大村秀章
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おおむら ひであき
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| 生年月日 | 1960年3月9日(53歳) |
| 出生地 | 愛知県碧南市 |
| 出身校 | 東京大学法学部 |
| 所属政党 | (自由民主党(平成研究会)→) (無所属→) 日本一愛知の会 |
| 称号 | 法学士 |
| 公式サイト | 大村ひであきOfficial Site |
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| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2011年2月15日 - 現職 |
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| 選挙区 | (比例東海ブロック→) (愛知13区→) 比例東海ブロック(愛知13区) |
| 当選回数 | 5回 |
| 任期 | 1996年10月20日 - 2011年1月14日 |
大村 秀章(おおむら ひであき、1960年(昭和35年)3月9日 ‐)は、日本の政治家、農水官僚。愛知県知事(民選第17代)、日本一愛知の会会長(代表)、日本維新の会顧問。
衆議院議員(5期)、厚生労働副大臣(麻生内閣)、内閣府副大臣(安倍内閣)等を歴任した。
目次 |
来歴・人物 [編集]
愛知県碧南市生まれ。愛知県立西尾高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後の1982年4月、農林水産省に入省する。
衆議院議員 [編集]
1996年、第41回衆議院議員総選挙に自民党公認で愛知県第13区から出馬。愛知13区では新進党公認の嶋聡に敗れるが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、初当選を果たした(当選同期に平沢勝栄・河本三郎・桜田義孝・下村博文・下地幹郎・滝実・棚橋泰文・谷畑孝・田村憲久・戸井田徹など)。主な敗因は大村が碧南市の出身であるため、愛知13区の大票田である安城市での知名度不足であった。そのため選挙後に安城市篠目町に転居し、町内行事等に積極的に参加。また選挙事務所の本部を三河安城駅前に常設した。当選後は当時の橋本龍太郎首相の出身派閥である平成研究会に入会。4年後の2000年の第42回衆議院議員総選挙では愛知13区で民主党の嶋聡を僅差で破り、再選(嶋も比例復活)。この時の大村・嶋の得票差はわずか339票であった。2001年4月、第1次小泉内閣で当選2回ながら経済産業大臣政務官に任命される。2002年9月、第1次小泉改造内閣で内閣府大臣政務官に就任。2003年の第43回衆議院議員総選挙では再び愛知13区で嶋を破るが、再度嶋に比例復活を許した。2005年の第44回衆議院議員総選挙では自民党への強い追い風に乗り、愛知13区で嶋に大差をつけて4選。
2006年10月、自民党選挙対策総局次長に就任するが、同年12月28日、渡辺喜美内閣府副大臣の内閣府特命担当大臣就任に伴い、後任の内閣府副大臣に任命される(なお渡辺と大村は96年初当選の同期)。2008年、麻生内閣で厚生労働副大臣に就任。舛添要一厚生労働大臣の下、当時社会問題化していた派遣切りに対応し、年越し派遣村に厚生労働省の建物(講堂)を開放する決定に携わった。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、愛知13区で民主党公認の大西健介に敗れ、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、5選。この選挙では、愛知県の全選挙区で民主党が議席を獲得し、比例復活した自民党の候補者も大村ただ1人であった。同年の自由民主党総裁選挙では河野太郎を擁立し、選挙対策本部の中核を占めるも、河野は谷垣禎一元財務大臣に敗れた。なおこの総裁選で河野陣営に参加した大村や松本純、新藤義孝、菅義偉はいずれも96年初当選の同期である。2010年、衆議院決算行政監視委員長に就任。
愛知県知事 [編集]
