文鮮明

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文鮮明(ぶん せんめい /문선명、ムン・ソンミョン/ Sun-Myung Moon) 1920年2月25日(89歳))は、韓国人宗教家世界基督教統一神霊協会―いわゆる 統一教会(統一協会)の創立者であり教祖朝鮮平安北道 定州郡徳彦面上思里(現在は北朝鮮統治区域)出身。戦前は朝鮮の日本からの独立を目指す抗日運動の活動家でもあったと称している[1]。 本名は文龍明(ぶん りゅうめい/문용명、ムン・ヨンミョン、)[2][3]、p68)([4]、p25)。

目次

[編集] 概略

文鮮明は自らを聖書預言された再臨イエス・キリストメシア)であると自称している。全人類の父母の立場にあるということから信者から「真の父母」とも呼ばれる。最近は「天地人父母」、「平和の王」、「根本先祖」という言い方も用いられるようになった。信者は文鮮明を、「お父様」、「真のお父様」、「アボジ」(お父さん)、「アボニム」(お父様)などと呼ぶ。妻の韓鶴子(ハン・ハクジャ)も含めて言うときは「真の父母様」、「真の御父母様」と呼ぶ。正式な名称は「天地人真の父母様」だとされる[5]

3人目の妻(2度目は法律婚していない)韓鶴子(ハン・ハクチャ)との間に14人の子供(3人は既に他界)と、40名ほどの孫を持ち、自らの家庭を「神の家庭」、「真の家庭」とし、全人類が模範とすべきモデル家庭だとしている。

人類の根本的なである原罪メシアである自分によってしか清算出来ないと主張する。

人類始祖、アダムとエバの愛の過ちにより「サタンの血統」に陥った堕落人間を「の血統」に転換するとの独自の教義に基づき、「合同結婚式」により、国際カップルを含む多くの男女を結びつけて来た。

文鮮明は宗教活動に留まらず、機械製作会社、製薬会社、新聞社、銀行から自動車、食品、旅行など様々な分野の企業を設立し、政治、経済、宗教、科学、言論などに関する会議や財団を数多く創立した。その全ては「地上天国」の実現のためのものであるとされている。

韓国日本アメリカを初めとして世界の政治家宗教家など、有力者との関係を持つ[6]

「統一教会」は草創期から、韓国本国を初め、日本、アメリカでも多くの反対を受けて来ており、教団設立以前に、抗日独立の地下活動を行って来た時代から、文鮮明はこれまでに6度投獄された経験を持つ。文鮮明自身も、自らを歴史上、最も迫害された宗教者であるとし、それが自分が本物である証だとしている。

但し、これも金日成赤軍によって「抗日活動家」として偽装させられたとする疑惑があるように、文も右派の宗教勢力としての役割を担わせるためにKCIAの都合により「抗日活動家」の肩書きに結び付いたとも云われている[要出典]

統一教会はここ数年、フィリピンはじめアジア諸国、オセアニア諸国において、教祖やその家族の講演をはじめ様々な活動が展開されている。2006年には、ドイツが教祖の入国を許可した。対して韓国では、教義の違いから一般のキリスト教会の反対が強い。

2008年4月、統一教会は宗教分野における後継者は七男の文亨進であると発表した。

長らく、アメリカのニューヨークに居を構え、活動してきたが、2006年に韓国の京畿道加平郡清平(チョンピョン)建てた「天正宮」に住むことになった。

2009年3月10日には、金英社から自叙伝「平和を愛する世界人として」が出版された。


[編集] 来歴

注:(来歴の前半は教団の資料のみによる情報が多い。事実性に関しては不確定の部分もあり。当人のみならず、その子供たちなどの来歴も含む)

[編集] 少年時代

  • 1920年2月25日陰暦1月6日)、日本統治時代朝鮮平安北道(ピョンアンプクド)定州郡(チョンジュグン)徳彦面(トゴンミョン)上思里(サンサリ)2221番地で、文慶裕(ムン・キョンユ)・金慶継(キム・キョンゲ)夫妻の次男として生まれる[1]
龍明”(ヨンミョン/りゅうめい)と名づけられる(「龍」はサタンを意味するため、それを隠すために自ら“鮮明”と改名(出典:ホン・ナンスク著『わが父 文鮮明の正体』))。上思里は家が15軒ほどしかない農村で、9軒が文氏姓であったため、「文村」と呼ばれたという。 兄が一人、姉が三人、弟妹が5人くらい、いたとされ、両親は農業を営み、一家は長老派教会系の熱心なキリスト教徒であったという。
  • 1927年 7歳から13歳まで、一般家庭の子供たちが通う書堂で、漢文を中心に学ぶ。
  • 1932年 12歳のころ、康村にある長老派教会に通う。
  • 1934年 14歳で、定州にある私立五山普通学校に入学。
  • 1935年 (15歳)
4月17日 数え年で16歳の時、復活祭に当たる日(あくまで文鮮明の主張である。カトリック、プロテスタントともに、この年の復活節は4月21日であった。)に、猫頭山(ミョドゥサン)でいつものように祈っているとイエス・キリスト が霊的に現われ、“イスラエル民族が自分を不信したため、果たせなくなった のみ旨を果たしてほしい”と請われたが、その重大な容ゆえに何度も辞退したが、その最も悲惨で困難な道を、誰かが行かねばならないことを悟り、受け入れたという(米国のテレビのインタビューでは「イエスはヘブライ語なまり韓国語で話した」と答えている)。
以来、絶対的真理を解明する戦いを始めたという。
定州公立の普通学校に転校。
春、小学校の卒業式で、演壇に立ち、教育や教師への批判、時代批判などを一時間近く訴え大問題となったという。 故郷を離れ、京城府(現在のソウル)にあった京城商工実務学校電気科に入学。
長老派系のイエス教会所属の明水台(ミョンスデ)教会の日曜学校で、子供たちを指導したという。平壌(ピョンヤン)からしばしば訪ねて来たイエス教会の幹部である李浩彬(イ・ホビン)、朴在奉(パク・チェボン)牧師たちと、信仰の境地について語り合う。また、生活に苦しむ人間の実態を知るために、日雇い労働、農夫、漁夫、波止場の人夫、炭鉱の鉱夫など、警察と軍隊以外のことを多く経験したという。
また、地下活動を含む抗日活動を始める。摂理として、朝鮮(大韓帝国)を日本から独立させることが目的であったとされる。
ソウル駅前や昌慶苑(太宗を祭る宮殿)などにおいて、時代情勢について演説したりしながら3年間伝道。
12月 京城商工実務学校を卒業。抗日活動を警戒されてか、日本留学の許可が得られなかったので、警察署長に直談判して許可を得たという。

[編集] 日本留学時代

4月 日本に留学。「創氏改名」制度を利用し、「江本」という日本姓を名乗る。新宿区戸塚町の三橋宅に下宿しながら、早稲田大学附属の早稲田高等工学校電気工学科に学ぶ(戦後の学制改革で早稲田大学工業高等学校となるが、1968年に廃校となった。昔は“早稲田大学高等部を経て理工学部に学んだ”と称していたが、早大に高等部は存在しない。また、文鮮明はそのときの日本名は山本朋成であったと語っていたが、後にその名前の別人がいることが判明した[3]
東京留学中も抗日活動に励み、当事、第二次国共合作中の中国の重慶の亡命政府大韓民国臨時政府の主席で、対日宣戦布告していた金九(キム・グ、武力闘争を中心に活動した独立運動家)とも連絡を取り、地下活動を行う。要注意人物として、毎月、高田馬場の戸塚警察署に呼び出されたという。
朝鮮系留学生達と共に第二次大戦での朝鮮の青年、学徒の徴兵に対する抗議集会を行う。
また、『聖書』を初めとして、宗教や哲学の勉強を熱心にしたという。また、社会の現実を知るために、日雇い労働のために、東京の各地、横浜川崎千葉品川の裏町の貧民窟新宿の裏町の酒場などへも行ったという。後に「統一原理」と呼ばれることになる真理を発見したのは、20代前半だという。

