石井紘基

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石井紘基(いしい こうき、1940年11月6日 - 2002年10月25日)は日本政治家民主党などで衆議院議員として活動した。元秘書の石井ターニャ政治文化研究所代表)は実娘。

目次

[編集] 経歴

東京都世田谷区に生まれる。世田谷区立池之上小学校、成城学園中学校高等学校卒業。

1960年、中央大学法学部に入学、安保闘争に参加。国会に突入するデモ隊の先頭にいた石井は一人の政治家を見た。全ての国会議員が逃げ出す中、騒乱の最前線に出向き、警官を抑え学生を守ろうとする社会党書記長江田三郎であった。石井は「このとき初めて国民の立場に立った政治家を見た」と言う。江田の後を追い、社会党の活動に参加。中央大学自治会委員長になる等、学生運動のリーダーとなった。早稲田大学大学院を経て、1965年にモスクワ大学大学院に留学、1970年、ナターシャとの結婚、大学院を修了すると1971年に帰国し、江田三郎の息子の江田五月の秘書となる。

1978年、菅直人らと社会民主連合を結成し、事務局長となる。衆議院議員選挙での同党公認が決定していたが、1992年秋に突如日本新党へ移籍。1993年第40回衆議院議員総選挙で日本新党から旧東京3区にて立候補し、初当選。以後通算当選3回。1994年、羽田内閣において総務政務次官に就任。自社さ連立時代に国民会計検査院を創設し代表を務める。日本新党で初当選しながら細川護煕と袂を分かち、新進党結党には不参加で自由連合新党さきがけを経て1996年、民主党の結党に参加。

議員活動としては、主に日本の政府支出の無駄使いに関して、フィールドワークを持っていた。国会議員が持つ権限を使った徹底的な調査し、税の無駄や政府の不正の追及をしていた。そのため、「国会の爆弾発言男」と呼ばれていた。1997年11月、衆議院で防衛庁調達実施本部背任事件をねばり強く追及し、マスコミをリードし、遂に東京地検強制捜査にまで発展させた。東洋通信機だけでなく、年間約2兆円にのぼる防衛庁の装備品発注予算が長期にわたって不正に使われていたことがわかった。

2000年、映画「バトル・ロワイアル」に関して、青少年に悪影響を与えるとして、上映に反対し規制を働きかけようとした。

オウム統一教会をラジカルにしたもの」「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中がどうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」と発言。

石井がアピールしていたのは以下の通りであるため利権を持つ議員や官僚、企業から忌み嫌われ怖れられていた。

  1. 天下り会社(石井紘基の調査で約3000社もあることが判った)を整理し、国が支出した資本や増えすぎた資産を回収し、国民に還元する。
  2. 石井紘基が代表を務める「国民会計検査院-国会議員の会」は、かつて、天下り会社の整理と会計検査機能強化のための法案を発表した。
  3. 国と地方自治体の系列企業(天下り会社)が占めている膨大な仕事を民間の中小企業に吸収させる。

2002年10月25日世田谷区の自宅駐車場で刺殺された(石井紘基刺殺事件)。

[編集] 日本の真の国家予算額の追求

第154回国会において石井紘基は、一般会計特別会計財政投融資から重複部分を計算し、日本の年間歳出国家予算)は本当は約200兆円であることを指摘し、当時の財務大臣塩川正十郎は「否定するようなこともございません。」と述べ否定しなかった。

また参考人として出席していた格付け機関ムーディーズトム・バーンは、日本政府の債務について「平時における非常に大きな債務であるというふうに考えており、またさらに増大するものと思っている」と延べ、日本政府の債務状況は国際的に非常に高水準かつ増大の見通しが強いとの見解を示した。

[編集] 著作

  • 『つながればパワー:政治改革への私の直言』(創樹社、1988年12月)
  • 『官僚天国日本破産』(道出版、1996年4月)ISBN 4-7901-0130-4
  • 『告発マンガ利権列島:援助交際政治の現場を斬る』(文藝春秋、1999年10月)ISBN 4-89036-090-5
  • 『日本を喰いつくす寄生虫:特殊法人・公益法人を全廃せよ!』(道出版、2001年11月)ISBN 4-944154-40-2
  • 『日本が自滅する日:「官制経済体制」が国民のお金を食い尽くす!』(PHP研究所、2002年1月)ISBN 4-569-61414-0
  • 『だれも知らない日本国の裏帳簿 : 国を滅ぼす利権財政の実態!』(道出版、2002年2月)ISBN 4-944154-41-0

[編集] 参考文献

  • 『政治家石井紘基その遺志を継ぐ』(明石書店、2003年10月)ISBN 4-7503-1804-3

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

先代:
柿沢弘治
自由連合代表
2代: 1995
次代:
小島慶三
他の言語