後藤斎

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日本の旗衆議院議員 後藤斎
生年月日 1957年7月22日(57歳)
出身地 日本の旗山梨県甲府市
出身校 東北大学経済学部
学位・資格 経済学士
前職 国家公務員農林水産省
所属委員会 農林水産委員会
政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会
世襲
選出選挙区 比例南関東ブロック→)
山梨3区
当選回数 4回
所属党派 新進党→)
民主党羽田玄葉グループ
党役職 国会対策委員長代行
山梨県総支部連合会代表
会館部屋番号 衆議院第2議員会館722号室
ウェブサイト 後藤ひとしWebサイト
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後藤 斎(ごとう ひとし、1957年7月22日 - )は、日本政治家民主党所属の衆議院議員(4期)、民主党国会対策委員長代行、民主党山梨県連代表。

内閣府副大臣野田内閣野田第1次改造内閣野田第2次改造内閣)、文部科学大臣政務官鳩山由紀夫内閣菅内閣)等を歴任した。

来歴[編集]

山梨県甲府市生まれ。山梨県立甲府第一高等学校東北大学経済学部卒業。大学卒業後、農林水産省に入省した。

1996年第41回衆議院議員総選挙新進党公認で山梨1区から出馬したが、自由民主党中尾栄一旧民主党輿石東の後塵を拝し、得票数3位で落選。その後民主党に入党。山梨1区には既に新党さきがけ出身で、前回の総選挙は比例単独で当選した小沢鋭仁がいたため、山梨3区に国替え。2000年第42回衆議院議員総選挙では山梨3区で自民党の横内正明に敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、初当選した。

2002年熊谷弘らが民主党を離党し保守新党を結成した際は、一時熊谷に従って離党する考えを示していたが、最終的には離党を断念。横内正明山梨県知事選挙出馬に伴う、2003年4月の山梨3区補欠選挙に出馬するよう党本部から求められるも、これを拒否した。これらが影響してか、2003年の第43回衆議院議員総選挙では山梨3区で自民党の保坂武に敗れ、比例復活もならず落選した。

2005年第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案に反対したため自民党公認を得られず、無所属で出馬した保坂武、自民党公認で小泉純一郎首相の秘書官を務めていた小野次郎、後藤の三つ巴の争いが山梨3区で繰り広げられ、後藤は保坂に約1,900票の僅差で敗れたが、再度比例復活した(小野次郎も比例復活)。

2009年第45回衆議院議員総選挙では、民主党への強い追い風に乗り、自民党の小野次郎に比例復活すら許さない大差をつけ、圧勝した(小野はその後自民党を離党し、みんなの党公認で参議院議員に転出)。同年、鳩山由紀夫内閣文部科学大臣政務官に就任し、菅内閣まで務める。

2011年9月、野田内閣内閣府副大臣に任命され、11月から拉致問題担当の副大臣も兼務する。内閣府副大臣は野田第2次改造内閣まで務めた。

2012年第46回衆議院議員総選挙では、山梨3区で自民党の中谷真一の猛追を受け苦戦を強いられるも、172票の僅差で逃げ切り、4選。なお山梨3区は第46回衆議院議員総選挙を最後に廃止されるため、後藤は同区から選出された最後の国会議員である。選挙後、民主党国会対策委員長代理に就任。

2013年9月、松原仁国会対策委員長代行の国対委員長昇格に伴い、後任の国対委員長代行に就任した[1]

政策・主張[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]

公職
先代:
東祥三山口壮末松義規
日本の旗 内閣府副大臣
石田勝之中塚一宏と共同
石田勝之松下忠洋末松義規中塚一宏と共同
石田勝之吉田泉末松義規中塚一宏と共同

2011年 - 2012年
次代:
藤本祐司白眞勲松宮勲今野東大島敦前川清成園田康博
先代:
萩生田光一浮島とも子
日本の旗 文部科学大臣政務官
高井美穂と共同

2009年 - 2010年
次代:
笠浩史林久美子