[編集] 朝鮮帰国以降

9月 戦争の激化で、早稲田高等工学校を半年短縮して卒業。2年半にわたる日本留学を終え朝鮮に帰国。
12月 18歳の崔先吉(チェ・ソンギル)と約婚(教団では「真の母」としての第一候補だったとされ、年齢は十代で、篤実なキリスト教徒であり、洗礼ヨハネの使命を果たす女性という条件で選んだと言う。お見合いだったとも言われる[要出典])。
年初 満州ハイラル区で就職する予定にしていたが、世界情勢の変化を見て、朝鮮に残るべきだと考え直し、鹿島組(現・鹿島建設)の京城(ソウル)支店に電気技師として就職。
5月 崔先吉(18歳)と聖婚式を挙げる。「血分け」を行う混淫派とも言われる李龍道(イ・ヨンド)派のイエス教会の幹部である李浩彬の司式により行われたとも言われる。[要出典]
10月 日本留学時の抗日運動の事実が発覚し、京畿道(キョンギド)警察部によって連行され、拷問を受ける。
日本での地下活動の内容と関連者の名前を白状するように迫られたが、最後まで黙り通したという。従兄弟の文龍基(ムン・ヨンギ)たちが有名な弁護士を雇い、3か月で無罪釈放されるように働きかけたという。
2月 半死状態で釈放される。
4月28日 崔先吉と結婚。婚姻届を出す[7][4]、p33)。

[編集] 「荒野40年路程」の始まり

8月15日 第二次世界大戦の終結と共に鹿島組を退職。
10月 イスラエル修道院金百文(キム・ペグムン、1917年1990年)に学ぶ。ソウルの上道洞(サンドドン)礼拝所の補助引導師をする。
12月25日 クリスマスに当たるこの日に、霊界からの啓示を受けた人からソロモン王の祝福を受けたという。さらに、啓示によって、みなが文鮮明に従うようになったのを金百文が妨げるようになり、文鮮明に対し敬遠するようになったという。
10月中旬ころ 故郷の朝鮮北部・定州郡に帰る。いとこの文龍基(ムン・ヨンギ)と買い物をしたとき出したお金が偽物と疑われ、二人とも牢獄に入れられる[4]。小学校時代の担任であった郭山(クァクサン)の警察署長に身元の保証を請け負ってもらい釈放される。
4月 イスラエル修道院では神のみ旨が果たせないと考え去ったという。
4月2日(陰暦3月1日) 崔先吉との間に長男、文聖進(ムン・ソンジン)が生まれる([4]、p33)。
妻子を置き去りにして、南北分界線の監視区域を突破し、ソ連支配下の平壌へ向かう。
6月6日 平壌に到着する。摂理で用意された神霊集団を再統合するためだとされる。それらの集団は「混淫派」や「霊体交換派」と呼ばれる「血分け」を行う者達だとも言われる。
家庭集会を中心に伝道し、弟子を得るが、弟子の家族や信者を奪われた牧師たちの反対が強くなる。Template:要出展
8月11日 牧師の訴えと共産党から李承晩スパイ容疑(風俗紊乱の廉で逮捕収監だったとも言われるTemplate:要出展)で大同保安署に3ヶ月間収容される。同じく投獄されていた腹中教許孝彬(ホ・ヒョウビン)に「司法当局(朝鮮共産党政権下の治安機関)は受けた啓示を嘘だと言えば釈放するといっているのだから、それを認めて牢獄から出よ」と書いた手紙がに発覚する。
9月18日 午後2時から本格的拷問が始まる。
11月21日 半死状態で釈放される。弟子が大同保安署の回りをエリコ城のように7回まわれば先生に会えるという啓示を受け、その通りにしたら釈放されたという。[8]
2月22日 キリスト教団の訴えで、内務省に拘束される。
4月7日 社会秩序を乱したという社会紊乱罪で、重労働5年の刑を言い渡される[4]教団の講義ではこう教えられるが、批判側の資料には、実業家の妻金鍾和(キム・ジョンファ)と怪しげにみえる儀式を行っているところに警官が踏み込み、強制結婚の現行犯で逮捕され、夫の告訴により、懲役5年の実刑をうけ、相手の女性も10ヶ月の実刑となり共に収監された、とある[3])。
5月20日 咸鏡南道 の興南(フンナム)にある「徳里特別労務者収容所」(通称、興南収容所。日本窒素肥料株式会社<現:チッソ>が1927年に建てた大規模化学コンビナート工場に通勤する元・従業員寮)に入れられて化学肥料(硫酸アンモニウム)を袋に詰めて運ぶ重労働に服する。
10月14日 朝鮮戦争中の国連軍により興南収容所が爆撃され、辛くも解放される。[8]([4]、p36[9]教団では「真の母」としての第二候補であったが、外国で不幸な事件に巻き込まれ 「真の母」としての立場を続けることができなくなり、自ら身を引いたと説明している。[10]金明煕は1998年の合同結婚式で霊界ソクラテスと祝福を受けた。)。
10月4日 ソウル地方院の結審公判で、訴えていた女性側が告訴を取り下げたため、無罪放免となるが、劉孝元は5千ウオンの罰金を科せられ、他の2二人は懲役8か月となる。
10月7日 出監獄直後に教団本部をソウルの龍山区青坡洞(チョンパドン)1街71番地に移転。
12月 現在の妻、韓鶴子の母である洪順愛(ホン・スネ)が入教。
1月8日 12年近く連れ添った崔先吉(チェ・ソンギル)と離婚[11]教団は最も愛する妻を犠牲にして弟子たちを愛した文鮮明の心情を理解できずに、自ら「真の母」の立場を放棄したと説明している[12]
後に自身の妻となる13歳の統一教会信者、韓鶴子と初めて対面する[13]
忠清南道(チュンチョンナムド)の鶏龍山(ケリョンサン)で40日の断食祈祷を行ったという。
韓国軍の陸軍中佐の朴普煕(パク・ポーヒー)が入教。
「原理解説」を発刊。
6月 宣教のため、韓国の西川勝{韓国名は崔翔翼(チェ・サンイク)または崔奉春(チェ・ボンチュン)}を日本に密入国させる。不法入国で逮捕された後、逃亡した西川は各地を転々と逃げ回った中で、同じく密入国した金明煕をかくまっていた品川霊能者、志賀如心の所にも身を寄せたという。全国モーターボート競走会連合会の会長であった笹川良一が逮捕された西川の身元引受人を買って出たが、文鮮明は「日本の陰謀だから、帰国するように」と指示[14]
9月 金永雲(キム・ヨウウン)を宣教師としてアメリカへ派遣する。
4月頃 金明熙が4年ぶりに韓国に戻る[9]。文鮮明は喜進(ヒジン)を認知し([4]、p36)。

、喜進だけを自分の戸籍に入れ、女性幹部の家で育てさせたという[15]

7月20日 全国120か所で、夏季40日間の開拓伝道が行われる。
8月15日 教理解説書『原理解説』が発刊される。
12月26日 冬季の40日伝道が行われる。
弟子の宋(ソン)長老と趙(チョン)イルチョンを連れて八道江山(パルトガンザン)の有名な師を訪ねる為、釜山近郊の寺刹を巡る[15]

[編集] 聖婚式(韓鶴子との結婚)以降

3月27日 ソウルの竜山区青坡洞(チョンパドン)の本部教会(当時)で、23歳年下(17歳)の韓鶴子(ハン・ハクジャ)と約婚式を挙げる。翌年からこの日を「父母の日」という祝勝日とする。
第三アダムとして来た「真の父」である文鮮明が、新婦としての「真の母」を復帰して、人類の真の父母となる基準が満たされたとされる。
4月11日(陰暦3月16日) 韓鶴子と結婚式を挙げる。文鮮明はこれを聖書の「ヨハネの黙示録」に書かれた「子羊の婚姻」(イエス・キリストの結婚)と意味づけ、「聖婚式」と呼ぶ。「(歴史上)初めて、“神の家庭”が地上に復帰された」と文鮮明は言う([16]、p230
4月16日 ソウル特別市 龍山区青坡洞本部教会において、金栄輝(キム・ヨンヒ)と鄭大和(チョン・テーファ)、劉孝元(ユ・ヒョウウオン)と史吉子(サ・キルジャ)、金元弼(キム・ウオンピル)と鄭達玉(チョン・タルオク)の三組の合同結婚式を行う。
11月19日 「子女の日」を宣布する。
1月27日 文鮮明と韓鶴子との間の第一子、文誉進(ムン・イエジン)が生まれる。
5月15日 33組の合同結婚式を行う。前年の3組と会わせた36組は教団の幹部層を形成する。
12月27日 文誉進の出生届けを提出。
12月29日 長男、文孝進(ムン・ヒョウジン)が誕生。韓鶴子との婚姻届けを提出。
6月4 72双の合同結婚式を行う。式典に笹川良一夫妻も参列。
6月26日 6韓国の京畿道仁川埠頭にて「天勝号」進水式。その後、船舶事業は負債が膨らみ中止になる。
7月26日 「万物の日」を宣布する。真の父母(文夫妻)と真の子女(文夫妻の子供たち)が一体となって万物に対する所有を決定したという。
7月28日 次女の文恵進 (ムン・ヘジン)が誕生するが、生後1週間で他界。(8月4日)
1月 翌年の1月まで、韓国を初め、世界の40か国を巡回し、120ヶ所の「聖地」を定める。崔元福(チェ・ウオンボク)が随行し、通訳を務める。
1月 統一教会(統一協会)の日本上陸後、初来日。8箇所の聖地を決定する。
1月29日 学生時代に下宿していた三橋家を訪ね、大家だった三橋イトと再会。
日本に二度訪問。
6月25日 アメリカのアイゼンハワー大統領と会談する。「宗教の国連を造って、世界を指導する基盤としなければならない」と提案したという。
韓国で機械製作会社「統一産業」を創立し、の製造を始める。
11月7日 韓国において、「キリスト教超教派運動本部」を設立する。
6月 日本に2か月滞在する。日本の責任者クラスの百数十名を集めて、「原理大修錬会」を開催する。
7月 「世界反共連合」を設立するために日本の山中湖畔で児玉譽士夫笹川良一と会合したという。[2][17]
1月1日 「神の日」を宣布する(妻の韓鶴子が女性として完成したことによって、歴史上、初めて地上に“神の家庭”が立ったと宣言した)。
1月13日 共産主義に対抗するため韓国で「国際勝共連合」を設立する。
2月22日 436組の合同結婚式を行う。久保木修己が日本人として初めて参加。
4月 日本でも「国際勝共連合」を設立する。
2月~5月 43組の合同結婚式を行う。
世界巡回をする。崔元福が随行し、通訳を務める。
8月1日 金明煕との間の子、14歳の喜進(ヒジン)が、開拓伝道に行く途中で列車から転落死する。(忠清北道梅浦駅)
9月 日本武道館で、「世界反共大会(WACL)」が開催される。
10月21日 777組の合同結婚式を行う。世界十か国から参加する。
12月 祝福家庭婦人を3年間の開拓伝道に送り出す。韓国民族が統一教会(統一協会)を受け入れなかった失敗を取り返すためだとされる。

