相模原市

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さがみはらし
相模原市
Sagamihara montage.jpg
左上上:丹沢山地、左上下:相模総合補給廠、右上:相模湖
左中:橋本地区、右中:小田急相模大野駅
左下:JAXA相模原キャンパス、右下:市民桜祭り
Flag of Sagamihara, Kanagawa.svg
相模原市旗
神奈川県相模原市市章.svg
相模原市章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
団体コード 14150-0
面積 328.82km²
総人口 722,931
推計人口、2014年10月1日)
人口密度 2,200人/km²
隣接自治体 座間市大和市厚木市
愛甲郡愛川町清川村
足柄上郡山北町
東京都:町田市八王子市
西多摩郡檜原村
山梨県:上野原市南都留郡道志村
市の木 ケヤキ
市の花 アジサイ
他のシンボル 市の鳥:ヒバリ
市の色:
市の歌:相模原市民の歌
相模原市役所
所在地 252-5277
神奈川県相模原市中央区中央二丁目11番15号
北緯35度34分17.1秒東経139度22分23.3秒座標: 北緯35度34分17.1秒 東経139度22分23.3秒
相模原市役所
外部リンク 相模原市

相模原市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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相模原市(さがみはらし)は、神奈川県北部にある政令指定都市緑区中央区南区の3区で構成される。

目次

概要[編集]

相模原市は、神奈川県内では横浜市川崎市についで第3位の人口規模を擁する。2007年3月11日の2町の編入合併により人口は70万人を超え、全国の市で第18位である。相模原市が市制施行されたのは1954年(昭和29年)だが、戦後に純粋に市制施行された都市の中では最も人口が多い(さいたま市北九州市が誕生したのは戦後だが、これら2市は複数の自治体の新設合併により誕生した都市であり、合併時に戦前に市制施行された都市が含まれる)。2010年3月末までの政令指定都市移行と、首都圏サミットへの参加を目指していたが、2009年10月2日に原口一博総務大臣が必要な作業に入るよう指示し、その後、10月23日の閣議で相模原市を2010年4月1日を以て政令指定都市に昇格させることが決定された[1]。非道府県庁所在地では5番目、戦後に市制施行された都市では初の政令指定都市の誕生となり、2009年4月1日に移行した岡山市に次ぐ19番目の政令指定都市(緑区中央区南区の3区制)へ移行した。これにより、神奈川県は全国で唯一の3つの政令指定都市を持つ都道府県となる。

経済面や鉄道・道路などの地理上、県内他市よりも東京都、特に多摩地域とのつながりが強い。また、首都圏南西部の核として国から位置づけられている(首都圏業務核都市指定都市)。市では首都圏南西部をリードする広域交流拠点都市となるべく、「さがみはら新都心」の形成を目指している[2]。しかし、東京都心まで電車で35-40分程度(相模大野より小田急小田原線快速急行あるいは橋本より京王線特急の場合)であり、産業構造の転換により大型工場の撤退が相次いだことで、ベッドタウンとしての面が一層強まっており、業務機能の集中は弱いのが現状である。そのため、中心市街地法で都市核が複数(橋本・相模大野)認められている都市である。当市以外で複数の都市核が認められているのは静岡市、北九州市、熊本市の3市のみである。

旧市域は概ね3地区に分けられている(橋本を中心とした北部地区、相模原駅付近・中央地区を中心とした中部地区、相模大野を中心とした南部地区)。

地理[編集]

旧津久井郡編入前の市域のランドサット衛星写真

2006年3月の合併以前の旧相模原市域は、隣接する町田市との経済的・地理的・文化的関わりが深く、共に業務核都市に一つの都市として指定されていた。近年、東京都心へ旧市域南部の相模大野から35分程、旧市域北部の橋本から40分程で行けるその交通の利便性から、東京のベッドタウンとしての人気が高まり人口が爆発的に伸びている。特に20代、30代、50代周辺の人口が多く、市全体を活気ある雰囲気にしている。

市内には相模原公園や相模原北公園をはじめとした大規模な公園が点在していることや、比較的自然な環境が近いことなどから若年世帯を中心とした人口の流入が続いている。市内に大学が多いことや、周辺都市の大学も相模原市内の駅を最寄とする場合が多く、更に多数の大学を抱える八王子市への交通が便利なため、学生の街としての顔も併せ持つ。また、市内には宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所相模原キャンパス(開所時は文部省宇宙科学研究所)があり、日本の宇宙科学の研究拠点として知られる。

また編入した旧津久井郡4町のうち、城山町と津久井町は橋本駅を最寄り駅として利用しており、国道413号津久井街道)を介して相模原市中心部との結びつきがあるのに対し、相模湖町と藤野町は相模原市中心部よりも、JR中央本線国道20号甲州街道)を介して、八王子市との結びつきの方が強い。

地形[編集]

相模川左岸の相模原台地上に位置する平坦な東部・旧相模原市域(中央区・南区および緑区東部)と、南の丹沢山地と北の高尾山陣馬山などの間に広がる山地を相模川などが刻み、河岸段丘上にわずかな平坦面が散在する西部・津久井地域(旧津久井郡、緑区の大半)とに分けることができる。ただし、津久井地域のうち旧城山町東部は地形的に連続する旧相模原市域と合わせて相模原台地の一部として理解するのが適当である。

相模原台地[編集]

新昭和橋付近(厚木市上依知)から望む相模原台地

相模原台地(相模野台地とも呼ばれる)は相模川が作った扇状地隆起して形成された洪積台地である。西側の相模川に沿って、気候変動や海水面の変化によって形成された河岸段丘が発達している。

大きく3段に分けられる段丘面のうちでは上段(相模原面)が最も広く、旧市域の半分以上を占め、旧城山町東部の大半もこの段丘面上に広がる。緑区川尻(旧城山町)の川尻八幡宮付近の標高約180mを最高点に南東へ向かって徐々に高度を下げ、緑区橋本六丁目の神明大神宮付近で約140m、南区東大沼二丁目の大沼神社付近で約100m、南区相南三丁目の東海大学付属相模高等学校付近で約85mとなり、南の大和市や座間市に続く。段丘面上は平坦ではあるが水に乏しく、利用が進まずに原野が広がっていた。相模原または相模野とは、主にこの原野について呼んだものである。

江戸時代以降に行われた新田開発によって畑と雑木林の広がる景観となった。

日中戦争下、1930年代新興工業都市の政策により、軍事施設(当市域では主に陸軍)が相次いで進出し、北部では「軍都計画」と呼ばれる大規模な都市計画に基づく土地区画整理事業が当時の内務省神奈川都市計画地方委員会野坂相如、浅野英ら)によって行われた。1945年の敗戦によって都市建設は中断したが、戦後しばらく経ってから区画整理事業は再開し、完成した。そして1960年代以降急速な都市化が進行した。

現在では旧軍都計画区域を中心とする北半部および南東部の小田急線沿線はほぼ完全に市街化しているが、南区麻溝台・新磯野地区には農地が広がっている。なお、旧軍施設の中には戦後米軍に接収されたものも多く、現在も返還されていない区域が旧相模原市域の面積の約5%を占める。

緑区久保沢から下九沢、中央区上溝を経て南区下溝まで上段と中段(田名原面)の境をなす段丘崖は「横山」と呼ばれる。「ハケ」とも呼ばれる段丘崖の湧水を水源に鳩川姥川、道保川が段丘崖に並行して南東へ流れるが、これはかつて相模川がこの堆積面上を流れていたときの流路跡であると考えられている。 下段(陽原[みなばら]面)は3段の中では最も面積が狭く、主に中央区田名地区内の一部(陽原・望地・塩田)を占める。

これらの段丘面の下に現在の相模川による沖積低地が形成されているが田名よりも上流側では幅が狭く、川が南へ向きを変える南区当麻から磯部よりも下流側でようやく広がりを見せる。田名の望地河原や当麻、磯部地区が当市域内では数少ない水田地帯となっている一方、上流側の小倉橋、大島河原から水郷田名(田名久所[ぐぞ]地区)にかけての区域は大正期から風光明媚な景勝地として知られている。

