田嶋陽子

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田嶋 陽子(たじま ようこ、1941年4月6日 - )は、英文学者タレントフェミニストシャンソン歌手である。岡山県浅口郡鴨方町(現・浅口市)出身。日本女性学会所属。株式会社田嶋陽子女性学研究所代表取締役、元法政大学教授、元参議院議員

目次

[編集] 経歴

静岡県沼津市育ち。

[編集] メディア

1980年代には、NHK教育テレビの最上級者向け英会話番組「英語会話II」(1985年1988年)の司会進行役だった。初年度は日本語でビデオ内容を概説するだけで英語はほとんど話さなかったが、後に英国人ゲストと会話もするようになった。後にフェミニズムの論客になろうとは想像もつかぬほど地味な役回りだった。

1990年フジテレビ系『笑っていいとも!』の「モリタ花婿アカデミー」のコーナーに講師として出演。それまではこの番組やタモリのことを全く知らなかったという。その時に初めてメディアで持論を展開し、反響を呼びその後レギュラーとして出演。

1991年1月7日にテレビ朝日系『ビートたけしのTVタックル』にゲストとして出演。そこで「パンツも洗えないような男は一人前じゃないよね」という発言でビートたけしと論争になった。その後レギュラーとして出演し、世に「フェミニスト」という存在が知られるようになる。番組でもよく女性問題を扱うようになり、女性本位で男性を卑下する論調から、他の多くの男性パネリストと論戦バトルを繰り広げ、特に舛添要一がライバルであり、舛添は演説で「田嶋さんとメディアでよく喧嘩してるけど、あの人の事は本当に嫌いなんです。『本当は仲良いんでしょ?』とかよく聞かれるんですけどね。」と述べている。嵐山光三郎と出演した際は怒って途中退席した事もある。東京都知事になる前の石原慎太郎が出演した際には激しいディベートを繰り広げた。

1994年ニッセンのCMに出演し、その中の「見ーてーるーだーけー」のフレーズが有名。1996年には伊丹十三の映画「スーパーの女」にも出演。

2003年からよみうりテレビたかじんのそこまで言って委員会』に準レギュラーで出演。しかし、発言が左派であるため、番組内でしばしば三宅久之桂ざこば橋下徹(現大阪府知事)、宮崎哲弥勝谷誠彦ケビン・クローンらと論戦になることがある。その中でも三宅・勝谷・橋下・宮崎と口論になることが多いが、特に三宅久之との口論は番組の名物となり、因縁の対決とも言われている。ただ、三宅は田嶋の出演していない回の同番組で「田嶋さんがいないとテンションが上がらない」と発言している。視聴率も同様で、田嶋が出演しない回の番組視聴率は出演する回よりも数パーセント下回る傾向にある。2006年初回放送の中で「今年の公約」という項目に対し「三宅さんに『私が間違っていました』と言わせる」と宣言した(に三宅久之の公約は「猛女田嶋女史の精神を改造し素敵な女性にしたい」)。しかしこれらの公約は結局守られなかった。また同番組で、「司会者までが私の事を憎んでいる」と田嶋が発言した事に対して、宮崎哲弥は、「愛してますよ」と発言し、この意見に橋下やたかじんを始めスタジオ全体が同調した。それに対し、田嶋は「うるさいよ」と言いながら照れていた。なお、この日は、三宅久之は出演していなかった。不在の回でも「田嶋さんがいないから代わりに言いますけど」などと他のパネラーがしばしば発言している。2008年8月では、三宅が田嶋に対して、「人がいいんだけれども、思想が良くない」と言っている。

2006年2月19日、歌手としてリサイタルを開催し、プロを目指してレッスンに励んでいるが、成果は出ていない。

一見男性嫌いの印象も受けるが、実は異性に対しては非常にシャイであり、かつて藤井厳喜がキャスターを務めるラジオ番組で、1991年の連邦最高裁判事に黒人で保守派のクラレンス・トマス判事が任命された件に絡み藤井に論破され番組中に泣き出しレギュラーを降板した逸話がある。

