除名
除名(じょめい・じょみょう)とは、ある団体の構成員に対し、当該構成員の意に反して構成員たる地位を失わせる処分。
通常、当該構成員が団体の規則に違反し、それに対する制裁として行われる。この場合、地位の復権は認められない。
目次 |
[編集] 法律における除名
| この節は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。 |
[編集] 議員の除名
国会議員の除名については日本国憲法第58条、国会法第122条、衆議院規則第245条、参議院規則第245条に、地方議員の除名については地方自治法第135条に規定している。除名処分は、院内の秩序を乱した議員が対象である。除名対象議員が所属する議院の本会議において出席議員の三分の二以上(地方議員は四分の三以上)の多数の賛成による議決が必要である。除名処分が下されると、議員の身分を失う。除名処分者は処分後の選挙で当選することによって、再び議員となることができる。
議院規則に基づき、本会議決議における除名決議において出席議員の三分の二以上の多数による賛成がなかった場合、出席議員の過半数の賛成で他の懲罰を科することができる。
[編集] 過去に除名された国会議員
| 本会議採決日 | 議院 | 議員 | 賛 | 反 | 比率 | 理由 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1893年12月13日 | 衆議院 | 星亨 | 185 | 92 | 66.78% | 収賄疑惑によって議長不信任が議決されたにも関わらず、議長の座に固執したため |
| 1938年3月23日 | 衆議院 | 西尾末広 | 320 | 43 | 88.15% | 国家総動員法案の審議において近衛首相を「スターリンの如く」と賞賛した発言を逆に政友・民政両党が問題視したため |
| 1940年3月7日 | 衆議院 | 斎藤隆夫 | 296 | 7 | 97.69% | 反軍演説が軍部の反発を招いたため |
| 1950年4月7日 | 参議院 | 小川友三 | 118 | 10 | 92.19% | 本会議での予算案採決に際し、反対討論を行っていながら賛成票を投じたことが国会運営の原則を無視するものだとして野党の反発を招いたため |
| 1951年3月29日 | 衆議院 | 川上貫一 | 239 | 71 | 77.10% | 代表質問での不規則発言(政府・GHQの政策を反動と非難して社会主義国家と革命を賞賛、議会政治の否定とも受け取れる発言)への陳謝を拒否したため |
[編集] 除名決議に関連する訴訟事件
[編集] 民法上の除名
組合においては、正当な理由がある場合に限り、他の組合員の一致によってすることができる。ただし、この要件は組合の内規により緩和することができる。公益社団法人、公益財団法人、医療法人財団、職業訓練法人および学校法人における構成員(社団法人の構成員)の除名については寄附行為で、一般財団法人および一般社団法人の場合は定款で定める(民法37条)。
「寄附行為#財団法人の寄附行為」および「公益法人#公益法人と一般社団法人・一般財団法人の違い」も参照
[編集] スポーツ界の除名
日本の場合は、財団や社団となっている各競技団体が前述の「民法上の除名」に沿って、寄附行為や定款、またはルールブックなどで定めている。
[編集] 日本野球機構の除名
プロ野球を統括する日本野球機構では、野球協約[1]第18章に「有害行為」という条項があり、有期・無期・永久の3段階の失格処分が定められている。このうち無期と永久が本項の「除名」に相当するものである。失格処分を受けた場合、選手、指導者はもちろん、解説者や評論家としてテレビや新聞で解説、寄稿をすることも禁じられる。プロ野球マスターズリーグも例外ではない。