2010年10月、名古屋市の河村たかし市長から、翌2011年2月に実施される愛知県知事選挙への出馬を打診され[1]、11月13日には出馬の意向が報じられた[2]。これらの報道に対し、自民党からは「どうしても立候補すると言うなら、今の時点で離党してもらわなければいけない」(伊吹文明元自由民主党幹事長)等の批判がなされた[3]。12月1日、自民党愛知県連から大村が愛知県知事選に出馬した場合の除名を求める上申書が党本部に提出された[4]。12月3日、大村は石原伸晃幹事長に離党届を提出し[5]、12月6日に正式な出馬表明を行った。12月8日、自民党党紀委員会は離党届を受理せず、反党行為により大村の除名処分を賛成10票・反対5票の賛成多数で決定した[6]。また、除名後も大村が選挙区支部を解散しなかったため、2011年7月、自民党本部が総務省に対して解散を届け出た。
12月21日、地域政党「日本一愛知の会」の設立を発表[7][8]し、同会会長に就任した。2011年1月14日、横路孝弘衆議院議長に辞職願を提出し許可され、衆議院議員を辞職。大村の辞職により、望月義夫が繰り上げ当選した[9]。
2011年2月の愛知県知事選挙では、同日実施された名古屋市長選挙に立候補した河村たかし同様、県民税の10%減税を掲げ、愛知県知事選史上2番目に多い1,502,571票(得票率49.3%)を獲得して圧勝[10]。なお選挙戦では、自民党の菅義偉や河野太郎の支援も受けた。同年10月、愛知県知事選の公約であった県民税10%減税を断念し、実施を2014年度に先送りする意向を表明した[11]。
2012年1月、政治塾「東海大志塾」の設立を発表し、塾長に就任した[12]。同年8月、政治団体「中京維新の会」を設立する意向を表明。橋下徹が設立した大阪維新の会に呼応する動きであったが、中京維新の会設立に減税日本代表の河村名古屋市長は強い不快感を示した[13]。
エピソード [編集]
- 農林水産省出身ながら、厚生労働副大臣をはじめ自民党厚生労働部会長、衆議院厚生労働委員会筆頭理事を務めた経験があり、障害者自立支援法や後期高齢者医療制度(高齢者の医療の確保に関する法律)等の政策立案や法案成立に尽力した。
- 愛知県知事就任後、2011年7月28日に首相官邸を訪問し、枝野幸男内閣官房長官(当時)と会談。東日本大震災及びそれに続く記録的な円高・ドル安に対処するため、政府及び日本銀行による為替介入、中小企業へのサポートなどを含む県や地元労使4団体の緊急要請文を手渡した[14]。さらに8月17日には全国知事会の円高対策プロジェクトチームの取りまとめ役として、政府と日銀に対して復興債の日銀直接引受けやインフレターゲットの導入を要請した[15]。大村は官邸で福山哲郎内閣官房副長官(当時)に面会した後、記者団に対して「(日銀引受けを)政治として決断してもらいたい」と述べた。
- 2011年の「世界コスプレサミット」に、「宇宙戦艦ヤマト」に登場するデスラーのコスプレで登場し、来賓挨拶を行った。
不祥事 [編集]
- 2005年(平成17年)の衆議院選挙の際に、大村派選挙運動員として活躍していた当時の碧南市議が自らの後援会メンバーに接待を行った疑いで逮捕された[16]。
- 衆議院議員在職中、自民党愛知県第13選挙区支部長を務めていたが、2007年から2008年にかけて暴力団山口組と強い関係があるとして愛知県の公共工事の入札から排除された人材派遣会社から、計24万円の政治献金を受けていたことが判明した[17]。大村自身は、「暴力団と関係があったとは知らなかった」と弁明している[18]。
所属団体・議員連盟 [編集]
- 北京オリンピックを支援する議員の会(幹事)
- 自民党遊技業振興議員連盟(幹事長)
- パチンコ・チェーンストア協会政治アドバイザー[19]
- 日韓議員連盟
- 日中友好議員連盟[20]
- 外国人材交流推進議員連盟
- 自民党動物愛護管理推進議員連盟
- 速やかな政策実現を求める有志議員の会
- 遊技業振興議員連盟(幹事長)
- 国際観光としてのカジノを考える議員連
- 例外的に夫婦の別姓を実現させる会
テレビ出演 [編集]
- 衆議院議員在職中から多数のテレビ番組に出演している。「ウナギイヌに似ている」と言われたり、ビートたけしから「釣りバカ日誌のキャラクターみたいな顔をしている」と評されるなど、あまりメディア映えしないキャラクターと揶揄されることもある。
- 日本テレビ放送の「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」にレギュラー出演していた。核武装をテーマとした2006年11月10日の放送では、筑波大学教授の中川八洋の発言を遮り重ねて質問をしたため、中川から「あなた頭が悪いんですね」と言われ、中川を激しく罵倒し中川の発言を遮り続ける展開となった。2007年4月27日の議員宿舎に関する討論番組では、自身の議員宿舎を公開している。2007年6月15日には「選挙が国会議員の仕事だ」と発言し、「選挙に通った後からの方が国会議員の仕事じゃないの?」と切り返され会場全体からの失笑を受けたが、直後に「選挙も仕事の一つです」と訂正した。