当市域の北から東にかけて東京都町田市との境界となっている境川多摩丘陵を刻む小河谷である「ヤト」(谷戸)や、鳩川などと同じくハケの湧水を水源としているが、これも元の相模川の流路であったと考えられている。以前は激しく蛇行していたために、わずかの大雨ですぐに洪水を起こす川だった。そのために戦後徐々に河川改修が進められて橋本付近より下流では川幅が広げられて流路も直線化された。しかし蛇行していた旧流路によって定められていた都県境の変更は、特に町田市との間でほとんど進まず、相互に「川向こうの飛地」を多く抱えている。

津久井地域[編集]

緑区川尻より望む丹沢山地蛭ヶ岳 - 丹沢山)の山並み
相模川上流に位置する相模湖1947年に完成し、戦後にできたダム湖としては日本初である。
宮ヶ瀬ダム建設に伴って形成された宮ヶ瀬湖。周囲の景観の調和、歴史的価値などの観点から評価され、「ダム湖百選」に認定されている。

緑区の中・西部で区全体の面積の9割以上を占める津久井地域は、相模原台地の北西端に位置する旧城山町東部を除くと、ほぼ全域を南の丹沢山地や北の秩父山地に連なる山地が占め、両山地の境界をなす相模川と、道志川をはじめとするその支流沿いに河岸段丘が散在するのみの平地の少ない地域である。

道志川の南側、旧津久井町南西部の青根、青野原、鳥屋(とや)地区は、丹沢山地の北部によって占められ、大室山から同山地最高峰の蛭ヶ岳を経て丹沢山に連なる主稜線で南の足柄上郡山北町と境を接する。また、主脈と呼ばれる蛭ヶ岳から焼山へ至る稜線は北西側の道志川流域と南東側の中津川支流の早戸川流域(いずれも相模川水系)を分ける尾根となっている。標高は低いながらも険しい壮年期の山地であり、平坦地は道志川南岸の高位に散在する狭小な河岸段丘と、串川上流にわずかに伸びる谷底平野が分布するのみである。前者の河岸段丘群を貫通する国道413号に沿って青根、青野原の集落が、後者の谷底平野に鳥屋の集落とわずかな耕地が分布する外は山林に覆われている。

深い谷をうがち谷底平野をほとんど持たない道志川の北側では、石老山石砂山を経て山梨県上野原市道志村の境をなす尾根筋が大きく道志川の側に偏って伸び、北の相模川の河谷へ向かって徐々に高度を下げる丘陵によって占められる。旧藤野町南部の牧野(まぎの)地区の集落はこの主に丘陵地の緩斜面に散在する。西に隣接する上野原市秋山地区からは秋山川が流入し、日連(ひづれ)大橋付近で相模川に合流する。

一方、相模川の北側では和田峠陣馬山景信山小仏峠城山(小仏城山)、大垂水峠と連なる尾根筋によって北の東京都八王子市および檜原村と境を接し、西隣の山梨県(上野原市)との境界をなして南流する境川と東側の沢井川のつくる河谷に旧藤野町北部の佐野川、沢井の集落が分布する。

これらの山地の間を東西に貫流するのが相模川である。一般に山梨県内では「桂川」と呼ばれ、神奈川県に入って「相模川」と呼ばれるようになるとされているが、旧相模湖町では北岸の与瀬、小原(おばら)両地区を合わせて「桂北地区」と呼んだり、さらに下流側の千木良、若柳地区間に架かる橋を「桂橋」と呼んでいる例も見られる。上流の上野原市と接する小淵、名倉(旧藤野町)から下流側の中沢、城山、谷ヶ原(旧城山町)にかけて、相模川の両岸には相模原台地と同時期に形成された数段の河岸段丘が発達している。この平坦面を連ねて甲州街道国道20号)、JR中央本線中央自動車道が通過し、東京江戸)と甲信地方を結ぶ重要な交通路となっている。

津久井町北東部では相模川南岸に比較的面積の広い段丘面が広がり、この段丘上に位置する中野地区は津久井地域の主邑として行政の中心となっている。焼山から道志川相模川と串川に挟まれて伸びる尾根筋の末端の城山相模川を隔てて相模国中央部の広大な平坦地を見下ろす要害の地に位置し、鎌倉時代三浦氏支族の津久井氏によって築城されたことからこの名があるとされている。

段丘上の平坦地に対して相模川の谷底の平坦地(谷底平野)の発達は悪い。この地形を利用して1947年(昭和22年)に相模ダムが、また1965年(昭和40年)には城山ダムが建設され、それぞれのダムによる人造湖として相模湖および津久井湖が形成された。道志川には1955年(昭和30年)に道志ダム(奥相模湖)が建設され、また2000年(平成12年)に完成した中津川の宮ヶ瀬ダムのダム湖(宮ヶ瀬湖)の一部は津久井町にかかっている。これらのダム湖、および川尻地区北部(旧城山町)のヤト(谷戸)の奥に本沢ダムを築いて津久井湖から汲み上げた水を貯めて作られた城山湖との間は導水路で結ばれ、一体的な水資源管理が行われている。

歴史[編集]

相模国の北部に位置し、旧相模原市域は高座郡に属した。津久井地域の大部分は中世まで愛甲郡に属し「奥三保」と呼ばれていたが(相模川左岸の津久井町三井および城山町北部は高座郡)、江戸時代には同郡から分離して津久井県と称し、1870年(明治3年)に津久井郡と改称された。

なお、この項では2006 - 2007年の旧津久井郡4町との合併までは主に旧相模原市域について述べる。津久井地域の歴史については津久井郡の項を参照。

先史・古代から中世[編集]

  • 相模川沿いの段丘上には古くからの人々の生活の痕跡が認められるが、市域でも後期旧石器時代末の建物跡とされる田名向原遺跡や、縄文時代中期の大規模集落跡である勝坂遺跡が分布する。
  • 文献資料においては、平安時代中期に編纂された『和名類聚抄』(『和名抄』)で相模国高座(たかくら)郡に設置されたと記載されている131のうち塩田郷(読みはシホタ)が旧市域内に位置していると比定されている。現在、旧市域南西部の田名地区内の集落名「塩田」が、古代の郷名を継承するものであると考えられている。
  • 平安時代後期から鎌倉時代にかけて、市域は武蔵国多摩郡に成立した横山荘を本拠に同国西南部から相模国北部にかけて割拠した同族的武士団である横山党の勢力下にあり、同武士団の中には粟飯原(相原)、小山、矢部、田名など旧市域北部の地名に由来する名字が見られる。また、旧市域南部は高座郡渋谷荘を本拠とする渋谷氏の勢力下にあった。
  • 鎌倉時代後期には、当麻に時衆教団(時宗)の道場(無量光寺)が開かれた。
  • 室町時代には上杉氏戦国時代には北条氏の支配下であった。

近世[編集]

幕藩支配[編集]

江戸時代初期の1633年寛永10年)には旧市域西部の相模川沿いの村が武蔵忍藩飛地領とされ、残りの村は幕府直轄領(天領)または旗本の支配地とされたが、時代が下るにつれて支配が細分化されて非常に錯綜したものになっていった。旗本領とされた村の多くは2家以上が支配する相給とされ、幕府あるいは藩との相給とされる村もあった。幕末の段階で1藩単独の支配となっていたのは、旧市域では下野烏山藩領の上矢部村、大島村、田名村の3村のみである。また、清兵衛新田が幕府単独の、上九沢村が旗本佐野家のみの支配を受けていた。