詳細は「引退#失格選手」および「黒い霧事件 (日本プロ野球)#関係者の処分」を参照
「池永正明#黒い霧事件・永久追放処分」および「永易将之#黒い霧事件」も参照
なお永久失格は15年、無期失格は5年経過後に本人からの申請で見直しを行い、解除することができる(無期失格はその前でもコミッショナーが宣言すれば解除可能)。
詳細は「池永正明#復権」を参照
[編集] 日本相撲協会の除名
たとえば財団法人日本相撲協会では、除名は理事会の4分の3以上の賛成で評議員会を招集し、そこで役員・役員以外の年寄全員、日本国籍を持つ横綱・大関陣全員、および立行司からなる評議員全体の4分の3以上の賛成によって特別決議する必要がある。これは「解雇」を上回る最も重い処分で、一般企業の懲戒解雇、ヤクザ社会の絶縁に相当する強い意思を協会所属員の総意によって表すものと位置づけられる。
「日本相撲協会#解雇」も参照
決議された場合は退職金、功労金(一般企業の特別退職金に相当)などが一切支払われない。また今後協会が行う一切の活動に参加できなくなるだけでなく、協会ないしは関連の企業との間で利害関係、取引関係を持つこともできなくなる。
1925年(大正14年)の現法人設立以降では適用された例はないが、明治時代に運営方法の対立から相撲協会とは別の団体を立ち上げようとした力士数名が除名となった例がある。2009年には大麻所持で逮捕された力士に対して除名論が出たが、「前年に大麻所持で逮捕された別の力士を解雇にしており整合性がとれない」「(4分の3以上に緩和されていても)否決でもされれば余計混乱する」として解雇に落ち着いている(なお、解雇でも「引退を許さない」点で重い処分であり、相撲のプロ組織は相撲協会しかないため事実上選手生命を絶たれることになる)。
詳細は「日本相撲協会#過去に処分された力士・親方衆」を参照
[編集] 日本学生野球協会の除名
大学・高校のアマチュア野球を統括する財団法人日本学生野球協会では、日本学生野球憲章第29条に「協会は学生野球団体、野球部、部員、指導者、審判員および学生野球団体の役員が本憲章に違反し、または前条の注意または厳重注意に従わない場合には、当該の者に対して処分をすることができる」と定めており、その最も重い処分として同30条に除名の規定がある。除名処分を受けると、該当する個人の学生野球に関わる資格がすべて失われ、憲章15条にある「学生野球資格を持たない者との交流」からも排除される。
処分は高校であれば都道府県高等学校野球連盟から日本高等学校野球連盟に報告され、審議委員会で処分の方向性を決定した後、日本学生野球協会の審査室会議に上申されて最終決定が行われる。大学の場合は、所属する大学野球連盟から全日本大学野球連盟への報告を経て協会への上申となる。ただし協会に直接上申がなされることも可能で、この場合は審査室長の指示で日本高野連と全日本大学野球連盟が調査をしなければならない。
詳細は「日本学生野球協会#審査室」および「日本高等学校野球連盟#出場停止について」を参照
協会は、除名によって学生野球資格を失った者であっても反省の度合いによっては復帰への道を開いており、憲章29条の6に「処分後の被処分者の情状を考慮して、処分の内容を解除変更することができる」と規定、将来的に除名が取り消される可能性もある。また、審査室が行った除名の決定に不服の場合は協会会長、または日本スポーツ仲裁機構に申し立てができるとも定めている。
