山本左近

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山本左近
Sakon Yamamoto 2010 Motorsport Japan.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県豊橋市
生年月日 1982年7月9日(29歳)
F1での経歴
活動時期 2006-2007, 2010
過去の所属チーム '06 スーパーアグリ
'07 スパイカー
'10 HRT
出走回数 21
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 2006年ドイツGP
最終戦 2010年韓国GP
タイトル 0

山本 左近(やまもと さこん 1982年7月9日 - )は、F1ドライバー。愛知県豊橋市出身。血液型:A型。フジテレビF1中継でのニックネームは「不屈の三河武士」。

目次

[編集] 経歴

愛知県豊橋市で生まれる。愛知県豊橋市立青陵中学校、愛知県立豊橋南高等学校卒業。南山大学総合政策学部中退。

[編集] 国内フォーミュラ

2005年シーズンはフォーミュラ・ニッポン近藤真彦率いるKONDO Racingから参戦したほか、SUPER GTでは片岡龍也とコンビを組み、GT500クラスにトムススープラ(スポンサーは当初ダイナシティだったが、シーズン途中でオープンインタフェースに交代)で参戦。SUPER GTの第4戦(スポーツランドSUGO)で初優勝を遂げた。

2005年10月のF1日本GPでは、金曜フリー走行においてジョーダン・トヨタのサードカーをドライブ。レギュラードライバーを上回るパフォーマンスを見せた。

その余勢をかって出場した直後のフォーミュラ・ニッポン第8戦(ツインリンクもてぎ)では、チャンピオンを決めた本山哲を最後まで追い詰めての2位で初表彰台を獲得した。

2006年シーズン当初は、フォーミュラ・ニッポンは引き続きKONDO Racingより参戦。SUPER GTに関してはNISMOに移籍。ミハエル・クルムとともに参戦した。

[編集] F1

[編集] 2005年

2006年イギリスGP

2005年10月のF1日本GPで、ジョーダンのサードドライバーとして参戦し1日目午前のフリー走行1回目を走行し、レギュラードライバーよりも速いタイムをマークした。

[編集] 2006年

2006年6月のイギリスGPより急遽スーパーアグリF1チームのサードドライバーとして参戦し、ドイツGPからはフランク・モンタニーに代わってセカンドドライバーとして参戦した。

ドイツGPハンガリーGPイタリアGPではリタイアに終わるもラスト3戦(中国GP日本GPブラジルGP)では完走を果たす。なお、F1参戦に伴い、KONDO RacingとNISMOとの契約は解除された。

[編集] 2007年

2007年イタリアGP

2007年はBCN CompeticionからGP2にフル参戦すると共に、スーパーアグリに残留しテストドライバーも務めた。ただ、ジェームズ・ロシターが同チームのテストドライバーとして参加してからはテストでも走行機会が無く、GP2への参戦とスーパーアグリの広報活動に専念していた。

しかし、エティハド・アルダー・スパイカーF1チームのレギュラードライバーであったクリスチャン・アルバースが同チームを解雇された後、その後釜として白羽の矢が立ち、第11戦より最終戦までのレギュラードライバー契約を結んだ。そのため、スーパーアグリはテストドライバー契約の解除に応じた。

なお、スパイカーのシート獲得に関しては、ナレイン・カーティケヤンクリスチャン・クリエンなどの経験豊富なライバルを蹴落としての契約であった。

[編集] 2008年

2008年2月、ルノーF1とテストドライバー契約を結んだことが発表された。ルノーのテスト開発プログラムを担当するとともに、レースチームに全戦帯同している。ルノーはすでにルーカス・ディ・グラッシおよびロマン・グロージャンとテストドライバー契約を結んでおり、山本とのテストドライバー契約は3人目となる。なお、この契約の中には世界各地で行われる「ルノー・ロードショー」と呼ばれるデモランイベントでのドライブも含まれていた。

2008年7月16日、GP2シリーズへの復帰が発表され、ARTグランプリより第6戦ドイツ・ホッケンハイムから出走している。第7戦ハンガリー・ハンガロリンクのレース2で4位に入りGP2シリーズ初入賞。シリーズランキングは23位。