1867年慶応3年)の大政奉還時点での旧市域各村の支配は以下の通りである。

  • 相原村 - 旗本領(佐野家、藤沢家)
  • 橋本村 - 旗本領(藤沢家、別所家、石野家、高木家)
  • 小山村 - 幕府領、烏山藩領
  • 清兵衛新田 - 幕府領
  • 上矢部村 - 烏山藩領
  • 矢部新田村 - 烏山藩領、旗本領(鈴木家)
  • 淵野辺村 - 幕府領、烏山藩領、旗本領(岡野氏2家)
  • 鵜野森村 - 幕府領、旗本領(永井家)
  • 上鶴間村 - 幕府領、旗本領(大岡家)
  • 上九沢村 - 旗本領(佐野家)
  • 下九沢村 - 旗本領(佐野家、加藤家)
  • 大島村 - 烏山藩領
  • 田名村 - 烏山藩領
  • 上溝村 - 幕府領、烏山藩領、旗本領(石野家、森川家、戸田家、高木家、佐野家)
  • 下溝村 - 幕府領、烏山藩領、荻野山中藩
  • 当麻村 - 幕府領、旗本領(千葉家、大久保家)
  • 新戸村 - 幕府領、旗本領(土屋家、岡部家)
  • 磯部村 - 幕府領、旗本領(町野家、大津家、大久保家)

これらのうち、幕府領および旗本領は、1868年(慶応4=明治元年)に神奈川府(のち神奈川県)が設置されると、その管轄となった。また、1871年(明治4年)7月の廃藩置県によって、烏山藩領は烏山県、荻野山中藩領は荻野山中県の管轄となったが、同年11月の府県再編によって神奈川県に編入された。

新田開発[編集]

原野の広がった台地上段の開発は17世紀半ば以降、境川沿いの村を親村とする新田開発によって始まった。最も代表的なものが小山村の豪農である原清兵衛によって1843年(天保14年)に着手され、1856年(安政3年)までに49名が入植して200ha余りが開拓された清兵衛新田である。ほかに矢部新田淵野辺新田大沼新田溝境新田が開かれた。水が乏しいためにこれらの新田は水田ではなく畑地としての開拓であり、新田集落のまわりには薪炭供給のための雑木林が作られた。相模原に広がる雑木林はこうして植林された人工林である。

台地上の開拓は明治以降も進められた。この時期の開拓地は新開と呼ばれ、橋本新開、下溝新開、谷口新開、篠原新開、中村新開、中和田新開がこれにあたる。 また、戦後も日本国外からの引揚者や帰農者、戦災者などを入植者として受け入れて旧軍用地の麻溝台や新磯野を中心に開拓が行われた。

新田のうち、「清兵衛新田」と「矢部新田」の地名は合併後も大字として残された。「矢部新田」は住居表示の対象区域とならなかった米軍相模総合補給廠内に現存する。「清兵衛新田」は1974年(昭和49年)に最後まで残った区域に住居表示が実施されて消滅するが、新町名である「清新」はこれに由来するものである。

明治以降[編集]

相模原市発足までの沿革[編集]

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により高座郡相原村麻溝村新磯村大沢村大野村溝村が誕生する。旧田名村は単独で町村制による田名村となった。
    • 相原村、橋本村、小山村、清兵衛新田の合併により相原村が誕生する。
    • 当麻村、下溝村の合併により麻溝村が誕生する。
    • 新戸村、磯部村の合併により新磯村が誕生する。
    • 大島村、下九沢村、上九沢村の合併により大沢村が誕生する。
    • 上矢部村、矢部新田村、淵野辺村、鵜野森村、上鶴間村の合併により大野村が誕生する。
    • 上溝村が溝村と名称変更する。
  • 1926年大正15年)1月1日 - 溝村に町制が施行され、上溝町が誕生する。
  • 1941年昭和16年)4月29日 相原村、麻溝村、新磯村、大沢村、大野村、上溝町、座間町、田名村の新設合併により相模原町が誕生する。
    • 町役場を淵野辺に置く。人口3万9,718、面積107.99km²。合併当時は「全国一面積の広い町」であった。
  • 1941年(昭和16年)9月1日 町役場を上溝(旧上溝町役場)に移転
  • 1948年(昭和23年)9月1日 座間町が分立する。面積90.77km²となる。
  • 1954年(昭和29年)4月29日 町役場を清兵衛新田(現在地)に移転。

相模原市発足以降の沿革[編集]