1946年(昭和21年)の設立以降現在まで、協会が部員(選手)個人に対して除名処分を行った例はない。2011年(平成23年)12月、覚せい剤取締法違反で逮捕されたとして神奈川県立弥栄高等学校の野球部長を務めていた元教師が日本学生野球協会審査室会議で除名処分を受けたが、出席した日本高野連審議委員長西岡宏堂は「薬物汚染を理由に指導者が除名されたのは史上初ではないか」と認めた[2]。また野球部全体に対する除名は2007年(平成19年)に専修大学北上高等学校が日本高野連審議委員会から処分相当の内示を受け協会に上申された例があるが、この時は審査室会議の前に野球部の解散を発表して処分は行われなかった。
詳細は「専修大学北上高等学校#部活動」を参照
[編集] 政党の除名
政党においても、党規則で反党行為や反社会的行為や公序良俗に反する行為に対する党員への除名を定めている。特に、国会議員経験者や中央幹部経験者の行動における政党本部による処分の場合は注目される。
[編集] 国会議員経験者の除名処分
いずれも後の保守合同によって自由民主党に参加している。
- 杉原荒太(1956年):参院選出馬に伴うもの・当選したため復党
- 辻政信(1959年):参院選出馬に伴うもの・参院議員当選後は無所属クラブへ移籍
- 塚田十一郎(1968年):参院選出馬に伴うもの・当選したため復党
- 大橋武夫(1971年):島根県知事選をめぐる党内内紛・その後復党
- 松田九郎(1995年)
- 柿澤弘治(1999年):無所属の会へ移籍
- 栗本慎一郎(1999年):通信傍受法への反対から・自由連合へ移籍
- 上川陽子(2000年):総選挙の公認争いで無所属出馬したことから・当選したため例外として同年中に復党。
- 飯島忠義、新井正則、坂井隆憲、宮島大典、吉田幸弘(2004年):宮島は民主党へ
- 中西一善(2005年)
- 綿貫民輔、亀井静香、亀井久興、長谷川憲正、亀井郁夫(2005年):国民新党へ移籍し綿貫と亀井静香は歴代代表
- 津島恭一、小林興起(2005年):国民新党を経て民主党へ
- 滝実(2005年):新党日本を経て民主党へ
- 青山丘、宮本一三(2005年):新党日本を経て国民新党へ
- 荒井広幸(2005年):新党日本を経て新党改革へ
- 野呂田芳成(2005年)
- 佐藤静雄、大仁田厚(2007年)
「大仁田厚#政界引退」も参照
- 松田岩夫、小見山幸治(2010年):小見山は民主党へ
- 清水鴻一郎、水野賢一(2010年):みんなの党へ移籍
- 舛添要一(2010年):新党改革へ移籍し代表
詳細は「新党改革#舛添要一の合流と党名変更」を参照
- 与謝野馨、中山成彬(2010年):たちあがれ日本へ移籍
- 大村秀章(2010年):愛知県知事選への出馬を表明、当選も復党せず
- 浜田和幸(2011年):内閣総理大臣菅直人からの総務政務官就任要請を受諾。その後無所属を経て国民新党に移籍
民主党では対外的には「除籍」という言葉を使うが、除名と同義である。
- 山本譲司(2000年)
- 田中甲(2001年):新党尊命を結成
- 熊谷弘、佐藤敬夫、金子善次郎、山谷えり子、江崎洋一郎(2002年):保守新党結成に参加・熊谷は自身2度目の除名
- 古賀潤一郎、佐藤観樹(2004年)
- 小林憲司、田村秀昭、西村真悟(2005年):田村は国民新党へ、西村は無所属を経て改革クラブへ
- 渡辺秀央、大江康弘(2008年):渡辺は改革クラブへ移籍し代表、大江は改革クラブを経て幸福実現党へ移籍
- 浅尾慶一郎(2009年):みんなの党へ
- 松木謙公、横粂勝仁(2011年):菅内閣不信任案に賛成。松木は無所属を経て新党大地・真民主へ移籍
詳細は「松木謙公#菅内閣不信任決議をめぐる騒動」を参照
- 石田三示、内山晃、小林正枝、斎藤恭紀、豊田潤多郎、中後淳、三輪信昭、渡辺浩一郎、渡辺義彦(2012年):新党きづなを結成し内山が代表に就任
- 横峯良郎(2012年):新党大地・真民主へ移籍
党所属かつ創価学会員の議員が党から除名されると、続けて学会からも除名処分を受けることになる。
「#創価学会の除名」も参照
- 日本共産党
