大村秀章
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| 衆議院議員 大村 秀章 |
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| 生年月日 | 1960年3月9日(49歳) | ||
| 出生地 | 愛知県碧南市鷲塚町 | ||
| 出身校 | 東京大学 | ||
| 学位・資格 | 法学士 | ||
| 前職 | 農林水産省職員 | ||
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所属委員会
内閣役職
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厚生労働副大臣 |
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| 世襲 | 無 | ||
| 選出選挙区 | 愛知13区 | ||
| 当選回数 | 4回 | ||
| 所属党派 | 自由民主党(津島派) | ||
| 党役職 | 愛知県支部連合会々長 愛知県第十三選挙区支部長 |
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| 会館部屋番号 | 衆・第一議員会館243号室 | ||
| ウェブサイト | 大村ひであきOfficial Site | ||
大村秀章(おおむらひであき、1960年3月9日 ‐ )は日本の政治家。愛知県碧南市出身。自由民主党所属の衆議院議員。第1次小泉内閣で経済産業大臣政務官、第1次小泉内閣第1次改造内閣で内閣府大臣政務官、安倍晋三内閣で内閣府副大臣を歴任した。
目次 |
[編集] 経歴
愛知県立西尾高等学校、東京大学法学部卒業後農林水産省に入省、のちに退職。
- 1996年10月20日の第41回衆議院議員総選挙に出馬し初当選を果たした。
- 2000年6月25日の第42回衆議院議員総選挙に連続で当選。
- 2001年4月26日に発足した小泉内閣では経済産業大臣政務官に就任した。
- 2002年9月30日の小泉改造内閣では内閣府大臣政務官を務めた。
- 2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙に民主党の前職島聡に復活当選も許すも3度目の当選を果たした。
- 2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では島の復活当選も許さないほどの勝利を収めた。
- 2006年10月選挙対策総局次長に就任。同年12月28日行政改革担当大臣に就任した渡辺喜美の後任として内閣府副大臣に就任した。
- 2008年9月、麻生内閣で、厚生労働副大臣に就任した。
- 2009年1月、年越し派遣村に厚労省の建物を開放する決定に携わった。
[編集] 主な所属議員連盟
- 北京オリンピックを支援する議員の会幹事。
- 自民党遊技業振興議員連盟(自民党パチンコ議連)幹事長
- パチンコ・チェーンストア協会政治アドバイザー[1]。
- 日韓議員連盟
- 日中友好議員連盟[1]
- 外国人材交流推進議員連盟
- 自民党動物愛護管理推進議員連盟
[編集] 人物
自由民主党厚生労働部会長、衆議院厚生労働委員会筆頭理事などを務めた経験もあり、年金記録漏問題では政府の代弁者の立場をとっている。厚生労働委員会理事として障害者団体や野党からの反対が強かった障害者自立支援法や、後期高齢者医療制度(高齢者の医療の確保に関する法律)などの立案、成立に尽力した。
また多数のテレビ番組に出演し、現在は日本テレビで放送されている「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」にレギュラー出演している。2006年11月10日の放送では、筑波大学教授の中川八洋と核武装論を巡って激しく罵倒し合う展開となった。2007年4月27日の議員宿舎に関する討論では、番組内で自身の議員宿舎を公開している。「ウナギイヌ」(写真→)に似ていると言われたり、ビートたけしから「釣りバカ日誌のキャラクターみたいな顔をしている」と言われた事があるように、あまりメディア映えしないキャラクターと揶揄される事もあるが、一方『一度見たら忘れられない顔憶えられやすい顔』とも評され、上記の様に政治関係のTV番組を中心に、自民党の論客としてメディア出演が多い。
2007年6月15日、太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。の番組内で「選挙が国会議員の仕事だ」と発言し、「選挙に通った後からの方が国会議員の仕事じゃないの?」と切り返され会場全体から失笑されてしまう(直後に「選挙も仕事の一つです」と訂正していた)。
2007年6月17日放送分のサンデープロジェクトでは、年金記録問題の与党代表として首相直々の指名を受け出演し、一年以上前から年金問題を追及してきた民主党の長妻昭と討論をしたが、大村は「人間だから」という言葉を連発して、結局年金のデータ消失の事実を認めず、都合が悪くなると長妻の話を遮りつづけ、民主党の批判に見苦しくも終始した。討論終盤でも出演者が話している途中で議論を遮り自論を一方的に続けた為、司会の田原総一郎やコメンテーターの財部誠一(そのときのテロップでは何故か高野孟と名前が表示されていた)から「人の話を聞け」と叱責された。直後のビートたけしのTVタックルでも同じことを繰り返したため、「悪い癖」と批判された。
そのため、2007年6月25日に河野太郎衆院議員のブログで〈党本部から、年金問題をテーマにしたテレビ出演は、鴨下一郎代議士以外は認めないというお達しが出た〉と報じられ、年金問題を扱うTV番組に出られなくなってしまった。
[編集] その他
- 人権擁護法案の推進論者である。
- WikiScannerにより、当項目に衆議院内部のパソコンから「社会保障分野にも明るく、自民党の若手社会保障専門家として頭角を現す」と、書き込まれていることが判明した。
[編集] 不祥事
- 2007年1月28日、衆議院内部規定(1994年12月衆議院管理委員会決定)に違反し、大村が資金管理団体以外の政治団体の「主たる事務所」を議員会館に設置していたことが発覚した。大村が代表の「政経セミナー 2002」は2002年10月から2007年1月現在まで、資金管理団体ではないにも関わらず、衆議院議員会館の大村事務所に「主たる事務所」を置いていたことが新聞報道された。マスコミからの取材に対し、大村の選挙事務所では、主たる事務所の所在地変更を検討中と回答している。
[編集] 所属団体
[編集] 著書
- 『それでも日本は蘇る-21世紀への10の指針-』日経事業出版社1998年5月、ISBN 4930746493
- 『再生、興国への突破口-それでも日本は蘇る-』小学館クリエイティブ2003年6月ISBN4797986441

