唐津市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
からつし
唐津市
Karatsu Montage.jpg
1段目:松浦川と市街地
2段目左:大手口センタービル、2段目右:唐津城
3段目:虹ノ松原、4段目:唐津くんちの曳山
Flag of Karatsu, Saga.svg
唐津市旗
Symbol of Karatsu Saga.svg
唐津市章
市章・市旗、共に2005年平成17年)9月27日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 佐賀県
団体コード 41202-3
面積 487.48km²
総人口 124,226
推計人口、2014年3月1日)
人口密度 255人/km²
隣接自治体 佐賀市伊万里市多久市武雄市
東松浦郡玄海町
福岡県糸島市
長崎県壱岐市松浦市
市の木
市の花
唐津市役所
所在地 847-8511
佐賀県唐津市西城内1番1号
北緯33度27分2.6秒東経130度2分28.9秒
唐津市役所(本庁)
外部リンク 唐津市ポータルサイト

唐津市位置図

― 市 / ― 町

特記事項 市外局番0955
 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト

唐津市(からつし)は、佐賀県の北西に位置し玄界灘に面する

目次

概要[編集]

東松浦郡。中心市街地は唐津藩の城下町が前身。唐津神社の秋季例大祭である唐津くんちや特別名勝の虹の松原呼子朝市などで有名で、広大な面積に多数の観光資源を有する。

2005年に周辺の東松浦郡呼子町鎮西町肥前町相知町厳木町浜玉町北波多村と合併(新設合併)して新たに唐津市となった。また、2006年に七山村を編入した。

経済圏である唐津都市圏は唐津市及び玄海町で約13万人強の人口を擁しており大部分を唐津市が占めるが、近隣の福岡都市圏、佐賀都市圏方面に通勤・通学する市民も多い(旧浜玉町域は福岡都市圏の5%通勤通学圏、旧厳木町域は佐賀都市圏の10%通勤通学圏である)。

地理[編集]

地形[編集]

唐津城から松浦川河口部を望む。左奥が虹の松原

市域は松浦川玉島川による平野部(唐津平野)と、上場(うわば)と呼ばれる丘陵性の玄武岩台地からなり、東は背振山地、西は伊万里湾、南は杵島山地、北は玄界灘唐津湾)に面し、唐津湾には松浦川が注ぐ。また北西部の海岸はリアス式で出入りに富み、その地理的特徴からこの地域は古代から大陸方面の海上交通の拠点となった。

地球上における唐津市の位置として特筆すべきことは、東経130度経線が、唐津市の区域のほぼ中心を貫いていることである。このため、西九州自動車道唐津インターチェンジの本線上に、東経130度が通過していることを示す標識が建てられている。

西九州自動車道唐津ICにおける東経130度線標識

西は松浦川河口部付近から東の浜崎駅付近まで広がるクロマツの林は虹の松原と呼ばれ、景勝地ならびに唐津の象徴のひとつとして親しまれている。鏡山の展望台からは虹の松原及び唐津市街が一望できる。東松浦半島から松浦川河口付近一帯は玄海国定公園に指定されている。

平野部では江戸時代初期に大規模な治水事業が行われ、ほぼ現在の地形となった。

佐賀市多久市伊万里市福岡県糸島市長崎県松浦市などと境界を接する。

気候[編集]

唐津市枝去木(2010年2月までの観測所設置位置)
雨温図説明
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
 
 
80
 
8
2
 
 
81
 
9
3
 
 
139
 
12
5
 
 
141
 
17
9
 
 
169
 
21
13
 
 
304
 
27
19
 
 
324
 
28
22
 
 
214
 
29
23
 
 
231
 
25
19
 
 
89
 
21
14
 
 
103
 
16
9
 
 
56
 
11
4
気温(°C
総降水量(mm)
出典:気象庁

夏期において多雨な太平洋側気候の一面を見せつつ、冬場においては日本海側気候の一面も見せる二面的な気候が特徴。沿岸部においては一年を通して昼夜の寒暖の差が少なく、猛暑日真冬日は滅多にない。台風の直撃が少なく、年間の最大風速は8-12メートル程度で、多くは冬の玄界灘の強風や春一番によるものである。年平均気温15℃、年間降水量1992mm、年間日照時間1783.9、平均風速2.1m/s(平年値、1979年-2000年の統計)。

かつて、唐津市内のアメダス観測所としては枝去木と和多田があった。うち枝去木では、降水量・気温・風向・風速・日照時間の観測を行っていたが、観測所は標高110メートル地点にあり、観測データが唐津平野部の気象状態を表していたとは必ずしも言えなかったことに注意されたい。また、和多田は降水量のみの観測であった(標高5メートル)。2010年(平成22年)2月より枝去木と和多田の両観測所は、平野部の唐津市二タ子(標高23メートル)に移設され、新たに唐津観測所として観測を開始した。

地域[編集]