日本共産党においては、1990年以降は除名処分となる者が減り、代わりに「除籍措置」となることが増えてきた。
詳細は「日本共産党#離党と賞罰」および「10条該当党員#離党手続き」を参照
- 神山茂夫(1954年、1958年処分取り消し、1964年再除名)
- 志賀義雄、鈴木市蔵、中野重治(1964年):日本共産党(日本のこえ)へ移籍し志賀は代表
- 野坂参三(1992年)
「野坂参三#最晩年の除名」も参照
- 市川正一(2000年)
- 衛藤速、濱田寅蔵(1948年)
- 黒田寿男、岡田春夫、中原健次、大田典礼、玉井祐吉、松谷天光光(1948年):労働者農民党を結成
- 足立梅市(1949年)
- 和田敏明(1950年)
- 白井勇(1954年):左派社会党所属・その後自由民主党へ移籍
- 木下源吾(1956年):参院選出馬に伴うもの
- 安部清美(1957年)
- 武藤運十郎(1959年)
- 相沢重明(1967年)
- 岡田宗司、戸叶武、藤原豊次郎(1968年)
- 大橋和孝(1974年):京都府知事選挙に出馬
- 後藤俊男(1974年)
- 金瀬俊雄(1976年)
- 江田三郎、大柴滋夫(1977年):社会市民連合を結成
- 田英夫、秦豊(1979年 田は1989年取消、1997年復党):社会民主連合を結成
詳細は「社会民主連合#党史」を参照
- 亀田得治(1980年):大阪府知事選挙に出馬・その後除名処分を取り消して離党を受理
- 辻一彦(1983年、1986年処分取消され復党):総選挙出馬に伴うもの
- 安恒良一(1992年)
詳細は「東京佐川急便事件#概要」を参照
- 渋谷修、小林正(1993年):渋谷は「板橋民主党」結成を経て新党さきがけ→民主党へ・小林は民主改革連合→新進党→自由党へ移籍
- 伊東秀子、金田誠一、川俣健二郎、堀込征雄(1995年):金田は新党さきがけを経て、堀込は新進党などを経て、それぞれ民主党へ
- 矢田部理、山口哲夫、栗原君子(1996年):新社会党へ移籍し矢田部・栗原は歴代委員長に
- 山花貞夫、嶋崎譲(1996年)[3]:市民リーグを経て民主党へ
- 上原康助(1998年):民主党へ
- 山本正和(2001年):無所属の会へ
「能登半島沖不審船事件#事件の影響」も参照
- 田嶋陽子、大渕絹子(2002年)
- 原陽子(2004年):民主党公認で静岡県議選に出馬
- 横光克彦(2005年):民主党へ
[編集] 戦後の日本共産党における著名人および古参活動家の除名、除籍
1950年代から60年代にかけての日本共産党では、武装闘争路線の継続を目指すなどの分派行為によって多数の除名者を出してきた。
詳細は「日本共産党#1950年問題(分裂、武装闘争方針)」を参照
「宮本顕治#自主独立への道」も参照
これら除名者が改悛した場合を想定して、党規約54条後段には「除名された人の再入党は、中央委員会が決定する」という規定がある。ただし、除名決定の多くが中央委員会によってなされていることもあり(都道府県委員会や支部など下級機関による除名決定もあり得る)、除名を覆すことは困難である[4]。
「日本共産党#党員」も参照
除名は党規約54条の前段に「最も慎重に行わなくてはならない」と規定されている通り明確な反党行為が必要だが、除籍は「党員としての資格に欠けるか党の信頼を損ねた」というという理由で可能である。 また10条該当党員に対する支部や地区の決定による除籍では都道府県委員会による再入党決定という形で覆すこともできるが、反指導部的な理由でより上級の組織(都道府県ないしは中央)が除籍を決定した場合は対応が異なり事実上覆せない。その決定的な違いとして除名に認められている再審請求が除籍ではできないことが挙げられる。これは除籍の対象になった者から反論の機会を奪うという点で組織側に有利と判断されている。
