片山さつき

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日本の旗 日本の政治家
片山 さつき
かたやま さつき
生年月日 1959年5月9日(52歳)
出生地 埼玉県さいたま市
出身校 東京大学法学部
前職 国家公務員財務省
所属政党 自由民主党伊吹派
称号 法学士
公式サイト 片山さつき 公式Webサイト

日本の旗 参議院議員
選挙区 比例区
当選回数 1回
任期 2010年7月 -
所属委員会 総務委員会(理事)
予算委員会

日本の旗 衆議院議員
選挙区 静岡7区
当選回数 1回
任期 2005年9月 - 2009年7月
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片山 さつき(かたやま さつき、1959年5月9日 - )は、日本の政治家、元大蔵財務官僚自由民主党所属の参議院議員(1期)。旧姓は朝長

父は数学者で宇都宮大学名誉教授の朝長康郎

目次

[編集] 来歴

埼玉県浦和市(現・さいたま市)生まれ。1978年東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、1982年東京大学法学部を卒業し、同年4月に大蔵省入省。証券局総務課に配属。

1984年フランス国立行政学院に留学。その後、広島国税局海田税務署長や主計官補佐、銀行局総務課企画官、横浜税関総務部長、関税局総務課関税企画官、主計局主計企画官等のポストを歴任した後、2004年に女性で初めて主計局主計官に就任。主に防衛関連の予算を担当する。2005年7月に国際局開発機関課長に就任するが、翌月に財務省を退官した。

2005年9月、第44回衆議院議員総選挙静岡県第7区から自由民主党公認で出馬し、郵政民営化法案に反対したため自民党の公認が得られなかった無所属城内実を748票の僅差で破り、初当選を果たした。同年11月、第3次小泉改造内閣経済産業大臣政務官に就任した。

2006年9月、自由民主党広報局長に就任(~2007年10月)。2009年第45回衆議院議員総選挙では自民党公認で静岡7区から出馬したが、前回破った保守無所属城内実民主党斉木武志の後塵を拝し、得票数3位で落選した(斉木は比例復活により初当選)。

2010年7月、第22回参議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬し、主要政党比例候補の中で唯一の埼玉県出身候補であることを売りにしつつ、2005年以降から選挙区地盤としていた静岡県や高い知名度で全国から票を集めて当選[1]。この選挙で片山が獲得した29万9036票は自民党候補の中では最多の得票数であった[1][2]。なお、2007年の第21回参議院議員通常選挙において、比例区で自民党の全候補者中最多の得票で当選したのは、片山の元夫の舛添要一[3]

[編集] 人物

  • 東京大学在学中、集英社の雑誌non-noキャンパス特集企画で「ミス東大」として取り上げられたことから「ミス東大に選ばれた」と言われることがある[要出典]が、東京大学のミスコンテストで選ばれた等の具体的な実績があるわけではない。また、中央官庁に就職活動をする様子がNHK特集で取り上げられ、大蔵省に入省するまでの経緯がドキュメント番組として放送された。
  • 離婚歴が1度ある。大蔵省在職中の1986年、東京大学助教授(当時)の舛添要一とお見合い結婚したが、1989年に離婚。後に週刊新潮のインタビューの際、離婚の理由に舛添による暴力を挙げている。1990年、片山龍太郎と再婚した[4]

[編集] 村上ファンドとの関係

村上ファンドに出資した政治家や財界人の実名と投資額・投資時期が書かれた「投資家リスト」が流出し、その中に名前が載っていると報じられた[5]

