古川貞二郎
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古川 貞二郎(ふるかわ ていじろう、1934年9月11日 - )は、日本の厚生官僚。社会福祉法人恩賜財団母子愛育会理事長。
厚生事務次官、内閣官房副長官、株式会社麻生監査役などを歴任した。
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エピソード [編集]
九大在学中にも国家公務員採用上級甲種試験を受験するが、失敗。郷里でもある佐賀県庁への入庁を希望していたが、当時佐賀県職員の募集が行われていなかったため、長崎県庁へ入庁。また、九州大学入学以前に一年間のみ佐賀大学文理学部に在籍していた。
長崎県職員時代に国家公務員試験を受けるが、官庁訪問で厚生省を訪問した際には、一度面接で落とされている。「どうしても福祉の仕事に携わりたいので、長崎へは帰りません」と必死の談判をし、その日は帰路につく。後日採用通知が来たという。
趣味は家庭菜園。信条は「道は必ず開ける」。
厚生省事務次官の退官記念に、ミニ耕運機を餞別として贈られており、今でも千葉大網にある畑で使用している。因みにこの耕運機はヰ関農機製の「ランドミニ」である。
また、麻生太郎が大株主であり、現在は麻生太郎の弟である麻生泰が経営する株式会社「麻生」にて、役員に就任し、監査役を務めていた[1]。
略歴 [編集]
- 1934年:佐賀県大和町の農家に生まれる。佐賀県立佐賀高等学校(現在の佐賀県立佐賀西高等学校)を卒業し佐賀大学へ進学するが中退、九州大学に再入学する。
- 1958年:九州大学法学部卒業 長崎県庁入庁
- 1960年:厚生省入省
- 1986年:内閣官房首席内閣参事官(現在の内閣総務官にあたる)
- 昭和天皇の崩御による「大喪の礼」や今上天皇の「即位の礼」に関係する一連の行事を、官僚の事務方として指揮する。
- 1993年:厚生事務次官
- 1994年:厚生省顧問
- 1995年:内閣官房副長官
- 在任期間は8年7ヶ月にも渡り、前任者の石原信雄を抜いて歴代最長の在任記録保持者である。在任中のアメリカ同時多発テロ事件直後に、内閣にイラク攻撃の米軍支援のため、日本の自衛隊艦船(イージス艦)を戦争域内に派遣するための具体的方策策定のためのプロジェクトチームを作る。[2] また、現総理大臣官邸整備事業を取り仕切る。
現在は、社団福祉法人/恩賜財団 母子愛育会・理事長
その他役職 [編集]
- 財団法人SBI子ども希望財団理事
- 財団法人九州大学学術研究都市推進機構顧問
- 財団法人浩志会会長
- 社団法人国際音楽交流協会顧問
- 特定非営利活動法人日本防災士機構会長
- くるめつつじ会顧問
- 財団法人損保ジャパン記念財団理事
- 社団法人先端技術産業戦略推進機構名誉顧問
- 財団法人日本法制学会評議員会議長
- 有限責任中間法人小林がん学術振興会理事
- 日本心臓ペースメーカー友の会顧問
- がんをがんがん減らすボランティアの会顧問
脚注 [編集]
- ^ 親会社等の決算に関するお知らせ、麻生フオームクリート、2010年6月29日、p4。
- ^ 『さらば外務省』, 天木直人, 講談社, 2003年 p77 「ショー・ザ・フラッグ」の真実
関連項目 [編集]
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 石原信雄 |
(事務担当) 1995 - 2003 |
次代: 二橋正弘 |