昭和40年代まで
昭和50・60年代
1989年(平成元年)以降
  • 1989年平成元年)4月1日 文部省(当時)宇宙科学研究所が移転する。
  • 1989年平成元年)4月28日 (財)市民文化財団が発足する。
  • 1989年平成元年)10月26日 (財)相模原市体育協会が発足する。
  • 1989年平成元年)12月1日 相模原南メヂカルセンター(急病診療所)がグリーンホール相模大野内に開設される。
  • 1990年(平成2年)1月8日 市立文化会館がグリーンホール相模大野内に開設される。
  • 1990年(平成2年)1月9日 市立相模大野図書館がグリーンホール相模大野内に開設される。
  • 1990年(平成2年)3月30日 京王帝都電鉄(当時)相模原線が、部分開業していた南大沢駅より延伸し、京王相模原線橋本駅が開業する。
  • 1990年(平成2年)5月14日 消防指令センターが完成する。
  • 1990年(平成2年)9月25日 市内初の百貨店、伊勢丹相模原店が開店する。
  • 1991年(平成3年)1月20日 市立淵野辺公園アイススケート場・水泳プール(銀河アリーナ)が開設される。
  • 1991年(平成3年)3月16日 JR東日本相模線が電化完成する。
  • 1991年(平成3年)5月31日 カナダの旧スカボロ市(現トロント市)と友好都市提携。
  • 1991年(平成3年)9月8日 市立北総合体育館が開設される。
  • 1991年(平成3年)12月1日 北清掃工場が完成する。
  • 1992年(平成4年)7月4日 さがみはら男女平等憲章を制定する。
  • 1992年(平成4年)8月19日 (財)みどりの協会が発足する。
  • 1992年(平成4年)8月21日 (財)産業振興財団が発足する。
  • 1992年(平成4年)10月3日 第9回全国都市緑化神奈川フェアが開催される(グリーンウェーブ・相模原'92)。
  • 1992年(平成4年)10月26日 市営斎場が完成する。
  • 1992年(平成4年)11月20日 相模原市環境宣言を制定する。
  • 1993年(平成5年)4月5日 粗大ごみの戸別収集を開始する。
  • 1993年(平成5年)4月12日 市立産業会館が開設される。
  • 1995年(平成7年)11月20日 市立博物館が開設される。
  • 1996年(平成8年)4月20日 市立相模川自然の村公園が開設される。
  • 1997年(平成9年)5月20日 市立総合水泳場(さがみはらグリーンプール)が開設される。
  • 1997年(平成9年)8月1日 市公式Webサイトが開設される。
  • 1997年(平成9年)11月1日 相模原市民ギャラリーが開設される。
  • 1998年(平成10年)9月12日 さがみはらグリーンプールを会場に、かながわ・ゆめ国体夏季大会が開幕する(〜15日)。
  • 1998年(平成10年)11月3日 電話番号の逼迫対策に伴い、市内(磯部、新磯野1丁目、3丁目 - 5丁目、新戸、相武台及び相武台団地を除く)の市外局番が「0427」から「042」に、市内局番が「XX」から「7XX」に変更される。
  • 1999年(平成11年)5月3日 市立北市民健康文化センター(さがみはら北の丘センター)が開設される。
  • 1999年(平成11年)7月20日 電話番号の逼迫対策に伴い、市内(磯部、新磯野1丁目、3丁目 - 5丁目、新戸、相武台及び相武台団地)の市外局番が「0462」から「046」に、市内局番が「XX」から「2XX」に変更される。
  • 1999年(平成11年)12月1日 境川の河川改修に伴い、東京都町田市及び神奈川県大和市との境界の一部を変更し、市面積が90.41km²に減少する。
  • 2000年(平成12年)4月1日 保健所政令市に指定されたことから、相模原市保健所が開設される。
  • 2000年(平成12年)5月29日 人口が60万を超える。
  • 2000年(平成12年)7月8日 さがみはら男女共同参画都市宣言を制定する。
  • 2000年(平成12年)10月28日 さがみはら健康都市宣言を制定する。
  • 2000年(平成12年)11月20日 市が事務事業に「ISO14001環境マネジメントシステム」を導入、認証される。
  • 2001年(平成13年)4月5日 児童数減少に伴う市内初の市立小学校の統廃合を実施する。
    • 市立北相武台小学校と市立磯野台小学校とが統合し、市立もえぎ台小学校が開校(校舎は北相武台小学校を使用)。
  • 2001年(平成13年)4月21日 市立総合学習センターが開設される。
  • 2001年(平成13年)6月30日 小児科医による休日・夜間急病診療が開始される。
  • 2001年(平成13年)7月1日 市が外部監査制度を導入する。
  • 2001年(平成13年)9月29日 市立杜のホールはしもと・市立橋本図書館が開設される。
  • 2003年(平成15年)4月1日 中核市に指定される。
  • 2003年(平成15年)4月1日 「相模原メヂカルセンター」及び「相模原南メヂカルセンター」が「相模原メディカルセンター」及び「相模原南メディカルセンター」に改称される。
  • 2003年(平成15年)10月11日 青山学院大学相模原キャンパスが淵野辺に開校する。
  • 2003年(平成15年)12月1日 市内のバス路線が大幅に再編される。
    • これに伴い、33系統・51バス停留所が廃止、4系統が新設、既存の6系統が大幅増発となる。
  • 2004年(平成16年)2月1日 上鶴間地区の一部で住居表示を実施、上鶴間本町が新設される。
    • これにより、米軍基地を除く市内の上段部分の住居表示は全て完了となった。
  • 2004年(平成16年)11月1日 小田急線小田急相模原駅北口市街地再開発事業が着工する。
  • 2004年(平成16年)11月20日 市制50周年。
  • 2004年(平成16年)12月1日 境川の河川改修に伴い、東京都町田市との境界の一部を変更し、市面積が90.40km²に減少する。
    • 相模原市民16世帯41人が東京都町田市民となる。
  • 2005年(平成17年)7月13日 市内公共施設(60ヶ所)にAED(自動体外式除細動器)を配置する。
  • 2006年(平成18年)1月30日 コミュニティバス実証運行を開始する。
    • 交通不便地区における高齢者等、移動に制約のある市民の生活交通を確保するため、市が主体となって計画。運行業務は相模神奈交バスに委託し、2年間を期限として実験的に実施。経路は、JR東日本橋本駅南口 - 北の丘センター - 北総合体育館 - 相模川自然の村までの約7kmで、所要時間は片道約30分。運行本数は、上り下りとも8時台 - 18時台まで、1時間に1本ずつ運行される。
  • 2006年(平成18年)3月20日 津久井郡津久井町、津久井郡相模湖町を編入合併する。旧町の各区域に地域自治区を設置。市面積が244.04km²となり、面積規模で県内第2位になる。旧津久井町の姉妹都市であるカナダのトレイル市と継続して友好都市を提携する。
  • 2006年(平成18年)4月1日 市立環境情報センターが開設される。
  • 2006年(平成18年)4月1日 市が設置した文化施設・福祉施設・体育施設に指定管理者制度を本格的に導入する。
  • 2006年(平成18年)5月1日 日米安全保障協議委員会で相模総合補給廠の一部返還等が基本合意される。
  • 2006年(平成18年)10月1日 市コールセンターが開設される。
  • 2007年(平成19年)3月11日 津久井郡藤野町、津久井郡城山町を編入合併する。旧町の各区域に地域自治区を設置。市面積が328.84km²となる。人口が合併特例の政令指定都市昇格要件70万人を超える。
  • 2007年(平成19年)4月1日 政令指定都市移行を視野に入れて市組織に局制が導入される。
  • 2008年(平成20年)4月23日 さがみはら新都心整備構想を発表する(相模総合補給廠一部返還後の跡地利用計画)。
  • 2009年(平成21年)10月23日 相模原市が政令指定都市に昇格することが閣議決定される。
  • 2009年(平成21年)12月21日 区名が正式に決定する(緑区、中央区、南区)。
  • 2010年(平成22年)4月1日 政令指定都市に正式に移行(日本国内19番目)。それに伴い、市内全域において郵便番号が「228-08xx」及び「229-xxxx」から「252-0xxx」に変更される。
  • 2010年(平成22年)12月1日 境川の河川改修に伴い、東京都町田市との境界の一部を変更し、市面積が328.83km²に減少する。
  • 2011年(平成23年)5月15日 区ごとのシンボルカラーおよびシンボルマークが発表される

軍都計画[編集]

相模総合補給廠の正門(西門)

相模原は東京から近く地価の安い平坦地が広がっていたことから、1930年後半以降、陸軍士官学校をはじめとする陸軍施設があいついで移転・開設されてきた。養蚕を主とする畑作農村から軍事都市への急速な変貌に対応するために神奈川県が主体となって区画整理事業に着手した。1939年(昭和14年)にまとめられた相模原都市建設区画整理事業では、当時の相原村小山清兵衛新田橋本)、大野村上矢部矢部新田淵野辺)、上溝町(上溝)、大沢村(下九沢)にまたがる535万坪(約17.7km²)の区域に10万人の人口を想定した壮大な都市計画が行われた。

造兵廠西門と上溝とを結ぶ街路を縦の軸とし、これと直交する幅の広い街路を横の軸として計画的に街路が配置され、両軸となる街路の交差点付近には中央公園が計画された。区域内は住居地域345万坪(約11.4km²²。1人当たり50坪)、商業地域35万坪(約1.2km²。1人当たり30坪)、工業地域(軍事施設を含む)175万坪(約5.8km²)に分けられ、推計人口10万のうち小学児童を約1万4千人弱と想定して小学校を14校、中等学校が3校整備されることとなっていた。また中央公園をはじめとして区域内の公園用地として約18万坪(約0.6km²)があてられていた。

  • 相模陸軍造兵廠は本来、北側の境川をはさんで町田街道に面した門を正門として敷地内北部に管理機能を集中していた。戦後この施設を相模総合補給廠としている米軍は西門を事実上の正門として使用している。

この都市計画は若干の変更の上、1940年(昭和15年)に内務省から公示されて事業が着手されたが、間もなく始まった第二次世界大戦太平洋戦争)により工事は停滞し、幹線街路網の整備が進んだところで敗戦を迎えた。一時中断された区画整理事業は戦後も継続されて1950年(昭和25年)に完了した。また水道の整備も戦争末期の1945年(昭和20年)春にはおおむね完了した。

敗戦によって軍都の建設には挫折したが、1960年代以降の急激な都市化の基盤となったのはこの事業によって整備された街路網と水道設備であった。計画の中で横の軸とされた街路は現在国道16号として市内を貫く幹線道路となっている。また縦の軸とされた街路は市役所前通りとして戦後桜並木が整備され、市を代表する顔となっている。これに対して南部の小田急線沿線はこの都市計画の対象区域とはならず、戦後の自然発生的な住宅の建設によって都市化が進行した。無計画に進められた宅地化によって狭く複雑な街路網を擁する区域も少なくなく、軍都計画区域と著しい対照を見せる。

相模原市の膨張や交通量の増大によって国道16号をはじめとする幹線街路での交通渋滞が目立つなど、1940年代に行われた都市計画の限界が現れてきているが、半世紀にわたって急激な都市化を支え続けてきた事実からして軍都計画による区画整理事業の先進性がうかがえる。

相模原町の発足[編集]

軍都計画の進展とともに、軍の強力な後押しもあって相模原一帯を合併して一大市を建設する気運が盛り上がった。その過程では、隣接する東京府町田町との合併も話題に上った(陸軍では、上鶴間の原町田陸軍病院(のち相模原陸軍病院と改称)や淵野辺の原町田憲兵隊など、相模原を原町田と一括りにすることが多かった)が、府県境を越えた合併は当時でも困難なことが多く、高座郡北部の9町村(相原村、上溝町、大野村、大沢村、田名村、麻溝村、新磯村、座間町、大和村)が合併の対象となった。

