不破哲三

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不破 哲三(ふわ てつぞう、1930年1月26日 - )は、日本政治家日本共産党前中央委員会議長。元衆議院議員。党中央委員会常任幹部会委員。党付属シンクタンクである社会科学研究所所長。本名は上田 建二郎(うえだ けんじろう)。都立六中第一高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業。日本共産党名誉役員(前幹部会副委員長)の上田耕一郎は実兄。

目次

[編集] 概説

当時上田家には「跡取り」がいなかったため、父子共々養子として引き取られる。

40歳で党書記局長に就任し、「共産党のプリンス」として活躍した。1982年宮本顕治が中央委員会議長になると中央委員会幹部会委員長に就任するが、その後、一時病気のため幹部会委員長を辞し中央委員会副議長となったが、村上委員長退任後、委員長に復帰。その後は選挙でも党の躍進が続き、「スマイリング・コミュニスト」(1998年流行語大賞特別賞受賞)と呼ばれた。

2000年の党大会で委員長職を志位和夫に譲り、中央委員会議長に就任。2004年の党大会で全面的な綱領改定を行い、他党との連立も視野に入れた路線に道筋をつけた。2006年1月の党大会で高齢などを理由に議長職を退任したが、日常的な最高指導機関である常任幹部会の委員に留まっている。

130冊以上に上る多くの著作がある。科学的社会主義理論機関である党の社会科学研究所の所長に就任した。委員長・議長時代を通じて31年間対立していた中国共産党との交流を再開する。

中央委員会議長宮本に退任を迫ったことや、常任幹部会における幹部会委員長志位和夫との確執などが、離党した筆坂秀世が著した『日本共産党』(新潮新書)で公表されたが、『ガセネタ』であると批判、反論した[1]

2003年静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[2]

[編集] 経歴

2007年現在、党中央委員会付属社会科学研究所長

[編集] 名前の由来

  • 『私の戦後六〇年 日本共産党議長の証言』の中で不破哲三本人が「不破哲三」の由来について、「不破建設」という自宅付近にあったペンキ屋と当時の職場である鉄鋼産業労働組合の「鉄」から名付けたと語っている。鉄鋼労連は総評系で日本社会党員(特に右派)が多数を占めていたため、機関誌「前衛」などへの寄稿の際ペンネームを使用していた。
  • 実兄・上田耕一郎は、一郎と二郎とで労農同盟を意味する命名であると語っている。(経済2004年1月号での鶴見俊輔との対談での発言)

[編集] 趣味

子ども向けのテレビ番組ウゴウゴルーガフジテレビ他)において政治家ではなく、登山の講師(やまのぼりのえらいひと)として出演したことがあるほど山登りが好きで、娘夫婦を連れてよく出かけている。また郷土玩具土人形)収集も好きで明治天皇の人形など幅広い種類の人形を所有している。

時代小説も好きで、少年時代はその方面での作家にもなりたかったと語っている。

1986年に転居して以来、北丹沢に近い山間部の神奈川県相模原市津久井町(旧・津久井郡津久井町)在住。

「ベストメガネドレッサー」を受賞した事がある。

[編集] 著書

著書は130冊以上にのぼり、日本の政治家としては最も多い。新潮社からの出版について不破は「それも面白いかな」と述べている。政治以外に山岳関係の著書もあり、両ジャンルの中から近年発刊されたものを掲載する。

政治
山岳

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク


先代:
宮本顕治
村上弘
日本共産党委員長
第2代: 1982 ‐ 1987
第4代: 1989 ‐ 2000
次代:
村上弘
志位和夫
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