[編集] 2009年

2008年10月1日に、2008年-2009年のGP2アジアシリーズにメインシリーズで所属したARTグランプリよりフル参戦することが発表された。前年のチャンピオンチームから出走となり、エースカーであるカーナンバー1をドライブしていた。シリーズランキングは9位。なおこの年はF1チームとの契約及び参戦はなかった。

[編集] 2010年

2010年ドイツGP

2010年4月17日に、HRT F1とテストドライバー兼リザーブレースドライバー契約を結んだことが発表された。イギリスGPでは、レギュラードライバーであるブルーノ・セナに代わり山本が出走することが発表された[1]。戦闘力が低い上に慣れないマシンために予選は24位と低迷したものの、2007年以来の決勝出走を果たし、20位で完走した。

また、ドイツGPからは、カルン・チャンドックの代わりに正ドライバーとして参戦することが、マネージングディレクターのコリン・コレスより発表された[2]

9月12日に行われたイタリアGPのピットイン時には、ロリポップが上がり、残りのピットクルーがマシンから離れた後も作業を行っていたメカニックが、山本がピットレーンから発進した際にリアウイングと接触し負傷するというアクシデントに見舞われた[3]。なおこのレースでは、23位からスタートし19位で完走した。第14戦シンガポールGPでは食中毒で(というのは表向きで、実際は別の要因であったといわれている[4])欠場を余儀なくされ、山本の代役にクリスチャン・クリエンが務めることとなった[5]

10月10日に行われた日本GPには2戦ぶりに出場、予選24位からスタートで完走扱いを除く完走者(ニコ・ロズベルグがタイヤ離脱でリタイヤも完走扱いで17位)の中では最後尾の16位ながら中盤にはティモ・グロックを十数周に渡ってブロックし続けるなど見所を作り、地元ファンを湧かせた。

第18戦ブラジルGPと、続く最終戦アブダビGPはクリエンと交代した。クリエンは第14戦シンガポールGPに代役出場した際、左近のスポンサーの1つがなかった為、クリエンの方がチームにとって大きな資金をもたらしたため言われており、終盤2戦の交代劇もこの影響があるものと考えられている[6]あるいは、本来ならばセナを外して左近とクリエンにしたいがセナとの契約のためにどちらかを外さざるを得なかったとも言われている。[要出典]

尚、山本がヒスパニア・レーシングのシートを獲得した背景には5百万ドル(約4億3500万円[7])ものスポンサーマネーが動いたと言われており[8]、豊富なスポンサー資金でシートを得たと見る向きも多い[4]。フジテレビの地上波放送では2010年シーズン参戦初戦のイギリスGPと、下位ながら見せ場を作った日本GPを除けば、小林可夢偉の陰に隠れほとんど取り上げられることはなかったが、ヒスパニア・レーシングの2011年シーズンにおける有力ドライバー候補に残るなどをしており、チームからは山本の金銭面以外の部分にも良い評価を勝ち得ていた[9]

[編集] 2011年

2011年はHRTからのフル参戦の可能性もあったが、結局HRTはドライバーをナレイン・カーティケヤンヴィタントニオ・リウッツィに変更し、彼はHRTから放出される。その後ヴァージン・レーシングと3戦限定リザーブドライバーとして契約した[10]。当初は3戦限定であったが、その後のレースもリザーブドライバーとしてチームに帯同している。

[編集] 評価

  • 2005年の日本GPでジョーダンのサードシートを得た際、いきなりレギュラードライバーを凌ぐタイムを記録したことや、その後、体制的に恵まれない状況が続きながらも安定した走りを見せるなど、ドライバーとしての順応性の高さを評価する向きは多い。
  • 各カテゴリーにおいてチャンピオンを獲得するような圧倒的な速さなどは発揮していないものの、トントン拍子で上位カテゴリーへステップアップを遂げ、F1でも2005年からほぼ毎年しぶとくシートを獲得している。これについては、メーカーのサポートを受けている訳でもなく、主だった大きなパーソナルスポンサーを持っている訳でもないことから、マネージメント陣の能力の高さや自前での資金力による効果が大きいとの見方もある。