[編集] アメリカ進出以降

イエス・キリストを韓国の女性信者、張貞順(チャン・ジョンス)と祝福したという(1972年1973年にも同様のことが語られる。)[18] [19] [20] [21]
12月6日 薬学博士号を持っていた洪性杓(ホン・ソンピョ、36家庭、洪蘭淑の父)に命じて、韓国において、製薬会社(これが「一和製薬」、後の「一和」となる)の設立を命じる。
12月 啓示を受けたとして、アメリカへ渡る。
2月~ アメリカの七大都市(ニューヨーク、ワシントンD・C、ボルチモア、フィラデルフィア、サンフランシスコ、ロサンゼルス、バークレー)やヨーロッパの二大都市で講演する。
4月 韓国で「統一神学校」を開校する。
10月 「統一思想研究院」を設立する。李相憲(イ・サンホン)が院長に就任。
11月 ニューヨークで、第一回「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」を開催する。
ニューヨーク州郊外にあるウエストチェスター郡の22エーカー(約26ヘクタール)の土地を85万ドル(当時の為替レートで約2億5千万円)で購入([4] 、p69)[22]
12月18日、子供たちが、韓国から米国のベルベディアに移住する。
5月 「世界平和教授アカデミー(PWPA)」を発足する。
6月16日 文聖進と金東淑(キム・トンスク、金元弼鄭達玉の間の娘)とを祝福する。(婚姻届は1976年9月20日)
10月~翌年 アメリカの21か都市で、「危機に瀕するキリスト教と新しい希望」と題して、三日連続の講演を行う。
 : ベルベディアの近くに18エーカーの地所を56万6150ドル(当時のレートで約1億4千万円)で購入。 ここを「エデンの園」を意味する「イーストガーデン」と命名する([4]、p69[23]
11月30日 ウォーターゲート事件で糾弾されているニクソン大統領を擁護する声明を「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」に出す。『許せ、愛せ、団結せよ』と訴える。
アメリカでの永住ビザ(グリーンカード)を取得する。
12月24日上記声明をサンケイ新聞に掲載する。
2月1日 ホワイトハウスニクソン大統領と30分間ほど会談する。
2月15日~ アメリカの32か都市で、「キリスト教の新しい未来」と題して3日連続の講演を行う。イエス・キリストは死ぬために来られたのではなく、イスラエル民族の不信仰によって殺されたこと、再臨のキリストは人として地上に来られることなどを語る。
5月7日 日本の帝国ホテルで開催された「希望の日晩餐会」(名誉実行委員長は岸信介)で「為に生きる」という題で講演する。
ために存在する原則をもって個人、国家、世界が生きるときに地上天国になるという内容。
福田赳夫大蔵大臣は「アジアは今、偉大な指導者 を得ることができました。その指導者こそ、そこにおられる'文鮮明先生です」と賛美し、韓国形式の挨拶で抱擁を繰り返す。安倍晋太郎中川一郎保岡興治中山正暉石井公一郎ブリヂストン副社長)、笹川了平(大阪日々新聞社長、笹川良一の末弟)、笹川陽平(富士観光社長、笹川良一の三男)らの他らの他、40名ほどの小学校、中学校、高校の校長達が出席。
9月18日 ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、「希望の日」大講演会を行う。2万数千人が集まる。その後、アメリカの八大都市で講演する。
10月8日 アメリカの国会議事堂に招待され、講演を行う。
11月14日 統一教会(統一協会)本部で岸信介元首相と会談。当時の写真
「リトルエンジェルス芸術学院」(現:「成和芸術高等学校」)を創設([4]、p86-p87)。
1月1日 日本で日刊新聞『世界日報』を創刊。
日本と韓国で全国を縦断して、「希望の日」晩餐会で講演する。
1月16日 韓国の朝鮮ホテルにおける「希望の日」晩餐会を行う。韓国において、初めて公の場で講演する。丁一権(チョン・イルクォン)国会議長を初め、7百名余りの著名人が集まる。
2月8日 ソウル市奨忠体育館で1800組の合同結婚式を行う。
4月1日~5月16日 韓国の9か都市における「希望の日」晩餐会(各々2日間)で講演。
2月13日 通過査証での日本滞在にもかかわらず武道館で講演を行った後、合同結婚式のための1610組の指名婚約を行ったため、入国管理法違反に問われる[24]
5月1日 韓国で「総解怨式」を行う。
6月7日 韓国のヨイド五・一六広場における「救世救国大会」において、「世界の中の韓国」と題して、共産主義打倒を訴える。
7月、米国東海岸ボストン北部にあるグロースターでマグロ釣りを中心とする「海洋摂理」を始める。第一回目の四十日のマグロ釣りをする。
日本の統一教会(統一協会)に送金命令を始める。
世界127か国に宣教師を派遣。
6月1日 ニューヨーク州のヤンキー・スタジアムで、「アメリカに対する神の希望」と題して講演を行う。5万人が集まる。
9月18日 ワシントン広場で、「アメリカと神のみ旨」と題して講演する。歴史の中心的立場に立ってきたユダヤ教、キリスト教と統一教会(統一協会)が一つになって世界の宗教を統一し、3つの宗教の基盤であるイスラエルとアメリカと韓国が一つになって世界統一のために貢献すべきことを訴える。50万人が集まる。
10月4日 「天克日」(天の克服の日、当時は「天勝日」と呼んでいた)を宣布する。文鮮明の築き上げた基盤により、神のみ旨が必ず成就する条件が立ったとされる。
アメリカの大統領に選出された民主党ジミー・カーター共産主義に甘いことなどを激しく批判する運動を展開する。
5月3日 16回目の聖婚記念日に当たるこの日に、韓鶴子が、夫、文鮮明との結婚以来、サタンの試練を受け、人知れない苦労の道を歩んできたことを信者らの前で告白する。
5月3日 ドナルド・フレーザー米下院議員が文鮮明の特別補佐官である朴普煕(パク・ポーヒー)をKCIAの工作員等の疑惑で議会に召喚する。
5月7日 文鮮明とウォーキートーキー(小型無線機)を持った護衛を含む教会員10名(2名は日本人幹部)がニューヨーク市北部のバード・カレッジという大学の構内に不法侵入した疑いで逮捕されたと『毎日新聞』が報じる。(同上)教団側は不法侵入ではなく、観光していた、滝を見ていたと説明した。保釈金を積んで釈放される。
来日目的に違反して合同結婚式を日本国内で突然強行し、入国管理法違反で以後入国を認められなくなる。
2月2日 「文鮮明師は血分けをしている」と主張していた元信者、金明煕を統一教会が名誉毀損等で訴えた裁判において、金明煕が「名誉毀損」等で有罪判決を受ける[25]
2月21日 60歳の還暦祝う会が盛大になされる。
自ら創設した新聞『ニューズ・ワールド』で米大統領選に於いてレーガン候補の圧勝を予想する記事を書くように指示[1]
南米における反共産主義運動のためにCAUSA(カウサ、アメリカ統一教会連合)を設立([4]、p184)。
3月30日 狙撃されたレーガン大統領の回復を祈る集会に朴普煕と共に参加。朴は、「ボリビアを反共の砦の中心とするのは、神の意志だ」と演説。文鮮明は、7000人の宗教軍を募集してトレーニングした。
イギリスの内務省が入国申請を却下。
日本の法務省が入国申請を却下。
5月 長女の文誉進(ムン・イエジン)を洪珍輝(ホン・チンフィ、洪蘭淑の兄)と祝福する。
5月4日 文鮮明がアメリカ人の愛国心を高める目的で製作させた映画『インチョン!』がアメリカで公開される。興行成績がふるわず、わずか数週間だけ上映され、4410万ドル(約110億円)もの赤字となった[26]
10月 文鮮明名義の銀行預金に対する1973年からの三年間の利息について納税申告を怠ったという脱税容疑で、ニューヨーク州連邦地方裁判所に起訴される。
11月 第十回「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」で、全世界を高速道路で結ぶ「国際ハイウェイ構想」と「日韓トンネル」建設を提唱する。
1月 長男の文孝進(ムン・ヒョウジン)を洪蘭淑(ホン・ナンスク)と祝福する。蘭淑のビザ取得のために ニューヨークでの国際ピアノ・コンクールをでっち上げる。(孝進と蘭淑の結婚はニューヨーク州の承諾年齢に達していなかった[4]、p94、p107、p108 )。
5月17日 アメリカで保守系の日刊新聞、「ワシントン・タイムズ」を創刊する。(前年に米国で唯一の保守系新聞であった「ワシントン・イブニング・スター」紙が廃刊したことに危機感を覚えた政府が、保守系日刊紙の創刊を積極的に勧誘していたところ、統一教会のメディア会社の「ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ」社がそれに応じた)
7月1日 2075組の合同結婚式を行う。
ユニバーサル・バレエ団を創設
7月16日 第一審の連邦地方裁判所で、懲役10か月、罰金2万5千ドル(約580万円=当時)の有罪判決が下される。
10月14日 6000組の合同結婚式を行う。
来日を希望するも入国認められず。
10月 韓国の女性月刊誌『女苑』(ニョオン)11月号で、妻、韓鶴子の特集記事が出る。
1945年から1985年8月15日までの期間が「荒野40年路程」であると発表し、最後の三年路程の結団式を行う。
『世界日報』の紙面作りにおいて、教会色を押さえ、一般紙を志向した副島嘉和編集局長らを追い出すために、「休刊してでも、天の伝統を打ちたてよ」と指示したという。
11月 韓国の八大都市で、大規模な「勝共大会」を行う。
12月23日 八大都市の最後の光州大会の最中、次男の文興進(ムン・フンジン、17歳)が珍福(チンボク)と珍吉(チンギル)の二人の祝福子女と夜の外出から戻る途中、対向車線のトラックが凍結した道路でスリップしてセンターラインを超え、そこに激突する自動車事故で、瀕死の重傷を負う。
1月2日 脳死状態にあった興進の人工呼吸器のスイッチを切ることに同意する。
1月3日 「愛勝日」を宣布する。前日に他界した次男の興進を霊界における「全権大使」に任命したと宣言。イエス・キリストより上位の位置にあるとされる。
2月 三女の文仁進(ムン・インジン)と朴珍成(パク・チンソン、朴普煕の長男)のカップルと、亡くなった次男の興進と教団のナンバー2の朴普煕(パク・ポーヒー、36家庭)の娘、朴薫淑(パク・フンスク)のカップルを結婚させる(アメリカの法律では死者との結婚は認められないので、文鮮明は朴薫淑を養女にした)。
5月14日 アメリカの連邦裁判所は文鮮明の上告申請を却下。脱税の罪で懲役一年六ヶ月の実刑判決を受ける。
5月16日 「愛天日」を宣布。
7月19日 収監の前日に当たるこの日に、今回の裁判は政府による宗教迫害であるとの声明を発表。出国すれば罪に問われないが、刑を受け入れることを表明。アメリカでの永住権を約束したグリーンカードは失効せず。(後に、全米の何千名もの牧師たちが今回の政府の迫害に反対し、『宗教の自由』の名の下にデモを行った[8])。
7月20日 側近(アメリカの伝道責任者)の神山威と共に、コネチカット州のダンベリー連邦刑務所に収監される。
アルゼンチンのラプラタ・カトリック大学から名誉法学博士の称号を授与される。
12月 50億円以上をかけ、全米の30万の牧師たちに、ビデオデッキ5万台を貸しだし、原理講義のビデオテープや自らの説教集などを配る[3]
2月1日 「開天日」を宣布。
4月 「父母の日」に特別な許可をもらって、ダンベリー刑務所から一時出て、日本のリーダーたちに、1か月で100億円の献金(TV100と呼ばれた)を果すよう指示[27][28]
日本宣教の開拓者である西川勝が脱会の意向を伝えるため、ニューヨークに会いに来たが、側近を通じて会わないと断る。
6月6日 アメリカのレーガン政権が、イランへの武器売却代金を、共産化したニカラグアに反対するゲリラ、「コントラ」援助に流用していたことが暴露され、議会がイランへの武器販売および「コントラ」への資金提供に反対していた最中、『ワシントンタイムズ』紙で、「コントラ」に対し、1400万ドル(当時のレートで約35億円)を援助することを申し出る。
7月4日 模範囚と認められ、6か月の刑期短縮になり、ニューヨークのブルックリンのハーフウェイハウス(出所者の社会適応の施設)に移動。
8月15日「荒野40年路程」の終結を宣言する。

[編集] カナン定着のための七年路程

8月20日 刑期を終え、釈放されたその日の夜に開催された「神と自由のバンケット」で、「神のみ旨」と題して講演する。全米30以上の教派から2千名の牧師と聖職者が参加する。
9月 前妻(崔先吉)との間の息子である文聖進(ムン・ソンジン)を筑波大学(当時の総長は統一教会シンパ福田信之)が研究員として受け入れていたことが発覚し、問題となる。
12月11日 韓国で「文鮮明先生勝利帰国晩餐会」で講演。
12月16日 韓国で「国際勝共安保決意大会」で講演。
ベルベディア邸において、妻、韓鶴子と共に世界皇帝・世界皇后即位の秘密儀式を行う。12人の子供、嫁と婿が王子、王女のような衣装を着る。高い位置にある幹部だけが参加をゆるされる([4]、p190-p191)。
4月 四女の文恩進(ムン・ウンジン)と朴珍憲{パク・チンホン、36家庭・朴鐘九(パク・ジョング) 長男}を祝福する。36組の合同結婚式を行う。
4月12日 南平文氏大宗会(会員40万人)の宗長に推戴される。
10月11日 韓国で「全国大学教授学生南北統一運動連合会」を創設。
3月 三男の文顕進(ムン・ヒョンジン)と郭全淑{カク・チョンスク、側近の郭錠煥(カク・チョンファン)の娘}を祝福する。
5月15日 韓国で「南北統一国民連合」を創設。
5月31日~6月4日 韓国ソウルで行われた第一回「世界平和のための頂上会議」で講演。
アフリカのジンバブエのクレオパス。クンディオナ (当時26歳)に亡くなった次男、文興進(ムン・フンジン)が霊的に再臨したと公認し、幹部や信者らに罪の告白をさせるために1987年から1988年にかけて世界を巡回させる([4]、p192-p195)。
4月 長男の文孝進がニューヨーク市のオールド・ニューヨーカー・ホテルで自らの不品行(ドラッグ、飲酒、女性問題、自殺未遂等)を教会員の前で告白し、涙で懺悔する([4]、p74~76)。
4月8日 日本で「東西南北統一運動国民連合会」を創設。
この年、「日本赤軍」の菊村憂らがアメリカに派遣され、文鮮明の夏別荘を爆破して暗殺する計画があったが、天()の保護で未然に防がれたと教会内部では語られている[29]米国国務省は、菊村憂がパイプ爆弾3本を所持していたとして逮捕された事件は米軍に対するテロの準備であって、イタリアナポリにおいて、ナイトクラブ前に駐車していた自動車の爆破により、米軍人を含む5名が死亡した「日本赤軍」によるものと思われる作戦との同時攻撃を行なう計画であったとの見方を発表した)。
9月 ソウルオリンピックに、三男の文顕進(ムン・ヒョンジン)と4女の文恩進(ムン・ウンジン)が馬術競技に韓国代表として出場する。
10月3日 「世界統一国開天日」を宣布する。オリンピックを通して、北朝鮮キューバを除く共産国家が一つとなり、中国とソ連が「真の父母」(文鮮明夫妻)と一つとなったことで、世界統一国の実現への道が開かれたという。(2004年10月3日第17回 世界統一国開天日より、「天宙統一国開天日」に名称変更)
10月30日 韓国のソウルの龍仁市(ヨンイン)にある「一和」の工場で6500組の合同結婚式を行う。この時、「交差祝福」と言われる韓日、日韓のカップルを初め、国際カップルが多く誕生した。信者は渡韓の際に、封筒に50万円ほどの現金を持たされて運んだ。Template:要出展
1月 四男の文國進(ムン・クッチン)と劉順珠(ユ・スス)とを祝福する。72組の合同結婚式を行う。
2月 韓国で新聞社「世界日報 (韓国)」を創刊する。
6月23日 韓国の族譜会(プリチャッキ)連合会の総裁に就任。
8月31日 アラスカ州のコデイアックで「八定式」を宣布する。
9月1日 「天父主義」を宣布する。兄弟としての争いのある民主主義に代わる怨讐のない時代に入ったという。
2月1日~6日 古希(満七十歳)を祝う祝賀行事が、韓国の3561か所で行われる。
2月20日~25日 韓国の6か都市における「真のご父母様歓迎大会」で講演。
2月27日 ソウルの龍山区の漢南洞(ハンナムドン)公館で「天地父母宣布」を為す。初めて、自らが「真の父母」であることを発表する。
3月18日~31日 アメリカの5か都市における「真のご父母様歓迎大会」で講演。
4月11日 ゴルバチョフ大統領とソ連大統領執務室において30分間の会談を行う。彼の平和の計画をあらゆる形で助けると約束したという。「特別な贈り物」だとして、龍の彫り物のある大理石ゴルバチョフに手渡す。
4月30日~5月22日 韓国の12箇所において、「モスクワ大会勝利と真の父母様歓迎大会」で講演する。
7月22日 長男の文孝進(ムン・ヒョウジン)が日本で、「統一教会全国学生一万人大会」を行う。
8月5日~翌年6月16日 日本の23か都市で「真の父母宣布大会」が開催される。
9月 信者に献身生活を辞め、それぞれの故郷に帰って活動する(還故郷)ように指示する。
8月27日 「世界平和宗教連合」を創設。人間における体の立場にある政治を心の立場にある宗教が主体となって導いてゆくという関係を作るべきだとされる。
8月28日 「世界平和連合」を創設。前述の体に当たる政治が神様を中心としたものとなるべきとされる。
9月16日~25日 韓鶴子が日本で巡回講演。
11月30日 側近の朴普煕、金孝律(キム・ヒョウリョル)特別補佐官らと共に、韓国政府の許可なく朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)「を電撃訪問。
故郷の定州(チョンジュ)を訪問し、48年ぶりに、姉、妹、兄嫁、兄の息子らの親族と再会。
12月2日 万寿台(マンスデ)議事堂で、尹基福(ユン・キボク)委員長、金達玄(キム・ダルヒョン)副総理一行と会談。
12月3日 金剛山の観光。
12月5日 故郷の定州の生家を訪問。両親の墓参り。
12月6日 咸鏡南道の興南(フンナム)のマジョン公館で、金日成(キム・イルソン)主席と会談。
離散家族再開に取り組むこと、核エネルギーは平和目的のみに利用し、国際核査察を受けること(1992年1月30日に北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の核査察協定に調印したが、1993年3月に核拡散防止条約(NPT)を脱退し、1994年3月には(IAEA)を脱退し、査察拒否を表明した。2005年2月には核兵器保有宣言をした)、 自由陣営国家からの投資を歓迎し、軍需産業を除外した経済事業に統一グループが参与すること、南北頂上会談を行うこと、金剛山開発の実地などについて合意。(1998年からは現代-起亜自動車グループが金剛山一帯を長期間独占開発・利用することで北朝鮮と合意した)

文鮮明は北朝鮮に対し、35億ドル(約4400億円)の支援を約束。30万坪の平和公園や教会建設、平和自動車設立、普通江(ポトンガン)ホテルの経営権移譲なども提案(韓国政府は一時、この無許可訪朝を国家保安法違反として逮捕の動きを見せたが方針を転換し、処罰しなかった)。
3月26日 特例措置で14年ぶりに日本に入国。アメリカで脱税により1年以上の実刑判決を受けているため出入国管理及び難民認定法第5条の規定では原則として終生日本に入国できないが、「北東アジアの平和を考える会」という国会議員の会合に出席する名目で法務大臣田原隆)から同法第12条の上陸特別許可が下りた(自民党金丸信副総裁の法務省に対する政治的圧力により入国させたと言われるTemplate:要出展)。しかし、その会合は実際には行われず、滞在期間の大半は日本の統一教会(統一協会)幹部との会合や関連企業の視察(ハッピーワールド世界日報ワコム、信者への講和に費やされた。Template:要出展31日には金丸信中曽根康弘と会談。
3月27日 には国会の法務委員会で、4月8日には予算委員会で、今回の入国問題が取り上げられる[30][31]
4月10日 韓国で、妻の韓鶴子が総裁を務める女性運動のNGO、「世界平和女性連合」の創設大会が行われる。
4月15日 朝鮮民主主義人民共和国で行われた金日成主席生誕80年を記念するマスゲームの中で、愛国者八人の内の一人として讃えられる[1][27]
7月3日 自分が再臨主であることを世の中にはっきりとすべてを公開すると語る。
7月30日 文鮮明の亡くなった次男、文興進が再臨したと言われていたクンディオナと神吉秀明が東京第二弁護士会で記者会見、8月2日の千葉の幕張メッセの反統一教会の特別集会でも講演し、文鮮明の性的スキャンダルを告発。Template:要出展