地域 面積/km2 世帯[* 1] 人口[* 1] 旧市町村
(旧唐津市) 127.49 31,904 078,850 唐津市
浜玉町 052.13 03,705 011,148 浜玉町
七山 062.89 00670 002,361 七山村
北波多 026.58 01,731 004,691 北波多村
相知町 065.08 02,994 008,447 相知町
厳木町 061.27 01,887 004,819 厳木町
肥前町 046.64 02,607 008,094 肥前町
呼子町 007.28 01,999 005,329 呼子町
鎮西町 037.89 02,189 006,356 鎮西町
487.48 49,687 130,095
  1. ^ a b 2012年5月1日現在の住民基本台帳人口+外国人登録人口

人口[編集]

  • 人口集中地区(DIDs):9.3平方キロメートル、37,092人(平成17年国勢調査)
Demography41202.svg
唐津市と全国の年齢別人口分布(2005年) 唐津市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 唐津市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
唐津市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 141,171人
1975年 138,572人
1980年 142,224人
1985年 142,057人
1990年 139,888人
1995年 137,436人
2000年 134,144人
2005年 131,116人
2010年 126,811人
総務省統計局 国勢調査より

約12.8万人で佐賀県内の市町村で2番目に人口が多い(第1位は佐賀市、第3位は鳥栖市)。ピーク時の人口は唐津炭田隆盛期だった1955年(昭和30年)の183,676人。

歴史[編集]

略史[編集]

古代から中世[編集]

地理的に大陸と近く、国内最古級の水耕稲作遺跡である菜畑遺跡が遺されているなど、古くから大陸との交流があったことをうかがわせる。また魏志倭人伝に記述のある末盧国(まつろこく、まつらこく)は唐津市の所在する東松浦半島に所在したとされており、古墳時代初期に造られた日本最古級の前方後円墳の一つとされる久里双水古墳や国の史跡である葉山尻支石墓群や谷口古墳、横田下古墳など数多くの遺跡も遺され、当時の繁栄がうかがわれる。

律令制では現在の唐津市域全域が肥前国松浦郡の一部に含まれ、『肥前国風土記』によると「松浦郡、郷一拾一所、里廿六、馬伍(うまや)所、烽捌所」とある。また、現在の鏡山に当たる山は「襟振峰は郡の東にあり」と記されているから、郡衙は、地区にあったと推定される。松浦の語の由来は明らかでないが、神功皇后紀(『日本書紀』巻第九 気長足姫尊)摂政前記夏四月の条に「松浦県に至り、願い事をしてから釣り糸をたれると鮎が釣れた。珍しきものと言ったことを、その所の人が名付けて梅図邏(めづら)国という。今松浦というは訛りなりと」(大意)と説明している。また、末盧国の「まつら」がそのまま地名となったともいわれる。万葉集には鏡山玉島川松浦川の情景が詠まれている。

平安時代からは肥前国府による統治となったが、国司政治が緩みだした平安期中頃には松浦地方各地の豪族が連合体としてこの地を支配し、松浦党と呼ばれた。現在の唐津市を含む東松浦郡西松浦郡の地域は上松浦郡と呼ばれ、波多地区(唐津市北波多・伊万里市南波多)を拠点とする波多氏が最大の勢力だった。一族はそれぞれの所領の地名を名乗り、ほかに相知氏、佐志氏、呼子氏などがいた。また、拠点として波多氏の岸岳城(鬼子岳城)や獅子城などの城が築かれた。

戦国時代には龍造寺氏の侵略を防ぐなどしていたが、豊臣秀吉が九州征伐を開始するとこれを出迎え従った。豊臣秀吉は1591年天正19年)朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点として名護屋地区に名護屋城を築城した。1593年文禄2年)には寺沢広高唐津藩を与えられ、上松浦地方の統治を始めた。唐津は古くから大陸への要所だったといわれることもあるが、「唐津」の地名が記述などで現れるのはこれより後である。またこの年には秀吉の怒りをかった波多氏が滅ぼされたが、地元民の同情から岸岳末孫の祟りの話がいわれるようになった。

江戸時代[編集]

寺沢広高は波多氏の滅亡後、岸岳城の麓に仮城を造営し仮の居城とした。広高は1600年慶長5年)の関ヶ原の戦いでは東軍方につき、肥後国天草郡4万石を加増され12万3千石の外様大名となった。1602年慶長7年)より唐津城の本格的な築城を行い、1608年慶長8年)に城下町共々完成した。このとき東唐津側と地続きであった満島山を切り離し、波多川(現代における松浦川)がそこから唐津湾に注ぐよう流路を変更した。広高は松浦川の流路変更(治水事業)に見られるように土木事業に長けており、防風林として松原の保護育成を行った。これが日本三大松原として今日に残る虹の松原となっている。またこの頃は現在に至る唐津焼の技法が確立された時期でもあり、1615年(元和元年)には中里太郎右衛門陶房などが唐津藩の御用窯に指定されている。

広高の子の堅高は唐津藩二代藩主となったが、天草領に構えていた富岡城島原の乱の際に一揆側に攻められた際、その責任を取らされ天草領4万石を没収された。堅高は1647年正保4年)に江戸藩邸で自殺し、また嗣子がなかったために寺沢家は断絶となり、寺沢氏が改易となると唐津藩領は一時天領となった。次に慶安元年(1649年播磨国明石城大久保忠職が唐津藩主となった。1678年延宝6年)には大久保氏が下総国佐倉城に転出し、代わって同地より大給松平乗久が入城。1691年元禄4年)大給松平氏志摩国鳥羽城に転出し、同地より土井利益が入城。1762年宝暦12年)土井氏が下総国古河城に転出し、三河国岡崎城より水野忠任が入城。1817年文化14年)に、後に天保の改革を行った四代目の水野忠邦が出世目的に遠江国浜松城に転出を希望し、陸奥国棚倉城より小笠原長昌が入城、以後は小笠原氏が統治した。譜代大名6家が入れ替わり、長期間による藩主家の一大支配時代が一度も到来しないまま、明治維新により唐津藩は姿を消した。

