小坂憲次

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日本の旗参議院議員 小坂 憲次
生年月日 1946年3月12日(65歳)
出身地 日本の旗長野県長野市
出身校 慶應義塾大学
学位・資格 法学士
アマチュア無線の免許
前職 日本航空従業員
自由民主党総裁秘書
所属委員会 参議院憲法審査会会長
世襲 4世
曾祖父・小坂善之助
祖父・小坂順造
父・小坂善太郎、叔父・小坂徳三郎
選出選挙区 比例区
当選回数 7回(衆6回・参1回)
所属党派 (自由民主党→)
(新生党→)
(新進党→)
(太陽党→)
(民政党→)
自由民主党(平成研究会)
ウェブサイト 小坂憲次オフィシャルウェブサイト
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小坂 憲次(こさか けんじ、1946年3月12日 - )は、日本政治家自由民主党所属の参議院議員(1期)。参議院憲法審査会会長(初代)。

衆議院議員(6期)、文部科学大臣第7代)、自民党参議院幹事長などを歴任。

目次

[編集] 経歴

[編集] 所属議員連盟

[編集] 小坂家

小坂家は信州の名門で曾祖父の小坂善之助は小坂財閥の創業者で政治家としても活動した[1]。祖父は信濃毎日新聞社主や電源開発総裁を歴任し、善之助同様政治家として活躍した小坂順造[1]。大叔父は元信濃毎日新聞社長の小坂武雄[1]。父は元衆議院議員で外務大臣を務めた小坂善太郎[1]、叔父は元運輸大臣小坂徳三郎[1]。大叔母のはる(善之助の次女)は第13代日本銀行総裁の深井英五に嫁ぎ[1]、その長女・結子(憲次の父・善太郎の従姉にあたる)は天体力学の権威で文化勲章受章者の萩原雄祐に嫁いだ[1]

日本テレビ放送網社長で2005年現在日本テレビフットボールクラブの会長兼社長を務める萩原敏雄は萩原雄祐の三男で、憲次の又従兄[1]。そして讀賣テレビ放送アナウンサー萩原章嘉は萩原雄祐の孫で、憲次の又従兄の子息にあたる。

2009年第45回衆議院議員総選挙の自民党マニフェスト策定プロジェクトチーム座長に内定している菅義偉選挙対策副委員長が、親の地盤を引き継ぐ世襲候補の立候補制限を公約に盛り込むよう提言した。菅の案は現職は適用外としたが、子弟を後継にする場合には選挙区替えが必要になるというものである。4月17日、小坂は党役員連絡会で「もしそういうことなら私は世襲の権化です!」「本当に規制するなら(世襲議員は)党から出ていくべきだということになる。私も覚悟を決めなければならない」と菅の案に反発した。ちなみに2009年まで、第1回衆議院議員総選挙で当選した衆議院議員の子孫で、かつ現職の衆議院議員だったのは小坂ただ1人であった。

[編集] エピソード

  • アマチュア無線家としても知られている。また楽天社長・三木谷浩史とは親交が深い。
  • 1990年代前半は、一貫して羽田孜の側近であった。1993年に自民党を離党し、同じ長野県選出の羽田が率いる新生党に入党。細川内閣の退陣後、羽田内閣日本社会党の離脱により短命に終わり、新生党の小沢一郎、公明党市川雄一書記長、民社党米沢隆委員長らの主導で日本新党民主改革連合、自民党を離党した海部俊樹元首相らの自由改革連合柿澤弘治外務大臣らの自由党が合流し、新進党が結党される。1996年第41回衆議院議員総選挙では、小坂は自民党の若林正俊新党さきがけ田中秀征を破り、再選。しかし、新進党全体の議席数は落ち込み、事実上の敗北であった。小沢一郎新進党党首の強権的な党運営にも徐々に反発が強まり、この選挙の直後、小坂を含む羽田孜ら13人が新進党を離党し、太陽党を結党。その後太陽党は細川護煕元首相率いるフロム・ファイブ鹿野道彦総務庁長官率いる国民の声を糾合し民政党を結成。さらに羽田は菅直人厚生大臣率いる旧民主党への合流を進めるが、社会党やさきがけ出身者の多い旧民主党への合流に小坂ら民政党の一部は反発。結局、小坂や伊藤達也らは民主党に合流せず、無所属の期間を経て後に自民党に復党した。
  • 2006年4月7日の記者会見で、石原慎太郎東京都知事が国語力の低下を理由に小学校段階での英語必修化を「全くナンセンスだ」と批判したことに対し、「日本語をしっかり勉強することが基本だが、柔軟な頭脳を持っている児童が英語に親しみ、英語教育に取り組むのは決して否定すべきことでない」と英語教育の必要性を訴えた。
  • 2006年2月28日、数日前にトリノオリンピック・女子フィギュアスケートで金メダリストとなった荒川静香文部科学省を訪問の際、「人の不幸を喜んじゃいけないけど、ロシア選手(イリーナ・スルツカヤ)がコケた時は喜びましたね」と笑いながら発言(荒川はこの発言に対して一切コメントせず)。この模様はTBSテレビの「ブロードキャスター」で放送された。この件で文部科学省に批判が多数寄せられ、6日後の3月6日に荒川、スルツカヤ両選手に対して謝罪。その後、小坂は自身のホームページで、「ブロードキャスターでは、「コケタ〜」発言のみが指摘されて、健闘を称える発言は放送されなかった」と掲載した(のちに、この文章は削除)。一方、ネット上では「この正直者!!」などと煽られた。
  • 第91代内閣総理大臣福田康夫(第22代自由民主党総裁)の辞任と内閣総辞職を受けて行われた2008年自由民主党総裁選挙では同じく中選挙区時代は政科研、同じく新進党から復党、同じ平成研に属し慶應高校の後輩でもある石破茂の選挙対策委員長を務める。その際に石破茂総裁選日記というブログを立ち上げたことがきっかけで、小坂自身も同10月よりブログを開始した。
  • 2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙において、自由民主党公認で長野県第1区より出馬するも、民主党公認候補の篠原孝に及ばず、重複立候補した比例代表北信越ブロックでも復活当選はならず、落選した[2]
  • 2009年9月7日フジテレビの生番組にて、「馬鹿だチョンだと…」と発言したが、誤解を生じる言葉のため直後に訂正した。アナウンサーも番組内で「不適切な発言があった事をお詫びします」と謝罪した。
  • 2010年参議院選挙で小坂への投票を依頼する文書を送付したとして、滋賀県警が、小坂が2007年から会長を務めていた全日本剣道道場連盟の事務局長の男性を公職選挙法違反(法定外文書頒布)容疑で書類送検した。この事について小坂は「公職選挙法を順守するように強く申し渡していたのに、非常に残念。今後このようなことのないよう注意を促す」とのコメントを発表した。[3]
  • 2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねる[4][5]
  • 2011年9月26日、記者会見を開き、参議院幹事長を退任することを表明。2011年10月6日、参議院幹事長を正式に退任。
  • 2011年10月21日、参議院憲法審査会の初会合において、会長選出選挙が行われ、23票を獲得し、22票の江田五月前参議院議長を破り、1票差で会長に就任。

[編集] 参考文献

  • 『財界家系譜大観 第6版』 現代名士家系譜刊行会、1984年10月15日発行、352頁 - 353頁
  • 『財界家系譜大観 第7版』 現代名士家系譜刊行会、1986年12月10日発行、303頁 - 304頁
  • 『財界家系譜大観 第8版』 現代名士家系譜刊行会、1988年11月15日発行、316頁 - 317頁

[編集] 脚注・出典

[編集] 外部リンク

官職
先代:
中山成彬
日本の旗 文部科学大臣
第7代:2005年 - 2006年
次代:
伊吹文明
先代:
創設
日本の旗 総務副大臣
2001年 - 2002年
次代:
佐田玄一郎若松謙維
議会
先代:
新設
日本の旗 参議院憲法審査会会長
初代:2011年 -
次代:
現職
先代:
笹川堯
日本の旗 衆議院議院運営委員長
第69代:2008年 - 2009年
次代:
松本剛明
先代:
坂本剛二
日本の旗 衆議院財務金融委員長
2002年 - 2003年
次代:
田野瀬良太郎
党職
先代:
谷川秀善
自由民主党参議院幹事長
2010年 - 2011年
次代:
溝手顕正
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