対象地域内では軍都計画地域を中心とする北部(相原・上溝・大沢・田名)と陸軍士官学校を中心とする南部(麻溝・新磯・座間・大和)の間で意見が対立し、特に座間町と大和村では合併反対の意見が強かった。北部5町村と南部4町村による別個の合併も俎上に上ったが、北部の淵野辺地区が軍都計画地域に属する一方で南部の上鶴間地区に士官学校や通信学校、陸軍病院などをかかえる大野村(個別合併案では北部5町村に含まれた)は村が分断されることを恐れて9町村での合併を強く望んだ。軍の強い要請によって座間町は9町村合併の容認に傾いたが、大和村では意見の集約が間に合わず合併から離脱し、大和村を除いた8町村による合併となった。

合併後の新市名として「相武台市」「相武市」「相模市」「相模原市」などがあがった。このうち1937年(昭和12年)に移転してきた陸軍士官学校にちなむ「相武台」は、士官学校移転に際して座間村(当時)が新磯村との合併を持ちかけたときに「座間町」への吸収となることを恐れた新磯村側が提案した呼称でもある(この合併は両村の意見が合わず、座間村が単独で町制を施行した)。「相武台」には陸軍士官学校が昭和天皇から士官学校に下賜された呼称であるとして反対し、最終的に選ばれたのが「相模原市」であった。

市とするにあたっては合併当時の対象地域に市街地がほとんど形成されていないことから内務省の承認が得られず、将来の発展による市制施行を期待しながら、1941年(昭和16年)4月29日に8町村の合併によって高座郡相模原町が発足した。

戦後、軍の圧力がなくなると当初から合併に消極的であった旧座間町では離脱の動きが強まり、1948年(昭和23年)9月1日に旧座間町の区域が分立して座間町が再置された。残りの区域で「昭和の大合併」の最中の1954年(昭和29年)11月20日に市制を施行して相模原市となった。すでに大規模合併を終えていた相模原市では「昭和の大合併」による市域拡張は行われていない。

中核市昇格[編集]

1994年(平成6年)に地方自治法が一部改正されて中核市制度が創設され、翌1995年(平成7年)の施行により中核市の指定が始まったが、相模原市は人口要件(30万人以上)は満たしていても面積要件(100km²)を満たさなかったため、長らく中核市指定を受けられなかった。しかし、2002年(平成14年)の改正で人口50万人以上の市の面積要件が削除されたため、2003年(平成15年)4月1日に中核市に指定された(なお、面積要件は2006年(平成18年)の改正で人口にかかわらず全面的に撤廃された)。

その後、2006年3月20日に津久井町相模湖町を編入し、更に2007年3月11日に城山町藤野町を編入したことにより、横浜市に次ぐ神奈川県2位の面積となった。

平成の大合併[編集]

緑区相模湖総合事務所
(旧相模湖町役場)

2002年10月、津久井郡に属する全4町(城山町津久井町相模湖町藤野町)において住民アンケートが実施され、4町全てで合併に肯定的な結果が出た。城山・津久井両町では相模原市との合併を望む回答が多かったのに対し、相模湖・藤野両町では東京都八王子市との越境合併を望む回答が多かったが、八王子市は両町の打診に対し、合併特例法期限内の越境合併は困難と回答した。

2002年11月、公益社団法人津久井青年会議所が中心となり、住民発議による津久井郡4町による法定合併協議会の設置を求める署名運動を実施し、有権者の50分の1を大きく上回る6418人(4町合計)の署名を集め、2003年1月に各町に請求した。この請求は、県内初となる複数市町村からの同一内容の発議であったが、この法定協議会設置議案を城山・津久井両町議会が否決(相模湖・藤野両町は可決)し、この議決により、津久井郡4町での合併は事実上消滅した。

2003年7月、相模原市と4町が市町村合併に関する研究部会を設置、4町は相模原市に合併協議を申し入れた。

  • なお、津久井地域4町の人口における年齢の比重(若年層が少なく、高齢者が多い)と開発しにくい土地柄から旧相模原市民には合併のメリットは合併特例を利用した政令指定都市移行が可能になる程度でほぼ無に近く、未だに合併に反対を唱える住民がいる。相模原市が2004年11月8日 - 11月17日に、旧市民1万人を対象にして郵送形式で実施した「相模原市と津久井地域の合併に関する市民アンケート」(有効回収率:35.8%)では、合併の是非は、「合併するべきである」15.3%、「合併することもやむをえない」30.5%で、「合併するべきでない」12.3%、「できれば合併するべきでない」18.8%と、合併反対は3割強であった。「どちらともいえない」は17.3%だった。小川勇夫市長は津久井地域との合併を巡り、住民投票を実施せず、このアンケート調査結果をもとに津久井郡4町との合併を推進した。

2003年12月になり、藤野町が任意合併協議会への不参加を表明したことから、4町は合併協議の申入れを撤回したが、翌2004年1月に城山・津久井・相模湖3町が相模原市に合併協議を申入れ、2004年4月に任意協議会の「相模原・津久井地域合併協議会」を設置した。

藤野町を除く3町は相模原市との合併を目指すこととなった。しかし城山町では町長が合併への慎重姿勢を見せたため、津久井・相模湖両町は先行して相模原市との「飛び地合併」を目指すこととなった。相模湖町では2004年11月に行われた5市町での合併の是非を問う住民投票の結果、反対票がわずかに賛成票を上回ったが、町長は合併協議の継続を表明し、2005年2月に3市町で法定協議会の「相模原市・津久井町・相模湖町合併協議会」を設置した。

2005年3月15日に3市町は合併協定書に調印し、各市町議会、神奈川県議会の可決、総務大臣の告示を経て、2006年3月20日に津久井町・相模湖町は相模原市に編入され、「平成の大合併」期における神奈川県内初の市町村合併となった。

一方、藤野町では2004年6月に行われた住民投票の結果、賛成多数となったことから、2004年8月に相模原市に合併協議を申入れ、2005年4月に相模原市と2市町での法定協議会「相模原市・藤野町合併協議会」を設置した。同町議会は合併に慎重姿勢であったが、2005年7月の町長選で合併推進派の町長が誕生したことで合併協議が加速し、合併方式を相模原市への編入、合併期日を2007年3月11日として、2006年1月26日に合併協定書に調印した。その後、両市町議会、神奈川県議会の可決を経て、2006年8月7日の総務大臣告示により合併が法的に確定した。

城山町も住民からの直接請求を受け、2005年4月に津久井町・相模湖町を含む枠組みでの法定協議会「相模原・津久井地域合併協議会」を設置したが、城山町長(当時)は2005年6月に議会答弁で単独町制の継続を表明し、さらに2005年7月の協議会では43対1で合併目標期日が設定された事に反発して協議会副会長職の辞任届を提出し退席した(反対者は城山町長1人で、辞任届は会長預かり)。その結果、協議会は2005年11月に休止へ追い込まれ、相模原市・津久井町・相模湖町の合併に合わせて廃止された。

2005年11月、城山町で合併推進を求める住民による解職請求が行われ、2006年2月19日に行われた住民投票の結果、賛成多数で町長の解職請求が成立、2006年2月26日には合併に関する住民投票で賛成票が多数となり、2006年3月19日の町長選では合併推進派の町長が当選した。2006年3月30日には城山町長より合併協議会設置の申し入れがあり、藤野町との同時合併を目標とする合意書に調印、両市町議会の可決を経て2006年4月12日に相模原市と2市町での法定協議会「相模原市・城山町合併協議会」を設置した。任意協議会での協議結果および他の合併協議会における協議内容を踏まえた上で迅速な議論を進めた。3回にわたる協議で協定内容が全て調ったことから2006年6月7日に合併協定書に調印、両市町議会、神奈川県議会の可決を経て2006年11月2日の総務大臣告示により合併が法的に確定した。 これにより藤野町と城山町は2007年3月11日に相模原市へ編入される事が確定し、紆余曲折を経た津久井郡4町との合併が完結することになった。