「10条該当党員#問題点」も参照
なお、路線対立を理由とせず、贈収賄など議員・党員として相応しくない行為を理由とした除名・除籍も行なわれている。
- 井上光晴、堤清二[5]、中西功(1950年)
- 島成郎(1950年。1952年復党、1958年再除名)
- 寺尾五郎(1950年。1955年復党、1968年再除名)
- 伊藤律(1953年)
- 栗原幸夫(1954年。1958年復党、1961年再除名)
- 志田重男(1957年)
- 香山健一、福本和夫、森田実(1958年)
詳細は「共産主義者同盟#第一次ブントに結集した人々」を参照
- 長洲一二(1959年):その後革新統一候補として党の推薦で神奈川県知事に当選するが、後に再び反革新、反共の立場に転向
- 武井昭夫(1960年)
- 安部公房、春日庄次郎、内藤知周、花田清輝、山田六左衛門(1961年)
「社会主義革新運動」も参照
- 宇佐美清治(1963年)
「砂川事件」も参照
- 佐多稲子、野間宏(1964年)
- 志賀義雄、鈴木市蔵、神山茂夫、中野重治(1964年)
「日本共産党(日本のこえ)」も参照
- いいだもも、吉川勇一(1965年)
「共産主義労働者党」も参照
- 大塚有章(1966年)
「毛沢東思想研究会」も参照
- 安斎庫治、大隈鉄二、四代目河原崎長十郎、竹中労、西沢隆二、原田長司、福田正義(1967年)
「日本共産党(左派)」、「日本共産党(マルクス・レーニン主義)」、および「文化大革命#日本への文革の輸出」も参照
- 高野実(1968年)
- 袴田里見、宮地健一[6](1977年)
「共産党袴田事件」も参照
- 増山太助(1979年)
- 古在由重(1984年):除籍措置。
- 有田芳生(1990年):除籍措置。その後新党日本を経て現在は民主党所属
- 野坂参三(1992年)
- 霜多正次(1993年):除籍措置。
- 下里正樹(1994年):元赤旗編集局員。権利停止処分後に党を公然批判し除名に切り替わる
- 兵本達吉(1998年)
- 市川正一(2000年)
- 木村愛二(2001年):除籍措置。
- 萩原遼(2005年):元赤旗編集局員、除籍措置。その後復党。[要出典]
[編集] 政党の除名における訴訟事件
[編集] 律令における除名
「律令法#天皇」、「八虐」、「死罪 (律令法)」、および「連座#律における縁座と連座」も参照
奈良時代から平安時代にかけての律令制下では、死罪に相当するとされる8つの大罪(八虐)を犯した公卿に対し、官職はおろか貴族の系譜からも外す処分として除名(じょみょう)の制度があった。また、本人が死罪となった場合でも親族が連座処分として除名されることがあったほか、9世紀以降は事実上停止となった死罪の代わりに流罪とともに執行されることもあった。
[編集] キリスト教の除名
キリスト教において、異端の誤った教理の主張者や、罪を犯した者に対して、戒規処分として執行される。除名された者は教会員として扱われなくなり、教会から一切の交際を絶たれるが、悔い改めが認められた場合は、復帰が許される。
[編集] 日蓮正宗の除名
日蓮正宗やそこから派生した新宗教団体の創価学会、冨士大石寺顕正会では、キリスト教と同様に傘下の法華講ないし個人が誤った教理を主張した場合や、罪を犯した講員、信徒を除名することがある。
[編集] 宗門の除名
日蓮正宗では、「信徒除名」は破門よりもさらに上の、在家の信徒個人に対し宗派として取り得る最も重い制裁と位置付けられている。これが信徒個人ではなく、傘下の法華講全体を除名相当にするのであれば「講中解散」、また出家した僧侶に対する僧籍の剥奪を伴う制裁は「擯斥」(ひんせき)という。
「日蓮正宗#現在の宗門の体制」も参照