[編集] 政策・主張

外国人参政権
外国人参政権については、永住外国人の帰化を広く認めるべきとした上で、「外国人参政権は安易に認めるべきではない」[6]との姿勢を示している。
潜水艦の査定
中央省庁再編後の財務官僚として女性初の財務省主計局主計官(防衛担当)を務めた。2005年度(平成17年度)の予算編成(2004年夏〜秋に編成)において、「潜水艦は時代遅れの兵器」という旨の発言をしたことがある。小泉政権の意を受け、「テロ弾道ミサイルなどの『新たな脅威』に対応するには組織、装備のスリム化と質的な向上が不可欠だ」とする財務省の方針に従い、防衛予算担当であった片山は自衛隊正面装備削減に尽力した[7]
その折衝の過程で「潜水艦は、冷戦構造を前提とした時代遅れの兵器である。増やす事など認めない」旨の発言をしたとされる。当該年度の予算では、要求のあったひゅうが型護衛艦 1隻(約2000億円)、そうりゅう型潜水艦 1隻(約1,200億円)整備が認められない一方で、ミサイル防衛関連経費、不審船対策は認められ、概ね財務省の方針の通りとなった。なお、この時点では認められなかった、ひゅうが型護衛艦の2番艦は2006年度予算で建造が認められた。また、そうりゅう型潜水艦については、漢級原子力潜水艦領海侵犯事件等の影響もあり、「平成17年度以降に係る防衛計画の大綱について」には潜水艦は現状維持の16隻態勢の維持が明記され、結果的に、防衛省の要求通り建造されることとなった。

[編集] 発言

国会議事堂内の写真撮影を批判
菅内閣蓮舫行政刷新担当相(民主党)が国会議事堂内でファッション雑誌VOGUE NIPPONの写真撮影に応じたこと[8]について、2010年10月8日、参議院本会議の代表質問にて、名指しは避けつつも、「事業仕分けで数十万円の商店街対策を切られ泣いている人が全国にいる。仕分けをした方が1着百数十万円のドレスを取っ換え引っ換えしているのを知ったら心中察してあまりある」と批判した[9]。ただし、片山も衆議院議員時代の2007年に、国会議事堂内でファッション誌の写真撮影に応じていたことが発覚した。それについて記者から質問された際には、「私は大臣じゃありませんから」と答えた。
経産官僚の容姿・風貌を批判
東北地方太平洋沖地震の対応に当たる経産官僚に対して、その容姿や風貌を揶揄する発言を行った。
片山はかつて経済産業大臣政務官を務めたことがあり、経産官僚の寺坂信昭西山英彦とは面識があった。東北地方太平洋沖地震の発生にともない、寺坂は原子力安全・保安院の院長として、西山は経済産業省大臣官房審議官(通商政策局担当)として、それぞれ福島第一原子力発電所事故の対応に奔走することになった。そのさなかである2011年3月19日、片山は「私が政務官時代、寺坂保安院長は、次長、『ズラ疑惑』がネットで流れている西山次長は、通商の米州課長から企画調整課長に代わったところでした!」[10]などと書くなど、震災対応には直接関係がなく言及する必要性がまったくないにもかかわらず、西山の容姿について揶揄するかのような論説を公表した。なお、震災対応当時の西山の肩書は「審議官」であり、原子力安全・保安院次長平岡英治であり別人であることから、「西山次長」[10]との表記も誤りであった。批判を浴びたため、片山は自サイトに掲載した論説の文章を改変し、再掲示した[11]

[編集] 不祥事

委員会採決無断欠席問題
2006年12月、衆議院経済産業委員会官製談合防止法改正案採決を無断欠席したとして、自由民主党国会対策委員会から「(1)所属常任委員会を変更」「(2)国会開会中の海外渡航を1年間禁止」「(3)翌年3月末まで国会対策委員会への出席停止」の処分を受けた。この処分により、経済産業委員会から決算行政監視委員会に所属が変更された。その後、経済産業委員会に復帰している。
私設秘書による暴行事件
2007年5月3日、浜松市中区にて、当時片山の私設秘書だった田中酉一が、浜松市議会議員に暴行し、顔や口に怪我を負わせる事件が発生した。田中は当該議員に対し、統一地方選挙での選挙協力の礼の電話がなかったと咎め、片山と当該議員を会わせるわけにはいかないと主張し、酒に酔った状態で暴行したとされる。片山は、暴行事件については言及せず「私が電話をしたときに初めてお礼を言ったので、本来お礼の電話を市議側から掛けてくるべき」とだけコメントした。2007年5月12日、田中は浜松中央警察署から静岡地方検察庁浜松支部に書類送検された[12]
給油量誤謬隠蔽問題
第168回国会での「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案」(補給支援特別措置法案)審議において、自衛隊インド洋派遣時の海上自衛隊補給艦からアメリカ海軍補給艦への給油量の公表値に誤りがあり海上幕僚監部が隠蔽していたことが発覚し、その問題に片山の秘書が関わっていたとことが明らかになった。片山の秘書である寺岡正善は、2003年に海上幕僚監部防衛部防衛課の課長を務めていたため、寺岡が給油量の誤りに気づきながら報告を怠り隠蔽したのではないかと疑惑が浮上した。野党が寺岡の証人喚問を要求する中、2007年10月22日付で寺岡は片山の秘書を辞任した。その後、衆議院「国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会」(いわゆる「テロ対策特別委員会」)から参考人招致を求められたが、寺岡は「私人として生活しており、参考人として公の場に出て行くことは家族等の生活に影響を及ぼす」[13]と主張し出席を拒否した。しかし、与党からの説得もあり、寺岡は2007年11月7日に参考人招致に応じ、上層部への報告を怠ったことについて「自分の判断で報告しなかった」[14]と明言した。また、統合幕僚会議議長石川亨が給油量を発表した後、マスコミから給油量について指摘され、寺岡は給油量の誤りにまだ気づいていなかったものの、いったん防衛庁長官官房長や防衛局局長に相談したと説明している[14]。寺岡の秘書辞任に際し、片山は「国会の関係は国対なので「ノーコメントにしてください」と言われているので、申し訳ない。個人的に知人だったんで、わたしは2005年の時、(防衛担当)主計官ですから。(給油問題の時は)知らなかったんですけど」と説明した[15]

