再編で統合された厚生労働省の初代大臣である。政府として初めてハンセン病患者に対する国の責任を認め、2001年5月11日の熊本地裁の「ハンセン病国家賠償請求訴訟判決」を受け入れ、控訴しないことを決定。患者・元患者に対して謝罪した。
- 2003年、労働者派遣法改法案が議論されていた際、厚労大臣として国会で「厳しい雇用失業情勢や働き方の多様化等に対応いたしまして、迅速、円滑かつ的確な労働力需給の結合を促進し、企業活動に必要な労働力の確保を図りますとともに、一人でも多くの方が雇用の機会を得られるようにするためのもの」「今回の直接雇用の促進の措置を法律に明記することにより、さらに派遣労働者から直接雇用に移る労働者がふえるものと確信しているところでございます」と断言した[1]が、実際には派遣労働者は雇用の調整弁として使われることになった。
- 労働者派遣法をめぐっては、規制緩和を唱えるオリックスの宮内義彦およびザ・アールの奥谷禮子と、労働者保護を唱える民主党の「次の内閣・雇用担当大臣」(当時)の城島光力が激しく対立。結果として宮内・奥谷路線が政策として採用されたが、議論の過程で宮内の文書や奥谷の行動が問題となり、城島の質問趣意書に対して衆議院の厚生労働委員会は宮内と奥谷の一連の行動について、「議会制民主主義の基本的なルールを踏みにじるかつてない暴論である」との見解を正式に決定した。ことの顛末は、サンデー毎日[2]にて報道されている。
- 菅直人とは若手議員の頃からの親友。かつて旧社会党の伊藤茂元運輸大臣と旧民社党の米沢隆元委員長の4人で「仲良しクラブ」を結成し、定期的に勉強会や研修旅行をしていた間柄である。平成20年末には衆院第1議員会館で体調を崩した坂口を菅が発見し、腕を抱えて坂口の部屋まで送り届けたこともあった。しかし、菅が総理大臣に就任してからは厳しい視線を送っており、「友人、菅総理に贈る最後の言葉」と題して退陣を促すコメントを発表した[3]。
- 積極的にテレビ出演するほうではないが、『ビートたけしのTVタックル』に出演したときには、坂口の独特の髪型を出演者のたけしや大竹まことにイジられていた。
[編集] 役職歴
- 公明党
- 副代表
- 参議院選挙対策本部副本部長
- 社会保障制度調査会顧問
- 税制調査会顧問
- 憲法調査会顧問
- がん対策推進本部顧問
- 三重県本部顧問
[編集] 脚注・出典
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 先代:
- 初代
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- 厚生労働大臣
- 2001 - 2004
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- 次代:
- 尾辻秀久
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- 先代:
- 津島雄二
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- 厚生大臣
- 2000 - 2001
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- 次代:
- 廃止
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