下村博文
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| 衆議院議員 下村 博文 | |||
|---|---|---|---|
| 生年月日 | 1954年5月23日(54歳) | ||
| 出生地 | 群馬県高崎市(旧・群馬郡倉渕村) | ||
| 出身校 | 早稲田大学 | ||
| 学位・資格 | 教育学士 | ||
| 前職 | 東京都議会議員 | ||
| 所属委員会 内閣役職 |
衆議院法務委員長 | ||
| 世襲 | 無 | ||
| 選出選挙区 | 東京11区 | ||
| 当選回数 | 4回 | ||
| 所属党派 | 自民党(清和研) | ||
| 党役職 | |||
| 会館部屋番号 | 衆・第二議員会館334号室 | ||
| 下村博文公式ウェブサイト | |||
下村 博文(しもむら はくぶん、本名の読みは「ひろふみ」[1]、1954年5月23日 - )は、日本の政治家。衆議院議員。
皇室典範改正反対派の急先鋒として注目を浴びる。
目次 |
[編集] 出身地
[編集] 略歴
- 幼少時に父親を交通事故で亡くし、不遇の少年時代を送る。
- 交通遺児奨学生第1期生で、苦学して群馬県屈指の名門校・群馬県立高崎高校に進学。
- 早稲田大学教育学部入学、早稲田大学時代は雄弁会に所属。
- 在学中から学習塾「博文進学ゼミ」を主宰。
- 1985年、東京都議会議員選挙に新自由クラブから出馬。落選。
- 1989年、東京都議会議員選挙に民社党から出馬。初当選。
- 1993年、東京都議会議員選挙に自民党から出馬。当選(2期目)
- 1996年、衆議院議員選挙に自民党から出馬。初当選。
- 2000年、衆議院議員選挙に自民党から出馬。当選。(2期目)
- 2002年、衆議院議事進行係に就任。
- 2003年、衆議院議員選挙に自民党から出馬。当選。(3期目)
- 2005年、衆議院議員選挙に自民党から出馬。当選。(4期目)
- 学習塾経営の経験から教育問題に力を入れている。
- 皇室典範改正の動きに対し、慎重な姿勢を見せている。
- 2006年8月29日、日本政策研究センターのシンポジウムで、「自虐史観に基づいた歴史教科書」も官邸のチェックで改めさせるとの意向を表明。
- 同年9月26日、内閣官房副長官就任(安倍内閣)。
- 同年10月25日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演し、従軍慰安婦問題で旧日本軍の強制を認めた1993年の河野洋平内閣官房長官(当時)の談話に関して「私自身の今後の検討課題」としながらも、“河野談話”はもう少し事実関係をよく研究し合って、その結果どうなのか、時間をかけて客観的、科学的知識を収集して考えるべきではないかと述べ、将来的には見直すことも必要だとの考えを示した。
[編集] 人物
- パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザーを務めるなど、パチンコ業界と関係を築いている。
- 著名な予言者のジュセリーノ・ダ・ルースと対談するなど、その予言に傾倒しており、超人大陸では「9.11の同時多発テロを予知した」「予言の90%が当たっている」として「国民も気をつけるべき」としている。[2]しかしながら、動画中では「ジュセリーノ」を「ジェリアーノ」と一貫して言い間違っている。これに関して、週刊新潮が2008年1月24日号で"ブラジル人「オカルト予言者」を礼賛した下村博文"とした記事を掲載している。
- 小泉内閣当時に教育構造改革特区を推進してきた経歴があり、その特区に学校を設立した企業から献金を受け取っていた。[3]
- サンデー毎日 2007年2月4日号において、「塾業界からジャブジャブ献金を貰う官房副長官の「灰色癒着」」として、塾業界との関係が指摘された。
- あしなが育英会副会長
[編集] 所属議員連盟
- 約1000万人の移民受け入れを目指す外国人材交流推進議員連盟立ち上げに参加。
- 日韓議員連盟所属。
[編集] 主な役職
- 文部科学部会副部会長
- 法務部会長代理
- 法務大臣政務官
- 衆議院議院運営委員会理事議事進行係
- 自民党副幹事長
- 文部科学大臣政務官
- 自民党国会対策副委員長
- 自民党青年局長
- 自民党新聞局次長
- 自民党広報局次長
[編集] 脚注
- ^ 衆議院議員 下村博文公式ウェブサイト: - 歴史教科書と日本人 - より
- ^ http://www.akibach.com/shimomura/index.html
- ^ 2006年12月14日(木)「しんぶん赤旗」

