田嶋陽子

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日本の旗 日本の政治家
田嶋 陽子
たじま ようこ
出生地 日本の旗 日本岡山県浅口市
出身校 津田塾大学大学院
前職 法政大学教授
所属政党 社会民主党→)
無所属
公式サイト 田嶋陽子 Yoko Tajima HP

選挙区 比例区
当選回数 1回
任期 2001年7月29日 - 2003年3月27日
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田嶋 陽子(たじま ようこ、1941年(昭和16年)4月6日 - )は、日本女性学研究家[1]英文学者(元大学教授)、タレント歌手。元参議院議員(1期)。大学院博士課程単位取得満期退学(公式HPでは「修了」)[2]。日本のフェミニスト運動家、フェミニズム思想の代表者として知名度が高い。

略歴[編集]

人物[編集]

  • 幼少の頃、戦争中で父親が召集され家を転々とし居候生活をしていた。学生の頃の夢は医者になることだった。
  • 男女」という表現差別だから、「女男」という表現を使おうと主張した事があった。その際、「『男女』が差別なら、『女男』も差別だ。本当に平等を望む人間なら、もっと中性的な造語を作るものではないのですか」といった指摘[誰によって?]を受けても主張を変えなかった。
  • 歴史認識、憲法改正反対等で歩を同じくするはずの社民党・共産党に対して「小さくまとまって何もできない人達」と批判する。経済格差を「絶対悪」とは認識していない点も、この二政党とは主張を異にする。
  • なお、元々政治に興味があったわけではなく特に社民党の政策を支持していたわけでもなかったが、参議院議員選挙出馬時の記者会見では「頼まれたから出馬することにした。自分の主張を国会に反映させられるなら何処でも良いと思っている。他党が社民党より優れていると判断すれば、直ちに移籍する。」と発言[要出典]。しかし、2001年(平成13年)に実施された第19回参議院議員通常選挙より比例区選出議員の政党間移動禁止が導入された事を土井たか子福島瑞穂より指摘され、「何故出来ないのか。そんな議員の自由な活動を縛る制度はおかしい」と憤慨した[要出典]
  • 2002年(平成14年)には、社民党の北朝鮮による日本人拉致事件への一連の対応を「(拉致事件という)現実に対する対応にスピード感も柔軟性もない」と批判のうえ、離党を表明する事態に陥ると、福島瑞穂は、本来、党の政治的見解等の広報を担う機関誌に掲載した論文であるにもかかわらず「当時の状況下における個人論文で党の見解ではない」と釈明し、土井たか子は田嶋陽子の離党に関する記者会見において、「(朝鮮労働党との間で)拉致問題を取り上げなかったわけではないが、追及が十分とは言えなかった。被害者の家族には申し訳ありませんと、お詫びしたい」と謝罪している[4]
  • 2003年(平成15年)には地方から国政を変えたいという理由から神奈川県知事選挙に立候補し、斎藤まさしが選挙をサポートしている[5]
  • 2007年(平成19年)にCDデビューした「Ami~恋人~/アヒルのいいぶん」のジャケット写真でセミヌードになって布1枚だけで体を包んでいる写真を披露した。セミヌードを撮影した時の様子を振り返り「普段慣れているのは、やっぱりスーツです。ノースリーブの洋服は、夏でも冷えるから着ないんです。写真撮影の時は夏のワンピースを着たイメージだった。セミヌードになった理由を、レコード会社の方にセミヌード撮影で行きましょうって言われまして」と語った[6][7]
  • 選挙の時のスローガンは「変えようよ 男の政治」。ホイッスルカスタネットドラムなどの鳴り物を派手に鳴らし、サンバのリズムで踊りながら街宣活動を展開した。街頭演説では、「男どもよ、パンツ洗ってるか!?」と発言している。
  • わずかな参議院議員時代に偶然、当時の首相小泉純一郎と同じエレベーターに乗り合わせた際、小泉が「疲れた」と洩らすのを聞きそれまでの攻撃的態度から一転、深く同情する。
  • その後神奈川県知事選挙に立候補した際、記者から神奈川県の財政状況を聞かれ「知りません」と発言し、中田宏横浜市長から「立候補するのはご自由であるが、せめて神奈川県の財政状況くらいは勉強して欲しい」と苦言を呈されている[要出典]。選挙の結果、田嶋は松沢成文知事に敗れた。
  • 静岡県伊豆市にある「ライフハウス友だち村」で、年4回「田嶋陽子のおしゃべりサロン」を開催している。
  • 選択的夫婦別姓制度導入に賛同する。「例えば夫婦別姓にしたい人が夫について海外に行くといった場合も、夫婦別姓だと、戸籍と名前が違うとビザがおりないとか、それから職場でも均等法ができてから、女の人たちが働き出してから、旧姓使用ということで雇う側も雇われる側も非常に不便をしている」と述べる[8]。民法改正運動を行っているmネットの呼びかけ人でもある[9]

