福本潤一

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福本 潤一ふくもと じゅんいち1949年3月23日 - )は、前参議院議員(2期)。無所属(2007年公明党除名)。広島県広島市南区出身。

[編集] 来歴・人物

学歴

広島市立宇品東小学校、広島市立翠町中学校、修道高等学校東京大学農学部卒業。同大学大学院修了し、農学博士号取得。専門分野は地域環境工学。その後、助手として愛媛大学農学部に赴任。助教授まで至る。途中、情報処理センター農学部分室長、連合大学院教官を勤める。

政界入り

1995年第17回参議院議員通常選挙比例区新進党から初当選。その後新進党解党に伴い、公明党に移る。当選2回。 主に、農業や環境分野を得意とし、『水利の風土性と近代化』等の著作がある。新進党愛媛県連会長、参議院災害対策特別委員長、農林水産大臣政務官を歴任。 参議院農林水産委員会行政監視委員会に所属していた。公明党を離党する直前は、党役職として党副幹事長、党四国方面副議長、党愛媛県本部顧問等を勤めていた。

異例の公明党離党届提出、そして公明党除名

公明党側は2007年7月29日に行われる 第21回参議院議員通常選挙に体調不良を理由に福本を公認しないことを表明しており、福本は参院選には出馬せず、引退することが決まっていた。ところが、同年6月15日、国会内での記者会見において、自身の引退について納得していないことと、離党届を提出したことを表明。公明党への批判を展開した。公明党の現職国会議員が離党するのは、1997年にセクハラ事件で最高裁判所において敗訴が確定した責任を取った片上公人以来10年ぶりとなる異例の事態。同年6月18日、公明党は福本の離党届を受理せず、党規違反を理由に除名処分とすることを決定した(公明党議員の除名は1988年、衆院議員、大橋敏雄以来)。

この参議院議員選挙について当初は野党比例区からの立候補を模索していたが、福本と数回接触した民主党幹部らも難色を示したので、福本は同年7月9日、故郷である広島選挙区(改選数2)から無所属で立候補することを表明。自公政権を批判し、与野党の逆転が争点だと訴えたが、前職でありながら6名中6位(得票数・2万1956票)で落選、法定得票を割り込み供託金没収の結果に終わった。

2007年10月16日参議院予算委員会石井一議員(民主党)が福本の証言を元にして、福本の参考人招致を要求。12月4日民主党役員会において福本を参議院で参考人招致する方針を固めた。[1]

[編集] 脚注・出典

  1. ^ 民主、公明前議員の参考人招致要求で揺さぶり朝日新聞2007年12月11日

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