2006年11月2日には、相模原市・城山町・藤野町の公共施設等に、新市の地図が描かれたPR看板が設置された。キャッチフレーズは、「新・相模原市誕生 ともに築こう 新たな未来」である。「相模原市・城山町合併協議会」及び「相模原市・藤野町合併協議会」では、新市をPRすることを目的に、エコーはがきを5万枚作製し、相模原市・城山町・藤野町に所在する郵便局で2007年2月1日に発行した。また、日本郵政公社南関東支社では、2007年3月9日 - 6月8日の期間、オリジナルフレーム切手「新・相模原市誕生」を、市内に所在する郵便局で5,000部販売した。さらに、相模原市では、日比野克彦をビジュアルプロデューサーに、『新「相模原市」新宿メガキャンペーン』を2007年3月10日 - 3月25日の16日間、新宿で実施した。新宿は鉄道3線(JR東日本・小田急・京王)で相模原市と都心との結節点であり、同駅は日本一の乗降客数を誇る。キャンペーンの目的は、相模原市の知名度の向上とイメージアップである。

2007年3月11日に城山・藤野両町が相模原市に加わり、合併特例の政令市移行要件とみられる人口70万人を超えた為(法定人口:701,568人)、政令指定都市の候補市になった。 また、小川勇夫市長は政令指定都市を目指すことを表明したものの、2007年3月8日に体調不良を理由とする辞職願が助役の代読により表明され、2007年3月21日、肺炎のため逝去した。

2007年4月22日の選挙で、合併特例法の期限内での政令市移行を目指すことを公約とし、小川から後継指名を受けていた前助役の加山俊夫が市長に選出され、2010年3月までの政令市移行を目指すことになった。

政令指定都市移行へ[編集]

  • 2006年10月23日 「2007年度予算編成方針」について記者会見を行う。
    • 2007年度重点施策に政令指定都市の調査、研究として、政令指定都市に関する調査委託が盛り込まれる。
    • 具体的には、民間のシンクタンクに調査委託するほか、他の政令指定都市を参考にしながら、市の実態、拠点としての都市機能など具体的に研究していく見通し。今後は、研究結果を定期的な会議を通して意見交換するなど、共同で検討していくという。
  • 2006年12月22日 相模原市自治会連合会が、「政令指定都市への移行実現について」の相模原市長への要望及び相模原市議会議長への陳情を行う。
  • 2006年12月22日 「2007年度行政組織について」報道提供を行う。
    • 政令指定都市への移行を視野に入れた局制の導入による庁内分権の推進等。
  • 2007年1月1日 市広報紙及び市Webサイトに掲載された、小川勇夫相模原市長の「年頭のごあいさつ『新市まちづくりスタートの年』」より
    • 「新しい総合計画の策定に向けた取り組みとともに、政令指定都市への移行に向けた検討を進めてまいります。」とのコメントあり。
  • 2007年1月24日 相模原商工会議所が、「政令指定都市の実現について」の相模原市長への要望及び相模原市議会議長への陳情を行う。
  • 2007年1月29日 「2007年度一般会計当初予算案」を発表する。
    • 政令指定都市移行に関する調査費2,635万円を盛り込む。目的は、市の都市形態や機能などを全国の自治体と比較し、自らの長所や課題を探る。調査は、国の外郭団体「地方自治研究機構」に委託し、都市の拠点性や商業施設の集積度、財政力といったデータを集積し、他都市と比較・検証する。
  • 2007年1月30日 相模原市農業協同組合が、相模原市長に対し、政令指定都市の実現に向け取り組むよう要望書を提出する。
  • 2007年1月31日 小川勇夫相模原市長が市議会3月定例会の施政方針演説で、2010年3月末までの政令指定都市移行を目指すと正式に表明する。
    • 「政令市推進課」を2007年4月1日付で新設。
  • 2007年2月15日 相模原市が市議会3月定例会で、政令指定都市への移行には、少なくとも150 - 170人程度の職員増が必要との見通しを明らかにする。
    • 政令指定都市移行に伴い、児童相談所、精神保健福祉センター、国県道維持管理等の機能を県等から引き継ぐため。
  • 2007年2月15日 松沢成文神奈川県知事が県議会2月定例会の所信表明演説で、「相模原市長は去る1月31日に、今回の合併を契機に、平成22年3月までに政令指定都市への移行をめざすことを表明されました。これは、自らの地域のことは自らの意思で決定し、その財源、権限と責任も自らが持つという、地域主権の理念にかなったものであり、県といたしましても、市からの要請に応じて実現に向け協力をしてまいります。」と述べ、政令指定都市移行を支援する方針を表明する。
  • 2007年3月8日 市議会3月定例会の本会議第8日(最終日)、政令指定都市移行に関する陳情(相模原市自治会連合会、相模原商工会議所及び相模原市農業協同組合)が採択される。
  • 2007年4月23日 前日に行われた選挙の結果、故小川勇夫前市長より後継指名を受けていた加山俊夫が市長に当選し、引き続き2010年3月までの政令市移行を目指すことになった。
  • 2007年5月16日 加山俊夫市長が菅義偉総務大臣と面会し、政令指定都市移行に関する理解と指導を求める。
  • 2007年5月22日 加山俊夫市長が松沢成文神奈川県知事に対し、政令指定都市移行への支援を正式に文書で要請する。
  • 2007年5月23日 市役所に政令指定都市推進本部会議を設置し、移行に向けた本格的な取り組みを開始する。
  • 2007年5月31日 加山俊夫市長が政令指定都市移行に向けた取り組みについて記者会見を行う。
    • 政令指定都市ビジョンを2007年度中に策定する。
    • 区制は、2007年度に行政区画、区名、区役所の位置・機能について庁内で検討のうえ、市民意見を反映させる。2008年度に行政区画等審議会から答申を受け、区画・区名を決定し、区役所設置の準備を開始する。
    • 神奈川県からの事務移譲に関する協議は、県市連絡会議を設置し、2008年春の基本協定締結を目指す。
  • 2007年7月26日 政令指定都市移行に関する県からの事務移管について協議を行うため、第1回神奈川県・相模原市政令指定都市移行連絡会議が開催される。
  • 2007年8月8日 産業経済団体をはじめ、教育・文化、保健・医療、福祉、労働など各分野からの民間団体を母体として相模原市政令指定都市推進市民協議会を設立する。
  • 2007年9月25日 相模原市が市議会9月定例会の政令指定都市に関する特別委員会で、行政区の区割り検討試案を明らかにし、3区制2案と、4区制2案の計4案を試案し区役所位置も想定している。
    • 3区制2案
      • 1-1 旧相模原市を南北へ2区に分け、旧津久井地域を1区とした区分け。
      • 1-2 橋本地区を除いた旧相模原市を南北へ2区に分け、旧津久井地域と橋本地区を加えた地区を1区とした区分け。
    • 4区制2案
      • 2-1 旧相模原市の3拠点を中心に3区に分け、旧津久井地域を1区とした区分け。
      • 2-2 橋本地区を除いた旧相模原市の2拠点を中心に2区に分け、橋本地区と旧津久井地域の旧城山町を加えた部分を1区に分け、残りの旧津久井地域(旧津久井町、旧相模湖町、旧藤野町)を1区とした区分け。
    (4区制の場合、旧相模原市の3拠点中心に3区に分ける時は、公共施設が集まる橋本、相模原、相模大野の3拠点を基準に区分けする場合である。)
  • 2007年11月12日 県市連絡会議幹事会議が開催される。
  • 2008年1月28日 - 2月9日 相模原市が「政令指定都市に関する市民説明会」を市内26ヶ所で開催する。
  • 2008年2月4日 第2回県市連絡会議が開催される。
  • 2008年3月25日 第3回県市連絡会議が開催される。
  • 2008年4月1日 - 21日 行政区画等審議会の委員を募集。
  • 2008年5月29日 第4回県市連絡会議が開催される。
  • 2008年5月31日 相模原市行政区画等審議会の初会合が開かれる。(審議会委員は、推薦委員、学識経験者、一般公募市民の計23名)
  • 2008年6月17日 第2回行政区画等審議会が開かれ、区割り案が1-2と2-2に絞られた。
  • 2008年7月1日 第3回行政区画等審議会が開かれ、区割り案1-2(3区制)を採用する事に決定した。
  • 2008年7月15日 第4回行政区画等審議会が開かれ、区割り案1-2(3区制)を採用する答申案の文章を一部修正のうえ答申する事を決めた。
  • 2008年7月18日 行政区画等審議会会長は、区割り案1-2(3区制)の採用を、加山市長へ正式に答申した。
  • 2008年9月2日 政令指定都市移行に係る県協議の状況及び財政収支の見通しについて発表される。
  • 2008年9月10日 第5回県市連絡会議が開催される。
  • 2008年9月19日 行政区画の編成案が決まる(区割り案1-2の3区制)。
    • A区:橋本、大沢、城山町、津久井町、相模湖町、藤野町
    • B区:大野北、田名、上溝、本庁
    • C区:大野中、大野南、麻溝、新磯、相模台、相武台、東林
      • 各区の区域は旧相模原市域は本庁及び出張所の単位
  • 2008年10月15日 区名案の募集を開始(2008年11月14日まで)
  • 2008年11月18日 政令指定都市移行に係る県市の基本協定を締結。
  • 2008年11月25日 第6回行政区画等審議会が開かれ、区名の候補が選定される。
    • A区:北区、西区、緑区、けやき区、みどり区
    • B区:中央区、中区、ひばり区、桜区、さくら区
    • C区:南区、東区、あじさい区、ひばり区、光区
      • 「簡潔さ」「親しみやすさ」などを基準に、委員らが各区五候補を絞り込んだ。
      • 「橋本」「津久井」「大野」など、特定の地名を連想させる区名は候補から外された。
  • 2008年12月15日 相模原市民及び、相模原市内の勤務者・通学者を対象に、各区5候補の区名意向調査を開始。
    (2009年1月14日まで)
  • 2008年12月20日 市議会12月定例会の本会議で、相模原市の政令指定都市の実現に関する意見書を可決する。
  • 2009年1月23日 区名意向調査の結果が明らかになり、最多得票がA区は北区、B区は中央区、C区は南区である。
  • 2009年1月26日 第7回行政区画等審議会が開かれ、A区は緑区、B区は中央区、C区は南区とする答申案をまとめる。
    • A区の名称については、緑区とみどり区の合計数が北区の投票数を上回る事や、区内に水源地(津久井湖、宮ヶ瀬湖など)を有するため水源地としてふさわしい名称として選ばれる
  • 2009年2月4日 行政区画等審議会会長はA区を「緑区」B区を「中央区」C区を「南区」とする答申案を加山市長へ正式に答申した。
  • 2009年2月6日 市議会臨時会で、市民団体が制定を求めていた政令指定都市移行の是非を問う住民投票条例案を否決する。
  • 2009年3月24日 県議会2月定例会の本会議で、相模原市の政令指定都市の指定に関する意見書を可決する。
  • 2009年3月31日 県議会4会派が共同で、相模原市の政令指定都市への移行に慎重な対応を求める要望書を内閣総理大臣と総務大臣に提出する。
  • 2009年4月19日 当日付毎日新聞報道で、A区の名称について「緑区」ではなく「北区」にするよう、A区となる地域の住民からの陳情などが相次ぎ、A区の名称を市庁内で再検討していることが明らかとなった。[3]
  • 2009年5月2日 当日付毎日新聞報道で、相模原市が市民団体「相模原市政令指定都市推進市民協議会」に対して補助金を支出していたことについて住民監査請求をしていた件について、「補助金支出に裁量権の逸脱、乱用があるような事実はうかがえない」として請求を棄却したことが報道された。[4]
  • 2009年6月14日 当日付毎日新聞報道で、A区となる地域住民から出されている「A区を北区とすることについて」の陳情を不採択にし、審議会の答申通り「緑区」とする見通しが明らかとなった。[5]
  • 2009年7月3日 相模原市と総務省との事前協議がまとまったため、松沢成文知事が相模原市の政令指定都市移行実現を求める要望書を佐藤勉総務大臣宛てに提出する。(加山俊夫市長などが同行)
  • 2009年7月14日 政令指定都市推進本部会議で、行政区の名称(区名)を、行政区画等審議会の答申通り(A区は緑区、B区は中央区、C区は南区)とする事や、津久井地域の地域自治区設置期間の変更及び、住所表記について決まった。(旧町名を冠した地域自治区の名称が住所表記から外れることになった。)
  • 2009年7月17日 市民団体が相模原市の政令指定都市の指定見送りを求める署名を総務大臣宛てに提出する。
  • 2009年10月2日 原口一博総務大臣が2010年4月1日より政令指定都市に移行することを市長と県知事に通知。
  • 2009年10月5日 市民団体が総務大臣の「相模原市の政令指定都市移行」指示に対する抗議文書を総務大臣宛てに提出する。
  • 2009年10月23日 鳩山由紀夫内閣がこの日の定例閣議で相模原市を2010年4月1日より政令指定都市に移行させる閣議決定を行った。
  • 2009年10月28日 当日付官報で、指定都市の指定に関する政令の一部を改正する政令(政令第251号)が公布され、政令指定都市への移行が正式に決まった。
  • 2009年12月21日 市議会12月定例会の本会議で、「相模原市区の設置等に関する条例」が可決され、区の名称(緑区・中央区・南区)・区域等が原案とおり決定する。
  • 2010年4月1日 政令指定都市に移行。