政治的主張[編集]

女性、被差別部落民、非正規労働者など、社会的、経済的弱者とみなされている人々に対して共感的な発言を行うことが多く、熱烈な護憲論者、反戦主義者としてもメディアで積極的に発言している[要出典]。一方で、共産主義思想に傾倒しているわけではなく、いわゆる正統的マルキストとは一線を画する。戦争を「大量殺戮」と考え、いかなる戦争にも強く反対している。アメリカ主導の戦争への参加を回避するためにも、集団的自衛権を認めるべきではないと主張している[要出典]

大戦時の日本軍による戦争犯罪に関する問題(従軍慰安婦問題や沖縄県民の集団自決問題など)への関心も高く、これを否定しようとする歴史修正主義者に対して厳しいスタンスを取ることが多い[要出典]。また、ナチスドイツによる戦争を扱った書籍や映画に関する造詣が深く、後世の人々が戦争の悲惨さを忘れることのないよう繰り返し呼びかけている[要出典]。一方で、従軍慰安婦問題の慰安婦強制連行については事実を検証するというスタンスに乏しく、2005年2月20日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」においては「北朝鮮の日本人拉致事件は、日本の従軍慰安婦を真似してやったんだよ!」と日本人拉致事件の原因を、従軍慰安婦の強制連行に拠るものとの発言を行っている。2014年3月の同番組の放送時においても「お金よりもまずは日本国政府が自分たちがやりましたっていう強制制を認めたら、慰安婦達はそれでいいんだっていうはずです」との発言を行っている。慰安婦強制連行説の発端になった吉田証言による朝日新聞の報道を、2014年8月5日の朝刊において朝日新聞が取り消した後も、週刊新潮の取材に対しては「これまでと考えは変わっていません」とメールで回答し、慰安婦強制連行の主張を変更しないスタンスをとっている。[10]


フェミニストとしての主張[編集]

「女性はパン(職業)を、男性はパンツ(家事)を」というスローガンをもとに、学界にとどまらず、メディアで幅広く女性の社会的地位向上を訴え続けた先駆的存在である[要出典]。かつては男女差別の遺物であるとして結婚制度そのものにも反対してきたが、近年ではそのような発言をすることはほとんどない。「最近では職を持つ女性が増え、家事をする若い男性も増えてきた。これは大変良い傾向ですね。」と語っている[要出典]

なお、自身のコンサートでのステージでは、女性を二級市民に貶めるものとしてかつて批判的であったドレスやハイヒールを身につけている[要出典]。こういった批判に対し、「これはコックの帽子や白い上着と同じで、歌手としての一つのスタイルに過ぎない。観る人が期待する伝統的なスタイルとして、歌手としての初心者である私がこれを選び、演じているだけ。」と答えている[11]

たかじんのそこまで言って委員会[編集]

たかじんのそこまで言って委員会の準レギュラーである。番組ではしばしば津川雅彦桂ざこば加藤清隆宮崎哲弥竹田恒泰らと論戦になることがあり、その中でも津川、宮崎、竹田とは激しいやりとりになることが多い[要出典]

シャンソン歌手としての活動[編集]