1819年(文政2年)、伊勢神宮を参拝後の帰途に京都で見た祇園祭に感動した刀町の石崎嘉兵衛が、帰郷後仲間たちと獅子の頭を製作し、唐津神社に奉納した。この後唐津神社秋季例大祭である唐津神祭が現在のような曳山を曳く祭に変化していくきっかけとなった。後に一時期唐津山笠とも呼称したが、その後唐津くんちと呼ぶようになった。

明治から戦前[編集]

大正期撮影とみられる唐津くんちの様子。右に唐津軌道の軌道がみられる

廃藩置県にともない唐津藩は唐津県となり、同時に唐津城は本丸が舞鶴公園となり、他の区画は民間払い下げとなり建物も破却された。その後伊万里県、佐賀県、三潴県、長崎県と変遷し1883年(明治16年)に佐賀県が長崎県から分離独立し佐賀県の一部となった。また1889年(明治22年)の町村制施行で東松浦郡唐津町などが発足。昭和初期までに満島村唐津村を編入し1932年(昭和7年)に市制施行、唐津市となった。

古くから海上交通の拠点であった唐津は、この後貿易の拠点として急速に発展していった。1882年明治15年)に当時満島にあった唐津港唐津炭田の石炭輸出を開始。1889年(明治22年)には特別輸出港に指定され、同時に長崎税関唐津出張所が設置された(3年後に税関支署に昇格、戦後降格し門司税関に移管)。さらに後述する鉄道の開通により、以後満島の貿易機能は順次西唐津・大島へ移転し現在に至る港湾地帯を形成した。貿易額は日を追う毎に増大していったが、第一次世界大戦の影響で外資関係が先細りとなり、1920年頃をピークに貿易額は減退し、昭和初期には石炭不況や第二次大戦の影響でさらに衰退していった。

明治末期から大正・昭和初期にかけて唐津の交通は大きく発達した。1898年(明治31年)に唐津興業鉄道(後の唐津鉄道、現JR唐津線)が開通したがこれに収まらず、翌々年の1900年(明治33年)に満島馬車鉄道による馬車軌道が満島松原口(現東唐津駅) - 浜崎松原口(現浜崎駅)間に開通しその後松浦橋を経由して中心部の大手口を越え西唐津果ては佐志まで延伸された(その後石油発動機による運行となるが自動車への転換にともない廃止)。福岡方面への鉄道は1926年(大正15年)に東唐津から博多まで全通、伊万里方面は1935年(昭和10年)にようやく全通したが(ともに北九州鉄道による)、まもなく国有化された。北九州鉄道のバス事業は現在に至る昭和自動車に譲渡された。

戦後から昭和末期[編集]

奇しくも唐津は太平洋戦争で空襲を受けなかった。唐津市における戦後復興の象徴として1953年(昭和28年)の舞鶴橋の完成が挙げられる。これをきっかけに東西臨海地域を接続する佐賀県道279号妙見満島線産業道路)が整備された。また同年には唐津競艇が初開催した。1954年(昭和29年)には鏡村久里村鬼塚村湊村を編入(人口約7万)。戦後のベビーブームと石炭積み出し港としての需要の高揚により、東松浦郡と唐津市を合わせた人口はこの頃最盛を迎え、1955年(昭和30年)の国勢調査人口は約19万人弱であった。

唐津城模擬天守

1955年(昭和30年)、地元財界の有力者であった昭和自動車社長の金子道雄が市長に就任。財政再建のため、翌年には財政再建団体の指定を受けた。この指定は1965年(昭和40年)に解除された。翌年、金子の計画により唐津城に模擬天守が完成。

また電力需要の増大にともない、1967年(昭和42年)唐津港妙見埠頭附近の埋立地に九州電力唐津発電所火力発電所)1号機(15.6万kW)が運転を開始。1971年(昭和46年)には2号機(37.5万kW)が、その2年後には3号機(50万kW)が運転を開始した。さらに、1975年(昭和50年)には九州電力玄海原子力発電所1号機(55.9万kW)が運転を開始。その他既設の水力発電所なども含め唐津もとい東松浦地域は県内のみならず北部九州の電力供給の要となった。

1970年(昭和45年)には唐津競艇場が広大な土地を有する原地区()に移転。また同年には唐津市文化会館(現唐津市民会館)が旧唐津神社境内に開館。1980年(昭和55年)には唐津大手口バスセンターが市内大手口に開業。その翌年には複合スポーツ施設である体育の森公園が和多田大土井に開設された。

1982年(昭和57年)には国鉄唐津線の連続立体交差化事業が完成。翌年には筑肥線(筑肥東線)の電化開業、筑肥線(筑肥東線)と唐津線の短絡、福岡市地下鉄空港線との直通運転が一挙に行われた。