[編集] エピソード

  • 高校時代にレコードを集めだしてからターンテーブルを手に入れ、プロレーサーになってからもDJを趣味としている[11]。腕前はプロ並みで、ミュージシャン達とクラブイベントに参加しているほか、F1の音楽イベント「F1ロックス」にも出演している。
  • 2008年6月には、セレブタレントとして知られるマリエと路上でキスしている写真が写真週刊誌フライデー』に掲載され話題となった[12]。元々マリエの父親が大手石油会社の国内代理店を経営しており、福田良など多くのドライバーの育成にも関わっていたところから知り合ったと言われている。
  • 現在はスペインに住んでおり、スペイン語を第2言語として使っている山本はヒスパニア・レーシングチーム代表であるコリン・コレスとスペイン語で会話をしている。

[編集] F1での年度別成績

所属チーム カーナンバー 獲得ポイント ランキング 決勝最高位・回数 表彰台回数 *予選最高位・回数
2006年
第12~18戦
スーパーアグリF1 23 0 19位 16位・2回 0回 19位・1回
2007年
第11~17戦
スパイカーF1 21 0 24位 12位・1回 0回 22位・7回
2010年
第10~17戦
ヒスパニアレーシング 20/21[13] 0 26位 15位・1回 0回 21位・1回

*予選順位はペナルティなどを反映した決勝グリッド

年度 チーム マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 WDC ポイント
2006年 スーパーアグリ SA06 BHR
MAL
AUS
SMR
EUR
ESP
MON
GBR
CAN
USA
FRA
GER
Ret
HUN
Ret
TUR
Ret
ITA
Ret
CHN
16
JPN
17
BRA
16
26位 0
2007年 スパイカー F8-VII AUS
MAL
BHR
ESP
MON
CAN
USA
FRA
GBR
EUR
HUN
Ret
TUR
20
ITA
20
BEL
17
JPN
12
CHN
17
BRA
Ret
24位 0
2010年 HRT F110 BHR
AUS
MAL
CHN
ESP
MON
TUR
CAN
EUR
GBR
20
GER
Ret
HUN
19
BEL
20
ITA
19
SIN
JPN
16
KOR
15
BRA
ABU
26位 0

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 山本左近、ブルーノ・セナに代わってイギリスGPに参戦 - F1 Gate.com 2010年7月9日
  2. ^ 山本左近、カルン・チャンドックに代わってドイツGPに参戦 - F1 Gate.com 2010年7月17日
  3. ^ F1=イタリアGP、山本のマシンとメカニックが接触事故”. ロイター (2010年9月13日). 2011年1月10日閲覧。
  4. ^ a b “山本左近、シンガポールGP欠場は大人の事情?”. F1 Gate.com. (2010年9月25日). http://f1-gate.com/sakon/f1_9291.html 2011年3月23日閲覧。 
  5. ^ “山本左近、食中毒でシンガポールGPを欠場 … 代役はクリエン”. F1 Gate.com. (2010年9月24日). http://f1-gate.com/sakon/f1_9266.html 2010年9月26日閲覧。 
  6. ^ “クリスチャン・クリエン 「山本左近の代役は一戦限り」”. F1 Gate.com. (2010年9月27日). http://f1-gate.com/klien/f1_9340.html 2011年3月23日閲覧。 
  7. ^ 2010年7月下旬での為替相場 = 1ドル約87円でのレート換算
  8. ^ “Yamamoto set to keep HRT seat for Hungary”. motorsport.com. (2010年7月26日). http://old.motorsport.com/news/article.asp?ID=379438?ID=379438 2011年3月23日閲覧。 
  9. ^ “山本左近、それでもヒスパニア・レーシングの有力候補”. FMotorsports F1. (2011年1月12日). http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/247385/0/66648798 2011年3月23日閲覧。 
  10. ^ “山本左近、ヴァージンとリザーブドライバー契約”. F1 Gate.com. (2011年3月23日). http://f1-gate.com/sakon/f1_11175.html 2011年3月23日閲覧。 
  11. ^ DJ KAWASAKI×F1レーサー 山本左近 音楽対談(2)”. LOUNGE INTERVIEW. Web Magazine OPENERS. pp. 2/3 (2010年9月3日). 2012年1月29日閲覧。
  12. ^ マリエ&F1左近、路上で熱烈キス - MSN産経ニュース
  13. ^ セナ、チャンドックの双方のマシンをシェアする為、車番が異なる

[編集] 外部リンク


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