[編集] 出演番組

[編集] バラエティ

[編集] ドキュメンタリー

[編集] ダンス

[編集] ドラマ・映画

[編集] 語学

  • 英語会話Ⅱ(1985年~1988年・NHK教育)※英語講師として出演

[編集] CM

[編集] 人物

  • フェミニストの立場で主に国内の女性差別問題から、人権擁護の考えに基づき従軍慰安婦問題や売春、朝鮮人の強制連行、FGM(女性器切除)等の国外の人権侵害全般に対する問題提起も行っている。従軍慰安婦問題では、そもそも従軍慰安婦に問題など無かったと主張する新保守派と意見が真っ向から対立している。
  • 女系天皇に全面的に賛成する立場をとっており、保守派からは、「国体を否定する売国奴」と非難されている。
  • フェミニストを自称し大学教授を務めていたため、フェミニズム学者のようなイメージを持たれているが、実際は英文学者として出発し、国内外の文学テキストのフェミニズム的読解を一般向けに発表していた。法政大学教員のポストも英文学の領域で得たものである。大学の講義も、第一教養部では英語に関する授業で中身は女性学というものを開講していた(後に法学部の専門科目を担当した際は、普通に日本語で女性学を講義した)。
  • 「戦闘的フェミニスト」と称されることがある。テレビの討論番組などに出演した際、フェミニストの立場から自身の持論を強く述べる一方、一致しない意見にはその場ではっきりと反論を述べる。その発言がしばしば攻撃的ととられ、よく他の出演者と論戦になることがある。
  • 一方で一般的な左翼派の人物が、局もしくは制作会社側から出演依頼しても断る例が多い保守派寄りの「バトルトーク番組」にも積極的に出演しており、そこで孤立無援の状態で自論を展開する姿は保守派の人間の中からも『悪役レスラー的な立場を敢えて貫いているフシさえある』と一面評価する者もいる(先述の『たかじんのそこまで言って委員会』での三宅久之との、時には罵倒合戦にまで発展するほどの論争ぶりは番組名物と化しているが、三宅本人は田嶋の思想は別にして『人としてはいい人』と語っている)。説明用のVTRの放映中や他人の発言中に「その通りだ」「違う」「おかしいよ!」等々の合いの手を入れ、議論ということにおいてマナー違反と考えられる言動を多くとるが、これも盛り上げのためと考えることもできる。
  • 「男女」という表現は差別だから、「女男」という表現を使おうと主張した事があったが、この発言に関しては、伝統を重んじる自民党議員から「伝統的な日本語表現を破壊する言葉狩りだ!」といった猛反発をうけた。さらに「「男女」が差別なら、「女男」も差別だ。本当に平等を望む人間なら、もっと中性的な造語を作るもんじゃないのですか?」といった冷静な指摘を受けても主張を変えようとはしなかった。
  • 討論バラエティー番組内で、結婚制度について「合法的なレイプだと思ってる」という旨の発言をし、他の出演者から反発を買ったことがある。(『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』)
  • 幼少の頃、戦争中で父親が召集され家を転々とし居候生活をしていた。小学生の頃、母親が脊椎カリエスを発病し寝たきりの生活を送っていたが、その中で母親から非常に厳しく育てられた。だが、母親は兄に対しては余り厳しくなかったため、この経験は一種のトラウマになり、本人曰く「解放されるのに育てられたのと同じだけの時間がかかった」。また「何故自分だけが厳しく育てられなければならなかったのか」との問題意識から女性学を学んだという。
  • 学生の頃の夢は医者になることだった。
  • 本人の弁では一度目のイギリス留学の間に、年下のベルギー公爵に求婚され、交際中はお城での生活を送っていたとのことである。また二度目のイギリス留学でも帰国後10年間の「通い婚」を経験したと語っている。
  • その主張や経歴(元社民党議員)から誤解されがちであるが、社会主義者やマルキストの類ではなく、むしろ経済競争を強調する新自由主義者と言える。歴史認識、憲法改正反対等で歩を同じくするはずの社民党・共産党に対しても「小さくまとまって何もできない人達」と手厳しい。経済格差を「絶対悪」とは認識していない点も、この二政党とは主張を異にする。
  • かねてからイギリスサッチャー政権(サッチャリズム)を全面的に支持しており、臨調行革路線や国鉄分割民営化電電公社民営化などを手放しで支持し、小泉改革(郵政民営化には賛成)や堀江貴文に一定の評価を下すなど、経済的な面では新保守主義に対しては肯定的な立場を取るが、男女の役割分担や、性に関する問題、ジェンダーフリーといった経済面以外では、新保守主主義と真っ向から対立する。実際、第44回衆議院議員総選挙の時には、「郵政の対案すら出せず郵政問題に関して逃げた民主党には失望した」と発言し自民党を支持している。
  • 元々政治に興味があったわけではなく特に社民党の政策を支持していたわけでもなかったが、参議院議員選挙出馬時の記者会見では「頼まれたから出馬することにした。自分の主張を国会に反映させられるなら何処でも良いと思っている。他党が社民党より優れていると判断すれば、直ちに移籍する。」と発言。しかし、2001年参院選より導入された比例区選出議員の政党間移動禁止を福島瑞穂より指摘され、「何故出来ないのか。そんな議員の自由な活動を縛る制度はおかしい」と憤慨した。またその発言に対し「選挙民をだますという卑劣な手段だ」として、自民党議員から非難された。[要出典]
  • 参議院議員としての経験について、後に『ビートたけしのTVタックル』で「あんなに忙しいとは思わなかった。あれじゃ他のことが何もできやしない」と語っている。
  • 神奈川県知事選挙に立候補した際、記者から神奈川県の財政状況を聞かれ「知りません」と発言し、中田宏横浜市長から「立候補するのはご自由であるが、せめて神奈川県の財政状況くらいは勉強して欲しい」と苦言を呈されている。
  • 選挙の時のスローガンは「変えよう変えよう!男の政治!」。ホイッスルカスタネットドラムなどの鳴り物を派手に鳴らし、サンバのリズムで踊りながら街宣活動を展開した。
  • 山本コウタローらの結成した環境政党ちきゅうクラブ」の推薦人として名を連ねたことがある。
  • 静岡県伊豆市にある「ライフハウス友だち村」で、年4回「田嶋陽子のおしゃべりサロン」を開催している。
  • 56歳の時に運転免許を取得。

[編集] 訳書

  • 現代イギリス女流短編集(Muriel Spark著、太陽社、1974年)
    全317ページ中、「ゴー・アウェイ・バード」(101 - 161ページ)を担当。
  • シベリアの馬ジャンパー(Nicholas Kalashnikoff著、ぬぷん児童図書出版、1978年)
  • 届かない手紙 - レベッカ・ウエスト(フェイ・ウェルドン著、山口書店、1997年)

[編集] 脚注

  1. ^ 2008年11月28日放送の探偵!ナイトスクープより。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク