鈴木康友 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
日本の旗 日本の政治家
鈴木 康友
すずき やすとも
生年月日 1957年8月23日(55歳)
出生地 日本の旗 静岡県浜松市
出身校 慶應義塾大学法学部
前職 会社役員
所属政党 民主党→)
無所属
称号 法学士
公式サイト 鈴木やすとも Website

Flag of Hamamatsu, Shizuoka.svg 第26・27代 静岡県浜松市長
当選回数 2回
任期 2007年5月1日 - 現職

選挙区 静岡8区→)
比例東海ブロック
当選回数 2回
任期 2000年7月 - 2005年8月
テンプレートを表示

鈴木 康友(すずき やすとも、1957年8月23日 - )は、日本政治家静岡県浜松市(2期)。元衆議院議員(2期)。

目次

来歴 [編集]

静岡県浜松市生まれ。浜松市立蜆塚中学校静岡県立浜松北高等学校慶應義塾大学法学部卒業。大学卒業後、松下政経塾に入塾し、1985年に卒塾(第1期生)。松下政経塾の同期に野田佳彦(第95代内閣総理大臣)、逢沢一郎自由民主党衆議院議員)、横尾俊彦佐賀県多久市長)、小野晋也(元衆議院議員)、岡田邦彦ハーバード大学ケネディスクール研究員)らがいる。その後企画会社、コンサルティング会社を経営する。

1999年北脇保之衆議院議員浜松市長選挙に出馬するため辞職。同年4月11日に行われた衆議院静岡県第8区補欠選挙民主党公認で出馬したが、自由民主党元職の塩谷立に敗れ、落選した。

2000年第42回衆議院議員総選挙静岡8区から出馬。前回敗れた塩谷を破り、初当選を果たす。2003年第43回衆議院議員総選挙では、静岡8区で前回下した塩谷に敗れるも、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、再選。2005年第44回衆議院議員総選挙では、静岡8区で再び塩谷に敗れ、比例復活もならず落選した。

2006年12月、翌年4月の浜松市長選挙に出馬する意向を表明した[1]。鈴木の擁立は当時の浜松市長、北脇保之に反発する鈴木修スズキ会長、第1次浜松市行財政改革推進審議会会長)ら浜松経済界の意向によるものであった[2]2007年4月8日、浜松市長選挙で現職の北脇市長らを破り、当選を果たした。鈴木が獲得した203,923票に対し、北脇の得票数は192,293票であり、11,630票の僅差での辛勝であった。

2011年4月10日執行の浜松市長選挙に出馬。立候補を届け出たのが現職の鈴木のみであったため政令指定都市では史上初の無投票で再選を果たした[3]

政策・主張 [編集]

  • 「こども第一主義」、「くらし満足度向上計画」などの政策提言を実現させるため、市の行財政運営に対する改革を審議することを目的とし2007年8月17日、第2次浜松市行政改革審議会を発足させた。同行革審に対して、補助金や市の外郭団体の改革について諮問した。
  • 2007年6月15日の市議会の答弁では「地産地消の考え方を市民に示すために、市長公用車の更新の際、地元企業の車両を導入していきたい」と発言した[4]。また、北脇市政の下で行われた平成の大合併の際、旧天竜市から引き継いだ本田宗一郎記念館の建設を、新市に引き継ぐことで合併時に浜松市が公約した事業であったが、鈴木はこれを白紙とし、既存施設である旧二俣町役場を活用することで地元住民へ理解を求め、天竜地域協議会においても同意するとの答申を得た[5]

関連項目 [編集]

  • 鈴木修スズキ会長。鈴木康友が衆議院議員に立候補した時から支援している)
  • 鈴木光司(作家。中学校・高校時代の同級生。鈴木康友の後援会長も務める)
  • 日本創新党

脚注 [編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 静岡新聞 (2006年12月23日). “統一地方選関連ニュース:鈴木康友氏、正式出馬表明 浜松市長選2氏激突へ”. 2008年6月1日閲覧。
  2. ^ 静岡新聞 (2007年1月1日). “統一地方選関連ニュース:浜松市長選 現職対経済界の構図”. 2008年6月1日閲覧。
  3. ^ 「浜松市 新産業創出に意欲 ― 無投票再選 鈴木市長に証書」中日新聞(中日新聞東海本社)2011年(平成23年)4月12日付朝刊 22面(浜松・遠州版)
  4. ^ 浜松市議会会議録 平成19年6月定例会(第3回)-6月15日-12号
  5. ^ 浜松市役所 浜松市天竜地域自治センター. “浜松市/平成19年度 第6回天竜地域協議会 議事要点”. 2008年6月1日閲覧。

外部リンク [編集]

先代:
北脇保之
Flag of Hamamatsu, Shizuoka.svg 静岡県浜松市長
第29・30代:2007年 -
次代:
現職