平成[編集]

1994年(平成6年)に現唐津市域の市町村に玄海町を加えた10市町村で懇話会「唐津・東松浦合併懇話会」を設置。

行政区域の変遷[編集]

旧唐津市以外の2005年平成17年)以降に合併した町村の変遷については「東松浦郡」を参照
旧・唐津市の県内位置(1954年)
  • 1931年昭和6年)2月1日 - 唐津村を編入。翌年、唐津市として市制施行する。
  • 1932年(昭和7年)1月1日 - 市制施行して唐津市となる。
  • 1941年(昭和16年)11月3日 - 佐志町を編入。
  • 1954年(昭和29年)11月1日 - 鏡村・久里村・鬼塚村・湊村を編入。
  • 1955年(昭和30年) - 北波多村の一部を編入。
  • 1958年(昭和33年)1月1日 - 切木村大良地区を編入。
  • 2005年平成17年)1月1日 - 唐津市と東松浦郡浜玉町・厳木町・相知町・北波多村・肥前町・鎮西町・呼子町が合併(新設合併)し、新たに唐津市となる。
  • 2006年(平成18年)1月1日 - 七山村を編入。

行政[編集]

唐津市役所(相知支所)

歴代市長[編集]

(旧)唐津市(1932年-2004年)歴代市長
氏名 就任年月日 退任年月日
初代 河村嘉一郎 1932年2月18日 1936年2月17日
2代 西山茂 1936年2月18日 1939年1月7日
3代 萩谷勇之助 1939年1月20日 1939年4月5日
4代 岸川善太郎 1939年7月29日 1946年10月24日
5代 清水荘次郎 1947年4月16日 1955年4月30日
6代 金子道雄 1955年5月1日 1967年4月30日
7代 瀬戸尚 1967年5月1日 1983年4月30日
8代 野副豊 1983年5月1日
9代 福島善三郎 1995年5月1日
10代 坂井俊之 2003年4月28日 2004年12月31日
(現)唐津市(2005年-)歴代市長
氏名 就任年月日 退任年月日
初代 坂井俊之 2005年2月6日 現職

2009年唐津市長選挙

※当日有権者数:105,221人 最終投票率:71.94%(前回比:-5.1ポイント)

候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率 推薦・支持
坂井俊之 47 無所属 43,425票 %
麻生 茂幸 59 無所属 25,622票 %
田中 路子 61 無所属 5,330票 %

市議会[編集]

会派名
34
志政会 27
公明党 3
日本共産党唐津市議団 3
民主党みらい 1
(欠員) -

市役所所在地[編集]

  • 本庁(旧唐津市役所):佐賀県唐津市西城内1番1号
  • 浜玉支所(旧浜玉町役場):唐津市浜玉町浜崎1445番1
  • 七山支所(旧七山村役場):唐津市七山滝川1254番地
  • 北波多支所(旧北波多村役場):唐津市北波多徳須恵1097番地4
  • 相知支所(旧相知町役場):唐津市相知町相知2055番地1
  • 厳木支所(旧厳木町役場):唐津市厳木町厳木997番地
  • 肥前支所(旧肥前町役場):唐津市肥前町入野甲1703番地
  • 呼子支所(旧呼子町役場):唐津市呼子町呼子1995番地1
  • 鎮西支所(旧鎮西町役場):唐津市鎮西町名護屋1530番地

マスコットキャラクター[編集]

唐ワンくん・舞ヅルくん
市の「唐津城築城400年記念事業」の一環として、同城のイメージキャラクターとして2008年(平成20年)に制定された。同事業終了後の翌年以降も引き続き、唐津城のイメージキャラクターとして唐津のPRに使用されているほか、申請があり市が認めた場合は営利・非営利を問わず無償で使用できる措置をとっている。[1][2]

都市間交流・国際交流[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

主な事業[編集]

中心市街地活性化事業[編集]

大手口センタービル
大手口センタービル(Otte)
事業主体は地権者のうち3者(まいづる百貨店昭和自動車・合名会社大手会館)の出資で設立した大手口開発。市役所東隣にあった旧まいづる百貨店(2002年閉鎖)と、隣接し通路で接続していた昭和自動車の旧バスターミナルビルなど併せて4ビルを解体して建設された。敷地面積2,400平方メートル、延べ床面積8,773平方メートル、鉄筋コンクリート造6階建。国と市・県が補助金を支出した。2010年12月に起工、2011年10月に完成。2012年現在では唐津大手口バスセンター(1階)、唐津市民交流プラザ(3階)、唐津市役所大手口別館(5・6階)のほか、FMからつの公開スタジオ、コンビニ・カフェ・書店などが入居している。

土地区画整理事業[編集]