人口[編集]

Demography14150.svg
相模原市と全国の年齢別人口分布(2005年) 相模原市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 相模原市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
相模原市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 317,297人
1975年 421,991人
1980年 494,255人
1985年 546,517人
1990年 602,436人
1995年 646,513人
2000年 681,150人
2005年 701,630人
2010年 717,561人
総務省統計局 国勢調査より
  • 平均年齢 41.06歳(男性平均年齢:40.19歳、女性平均年齢:41.96歳)
  • 年少(0 - 14歳)人口比率 13.9%
  • 生産年齢(15 - 64歳)人口比率 70.0%
  • 老年(65歳 -)人口比率 16.0%

※全て2007年1月1日現在

行政区の人口・面積と人口密度
区名 人口
(人)
面積
(km²)
人口密度
(人/km²)
緑区 175,838 253.81 692.79
中央区 269,812 36.82 7,327.87
南区 277,281 38.19 7,260.57
合計 722,931 328.82 2,198.56
推計人口、2014年10月1日)(全国都道府県市区町村別面積調 国土地理院

市政[編集]

市長と市議会については、従来統一地方選挙の後半日程において改選されてきたが、政令指定都市に移行したため、県知事・県議会と同じ前半日程で執り行うことになった。このため、2011年の選挙から、神奈川県知事・県議会・市長・市議会が同日に投開票されるという全国的にも稀な“クヮルテット選挙”となり、市選挙管理委員会は、4つの選挙に関する事務を同時にこなすという難題を背負うことになった。なお、知事・市長が任期半ばで辞職(失職)、あるいは県議会・市議会が任期半ばで解散しない限り、この“クヮルテット選挙”は今後も続くことになる。

歴代首長[編集]

  • 相模原町長(町会議員による選挙)
  • 相模原町長(住民による直接選挙)
    • 小林與次右ヱ門(1947年 -1951年:1期)
    • 清水睦(1951年 - 1954年:1期)
  • 相模原市長(住民による直接選挙)
    • 清水睦(1954年 - 1955年:町長から継続、1期)
    • 小林與次右ヱ門(1955年 - 1959年:1期)
    • 山口茂治(1959年 - 1964年:2期途中で辞任)
    • 河津勝(1965年 - 1977年:3期)
    • 舘盛静光(1977年 - 1997年:5期)
    • 小川勇夫(1997年 - 2007年:3期途中の2007年3月21日逝去)
    • 加山俊夫(2007年 - 現職)