1974年、日蓮正宗は創価学会と激しく対立した妙信講を講中解散処分にした。これに反発した妙信講は創価学会を相手に暴力事件を起こし(妙信講学会本部襲撃事件)、激怒した宗門は関係した妙信講幹部33人を信徒除名にした。この中には講頭だった浅井甚兵衛や当時理事長で現顕正会会長の浅井昭衛も含まれている。
詳細は「和泉覚#妙信講学会本部襲撃事件」および「冨士大石寺顕正会#歴史」を参照
「日達#妙信講破門」および「正本堂 (大石寺)#正本堂の位置づけをめぐって」も参照
1980年代前半には、正信会に参加した僧侶ら200人以上が擯斥処分を受けた。
詳細は「正信会#結成とその後」を参照
さらに1992年には前年に創価学会全体ともども破門していた名誉会長池田大作を信徒除名処分にし、1997年には宗規の改正により残る全学会員の信徒資格も喪失させた。
「池田大作#日蓮正宗との決裂、日蓮正宗からの破門宣告以降」も参照
これは、日蓮正宗の信徒が他の宗教団体に所属した場合は信徒資格を失うというもので、日蓮正宗の信徒が他宗派を信仰している家に養子縁組をした(嫁いだ)場合に、縁組(嫁ぎ)先の家族を折伏し正宗に入信させず、その家の宗派(菩提寺)に属した場合も除名の対象となる。
ただし、創価学会や顕正会、正信会から退会したり除名処分を受けた元会員を宗門として受け入れる方法も考慮されており、信徒除名ないしは資格を喪失した者も末寺に参拝し住職の許しを得て勧誡式を受ければ(「御受戒」ともいう)、信徒に復帰することが可能である。
詳細は「信者#日蓮正宗」を参照
[編集] 創価学会の除名
創価学会は会則69条で「会員は退会または除名によってその資格を喪失する」と定めており、その具体的運用として会則72条に「会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行うことができる」という記述がある[7]。
処分に関しては中央および総県に設けられた「審査会」が、区本部長以上の幹部から出される申し立てに対して速やかに処理しなければならないとされる[8]。
[編集] 公明党議員の除名
公明党から除名された議員経験者は遅かれ早かれ学会からも除名されることになる。実例として竹入義勝が1998年(平成10年)に公明党から除名された直後、創価学会も竹入を除名している。また1988年(昭和63年)に党を除名された大橋敏雄も学会から除名されている。しかし藤原行正や矢野絢也は公明党が処分を見送ったため、離党届受理、学会も自主的退会で済んでいる。
「竹入義勝#学歴の矛盾」も参照
[編集] 一般会員、学会幹部の除名
また一般会員、学会幹部でも犯罪などで警察に逮捕された場合には容赦なしで除名される。さらに会員規定4条で学会員は会の内外を問わず個人的な金銭の貸し借りを禁じられており、これが発覚すると処罰の対象となり情状に応じ、戒告、降格、活動停止の処分が下り最悪の場合除名もあり得る(あくまで数千円や数万円などのまとまった金額に対してでありジュース代やタバコ銭などの一時的な小銭の貸し借りは容認されている)。
詳細は「大阪事件 (創価学会)#創価学会の対応」および「池田大作レイプ訴訟#訴訟までの経緯」を参照
「戸田城聖#大阪事件」も参照
この規定は第2代会長戸田城聖が存命だった時代には厳しく運用され、大阪事件では当時の理事長小泉隆と大阪支部長として派遣されていた後の第3代会長池田大作以外に逮捕された学会員全員が除名された。しかし、戸田が死去し池田体制になった後は、日蓮正宗と違って一度除名処分を受けると二度と活動に復帰することはできないという内部の事情もあり、学会が起こした事件に関与した幹部の中には除名されなかった者もいるなど、「学会のために行動し」逮捕されたと認められた学会員や幹部への処遇は戸田時代より甘くなったのが実態である。