- 2007年6月17日放送分の「サンデープロジェクト」では、年金記録問題の与党代表として首相直々の指名を受け出演し、一年以上前から年金問題を追及してきた民主党の長妻昭と討論をした。大村は「人間だから」という言葉を連発して、結局年金のデータ消失の事実を認めず、民主党への批判に終始した。討論終盤に於いても他の出演者がトーク中、議論を遮り自論の展開を一方的に続け、司会の田原総一朗やコメンテーターの財部誠一(テロップでは何故か高野孟表示)から「人の話を聞け」と叱責された。直後の「ビートたけしのTVタックル」でも同じことを繰り返し「悪い癖」と批判された。
- 2012年の「Qさま!!」に出演。番組内で得意科目を聞かれて「僕なんか長い間学校にいっていないんだからできるわけないでしょ! でも、まあ、あえて言うんなら歴史」と答えた。また知事就任後には、同番組「プレッシャースタディ」のコーナーに出演した。
著書 [編集]
- 『それでも日本は蘇る-21世紀への10の指針-』日経事業出版社1998年5月、ISBN 4930746493
- 『再生、興国への突破口-それでも日本は蘇る-』小学館クリエイティブ2003年6月ISBN4797986441
- 『戦略なき政治を斬る』小学館クリエイティブ 2010年10月 ISBN978-4-7780-9002-9
- 『中京維新-日本が蘇る5大改革戦略!-』PHP研究所 2012年10月 ISBN978-4-569-80885-7
関連項目 [編集]
脚注 [編集]
- ^ “河村市長、自民・大村氏に愛知知事選出馬要請” (日本語). 読売新聞. (2010年10月16日) 2010年11月13日閲覧。
- ^ “河村市長が要請…自民・大村氏、愛知知事選へ” (日本語). 読売新聞. (2010年11月13日) 2010年11月13日閲覧。
- ^ 大村氏、知事選出馬なら離党を=自民・伊吹氏時事ドットコム 2010年11月18日
- ^ 選挙:愛知県知事選 自民県連、大村氏除名の上申書を提出--立候補意向を受け毎日jp 2010年12月1日
- ^ 自民・大村議員が離党届、愛知県知事選へ意欲YOMIURI ONLINE 2010年12月3日
- ^ 自民、知事選出馬の大村氏除名 党愛知県連は別候補擁立 - 共同通信 2010年12月8日配信記事
- ^ http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201101130035.html
- ^ 大村ひであき活動レポート大村ひであきblog 2010年12月21日
- ^ 衆議院:大村秀章氏が辞職 望月義夫氏が繰り上げ当選毎日jp 2011年1月14日
- ^ “大村氏へ秋波…愛知県議選、公認・推薦求めて”. 読売新聞. (2011年2月11日) 2011年2月11日閲覧。
- ^ 大村愛知知事:県民税減税、14年度に実施…規模は未定
- ^ 東海大志塾 大村ひであきオフィシャルサイト 2012年3月27日
- ^ 愛知県知事・大村秀章vs名古屋市長・河村たかし “中京維新”バトルの行方
- ^ 知事ら円高是正を要請 政府・日銀に 中日新聞 2011年7月29日
- ^ 復興債の日銀引き受け要請 知事会、円高阻止・デフレ脱却で SankeiBiz 2011年8月17日
- ^ 大村氏派運動員を逮捕 公選法違反容疑[リンク切れ]
- ^ 献金:組関係企業が愛知知事団体に24万円--07~08年 毎日新聞 2011年8月5日
- ^ 大村・愛知県知事:組関係企業献金「知らなかった」 毎日新聞 2011年8月5日
- ^ 「パチンコ・チェーンストア協会」(PCSA)
- ^ [1]
外部リンク [編集]
- 大村ひであきOfficial Site
- 大村秀章 (ohmura_hideaki) - Twitter
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2008年 - 2009年 渡辺孝男と共同 |
次代: 細川律夫 長浜博行 |
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2006年 - 2007年 平沢勝栄・林芳正と共同 |
次代: 木村勉 山本明彦 中川義雄 |
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2010年 |
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