松下新平

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日本の旗参議院議員 松下 新平
生年月日 1966年8月18日(48歳)
出身地 宮崎県宮崎市(旧・東諸県郡高岡町)
出身校 法政大学
学位・資格 法学士
前職 宮崎県議会議員(2期)
所属委員会 農林水産委員会
災害対策特別委員会
世襲 世襲ではない
父・松下渉(元宮崎県議)
岳父・野辺修光(宮崎県議、元宮崎県串間市長)
選出選挙区 宮崎県選挙区
当選回数 2回
所属党派 無所属→)
改革クラブ→)
自由民主党谷垣グループ
会館部屋番号 参議院議員会館824号室
ウェブサイト 参議院議員 松下 新平
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松下 新平(まつした しんぺい、1966年(昭和41年)8月18日 - )は、日本政治家自由民主党所属の参議院議員(2期)。国土交通大臣政務官第2次安倍内閣)、宮崎県議会議員(2期)を務めた。

経歴[編集]

宮崎県職員として務めた後、参議院議員・長峯基の秘書として活動。1999年宮崎県議会議員に初当選。2003年2期目当選。2004年4月に議員を辞職し、同年7月の第20回参議院議員通常選挙に無所属で出馬。自由民主党公認の現職上杉光弘(元自治大臣)を約1万7000票差で破った。これには長峯の支援もあった[要出典]。宮崎県より非自民の参議院議員が生まれたのは15年ぶり(県議時代は自民党系の会派に所属していた)[要出典]

国会では民主党と同一会派「民主党・新緑風会」を組んでいたが、2007年7月5日に会派離脱を宣言。同年の参議院選挙で、松下は民主党に長峯の支援を求めたが、民主党は外山斎を無所属として擁立。松下はこれに反発し、会派を離脱して長峯を独自に支援すると表明した。「選挙後の枠組みも含めて民主なのか自民なのかどういうスタンスなのか」と質問されると、松下は「ちょうどど真ん中とご理解いただきたい」と答えた[要出典]。地元紙『宮崎日日新聞7月9日号コラム「くろしお」[1]が「非自民」の票を投じた有権者への裏切りではないかと批判すると、松下は緑風会を引き合いに出し「参議院のあり方が問われている現状の国会運営や近い将来興ることを確信する政界再編の流れの中で、敢えて、厳しい環境ではありますが、これまで通り、軸がぶれることなく、高い志を持って、正々堂々と政治活動を行っていく私の想いとご理解いただきたいと想います。」と反論した[2]

2008年1月、政府提出案の補給支援特別措置法案に賛成票を投じ、民主党のアフガニスタン支援法案には棄権した。同年8月29日、この日設立の新党・改革クラブ(現新党改革)に参加。

2009年12月、次期参院選挙で自民党からの出馬を打診されたが、改革クラブ所属議員が4人となり政党交付金を受け取れる政党要件(国会議員5人以上)を満たさなくなるため、自民党は引退を表明している参議院議員の山内俊夫を改革クラブに移籍させると報道された[3]

2010年1月15日、「地域に根ざした政治を行うため、自民党の政治家として働きたい」として自民党に入党の意思表明をし、自民党本部で自民党総裁谷垣禎一と会談し、了承された。その後自民党宮崎県連の公募に応じ、第22回参議院議員通常選挙で宮崎県選挙区における自民党公認候補となる。

同年4月に宮崎で発生した口蹄疫問題に対し、「口蹄疫からの復興」を訴えた。また、現職自民党衆議院議員である江藤拓古川禎久の支援、2004年の選挙戦で争った上杉光弘との和解が成立し、たちあがれ日本比例区候補である元国土交通大臣中山成彬からも支援を受けるなどして、保守層の一本化にほぼ成功[要出典]。また、公明党との選挙協力も受け、再選。

2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねる[4][5]。2012年秋、総裁退任直後の谷垣による勉強会「有隣会」に参加[要出典]。同年12月、第2次安倍内閣国土交通大臣政務官に就任した(2013年9月に退任)。

履歴[編集]

  • 4月 - 宮崎県庁入庁
  • 1996年(平成8年)12月 - 宮崎県庁退庁
  • 1997年(平成9年)1月 - 参議院議員長峯基 公設秘書
  • 1999年(平成11年)4月 - 宮崎県議会議員 初当選
  • 2003年(平成15年)4月 - 宮崎県議会議員 2期目当選
  • 2004年(平成16年)4月 - 宮崎県議会議員辞職
  • 7月 - 参議院議員 初当選(同月、院内会派「民主党・新緑風会」入会)
  • 2007年(平成19年)12月 - ネットワークビジネス推進連盟(NPU)に入会[要出典]
  • 2007年(平成19年)7月5日 - 民主党・新緑風会離脱を宣言(8月7日付けで離脱)
  • 2008年(平成20年)8月29日 - 改革クラブ結党に参加
  • 2010年(平成22年)1月15日 - 山内俊夫と入れ替わる形で自民党へ移籍
  • 7月 - 参議院議員に再選

政策[編集]

不祥事[編集]

高齢者への公職選挙法違反(投票干渉)事件

松下が当選した2010年第22回参議院議員通常選挙において、宮崎県警察本部は投票日の翌日、選挙期間中、高齢者の手に候補者名を書いて候補者への投票を求めたとして、公職選挙法違反(投票干渉)の容疑で3人を逮捕した。このとき書かれていた候補者名は松下と、公明党比例区より出馬した秋野公造だった[7]

迂回献金による税還付

2009年から2011年にかけ、自らが代表を務める自民党支部に対して寄付を行った後、後援会や資金管理団体に対し支部が寄付させる手口で計約2,200万円を還流させ税を還付していたことが、国土交通大臣政務官就任後に分かった[8]

その他・活動[編集]

所属団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
ツルネン・マルテイ
日本の旗 参議院災害対策特別委員長
2011年 - 2012年
次代:
牧野京夫