[編集] 「メシア宣言」以降

8月24日 韓国のリトルエンジェルス芸術会館に於いて「わたしは真の父母・救世主・再臨主である」と公の場で初めて「メシア宣言」する[1]
8月25日 ソウルのオリンピックスタジアムで3万組の合同結婚式を執り行う。式の模様をマスコミが取材することが初めて許可された。
5月20日~8月 韓鶴子が米国44ヶ都市で「真の父母と成約時代」のテーマで講演。9月10日~30日には日本の27か所で、10月4日~31日には韓国の主要大学40校で、10月31日には韓国国会議事堂議員会館会議室で、11月2日から12月22日には世界39か国43か都市で、同様の講演。
7月28日 韓鶴子が米国議会ダークセン上院議員会館で、「神様、女性と真の家庭」のテーマで講演。。
9月7日 韓鶴子がニューヨーク市国際連合の第二会議場で、「神、女性、そして世界平和」のテーマで講演。
10月 草創期からの弟子である朴正華(パク・チョンファ)が『六マリアの悲劇―真のサタンは、文鮮明だ!!』(恒友出版)を出版。文鮮明が自らの教えを利用して、多くの女性信者と関係を持ったことを告発する内容。
10月8日 『週刊ポスト』に最初の妻、崔先吉(チェ・ソンギル)が文鮮明との離婚の真相を語った記事が出る。(大林高士「血分け」論争でさらなる重要証言に遭遇、25歳文鮮明教祖との見合い、「離婚を決意した真相」)[4]
日本を救うための16万人の日本人女性を教育しなければならないとして、韓国の水澤里中央修練所で直々に修練会を行い、士気を鼓舞させる。「救国基金」として1万ドル(約110万円)完納せよと日本の信者に要請する。「所有権返還」のために、信者に「貯金通帳を出しなさい!」と迫る。16万人の女性信者を参加させ、教育できるかどうかに、日本の救いがかかっているとされた。翌年の済州島での修練会と合わせても16万人の参加は困難だったので、数を埋め合わせる為に、同じ人が数回参加したことで、象徴的には勝利したとされた。参加した者には「救国献金」という1万ドル(約110万円)の献金が要請される(複数回参加した信者はその回数分の献金が要請された)。
1月 韓国の済洲島の修練所に日本の女性のメンバー 1600名が集められ、到着したその晩に、突然に、1600名の女性信者を160か国に派遣する命令を下す。後に派遣国はくじ引きで決められた。
統一教会(統一協会)の反対運動をしていた卓明煥(タン・ミョンファン)と自分の指示を無視して政党をつくろうとした人物が同年2月18日という同じ日に死んだ(卓は新興宗教団体の信者に殺害された)ことに言及し、統一教会(統一協会)に反対する者はみな、霊界に連れてゆかれると発言[32]
7月12日 金日成が死去した直後、北朝鮮政府から葬儀出席の招待状をもらい、北京の北朝鮮大使館に弔花を届ける。
7月13日 側近の朴普煕を北朝鮮へ派遣。
3月30日 「サンパウロ宣言」。これまでの基盤を南米に移し、理想国家のモデルを創ると語る。
4月3日 「ニューホープファーム宣言」ブラジルのマトグロッソドスル州のジャルジンを“新しいエデンの園”と宣言。
8月25日 韓国における第二回「世界文化体育大典」において、36万組国際合同結婚式が行う。教義上、最重要な儀式である「聖酒式」を欠席する。忠母様(文鮮明の母)・大兄様(文鮮明の兄)・大母様(韓鶴子の母)の三家庭を霊人祝福。
9月14日~20日 妻の韓鶴子が日本で、「真なる家庭と私」というテーマで講演。10月6日~11月2日には韓国で講演。
10月21日~31日 韓国で、「真なる家庭と私」というテーマで講演。11月5日~12月7日には世界16か国で講演。
イギリスの内務省が公衆善を助長しないとして文鮮明の入国を禁止する[4]
4月16日 ワシントンで行われたワシントン・タイムズ財団創立会での「救援摂理史の原理観」と題する講演で、イエス・キリストは母マリアと親族である大祭司長のザカリヤによって、無原罪の神の息子として生まれたと語る。[5]
女性信者1600名を海外宣教師として南米等の160か国に派遣。この頃、ブラジルのジャルジンの1億坪の土地を購入し、「ニューホーム村」という集団村を建て、夫婦で参加する40日修練会を行った。
3月10日 韓国の清平(チョンピョン)において、「天城旺臨宮殿」の起工式を行う(一万名を収容できる建物だという)。
9月6日 六男の文栄進(ムン・ヨンジン)と七男の文享進(ムン・ヒョンジン)を祝福。
10月13日 「訓読会」を指示。全国的に祝福家庭は、6時から1時間の訓読会時間を持つように指示する。
11月29日 アメリカのワシントンD.C.のロバート・F・ケネディスタジアムでの第三回「世界文化体育大典」において、4千万組国際合同結婚式が行う。32億名の霊人祝福も行ったという。ホイットニー・ヒューストンがゲストとして予定されていたが、統一教会(統一協会)関連のイベントであることを知って、病気を理由に直前に出演をキャンセルしたと言われる。ジョージ・H・W・ブッシュ前大統領夫妻も欠席
12月 長男の文孝進がアルコールと薬物乱用と夫の人格を理由に 洪蘭淑が求めた離婚が成立する。孝進は薬物乱用の事実を認めた。
韓国が経済破綻し、教団関連の多くの企業が倒産した翌年にあたるこの年には信者に対し、神の怨みを解き、天国に入るための条件として「総生畜献納」という160万円の献金が要請された。
1月1日 韓国を「アダム国家」から「父の国」、日本を「エバ国家」から「母の国」とする。
2月23日~3月6日 韓鶴子が日本の12か都市で、「文鮮明先生御言葉訓読大会」を行う。4月1日~16日にはアメリカ、カナダで行う。
4月17日 アメリカのベルベデイア修練所で「子女権、父母権、王権開門宣布式」
5月13日~15日 長男の文孝進と共に、南米の大湿原パンタナールで、聖人・地獄解放のための特別精誠条件を立てたという。
5月26日 アメリカのベルベデイア修練所で「奉献転換宣布式」
6月13日 ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで3億6千万組第1次合同結婚式において、1969年に事故でなくなった喜進(ヒジン)を含む92億の霊人を祝福したという。かつては文鮮明と拘わりのあったと噂された女性たち(第二夫人の金明煕、「二人お母様」と呼ばれた崔元福、李京俊、李貞玉)がそれぞれ、ソクラテス釈迦孔子マホメットの妻として祝福する。また歴史上の悪人であるヒットラースターリンなども祝福したという。
ブラジルのジャルジンの1億坪の土地を購入し、「ニューホーム村」という集団村を建てる。
7月からブラジルのジャルジンにおいて、夫婦で参加する「世界平和と理想家庭のための40日修練会」で信者を直々に指導する。
7月3日 四女の文恩進が両親の与えた祝福(結婚)を解消し、騎手のRod Jekin(54)と結婚。両親のもとで育てられている、4歳と8歳になる二人の子供の保護を巡って訴訟を起こす。
7月19日 三男文顕進(ムン・ヒョンジン)が「世界平和統一家庭連合」世界副会長に就任。
9月8日 アラスカ州のコデイアックで「四・四節」を制定。
10月5日 「全体解放統一式」五大聖人(イエス・キリスト、釈迦マホメット孔子ソクラテスの人事発令式。
11月 長男・孝進の元妻・洪蘭淑が『わが父文鮮明の正体』(英語版は『In the Shadow of the Moons』)という文ファミリーの虚像を告発する本をアメリカと日本で出版し、信者達に動揺が広まり、離教する信者が多数出る。
1月8日 ウルグアイのプンタデルエステにおいて、「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶完成宣布式」
2月4日~7日 韓国・ソウルで「世界文化体育大典‘99(WCSF)」において、二次3億6千万組合同結婚式を行う。
2月23日~3月6日 韓鶴子が日本の12か都市で、「文鮮明先生御言葉訓読大会」を行う。4月1日~16日にはアメリカ、カナダで行う。
5月14日「サタン完全(自然)屈服の日」を宣言(サタンである天使長ルーシェルが文鮮明に屈服し、神様と、文鮮明夫妻と、全人類に謝罪の手紙を書いたという)。
既存の説教集の合本を「聖本」と名づけ、3千万円献金した信者に文鮮明のサイン入りの「聖本」を授けるとして、各地区にノルマをかけて、 献金を奨励。
5月30日 「真の御父母様地球星(東西洋)勝利祝賀宣布」
6月14日 「真の御父母様天宙勝利祝賀宣布」
韓鶴子に表彰牌を授与。
9月9日9時9分9秒 「天地父母天宙統一解放式(九・九節)」を宣布。
9月10日午前10時10分 「三・十節」宣布。
10月27日 六男の文栄進(ムン・ヨンジン)がネバダ州リノのホテルから転落死。警察発表は自殺だが、 内部では、事故と信者に説明。
11月20日 シカゴにおける「第4回真の家庭の価値バンケット」に1200名の牧師が参加。ビル・クリントン米国大統領が文鮮明に祝賀品を贈呈。