唐津駅南土地区画整理事業
JR高架化にあわせて1980年から唐津駅南口側地区の土地区画整理を行う事業。駅前の30m幅都市計画道路(シンボルロード)の整備、駅前広場(4ha)の整備、町田大橋の架橋、河川改修、道路の拡幅、町田交差点から国道204号(唐津バイパス)への接続道路の敷設などが行われた。1994年には唐津市近代図書館が事業地内に開館した。2010年度から清算業務に入る。
新東唐津駅土地区画整理事業
JR新線開業に伴い(現在の松南町)に移転した東唐津駅の周辺を1979年度から土地区画整理法に基づき開発する事業。「東唐津駅南地区」地区計画とも呼ばれる。駅前公園の整備や道路の整備改良拡幅、新たな住宅用地の造成などを主な事業内容とする。1991年平成3年)には付近の虹の松原団地を含めた東唐津駅周辺を鏡から分割し松南町として新たに行政区を発足させ住居表示が施行された。それ以降、事業はなかなか進捗しなかったが、佐賀県立唐津東中学校・高等学校2007年に事業地内に移転させることが決まったことにより大きく進捗し、2009年12月10日には換地処分を完了した。翌年1月21日に換地処分が公告され、その翌日新たに行政区として鏡新開が発足した。

県政・県の出先機関[編集]

唐津市・東松浦郡選挙区から選出される佐賀県議会議員の定数は6議席である。

出先機関

  • 唐津総合庁舎
    • 唐津県税事務所
    • 唐津土木事務所
    • 唐津農林事務所
    • 東松浦農業改良普及センター

国政・国の出先機関[編集]

出先機関

警察[編集]

  • 唐津警察署
    • 派出所
      • 相知幹部派出所
      • 呼子幹部派出所
    • 交番
      • 浜崎交番
      • 和多田交番
      • 中央交番
      • 西唐津交番
      • 鏡交番
    • 駐在所
      • 大野警察官駐在所
      • 相知警察官駐在所
      • 平山警察官駐在所
      • 岩屋警察官駐在所
      • 厳木警察官駐在所
      • 中島警察官駐在所
      • 七山警察官駐在所
      • 佐志警察官駐在所
      • 川原橋警察官駐在所
      • 湊警察官駐在所
      • 徳須恵警察官駐在所
      • 値賀警察官駐在所
      • 有浦警察官駐在所
      • 入野警察官駐在所
      • 高串警察官駐在所
      • 切木警察官駐在所
      • 小川島警察官駐在所
      • 打上警察官駐在所
      • 名護屋警察官駐在所
      • 馬渡島警察官駐在所

消防[編集]

  • 唐津市消防本部(唐津市消防署)
    • 東部分署、南部分署、西部分署、北部分署、中部派出所

経済・産業[編集]

就業人口

第1次産業[編集]

果樹野菜・肉用牛などの生産が主である。や久里などの平野部には初代唐津藩寺沢広高による河川改修事業の付随事業として開発された広大な水田が広がっており、現在も米の生産が主流だが、減反政策の影響で大豆などの豆類や大麦・小麦などの麦類の生産へシフトしてきている。浜玉地区には大規模な果樹園が広がり、ハウスみかんが特産である。

林業については、輸入材の影響や後継者不足により厳しい状況にあり、また水産業についても、唐津港水産基地の老朽化や人材不足により、唐津湾周辺での水揚げ量は年々減少しており、衰退の一途にある。

第2次産業[編集]

製造業建設業が中心で、いずれも経営環境は厳しい。

主な工業集積地として、唐津鉄工団地(中原地区)、唐津石志工業団地(石志地区)、岸山工業団地(北波多岸山地区)が挙げられる。旧唐津町時代は栄町・船宮町のある外町埋立地が唐津の代表的な工業地帯であった。

第3次産業[編集]

イオン唐津ショッピングセンター

商業及び観光業が中心であるが、商業は近年西九州自動車道二丈浜玉道路の整備や筑肥線の電化による福岡都市圏へのアクセス向上が原因となって、県外へのショッピング依存度が高まっており、市内商業の衰退を招いている。また、観光業についても同様の理由で日帰り観光の割合が主という傾向を示し、2010年初頭には大規模な旅館であった城内閣が営業を停止した。

1990年代から郊外に大型商業施設が進出し、この影響で唐津中央商店街をはじめとする市内各地の商店街では店舗の閉鎖や撤退が続き、空洞化が問題となった。また、大名小路地区にある地元資本のまいづる百貨店も2002年に閉鎖。その後付近に新たな店舗を設置し、スーパーマーケットへの完全な業態転換を図った(まいづる本店ショッピングプラザ)。

唐津市に本社を置く企業[編集]

まいづる百貨店物流センター


唐津市に事業所を置く企業[編集]

第2次産業
第3次産業
同社と唐津市が協定を結び、約1年の準備期間ののち2008年平成20年)4月に正式稼働したコールセンター。

市外局番[編集]

全域が0955である。

郵便番号[編集]

  • 〒847-xxxx(旧唐津市、鎮西町、七山、肥前町、呼子町、)
  • 〒849-xxxx(相知町、北波多、厳木町、浜玉町、)

金融機関[編集]