近年では自己表現の一環として歌手活動に生きがいを見出すようになり、2006年以降はトークを交えたライブ活動を頻繁に行っている。素人時代からその歌唱力への評価は高く、低音域に張りがあり、ビブラートと感情移入を全面に出した歌い方を特長としている。愛の歌や、反戦歌などを好んで歌うことが多い。2007年には「Ami~恋人~/アヒルのいいぶん」でCDデビューも果たし、2013年現在も衰えることのない歌声を披露している[12]

出演番組[編集]

バラエティ[編集]

ドキュメンタリー[編集]

ダンス[編集]

ドラマ・映画[編集]

語学[編集]

  • 英語会話Ⅱ(1985年~1988年・NHK教育)※英語講師として出演

CM[編集]

  • 三洋電機「(アルカリ生活)」(1993年)
  • 東京都「STOP AIDS」(1993年)
  • ニッセン(1994年 - 1996年)
    「見ーてーるーだーけー」のフレーズで知られる。
  • YKK(1996年)
  • ネスレ「ネスレ ニド」(1996年 - 1997年)
  • ヴァージン・アトランティック航空(1999年)
  • マイクロソフトOffice XP」(2001年)

著書[編集]

  • フイルムの中の女 ヒロインはなぜ殺されるのか(新水社・1991.11 ※のち副題を正題にして講談社+α文庫) 
  • 愛という名の支配(太郎次郎社・1992年)講談社+α文庫・2005年
  • もう、「女」はやってられない(講談社・1993年)
    • 駒尺喜美編『女を装う』(勁草書房・1985年)、樋口恵子他編『花婿学校』(三省堂・1990年)、上野千鶴子編『恋愛テクノロジー』(学陽書房・1990年)などに初出の論文を収録
  • 恋をしまくれ 私の体験的恋愛論(徳間書店・1994年7月) 「それでも恋がしたいあなたへ -私の性体験談」徳間文庫
  • だから、なんなのさ!―史上最強の田嶋陽子DX(テレビ朝日・1995年)
  • 田嶋陽子が人生の先達と考える女の大老境(マガジンハウス・1997年)
  • だから、女は「男」をあてにしない(講談社・2001年)
  • もう男だけに政治はまかせられない(オークラ出版・2002年)
  • 女は愛でバカになる(集英社be文庫・2003年)

訳書[編集]

  • シベリアの馬ジャンパー(ニコラス・カラーシニコフ、ぬぷん児童図書出版、1978年)
  • 届かない手紙 - レベッカ・ウエスト(フェイ・ウェルドン、山口書店、1997年)

CD[編集]

シングル
  • Ami~恋人~/アヒルのいいぶん(2007年、オリエントレコード)
  • ひいふうみいよう(2012年、徳間ジャパンコミュニケーションズ) - 小椋佳作詞・作曲の「揺蕩い(たゆたい)」を収録。
アルバム
  • 揺蕩い(たゆたい)(2011年、Aizumi)

執筆[編集]

  • エッセイ「田嶋陽子の我が人生歌曲(シャンソン)」 (新聞はいからエスト、2009年4月~)

引用[編集]

セミヌード写真についての記述
  • 2007年(平成19年)9月20日掲載の産経新聞グループのニュースサイトのMSN産経ニュースの芸能面のページより引用。

脚注[編集]

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  1. ^ プロフィール - tajima-yoko ページ!
  2. ^ http://www.tajima-yoko.com/プロフィール/
  3. ^ NHK課外授業「ようこそ先輩」
  4. ^ 社民党、HPから拉致事件否定の論文削除、抗議メール殺到で:2002年10月7日 毎日新聞
  5. ^ 神奈川県知事選出馬表明記者会見”. 田嶋陽子HP (2003年3月25日). 2004年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月23日閲覧。
  6. ^ 2007年9月20日掲載の産経新聞グループのニュースサイトのMSN産経ニュースの芸能面のページより引用
  7. ^ http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_09/g2007092613_all.html
  8. ^ 内閣委員会 2001年10月30日
  9. ^ mネット
  10. ^ 週刊新潮2014年9月11日号
  11. ^ ⑥田嶋陽子「私だってドレスとハイヒール履くわよ」 - YouTube
  12. ^ 田嶋陽子 愛の讃歌 - YouTube

関連項目[編集]

外部リンク[編集]