小坂憲次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 衆議院議員 小坂 憲次 | |||
|---|---|---|---|
| 生年月日 | 1946年3月12日(63歳) | ||
| 出生地 | 長野県長野市 | ||
| 出身校 | 慶應義塾大学 | ||
| 学位・資格 | 法学士 アマチュア無線の免許 |
||
| 前職 | 日本航空 自由民主党総裁秘書 |
||
|
所属委員会
内閣役職
|
災害対策特別委員会理事 (2007年 4月 2日現在) 教育再生に関する特別委員会理事 (2007年 4月18日現在) |
||
| 世襲 | 4世 曾祖父・小坂善之助 祖父・小坂順造 父・小坂善太郎、叔父・小坂徳三郎 |
||
| 選出選挙区 | 長野1区 | ||
| 当選回数 | 6回 | ||
| 所属党派 | 自由民主党(平成研究会) | ||
| 党役職 | 衆議院議院運営委員長 | ||
| 会館部屋番号 | 衆・第一議員会館220号室 | ||
| ウェブサイト | 小坂憲次オフィシャルウェブサイト | ||
小坂 憲次(こさか けんじ、1946年3月12日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(6期目)。文部科学大臣(第7代)。2008年 9月22日より衆議院議院運営委員長。所属派閥は平成研究会。
目次 |
[編集] 人物
[編集] 経歴
- 東京学芸大学附属世田谷中学校卒業
- 慶應義塾高等学校卒業
- 1968年 慶應義塾大学法学部法律学科卒
- 1968年 日本航空に入社
航空予約のコンピュータとの出会いが、コンピュータとの付き合いの始まり。業務上の必要性から世界の通信ネットワークに関する知識を学ぶ。米国、欧州での駐在員経験を含め世界各地を巡り生活体験を通して国際情勢を学び国際感覚を養う。
- 1984年 日本航空を退社し、長野市に帰り政治活動を開始
- 1986年 中曽根康弘秘書
- 1990年 2月 衆議院議員初当選
- 1993年 7月 衆議院議員2期目当選
- 1996年 10月 衆議院議員3期目当選
- 1999年 10月 小渕第二次改造内閣の郵政政務次官に就任
- 2000年 4月5日 森内閣の郵政総括政務次官に就任
- 6月 衆議院議員4期目当選
- 10月 第2次森内閣の郵政総括政務次官に就任
- 2001年 1月 初代総務副大臣に就任
- 4月26日 小泉内閣の総務副大臣に就任
- 2002年 1月 総務副大臣を退任
- 2002年 10月 衆議院財務金融常任委員長に就任
- 2003年 11月 衆議院議員5期目当選
- 11月 衆議院議院運営委員会筆頭理事
- 11月 自由民主党国会対策委員会副委員長
- 2004年 9月 自由民主党国会対策委員会筆頭副委員長
- 2005年 9月 衆議院議員6期目当選
- 10月31日 第3次小泉内閣の文部科学大臣に就任
- 2006年 9月29日 自由民主党政務調査会筆頭副会長
- 2007年 8月31日 自由民主党国会対策委員会筆頭副委員長
- 2008年 9月22日 衆議院議院運営委員長
[編集] 小坂家
小坂家は信州の名門で曾祖父の小坂善之助は小坂財閥の創業者で政治家としても活躍。
祖父は信濃毎日新聞社主や電源開発総裁を歴任し、善之助同様政治家として活躍した小坂順造。大叔父は元信濃毎日新聞社長の小坂武雄。
父は元衆議院議員で外務大臣を務めた小坂善太郎で、叔父は元運輸大臣の小坂徳三郎。大叔母のはる(善之助の次女)は第13代日本銀行総裁の深井英五に嫁ぎ、その長女・結子(憲次の父・善太郎の従姉にあたる)は天体力学の権威で文化勲章受章者の萩原雄祐に嫁いだ。
元日本テレビ放送網社長で2005年現在日本テレビフットボールクラブの会長兼社長を務める萩原敏雄は萩原雄祐の三男で、憲次の又従兄。そして讀賣テレビ放送アナウンサーの萩原章嘉は萩原雄祐の孫で、憲次の又従兄の子息にあたる。
2009年、次期第45回総選挙の自民党マニフェスト(公約)策定プロジェクトチーム座長に内定している菅義偉選対副委員長が、親の地盤を引き継ぐ世襲候補の立候補制限を公約に盛り込むよう提言した。菅の案は現職は適用外としたが、子弟を後継にする場合には選挙区替えが必要になるというものである。4月17日、憲次は党役員連絡会で「もしそういうことなら私は世襲の権化です!」「本当に規制するなら(世襲議員は)党から出ていくべきだということになる。私も覚悟を決めなければならない」と菅の案に反発した。2009年現在、第1回総選挙で当選した衆議院議員の子孫で現職の衆議院議員なのは憲次だけであり、名実共に「世襲の権化」であるといえる。
[編集] エピソード
- 英語を得意としており、外国要人とも通訳なしで会話ができる。
- アマチュア無線家としても知られており、情報技術政策に精通している。また楽天社長・三木谷浩史とは親交が深い。
- 1990年代、自由民主党が野党に転落した際に離党、同じ長野県選出の羽田孜率いる新生党移籍、新進党結党参加、1996年清和研若林正俊及び新党さきがけ田中秀征破り再選直後に羽田と共に太陽党旗揚げ、民政党結成。しかし民主党結成不参加で羽田と決別し自由民主党復党。中選挙区時代属した政科研ではなく平成研へ
- 2006年4月7日の記者会見で、石原慎太郎東京都知事が国語力の低下を理由に小学校段階での英語必修化を「全くナンセンスだ」と批判。これに対して「日本語をしっかり勉強することが基本だが、柔軟な頭脳を持っている児童が英語に親しみ、英語教育に取り組むのは決して否定すべきことでない」と英語教育の必要性を訴えた。
- 2006年2月28日にトリノオリンピック・女子フィギアスケート金メダリスト荒川静香が文部科学省を訪問の際、「ロシア選手(イリーナ・スルツカヤ)がコケた時は喜びましたね」と発言。この模様はTBSテレビのブロードキャスターで放送された。この件で文部科学省に批判が多数寄せられ、6日後の3月6日に荒川、スルツカヤ両選手に対して謝罪。その後、小坂は自身のホームページで、「ブロードキャスターでは、「コケタ〜」発言のみが指摘されて、健闘を称える発言は放送されなかった」という趣旨の意見を掲載した(のちに、この文章は削除)。一方、ネット上では「この正直者!!」などと煽られた。
- 議院運営院長として、国会見学にきた子供たちに説明する姿がブログなどでアップされている。
- 第91代内閣総理大臣福田康夫(第22代自由民主党総裁)の辞任と内閣総辞職を受けて行われた2008年自由民主党総裁選挙では同じく中選挙区時代は政科研、同じく新進党から復党、同じ平成研に属し慶應高校の後輩でもある石破茂の選挙対策委員長を務める。その際に石破茂総裁選日記というブログを立ち上げたが、そのブログのあまりの人気の高さに、小坂氏本人も同10月よりブログを開始。
[編集] 著作
- 2006「認定こども園に関する国の指針(2006.8.4)-就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律の規定に基づき、文部科学大臣と厚生労働大臣とが協議して定める施設の設備及び運営に関する基準-」『保育情報』(358) 、 9〜16ページ、川崎次郎と共著。
- 2002「これが小泉改革を救う道だ-民主党若手の経済再生構想への対抗提案-」『論座』(通号86)、68〜77ページ、伊藤 達也、鴨下一郎らと共著。
[編集] 外部リンク
|
|
|