  • 佐賀銀行(7支店)唐津支店、西唐津支店、和多田支店、呼子支店、肥前町支店、浜崎支店、相知支店
  • 佐賀共栄銀行唐津支店
  • 福岡銀行唐津支店
  • 西日本シティ銀行唐津支店
  • 親和銀行唐津支店
  • 唐津信用金庫(本店+8支店)本店営業部、朝日町支店、西唐津支店、浜崎支店、相知支店、和多田支店、町田支店、山本支店、呼子支店、
  • 九州労働金庫唐津支店
  • JAからつJAバンク)本所+23支所 - 本所、鏡支所、鏡山支所、山本支所、和多田支所、唐津支所、佐志支所、湊支所、大良支所、北波多支所、Aコープ支所、唐津中央支所、浜崎支所、玉島支所、平原支所、七山支所、相知支所、厳木支所、切木支所、入野支所、納所支所、打上支所、呼子支所、名護屋支所、

マスメディア[編集]

受信可能な放送局[編集]
※ケーブルテレビへの加入が前提である。
ケーブルテレビ[編集]

ケーブルテレビに準ずる組織は以下の3局のほか、複数の共同受信組合及び共聴施設が存在するが、地上デジタル放送への完全移行に伴う唐津市の情報基盤整備事業により2011年(平成23年)までに全ての共同受信組合が廃止され、唐津市有線テレビジョンに統合される。

なお、唐津市有線テレビジョンに加入した住民は、唐津ケーブルテレビジョンネットフォーの独立チャンネルを受信することができる(地域によって受信可能なチャンネルは異なる)ほか、3局全てにおいて唐津市の行政放送を視聴することができる。

新聞社[編集]
1946年に唐津新聞(夕刊)を創刊したが、2008年1月1日に廃刊となった。かつて九州花火大会を主催するなど地域活動を積極的に行っていた[3]が、唐津新聞の廃刊で事業規模を大幅に縮小し、現在はチラシ広告の企画・制作・発行が主な事業となっている。
コミュニティFM[編集]
2010年(平成22年)4月に開局。県内初のコミュニティ放送局である。
フリーペーパー[編集]
  • karatsunami
発行 月刊 部数5,000冊
発行 隔月(奇数月第1週)部数8,000冊 Webマガジン連動 クーポン付き

健康・福祉[編集]

統計はすべて2010年10月1日国勢調査のもの。

医療[編集]

唐津地域総合保健医療センター

市内の総合病院は、千代田町にある唐津地域総合保健医療センターを中心に各地に点在する。中核となる病院は唐津赤十字病院である。2005年平成17年)4月には市が新たに唐津市民病院きたはたを開設した。

教育[編集]

唐津の教育の象徴とも言える唐津城直下の学舎。以前は唐津東高が使用していたが現在は早稲田佐賀中高の校舎となっている

概観[編集]

唐津市は佐賀県北部学区(唐津市玄海町学区)に属している。北部学区は県内他学区と比して学力が低いといわれ、2007年平成19年)度の全国学力・学習状況調査では佐賀県の順位が37位だったうえ、唐津市は県内の市町で最下位という結果だったことから、翌年度から唐津市独自の学力テストを実施している(唐津地区基礎学力テスト[4]

2006年(平成18年)に佐賀県立唐津東高等学校の併設中学校として佐賀県立唐津東中学校(併設型中高一貫校)が開校したほか、2010年(平成22年)には早稲田大学の系属校として早稲田佐賀中学校・高等学校が開校するなど、近年になって中高一貫校の開校が相次いでいる。

市立学校再編[編集]

統廃合が検討されている東唐津小学校

市教委は市立学校の統廃合を進めており、2009年の時点で42校ある小学校を34校に、23校ある中学校を18校にそれぞれ減らす方針を明らかにしている[5]

2013年(平成25年)には、呼子中学校・名護屋中学校・打上中学校の3校を海青中学校(校地は旧唐津北高跡地)として統合し、第四中学校・大良中学校・切木中学校を高峰中学校(校地は現第四中学校)として統合する。

そのほか、東唐津小学校の外町小学校への統合が市議会で検討されている[6]

市内の学校・教育機関[編集]

各種研究施設等[編集]

国立学校[編集]

高等学校[編集]

県立
私立

中学校[編集]

県立
私立

上記2校はいずれも中高一貫教育を行う中学校である。

市内の中学校の名称は当初ナンバリングで統一されていたが、市町村合併に伴い市内の多くの中学校が地名をもとにした名称となり、第二中学校は西唐津中学校を分離後佐志中学校と改称し、第三中学校は高島中学校と改称した。

小学校[編集]

一部を除く市内全体で児童の減少が進んでおり、分校の廃校が順次進められている。

特別支援学校[編集]

児童自立支援施設[編集]

2007年(平成19年)4月1日唐津市立浜崎小学校及び唐津市立浜玉中学校の分校となった。

自動車教習所[編集]

交通[編集]

空港[編集]

最寄り空港は佐賀空港および福岡空港。市内からの距離は両空港とも大差はないが、空港自体の利便性やアクセスの良さ(電化路線である筑肥線福岡市地下鉄空港線へ直通運転)や西九州自動車道)などから、福岡空港を利用することが多い。

鉄道[編集]

唐津駅
東唐津駅
西唐津駅構内にある車両基地(唐津鉄道事業部

2011年現在、唐津市内を通過する鉄道路線の速達列車は筑肥線(筑肥東線)に快速列車が平日4往復、土休日5往復があるのみで、各都市への移動は普通列車が主体となる。周辺各都市への所要時間は、唐津駅から佐賀駅までが唐津線普通列車で最短1時間10分、唐津駅から天神駅までが筑肥線快速列車で最短60分、普通列車で約1時間20分となっている。