[編集] 天一国以降

2月 北朝鮮の金正日総書記兼国防委員長が文鮮明の80回の誕生日に、祝賀メッセージとプレゼントを送る。
2月13日 韓国において、4億組第一次国際合同祝福結婚式を行う。
3月31日 三男の文顯進(ムン・ヒョンジン)が「原理研究会」の会長に就任。
4月20日 アメリカのイーストガーデンで文鮮明夫妻の聖婚40周年記念祝賀。
5月8日~19日 韓鶴子が南米4か国で「訓読大会」。5月20日~29日には欧州各国で、5月31日にはカナダで。
6月23日 韓鶴子が国連NGO(非政府組織)の「世界平和教育者国際連合」(IAEWP)から「グランプリ平和賞」を授与される。
8月 韓鶴子と共にアラスカ州の釣り過ぎで摘発され、一人につき罰金250ドル(約二万七千円)の罰金を科せられたと外電に報じられる。
8月18日~20日 ニューヨークの国連第二会場で、国際会議「アセンブリ2000」(「世界平和超宗教連合」主催)において「国連の刷新と平和の文化建設」と題する基調講演で、宗教指導者たちによる超宗教議会を、国連の上院組織として設置し、国連を上下二院制にすること、世界のあらゆる国境線・紛争地帯を、国連管轄下の平和地区にすることなどを提案。
8月18日 自ら組織した「世界NGO連合」(WANGO)から「万国平和賞」を授与される。
この頃、原因不明の病気で二カ月間入院する。その病床で「十字架を降ろす」運動を指示したという。
10月 1960年からの行われた合同結婚式に関して、効率と安定成長を集団結婚産業に持ち込んだことに対する功労を称えるとしてノーベル賞のパロディであるイグノーベル賞経済学賞受賞。2006年10月9日付朝鮮日報記事
1月1日 信者に(収入の)十分の一ではなく、十分の三を献金するように強く要請する。(しかし、1992年には既に「十分の三献金をしなさい」と指示している[33]
1月13日 韓国天宙清平修練苑・天城旺臨宮殿大聖殿で韓鶴子と共に、「神様王権即位式」を行う。
1月27日 米国国連本部及び各国会場で4億組第2次国際合同祝福結婚式を行う。
2月25日~4月17日 「米国五十州巡回講演」を行う。
8月18日から2週間 韓国済州島の国際研修院における「世界指導者統一思想・勝共理論修練会」で指導。全世界から約500名の指導者が参加。
12月25日 クリスマスのこの日に、霊界では「霊界5大宗教代表の決意文採択と宣布式」が行われたという。キリスト教のイエス・キリストと12名の代表、儒教の孔子と12名の代表、仏教仏陀と12名の代表、イスラム教マホメットと12名の代表、ヒンズー教:3名(12名のうち)の代表らが文鮮明を人類の救世主、メシア、再臨の主、真の父母であられると宣言し、真の父母(文鮮明夫妻)に侍り、神様の国と世界平和のために和合、統一、精進することを決意し、宣布したという(金英順(キム・ヨンスン)が受けた啓示として紹介した)。
2月16日 韓国ソウルのオリンピック公園フェンシング競技場及び各国会場で億組第3次国際合同祝福結婚式を開催。
7月14日 三男の文顕進がさいたまスーパーアリーナで、「SERVICE FOR PEACE WORLD TOUR 2002」日本大会を行う。
2月6日 「天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」を行う。神様と真の父母(文鮮明は夫妻)が天地人父母様となり、天の王権が現れることができるようになったとされる。ソウルのロッテホテルでの83歳の誕生日と韓鶴子の還暦祝賀記念世界首脳会議が行われる。再祝福式に長女の誉進(イエジン)、三女の仁進(インジン)、四女の恩進(ウンジン)、六女の情進(ジョンジン)が欠席。
3月7日 ヨーロッパの草創期の教団幹部の娘である元信者のドナ・コリンズが第37回全国霊感商法対策弁弁護士連絡会の東京の集会で講演。幼い頃から間近で見てきた文鮮明一族の実態を語る。「もう『真の聖なる家族』なんてのは問題にならない。全部彼のやってることは嘘だし、聖の逆だと思います。」と告発。[6]
5月18日 イスラエルにおいて「エルサレム宣言」
7月13日 韓国・天安市の柳寛順体育館と各国会場で4億組第4次国際合同祝福結婚式を行う。
10月3日 平和の王として「平和国連(超宗教超国家平和協議会:IIPC)」を創設する。
12月22日、ユダヤの地においてイエス・キリストの戴冠式を行う。
3月23日 米国議会上院オフィスビルで、「平和大使授賞バンケット」(「世界平和超宗教超国家平和協議会(IIPC)」主催)を開催。米国各州を代表する上院と下院議員の80名をはじめユダヤ教・キリスト教・イスラム教および全世界の宗教宗派を代表する指導者約350名が参加。世界各国で平和活動に貢献した指導者らに「平和の王冠賞」が授与された。最後に、IIPC創始者文鮮明のこれまでの業績を称え、ロスコ・バートレット下院議員(共和)とダニー・デービス下院議員(民主)がマントと王冠を授与した。これを教団は「真の父母の戴冠式」として、アメリカ議会が文鮮明を再臨のメシアとして受け入れたかのように宣伝した。メディアの報道によって市民から参加した議員達に抗議の声が上がるなど、波紋を呼ぶと、教団関連のウェブサイトから、それらの模様を治めたビデオが削除された[34]。関わった議員たちの多くは「私はその日の行事がそんな性格なのか分からなかった」、「後で分かって非常に不快だった」などと述べたという。
7月26日 ソウル及び各国会場で4億組第5次国際合同祝福結婚式。
9月23日 ソウルで「蒙古斑同族世界平和連合」(MPFWP)創設。
2月14日 韓国の清平(チョンピョン)において、「天宙統一平和の王戴冠式」を挙行する。霊界の五大聖人をはじめとする各界の指導者と世界各国各界の著名な指導者が、文鮮明を「天宙平和の王」として推戴したという。
6月 教団の機関誌『ファミリー』5月号に、文鮮明と実態的な血統転換(血分け)があったとも取れるような金明煕の証言が載る。
6月25日 世界を一つに結ぶためのベーリング海を橋とトンネルで結ぶ「ワールド・ピース・キング・ブリッジ-トンネル構想」を発表。
8月1日 韓国・忠南柳寛順体育館及び各国会場で4億組第6次国際合同祝福結婚式を行う。
9月12日 現在の国連を補完し、高次元の世界平和実現運動を推進する国際機関として、「天宙平和連合(UPF)」を創設する。9月12日から12月3日にかけて世界100か都市を講演。神様から受けたというのメッセージを発表する。
全米4大都市講演ツアーを行う。
9月12日~12月3日 世界100か都市講演
12月 韓国の京畿道一山(イルサン)国際展示場(KINTEX)で民団と朝総連系など在日韓国人1万名余と以北5道民リーダー、嶺南・湖南リーダーなど5万名余を集めて大会を行う。天宙平和連合の役目と南北統一に対して語る。
ブルガリアソフィア市内のホテルでセミナーを行うための1日訪問と「統一教会」の公認を求めたがブルガリア政府は拒否。
12月29日 韓国・天宙清平修錬苑及び各国で、「世界平和国際合同交叉祝福式」を行う。1147組のカップルが祝福を受ける。
1月15日 崔元福(チェ・ウォンボク)が89歳で他界する。
4月26日~5月10日 韓鶴子(天宙平和連合〔UPF〕共同総裁)が世界120か都市巡回講演を行う。
4月28日~5月10日 北米13か都市講演では文顯進(世界大学連合原理研究会(W-CARP)世界会長)も講演。
5月13~24日 日本12か都市で講演。
6月13日 韓国・清平で文鮮明夫妻は、「天正宮博物館開館式」と「天宙平和の王真の父母様戴冠式」を開催。天宙清平修錬苑では、この開館式と戴冠式を中心とする一連の行事が6月6日~13日まで8日間にわたって行われ、全世界から連日2万人以上の人が集い、祝賀した。
6月16日 妻の韓鶴子がモンゴル大会から再び巡回講演を始める。子供女様も同行。中央アジア、中東と回り、7月に入ってからは欧州諸国で連日、講演。
7月31日~8月7日 三男の文顕進が日本で「神様の理想家庭と平和王国を実体化しよう!」のテーマで講演ツアーを行う。長男の信元(シンウォン)が7月31日の成和学生大会でスピーチ、長女の信愛(シンネ)がコンサートを、次男の信重(シンジュン)も青年教育プログラムのメンバーとして参加。
8月1日 四男の文國進(ムン・クッチン、「韓国統一教会維持財団」理事長)が一成建設]長・方(パン)ヨンソプを「韓国統一教会維持財団」の副理事長・「統一グループ」副会長に任命。就任式で國進は「方(パン)氏は昨年、祝福を受けた人」と紹介した。わずか1年でグループNo2になったのはこれまでにない異例の人事。
8月2日 第一夫人、崔先吉との子供、聖進(ソンジン)の長女の信淑(シンスク)と大塚克己の長男、大塚洪孝を祝福する。
8月3日 大塚克己が再び日本統一教会(統一協会)会長に就任。9日に渋谷松涛本部で就任式。前会長の小山田秀夫は世界巡回師に任命される。
7月19日 文鮮明と韓鶴子らが乗ったヘリコプターが不時着し、この事故により乗っていた統一教会関係者16人のうち文夫妻を含む14人が負傷して清心国際病院に搬送され、治療を受けた。
8月3日 退院後の写真が公開される。
3月10日 金英社から自叙伝「平和を愛する世界人として」が出版された。
6月1日 自叙伝の出版記念会がソウル市のCOEXで行われた。

[編集] 文鮮明の家族

[編集] 妻達

  1. 崔先吉(チェ・ソンギル)1943年12月に約婚。「統一教会」関係者から毎月100万ウォン振り込まれていたという指摘について、「統一教会」広報部は「日本の当法人としては、お答えする立場にありません」と回答した。[7]
  2. 金明煕(キム・ミョンヒ)
  3. 韓鶴子(ハン・ハクジャ)
  • 崔元福(チエ・ウォンボク、さいげんぷく):梨花女子大学の教授であったが、統一教会(統一協会)に入教したことで、大学から罷免され、夫からも激しい反対を受け、離婚し、3人の子供とも長らく会わずにいたという。文鮮明の法律上の妻ではないが、「崔お母様」と呼ばれたり、韓鶴子との結婚以来、文鮮明が公的に出かけるときはいつも随行し、妻のように見られたことから、韓鶴子と共に「二人お母様」などと呼ばれた。しかし、教義的な説明は未だになされていない。1998年の合同結婚式において、霊界釈迦の妻として祝福された後、2006年に89歳で亡くなった。

[編集] 子供達

文鮮明の子供たちは血統的に原罪がないとされており、「真の子女(様)」と呼ばれる。洪蘭淑は文鮮明の子供たちが自分達の母国語であり、教会では世界の共通語となるとされている韓国語を話せないのを知り衝撃を受けたという[4]。今は話せる。英語のほうが韓国語より流暢。文鮮明の幼い5人の子供はアメリカで生まれ育ったこともあり、文鮮明とは言葉も通じないという[35]。(近年は子供たちも韓国語を学んでいるため、徐々に言葉が通じるようになってきている)。

