萩生田光一
萩生田 光一(はぎうだ こういち 1963年8月31日 - )は日本の政治家。前自由民主党衆議院議員(2期)。国家基本問題研究所政策委員。千葉科学大学客員教授。
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[編集] 活動
東京都八王子市出身。早稲田実業高等部、明治大学商学部卒業。元八王子青年会議所監事、黒須隆一(現八王子市長)都議会議員秘書、小野清子参議院議員秘書の後、八王子市議3期、東京都議会議員1期を経て、2003年、東京都第24区から出馬し初当選。2005年の総選挙で再選された。
安倍晋三の忠実な側近で、下村博文、高市早苗、世耕弘成と共に、安倍が最も信頼する4人の議員のうちの一人でもある。2005年春の訪米、終戦の日の靖国参拝にも同行した。2008年の終戦の日にも安倍と共に、靖国神社に参拝を行っている。新たな人権侵害を誘発するとして、人権擁護法案に反対の立場をとる。そのため、2005年春に、都内で行われた自民党の集会に武部勤幹事長と出席した際、萩生田は大喝采で迎えられたことがある。真の人権擁護を考える懇談会の幹事でもある。皇室典範改正問題では、反対派の急先鋒として動き、2006年2月1日に憲政記念館で行われた反対集会では司会を務めている。地元・八王子に大正天皇、昭和天皇の御陵が存在することから皇室に対する尊崇の念は強い[1]。
安倍内閣が道路特定財源の一般財源化を打ち出した際は、山本一太らと後押しをすべく動いた。安倍内閣失速の原因とされる郵政造反組復党問題では、平沼赳夫や古屋圭司と靖国神社参拝や人権擁護法案反対で共闘してきた経緯から復党を是としていた。
2006年10月、自民党青年局長に就任。自民党の青年局長は、日中国交正常化以降、断交した台湾との窓口機関で、若手議員の登竜門的地位でもある。同年11月には訪台し陳水扁総統と会談している。
2007年8月、自民党副幹事長に就任。2007年10月17日、所属する日本の前途と歴史教育を考える議員の会で第二次大戦末期に沖縄で起こったとされる、集団自決の日本軍の組織的強制・強要の有無を検証する、「沖縄戦検証のための小委員会」・委員長に就任。同年12月4日、安倍内閣崩壊後瓦解しつつあった保守政治再建のための勉強会・「真・保守政策研究会」に中核メンバーとして参画。2008年3月11日に、憲政記念館で行われた人権擁護法案の反対集会に出席し、法案の危険性と法務省の体質を非難した。
2008年2月22日には、首相退任後表立った活動を控えてきた小泉純一郎・元首相が、八王子市で行われた萩生田の講演会に出席した。3月18日には、安倍晋三らと共に、国会内でペマ・ギャルポと会談。会談の中では、中国政府によるチベット弾圧に対し強い懸念が示された。
2008年8月、福田康夫改造内閣において文部科学大臣政務官に就任。
2009年8月、第45回衆議院議員総選挙では、「日教組・民主党に、子どもたちの未来をまかせられない!」など、積極的に日教組批判・教育改革などを訴えたが、民主党の阿久津幸彦に敗北を喫した。落選後も再び国政復帰を目指す考えを示した[2]。
また、2010年4月に与謝野馨・元官房長官らが立ち上げたたちあがれ日本に対しては、与謝野が小選挙区では敗北し比例代表選出であることから「平成の議席泥棒」と離党劇を非難し[3]、落選中の松島みどりもツイッターで萩生田に同調した。
[編集] 人物
- 拉致問題対策特命委員会にも参加しており、北朝鮮による拉致被害者を取り戻すための活動を行っている。また横田滋がいつも締めている青いストライプのネクタイは、解決を祈って八王子のネクタイ業の従業員が織ったものであり、萩生田本人も同じネクタイを着用している[4]。
- 自民党「カジノ・エンターテイメント検討小委員会」の事務総長を務め、カジノ推進を目指している[5]。
- 応援団長は八王子市在住の歌手の北島三郎である。
[編集] 参加団体
- 外国人材交流推進議員連盟
- 真の人権擁護を考える懇談会
- 日本会議国会議員懇談会 - 事務局長
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- 日韓議員連盟
- 日本の前途と歴史教育を考える議員の会
- 速やかな政策実現を求める有志議員の会
- 再チャレンジ支援議員連盟
- 国想う在野議員の会 - 事務局長
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 萩生田光一@頑張れ日本!全国行動委員会結成大会頑張れ日本!全国行動委員会 結成大会 平成22年2月2日
- ^ 充電
- ^ 平成の議席泥棒?はぎうだ光一の永田町見聞録 2010年4月9日
- ^ はぎうだ光一の永田町見聞録 拉致をあきらめない(2008年6月27日)
- ^ 日本にカジノを