1983年(昭和58年)まで、博多駅長崎駅を筑肥線・松浦線佐世保線大村線経由で結ぶ急行列車『平戸』が設定されていたが、筑肥線の部分廃止により運行区間が唐津駅-長崎駅間に短縮され、1988年(昭和63年)には松浦線第三セクター松浦鉄道に転換されたことにより当該列車は廃止され、唐津市内の線区から優等列車が消滅した。

市の代表駅は唐津駅である。なお、かつては東唐津駅が実質的な市の代表駅であったが、高架化に伴い移転し、現在の主な利用者層は佐賀県立唐津東中学校・高等学校への通学者や病院への通院者などである。

市内の路線・駅[編集]

九州旅客鉄道(JR九州)
快速列車及び普通列車が運行されている。運行頻度はラッシュ時毎時3-5本、日中は毎時2本程度である。一部の列車は、車両基地のある西唐津を始発・終点としている。また、半数の列車(快速列車は全便)が福岡市地下鉄空港線福岡市交通局)に直通する。残り半数の筑前前原で折り返す列車も、ほとんどが福岡空港線直通列車と接続している。唐津市内ではラッシュ時間帯以外は閑散としている。通勤・通学で主に利用される。
各駅停車のみの運行で、ラッシュ時日中問わず毎時1本未満(およそ3時間に2本)の運行である。すべての列車が、唐津線の西唐津・唐津を始発・終点としている。沿線は閑散としていて、伊万里方面への利用客のほかは、唐津市内の利用はあまり多くない。
各駅停車のみの運行で、ラッシュ時日中問わず毎時1~3本程度の運行である。西唐津と佐賀を結んでいる。沿線の高校生などが主に利用する。

筑肥線の電化と新線開業[編集]

かつて筑肥線は、松浦川の広い河口への架橋が建設当時に技術的に不可能であったため、虹ノ松原駅から現在の線路より北側(海側)の松浦橋近くに存在した旧・東唐津駅スイッチバックをして、松浦川の右岸を遡りながら松浦川を渡り山本駅唐津線と接続し伊万里方面へと向かっていた。

当時から、唐津市の中心駅は中心街にある唐津駅とされていたが、当時の唐津駅は唐津線の中間駅に過ぎず、ターミナル駅の役割は列車本数・利用客とも最も多い筑肥線の旧・東唐津駅が担っていた。しかし、旧・東唐津駅は唐津市役所などのある中心街(松浦側左岸地区)から向かうには松浦川の橋を渡らねばならず、バスを利用する等の手段が必要であったため、博多駅方面への鉄道利用は不便な状況が続いた。また、筑肥線と唐津線の接続は市街地から南に離れた山本駅に限られていたため、唐津市では中心駅の機能が唐津駅、旧・東唐津駅、山本駅の3駅に分散されていた。

これらの問題を解消し中心駅を唐津駅に一本化するため、1983年(昭和58年)の筑肥線の電化とあわせて呼子線の一部区間(虹ノ松原駅-唐津駅間)を先行して新規開業するとともに虹ノ松原駅-旧・東唐津駅-山本駅間が廃止され、唐津駅-山本駅間を唐津線と筑肥線の二重戸籍区間とした。 これにより旧・東唐津駅の代替として新線上に現在の東唐津駅が設置された。なお、廃止された旧・東唐津駅の跡地は大和ハウス工業に売却され、グループ会社の大和リゾートが運営・展開するダイワロイヤルホテルズの唐津ロイヤルホテルとなっている。

呼子線の残事業区間(西唐津駅以西区間)は工事が中断され、再開されることなく未成線となっている。また、唐津駅-山本駅間は1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化と同時に再び唐津線のみの路線に戻り、筑肥線は分断された格好になった。

港湾・海上航路[編集]

市内には玄界灘唐津湾に小さな島が点在し、それぞれの島民の生活の足として、多数の航路が運航されている。

港湾
明治から昭和初期にかけて国内屈指の貿易港および石炭積み出し港として繁栄した。現在も唐津港周辺(妙見町、大島地区)には広大な土地が再開発から取り残されており、かつての繁栄を窺うことができる。
航路
1日4往復の運航で、使用する船舶の愛称はエメラルドからつ2007年(平成19年)までは呼子港(旧呼子町)から運航され、その名称も呼子・壱岐フェリーであった。
  • 宝当桟橋(千代田町)-高島(唐津市漁業協同組合高島支所)
1日6往復の運航。宝当神社で全国的に有名になった高島と、唐津市中心部とを結ぶ。
  • 湊~神集島(唐津市漁業協同組合神集島支所・からつ丸)
1日9往復の運航。神集島と湊地区を結ぶ。

バス[編集]

昭和自動車の一般路線バス(宝当桟橋にて)
昭和自動車の特急バス(からつ号)

市内で路線バスを運行している業者は昭和自動車(昭和バス)のみである。市内の唐津大手口バスセンターを中心に、唐津市中心部と唐津市内各地・玄海町・伊万里市・多久市・佐賀市を結ぶ路線網が形成されている。市内循環バスも運行されており、松浦橋・東唐津・宝当桟橋を経由して唐津駅に至る東コースと、日赤病院前・西唐津駅・唐津港を経由して大手口に至る西コースがある。