[編集] 崔先吉との子女

  1. 文聖進(ムン・ソンジン):(1946年4月7日~)2006年 8月2日、次女の信淑(シンスク)が統一教会の日本会長である大塚克己の長男と祝福された。

[編集] 金明煕との子女

  1. 文喜進(ムン・ヒジン):(1955年8月17日~1969年8月1日)先妻、崔先吉との結婚中に統一教会の信者になって間もない女学生の金明煕との間にできた男の子。文鮮明は自身の子供として認知した[4][15]。開拓伝道に行く途中に列車事故で亡くなった。

[編集] 韓鶴子との子女

[13][36]

  1. 長女・文誉進(ムン・イエジン): (1961年1月27日[陰暦1960年12月11日]~)出生届け1962年12月29日 (マサチューセッツ州の名門「スミス女子大学に進んだ[4]
  2. 長男・文孝進(ムン・ヒョウジン):(1962年12月29日、[陰暦12月3日]~2008年3月17日)韓国にて病死。
  3. 次女・文恵進(ムン・ヘジン): (1964年7月28日~同年8月4日)生後まもなく死亡。
  4. 三女・文仁進(ムン・インジン): (1965年8月4日[陰歴7月18日]~]
  5. 次男・文興進(ムン・フンジン):(1966年12月4日[陰暦10月23日]~ 1984年1月2日) 自動車事故で死亡。死後に「ブラック興進様」として復活。
  6. 四女・文恩進(ムン・ウンジン):(1967年12月14日[陰暦11月23日]~)
  7. 三男・文顯進(ムン・ヒョンジン):(1969年5月25日[陰暦4月10日]~)
  8. 四男・文國進(ムン・クッチン):(1970年7月17日[陰暦6月14日]~)
  9. 五男・文権進(ムン・クオンジン):(1975年3月2日[陰暦1月20日])
  10. 五女・文善進(ムン・ソンジン):(1976年7月11日[陰暦6月15日]~)
  11. 六男・文栄進(ムン・ヨンジン):(1978年6月22日[陰暦5.月17日]~ 1999年10月27日)]米国ネバタ州リノで飛び降り自殺
  12. 七男・文亨進(ムン・ヒョンジン):(1979年9月26日[陰暦8月6日]~)
  13. 六女・文妍進(ムン・ヨンジン):(1981年2月7日[陰暦1月3日]~)
  14. 七女・文情進(ムン・ジョンジン):(1982年6月14日[陰暦4月23日]~)

[編集]

多数(50名以上)

[編集] その他

長男・文孝進の元妻洪蘭淑や四女・文恩進(ムン・ウンジン)、ヨーロッパの元幹部の娘、ドナ・コリンズなどが文鮮明に 私生児がいると証言しており[35]、洪蘭淑は自著でその少年が文鮮明と女性信者との情事から生まれたことは「36家庭」の間では公然の秘密であり、1980年代末には少年自身と文家の第2世代にだけその事実が知らされたと記している([4]、p178)が、教団は一切認めていない。

[編集] 文鮮明の弟子、側近達

  • 三弟子
劉孝元:『原理講論』を執筆。
金百弼
金栄輝
  • 側近
朴普煕(パク・ポーヒー)
郭錠煥(クアク・チョンファ)
劉大行(ユーテーヘン):全国祝福家庭総連合会総会長

[編集] 文鮮明の教え

  • 「為に生きる」
  • 「怨讐を愛せ」「良心は神様に勝る」
  • 「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」
  • 「良心絶対主義」

 たった一つ神様につながる道は、良心の命令を絶対視して一つになることによって、堕落の生殖器を神に優るような立場にまで引き上げて、神様と共なる基準につなぐ道であるとする。純潔以上に夫婦間の真の愛の基準を完成基準まで引き上げて、家庭において神人愛一体理想をめざす。

[編集] 文鮮明に対する評価

  • 教団側の証

 日本統一教会公式サイト(参照)

  • 賛同者達
  • 批判者達

[編集] 入国問題

[編集] 参考文献

[編集] 賛同的な文献

ISBN 9784882010494

[編集] 批判的な文献

後に朴は文鮮明が多くの女性信者と「血分けしたとして主張を撤回し、それらを全面否定する 『“私は裏切り者 その時私にサタンが入った!”』」(世界日報社 1995年11月1日 ISBN 9784882010593)を著した。朴と文の間に裏取引があったとも、批判派に対するディスインフォメーションだったとも言われている。

[編集] 外部リンク

世界基督教統一神霊協会
天宙清平修錬苑
  • 統一教会信徒のサイト
統一教会信徒の為に生きる生活
統一教会のYouTube動画


[編集] 脚注

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  1. ^ a b c d e 田井友季子『神の代辯者』 (世界日報社 1995年2月5日)
  2. ^」は『聖書』において、サタン悪魔)の象徴として使われていることもあり、文鮮明は宗教活動を行うに当たり、“鮮明”と名乗るようになった(ドラゴン#神話学におけるドラゴンを参照
  3. ^ a b c 浅見定雄『統一協会 = 原理運動 その見極めかたと対策』(日本基督教団出版局、1987年3月20日)
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 洪蘭淑(著) 林四郎(訳) 『わが父 文鮮明の正体』(文藝春秋 1998年11月25日)
  5. ^ 文鮮明師、韓鶴子女史ご夫妻の正式呼称について世界基督教統一神霊協会公式ウェブサイト
  6. ^ 米福音派は統一教会を許容?世界キリスト教情報 1996年8月12日閲覧 )
  7. ^世界日報』1992年9月20日
  8. ^ a b c 統一教会について-創始者世界基督教統一神霊協会公式ウェブサイト
  9. ^ a b 統一教会機関紙『ファミリー』2005年6月号
  10. ^ 『サンデー世界日報』1992年9月20日号「統一教会史余話」
  11. ^ (『ファミリー』1998年11月号)
  12. ^ 機関紙『中和新聞』(1992年9月12日号)
  13. ^ a b 『韓鶴子女史 御言葉選集 愛の世界』 光言社 1989年2月11日
  14. ^ 別冊宝島編集部 (編集) 『カルトの正体』宝島社 1999年12月
  15. ^ a b c 卓明煥 『統一教、その実相』
  16. ^ 文鮮明 『み旨と世界』(光言社 1985年)
  17. ^ 朴普煕と親交のあったユナイテッド航空のロランドのフレーザー委員会での証言
  18. ^ 文鮮明 『牧会者の道』 光言社 1994年11月
  19. ^ 『ファミリー』1995年2月号 P48
  20. ^ 『ファミリー』1998年7月号P16
  21. ^ 『ファミリー』1999年10月号P46
  22. ^ ここには1920年に建てられたベルベディア邸は寝室が16、生活と食事のための部屋が6、浴室が10、大きな厨房地下室プールテニスコートを有する。文の家族はここに私的な部屋を持ったが、教会の行事や来客を宿泊させるのに用いた。
  23. ^ 中心となる3階建ての煉瓦作りの建物には寝室が12、浴室が7、居間が1、食堂、書斎、厨房、タイル張りの日光浴室などがある。
  24. ^ 有田芳生『「神の国」の崩壊 統一教会報道全記録』 教育史料出版会 1997年
  25. ^ [http://221.242.119.155/hodo.aspx?id=355&pg=0 「摂理」教祖・鄭明析氏と統一教会を関連づけた報道への抗議](世界基督教統一神霊協会公式ウェブサイト)
  26. ^ 世界の栄光と災害(?)映画の歴史前川繁の映画を斬る!
  27. ^ a b 有田芳生 『「神の国」の崩壊―統一教会報道全記録』(教育史料出版会、1997年ISBN 978-4876523177
  28. ^ 川崎経子 『統一協会の素顔 ─新装改訂版―その洗脳の実態と対策』 (教文館 2008年5月) ISBN 978-4764264335
  29. ^ 朴普煕 『証言』(世界日報社 1997年
  30. ^ 第123回国会 参議院 法務委員会 第4号] 平成4年(1992年)3月27日(議事録
  31. ^ 第123回国会 参議院 予算委員会 第13号 平成4年(1992年)4月8日(議事録
  32. ^ 平成11年(ワ)第18400号 損害賠償請求事件 東京地方裁判所 平成14年2月20日 判決 [1] 甲第21号証]
  33. ^ 至誠感天・家和万事成 ◦献金の意義と捧げる姿勢
  34. ^ワシントンポスト2004年3月23日付け
  35. ^ a b CBS60 Minutes1998年9月20日放送
  36. ^ 『女性東亜』(1986年5月号)