[編集] 所属議員連盟

[編集] 著書

[編集] 脚注

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  1. ^ a b 平成二十二年七月十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における参議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件 (平成22年中央選挙管理会告示第16号) 「官報」 平成22年7月20日付 本紙 p.2
  2. ^ 総務省. “第22回参議院議員通常選挙結果調 開票結果 (11) 都道府県別党派別名簿登載者別得票数(比例代表):自由民主党”. 2010年7月31日閲覧。
  3. ^ 総務省. “第21回参議院議員通常選挙結果調 開票結果 (11) 都道府県別党派別名簿登載者別得票数(比例代表): 自由民主党”. 2010年7月20日閲覧。
  4. ^ 1984年当時交際していたがフランス留学を機に自然消滅していた[要出典]
  5. ^ 「ザ・ファクタ」 2006年8月号
  6. ^ 片山さつき Twitter 2010年1月15日
  7. ^ 日本の軍事#再編計画を参照
  8. ^ “参院議長が蓮舫氏を呼び「不適切」と注意 国会内でファッション誌撮影にポーズで応じ…”. 産経新聞. (2010年10月7日). http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101007/plc1010071234009-n1.htm 2010年10月25日閲覧。 [リンク切れ]
  9. ^ “過去突っ込まれ開き直り 蓮舫氏皮肉った片山氏”. 産経新聞. (2010年10月8日). http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101008/plc1010081944028-n1.htm 2010年10月25日閲覧。 [リンク切れ]
  10. ^ a b 片山さつき「全国に被災地支援協力の輪! 私が政務官時代、寺坂保安院長は、次長、『ズラ疑惑』がネットで流れている西山次長は、通商の米州課長から企画調整課長に代わったところでした!2011年3月19日
  11. ^ 片山さつき「全国に被災地支援協力の輪!私が政務官時代、寺坂保安院長は、次長、西山審議官は、通商政策局米州課長から保安院課長になり、二人はその後ずっと原子力畑2011年3月19日
  12. ^asahi.com:片山さつき衆院議員の元秘書を傷害容疑で書類送検 - 社会朝日新聞社、2007年6月12日[リンク切れ]
  13. ^ 「元防衛課長、参考人出席を拒否」 asahi.com:元防衛課長、参考人出席を拒否 - 政治 朝日新聞社、2007年11月2日。[リンク切れ]
  14. ^ a b 「元課長「給油量誤り、幹部に相談」――守屋氏認識の可能性」 asahi.com:元課長「給油量誤り、幹部に相談」 守屋氏認識の可能性 - 政治 朝日新聞社、2007年11月7日。[リンク切れ]
  15. ^ 「自民・片山 さつき議員の公設第一秘書・寺岡正善氏が突如辞任(フジTV)」 FNN-NEWS.COM フジニュースネットワーク、2007年10月23日。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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