唐津市は赤字バス路線の赤字分を補うため、昭和自動車に補助金を支出している。

ほかに昭和自動車の子会社である昭和タクシーが運行する乗合タクシーがある。

高速・特急バスも現在はすべて昭和自動車が運行している。唐津市中心部と福岡市天神博多バスターミナル福岡空港を結ぶ「からつ号」、唐津市域を経由して伊万里市と福岡市を結ぶ「いまり号」がある。

道路[編集]

高速道路[編集]

福岡方面へ向かう高速道路有料道路自動車専用道路)は佐賀方面へ向かうものに比べ整備が比較的進んでいる。西九州自動車道二丈浜玉道路経由して福岡都市高速と直結する福岡前原道路を経るのが一般に示されるルートだが、唐津ICは市街地から離れているうえ現状暫定2車線(最高速度60km/h)での開通のため、国道202号(唐津バイパス)を経由するドライバーが多い。

一般国道[編集]

道の駅[編集]

文化施設[編集]

唐津市近代図書館

スポーツ施設[編集]

特産品[編集]

観光地[編集]

唐津市は広大な面積を背景に多数の景勝地を有しているほか、古代から大陸の交易点であったことから、日本で初めて水耕稲作が行われた遺跡とされる菜畑遺跡をはじめ、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に拠点として東松浦半島先端部に築いた名護屋城など、多くの史跡も有している。

名所・名勝[編集]

その他[編集]

文化[編集]

古くから大陸との交易拠点であった松浦地方では、多くの歴史的な出来事が起こり、多彩な文化が発達した。特に16世紀終盤に松浦川河口付近に成立した城下町・唐津では商業が発達し、唐津くんちに代表される豪著で活気溢れる豊かな町人文化が育まれた。

祭事[編集]

唐津駅前に並んだ曳山

夏には祇園祭、秋には浮立くんちが市内各地で行われる。祇園祭やくんちには山笠が出る地区が多い。囃子竹紙を貼る笛を使うのは全国的には珍しいが、唐津市内では多くの地区が竹紙を貼る笛を使っている。

唐津くんちは唐津市中心部で行われる、期間中50万人以上の観光客が訪れる唐津市内最大の祭りであるが、近年になって服装や山車に乗って采配を振るのを真似た地域があるぐらいで、行事の様式などの周囲への伝播は意外にも少ない。

催事[編集]

娯楽[編集]

市内には1990年代まで東宝大劇や中央大劇といった映画館が複数存在したが、現在は市内に一軒も存在せず、映画を見たい市民は佐賀市福岡市方面へ足を伸ばすこととなる。

方言[編集]

方言としては唐津弁があり、唐津城下町に伝わる代表的民話『勘右衛話』(かんねばなし)にその特徴を見出すことができる。

ただ、高度経済成長期以降テレビラジオの普及で標準語の影響を受け、唐津弁がそのまま使用される機会は減ってきている。

唐津市を舞台にした作品[編集]

テレビ
映画
安本末子による日記小説を原作とする映画
アニメ
主要登場人物の一人である波留真理の出身地が唐津であると作中で言及されており、21世紀初頭の唐津市と思われる場所の描写がある[8]
小説
特に作品前半は呼子町をモデルとして描かれている。3度テレビドラマ化され、唐津市内でロケが行われた。

出身有名人[編集]

政治・経済・産業
スポーツ
文化・芸能
軍人

脚注[編集]

  1. ^ 唐津城築城400年記念事業 - 唐津市(2009年3月4日更新、2013年3月21日閲覧)
  2. ^ 唐津城マスコットキャラクター「唐ワンくん」「舞ヅルくん」を商品などに活用できます - 唐津市(2011年9月15日更新、2013年3月21日閲覧)
  3. ^ ただし九州花火大会は九州花火大会は、唐津新聞の廃刊後も、2008年は唐津市観光協会、2009年佐賀新聞社唐津市、唐津観光協会の3者が主催して継続して開催されている。
  4. ^ 小中学生に独自の学力テスト 唐津市 佐賀新聞の情報コミュニティサイト ひびの 2009年6月13日閲覧
  5. ^ 小学42→34、中学23→18 唐津市が再編方針/佐賀のニュース :佐賀新聞の情報コミュニティサイト ひびの 2009年9月26日閲覧
  6. ^ 学校教育リストラです - ★がんばってます!吉原まゆみ★ 2009年9月26日閲覧
  7. ^ 佐賀唐津道路「厳⽊バイパス」開通のお知らせ〜2⾞線で全線開通〜 国土交通省 九州地方整備局 佐賀国道事務所 2014年1月24日付
  8. ^ 『RD 潜脳調査室』第13話「もうひとつの海 ~intermission~」
  9. ^ 日外アソシエーツ発行『漫画家人名事典』(2003年2月)ISBN 9784816917608、P10-11
  10. ^ 同『漫画家人名事典』P279
  11. ^ 同『漫画家人名事典』P401

参考文献[編集]

  • 石井忠夫『明治・大正の唐津』唐津商工会議所(1977年発行)

外部リンク[編集]