片山さつき

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衆議院議員 片山さつき
(かたやま さつき)
生年月日 1959年5月9日
出生地 埼玉県さいたま市
出身校 東京大学
学位・資格 法学士
前職 財務省国際局開発機関課長
所属委員会
内閣役職
衆・政治倫理審査会幹事
衆・経済産業委員会委員
世襲
選出選挙区 静岡県第7区
当選回数 1回
所属党派 自由民主党(無派閥)
党役職 党・商工・中小企業関係
団体委員会副委員長
党・国土・建設関係
団体委員会副委員長
党・女性局次長
党・国会対策委員会委員
党・静岡県第七選挙区支部支部長
会館部屋番号 衆・第一議員会館526号室
衆議院議員 片山さつき
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片山 さつき(かたやま さつき、1959年5月9日 - )は、日本の政治家、元官僚自由民主党所属の衆議院議員静岡県浜松市在籍

目次

[編集] 来歴

[編集] 官僚としての活動

中央省庁再編後は財務官僚として女性初の財務省主計局主計官(防衛担当)を務めた(詳細については後述も参照)。

[編集] 政治家としての活動

2005年8月の参議院郵政民営化関連法案の否決による、衆議院解散郵政解散)を受け、国際局開発機関課長を最後に財務省を退官。2005年8月の第44回衆議院議員総選挙において、自由民主党から自民党内の郵政法案反対候補者に対する「刺客」(落下傘候補)として比例代表東海ブロック自民党1位および静岡県第7区で立候補し、小選挙区で城内実と接戦の末に当選した。小泉チルドレンの1人。

第3次小泉内閣では経済産業大臣政務官を務めた。2006年9月から2007年10月までは党広報本部副本部長兼広報局長を務めた。

安倍内閣では、衆議院政治倫理審査会幹事、自由民主党行政改革推進本部幹事、政務調査会国際経済戦略特命委員会副委員長、経済活性化税制議連幹事等を務めた。

[編集] 主な所属議員連盟等

[編集] 人物

幼少の頃から並外れた記憶力を有し、少女時代から成績は優秀であった[要出典]1977年、高校3年の時、イギリス保守党党首(当時)のマーガレット・サッチャー(後のイギリスの首相)が来日し、視察のため片山が通っている高校を訪れた。彼女の経歴を知り、「女性でも国を動かすことができるのだ」と感銘を受けた片山は、以後を動かす仕事として、官僚になる道を選んだ。

東京大学在学中、集英社の雑誌『non-no』のキャンパス特集企画で「ミス東大」として取り上げられたことから、「ミス東大に選ばれた」と言われることがある。

1986年、大蔵省在職中に舛添要一(当時東京大学助教授、現(2008年10月現在)厚生労働大臣)とお見合い結婚するも、1989年に離婚する。1990年、現在の夫である前産業再生機構執行役員の片山龍太郎と出会い再婚した[1]

小動物好きで、ジャンガリアンハムスターを飼っている。趣味はカラオケ。日本テレビおしゃれイズム』にゲスト出演したときには 一青窈の『もらい泣き』を歌った。

[編集] 潜水艦の査定

財務省主計官時代の2005年度(平成17年度)の予算編成(2004年夏〜秋に編成)において、「潜水艦は時代遅れの兵器」という旨の発言をしたことがある。小泉政権の意を受け、「テロ弾道ミサイルなどの『新たな脅威』に対応するには組織、装備のスリム化と質的な向上が不可欠だ」とする財務省の方針に従い、防衛予算担当であった片山は自衛隊正面装備削減に尽力した[2]

その折衝の過程で「潜水艦は、冷戦構造を前提とした時代遅れの兵器である。増やす事など認めない」旨の発言をしたとされる。当該年度の予算では、要求のあったひゅうが型護衛艦 1隻(約2,000億円)、そうりゅう型潜水艦 1隻(約1,200億円)の整備が認められない一方で、ミサイル防衛関連経費、不審船対策は認められ、概ね財務省の方針の通りとなった。なお、この時点では認められなかった、ひゅうが型護衛艦の2番艦は2006年度予算で建造が認められた。また、そうりゅう型潜水艦については、漢級原子力潜水艦領海侵犯事件等の影響もあり、『平成17年度以降に係る防衛計画の大綱について』には潜水艦は現状維持の16隻態勢の維持が明記され、結果的に、防衛省の要求通り建造されることとなった。