例として、言論出版妨害事件や宮本顕治宅盗聴事件に関与し逮捕され 宮本顕治宅盗聴事件の判決文で挙げられた学会員の一人が除名されず2004年(平成16年)のYahoo! BB顧客情報漏洩事件では創価学会幹部として逮捕されている。また2002年の携帯電話通話記録窃盗事件では逮捕された実行犯の三人は除名されず、通信会社を懲戒解雇処分になった学会員は裁判確定前に創価学会弁護団の斡旋で別の企業に再就職した経緯も存在する[9]。
詳細は「Yahoo! BB顧客情報漏洩事件#犯人と創価学会」を参照
なお、一般会員が退会の手続きを取らないまま日蓮正宗あるいは正信会系の寺院で御授戒を受けたり、冨士大石寺顕正会の入信勤行を行ったことが発覚した場合、総県審査会で除名されることがある。過去には退会の手続きを取っていながら後で取り消されて除名に切り替わったケースがある。
「創価学会#退会手続き」も参照
[編集] 顕正会の除名
冨士大石寺顕正会にも会員(信徒)を除名できる制度がある。しかし、顕正会の会則は創価学会と違い除名に関しては何の規定もされていない。学会は除名の最終決定を文書によって行うが、顕正会では支部や隊の幹部が口頭ないし電話で本人に決定を伝えるだけで除名になってしまう。
また学会と同様に一度除名されると復帰は不可能だが、稀に退会者と同様の折伏が行われることもある。その場合、過去に支部や隊レベルで除名の決定を受けていたことが後日発覚すれば本部レベルでの除名に切り替わり、再入信はできなくなる。
創価学会から顕正会に移籍した会員については、昭衛への忠誠心が低下したという理由で除名されても、前述の通り退会ないしは除名処分を受けた時点で学会に戻れなくなる。この結果、学会復帰を諦めて宗門や正信会へ再度移籍した人もいる。ただし、顕正会への入会前に学会員の経験がなかった者については顕正会を除名された後、創価学会へ移籍することができる。この場合、入会に際して地区部長や区本部レベルで通常の新規折伏よりも厳しい審査が行われ、総県を担当する副会長や幹部経験者であれば中央本部の承認が必要となることもある。
詳細は「信者#日蓮系他教団からの転向」を参照
[編集] オウム真理教の除名
[編集] ヤクザの除名
詳細は「絶縁 (人間関係)」を参照
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 日本プロフェッショナル野球協約全文 - 労働組合日本プロ野球選手会公式ホームページ。
- ^ 覚せい剤使用した弥栄の部長を除名…審査室会議で13件処分 - スポーツ報知 2011年12月8日付
- ^ 厳密には、除名より一段階下の除籍処分。
- ^ (フジテレビ12日夜放映「完全再現!北朝鮮拉致“25年目の真実”」「ノンフィクションドラマ」を謳った番組は日本共産党に関する事実をどう偽ったか - 日本共産党公式ホームページ 2010年5月31日閲覧)
- ^ 堤は除名後も党との友好関係を維持し続けており、2000年代に入ってからもしんぶん赤旗の対談に登場したことがあるがこれは極めて異例である。
「堤清二#経歴」も参照
- ^ 1976年、愛知県委員会から機関罷免処分を受けた宮地は第14回党大会に再審を請求したが、大会はこれを審議せずに却下した。さらに宮地はこの問題を司法の場に出したため、中央委員会は「党内部の問題は党内で解決する」と定めた党規約5条に違反するという理由で宮地を除名した。
「民主集中制#日本共産党の民主集中制の現在」も参照
- ^ 創価学会:基本情報・会則 - 創価学会公式ホームページ 。
- ^ 座談会 栄光の学会創立75周年 42 - cobatch's Favorite 2010年6月11日閲覧、聖教新聞2005年8月26日付4面掲載の再録。当時の創価学会理事長青木亨の発言より。
- ^ 「しんぶん赤旗」2003年05月15日~5月17日付け