[編集] 村上ファンドとの関係

村上ファンドに出資した政治家や財界人の実名と投資額・投資時期が書かれた「投資家リスト」が流出し、その中に名前が載っていると報じられた[3]

[編集] 不祥事

[編集] 委員会採決無断欠席問題

2006年12月、衆議院経済産業委員会官製談合防止法改正案採決を無断欠席したとして、自由民主党国会対策委員会から、(1) 所属常任委員会を変更 (2) 国会開会中の海外渡航を1年間禁止 (3) 翌年3月末まで国会対策委員会への出席を停止するとの処分を受けた。この処分により、衆議院経済産業委員会から決算行政監視委員会に所属が変更された。その後、経済産業委員会に復帰している。

[編集] 秘書に関する不祥事

[編集] 私設秘書暴行事件

2007年5月3日静岡県浜松市にて、当時、片山の私設秘書だった田中酉一が、浜松市議会議員に暴行し、顔や口に怪我を負わせる事件が発生した。田中は当該議員に対し、統一地方選挙での選挙協力の礼の電話がなかったと咎め、片山と当該議員を会わせるわけにはいかないと主張し、酒に酔った状態で暴行したとされる。片山は、暴行事件については言及せず「私が電話をしたときに初めてお礼を言ったので、本来お礼の電話を市議側から掛けてくるべき」とだけコメントした。2007年5月12日、田中は浜松中央警察署から静岡地方検察庁浜松支部に書類送検された[4]

[編集] 給油量誤謬隠蔽問題

第168回国会での「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案」(補給支援特別措置法案)審議において、自衛隊インド洋派遣時の海上自衛隊補給艦からアメリカ海軍補給艦への給油量の公表値に誤りがあり海上幕僚監部が隠蔽していたことが発覚し、その問題に片山の秘書が関わっていたとことが明らかになった。

片山の秘書である寺岡正善は、2003年に海上幕僚監部防衛部防衛課の課長を務めていたため、寺岡が給油量の誤りに気づきながら報告を怠り隠蔽したのではないかと疑惑が浮上した。野党が寺岡の証人喚問を要求する中、2007年10月22日付で寺岡は片山の秘書を辞任した。その後、衆議院「国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会」(いわゆる「テロ対策特別委員会」)から参考人招致を求められたが、寺岡は「私人として生活しており、参考人として公の場に出て行くことは家族等の生活に影響を及ぼす」[5]と主張し出席を拒否した。しかし、与党からの説得もあり、寺岡は2007年11月7日に参考人招致に応じ、上層部への報告を怠ったことについて「自分の判断で報告しなかった」[6]と明言した。また、統合幕僚会議議長石川亨が給油量を発表した後、マスコミから給油量について指摘され、寺岡は給油量の誤りにまだ気づいていなかったものの、いったん防衛庁長官官房長や防衛局局長に相談したと説明している[6]。寺岡の秘書辞任に際し、片山は「国会の関係は、国対なので、『ノーコメントにしてください』と言われているので、申し訳ない。個人的に知人だったんで、わたしは2005年の時、(防衛担当)主計官ですから。(給油問題の時は)知らなかったんですけど」[7]と説明している。

[編集] 著書

[編集] 脚注

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  1. ^ 1984年当時交際していたがフランス留学を機に自然消滅していた。
  2. ^ 日本の軍事#再編計画を参照
  3. ^ 『ザ・ファクタ』 2006年8月号
  4. ^asahi.com:片山さつき衆院議員の元秘書を傷害容疑で書類送検 - 社会朝日新聞社2007年6月12日
  5. ^ 「元防衛課長、参考人出席を拒否」『asahi.com:元防衛課長、参考人出席を拒否 - 政治朝日新聞社2007年11月2日
  6. ^ a b 「元課長『給油量誤り、幹部に相談』――守屋氏認識の可能性」『asahi.com:元課長「給油量誤り、幹部に相談」 守屋氏認識の可能性 - 政治朝日新聞社2007年11月7日
  7. ^ 「自民・片山 さつき議員の公設第一秘書・寺岡正善氏が突如辞任(フジTV)」『FNN-NEWS.COMフジニュースネットワーク2007年10月23日

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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