市組織[編集]

  • 7局(総務局・企画市民局・健康福祉局・環境経済局・都市建設局・教育局・消防局)3区(緑区役所・中央区役所・南区役所)24部174課
    • 1977年8月1日から局制を導入したが、行政改革のため1986年4月1日に局制を廃止し、部制に移行した。
    • 2007年4月1日から政令指定都市移行を視野に入れ、再度、局制を導入した。
  • 職員定数:4,590人

市議会[編集]

  • 議員定数:49人
会派名 議席数 代表者
新政クラブ 17 佐藤 賢司
民主・新無所属の会 11 大沢 洋子
公明党相模原市議団 8 米山 定克
日本共産党相模原市議団 4 藤井 克彦
市民連合 3 金子 豊貴男
みんなのクラブ 3 小林 倫明
無所属 3

2012年平成24年)10月1日現在

  • 2007年の統一地方選挙では、旧相模原市と津久井郡4町をそれぞれの選挙区として行われた。
    • 相模原選挙区(旧相模原市):定数46人
    • 津久井選挙区(旧津久井町):定数2人
    • 相模湖選挙区(旧相模湖町):定数1人
    • 藤野選挙区(旧藤野町):定数1人
    • 城山選挙区(旧城山町):定数2人
  • 2010年平成22年)4月1日に政令指定都市へ移行したため、区ごとに選挙区および選挙管理委員会が設けられた。
  • 2011年の統一地方選挙から、市議会全体の定数を現行より3人減の49人に改めることとなり、各区(選挙区)の議員定数が定められた。
    • 緑区選挙区:定数12人
    • 中央区選挙区:定数18人
    • 南区選挙区:定数19人

国政・県政[編集]

国政[編集]

衆議院議員選挙区(括弧内は各まちづくりセンター管内)

  • 神奈川県第14区 緑区東部(本庁・大沢)、中央区(全域)、南区東部(本庁・大野中・東林)
  • 神奈川県第16区 緑区西部(城山・津久井・相模湖・藤野)、南区西部(麻溝・新磯・相模台・相武台)【他では、厚木市・伊勢原市、愛甲郡】
    • 政令指定都市移行前の出張所・総合事務所別による区割りは以下の通り。ただし、区割り自体に変更はない。
      • 第14区 - 本庁管内および橋本出張所・大野北出張所・大野中出張所・大野南出張所・大沢出張所・田名出張所・上溝出張所・東林出張所の管内
      • 第16区 - 麻溝出張所・新磯出張所・相模台出張所・相武台出張所・津久井総合事務所・相模湖総合事務所・城山総合事務所・藤野総合事務所の管内
    • かつての中選挙区制の下では「神奈川県第3区」に属した。1994年公職選挙法改正による小選挙区制導入当初は当時の相模原市全域が単独で「神奈川県第14区」とされたが、2002年の区割り変更により南部の麻溝・新磯・相模台・相武台各出張所管内が「神奈川県第16区」に所属替えとなり、相模原市は2つの小選挙区に分割されることとなった。なお、旧津久井郡4町(現緑区西部)は、1994年当初から「神奈川県第16区」の所属である。

県政[編集]

神奈川県議会選挙区 (任期満了日2015年平成27年)4月29日

  • 緑区選挙区(定数2人)
    • 自民(1)、民主(1)
  • 中央区(定数3人)
    • 自民(1)、公明(1)、民主(1)
  • 南区(定数3人)
    • 自民(1)、民主(1)、みんな(1)

2012年平成24年)11月28日現在

  • かつては、「相模原市選挙区」(定数8)及び、「津久井郡選挙区」(定数1)であったが、2町(津久井町・相模湖町)を編入した2006年平成18年)3月20日に、市町村の合併の特例に関する法律を適用し、「相模原市・津久井郡選挙区」(定数9)となったが、2007年平成19年)3月11日に残る2町(城山町・藤野町)も相模原市へ編入し、津久井郡が消滅した為、再び「相模原市選挙区」(定数9)となる。2010年平成22年)4月1日の政令指定都市移行に伴い、「相模原市選挙区」は区ごと(緑区:2、中央区:3、南区:4)に分割され、現職議員の所属選挙区も定められた。政令指定都市移行後、初めて実施された第17回統一地方選挙では、県議会の定数削減を受けて、南区の定数が4→3となった。

公共機関[編集]

警察[編集]

相模原警察署
相模原北警察署

消防[編集]

国の機関[編集]

医療[編集]

救急指定病院[編集]

  • 神奈川県厚生農業協同組合連合会 相模原協同病院(緑区橋本2-8-18)
  • 医療法人財団明理会 相原病院(緑区相原5-12-5)
  • 医療法人社団哺育会 さがみリハビリテーション病院(中央区下九沢54-2)
  • 医療法人社団仁和会 相模原伊藤病院(中央区相模原4-11-4)
  • 社会福祉法人相模更生会 総合相模更生病院(中央区小山3429)
  • 医療法人社団徳寿会 相模原中央病院(中央区富士見6-4-20)
  • 梨本病院(中央区光が丘1-8-7)
  • 独立行政法人地域医療機能推進機構 相模野病院(中央区淵野辺1-2-30)
  • 医療法人社団相和会 渕野辺総合病院(中央区淵野辺3-2-8)
  • 北里大学病院(南区北里1-15-1)
  • 北里大学東病院(南区麻溝台2-1-1)
  • 国立病院機構相模原病院(南区桜台18-1)
  • 医療法人社団仁恵会 黒河内病院(南区豊町17-36)
  • 東芝健康保険組合 東芝林間病院(南区上鶴間7-9-1)
  • 医療法人社団蒼紫会 森下記念病院(南区東林間4-2-18)
  • 丘整形外科病院(南区新磯野2-7-10)
  • 相模原赤十字病院(緑区中野256)
  • 医療法人社団悠心会 森田病院(緑区三ケ木627)

夜間・休日診療[編集]

相模原救急医療情報センター 042-756-9000(夜間・休日に診療可能な医療機関の案内)

旧相模原市域

  • 相模原メディカルセンター急病診療所(中央区富士見6-1-1 ウェルネスさがみはら1階)
  • 相模原南メディカルセンター急病診療所(南区相模大野4-4-1 グリーンホール相模大野1階)
  • 相模原北メディカルセンター急病診療所(緑区西橋本5-3-21 緑区合同庁舎1階)
  • 休日急患歯科診療所(中央区富士見6-1-1 ウェルネスさがみはら2階)

津久井地域

  • 相模原西メディカルセンター急病診療所(緑区中野1681-1)

※日曜祝日の8時45分から正午、12時45分 - 16時、19時 - 22時

  • 津久井地域在宅当番医(津久井郡医師会)

※月曜日 - 土曜日の19時 - 22時

その他[編集]

旧跡・名所・文化施設・レジャー・その他[編集]

名所・旧跡[編集]

公園[編集]

相模原公園と一体に整備されている相模原麻溝公園の展望台

緑道[編集]

  • 相模緑道緑地
灌漑用水路(畑かん水路)の「東幹線用水路」と「東幹線用水路大野支線」を歩行者と自転車のみ通行可能な遊歩道・緑道として神奈川県が整備(現在の管轄は相模原市)。隣接する大和市大和歩行者専用道から続いており、相模原市内では延長約10.5kmである。[6]
  • さがみの仲よし小道
相模緑道緑地と同様に灌漑用水路「西幹線用水路」を遊歩道・緑道として整備。計画延長約5kmのうち2004年時点で約3.5kmが整備済みである。座間市にもまたがる。名称は一般公募による。[7]

図書館[編集]

  • 市立図書館
    • 市立図書館相武台分館
  • 市立相模大野図書館
  • 市立橋本図書館
  • その他公民館図書室等

博物館・記念館[編集]

ホール[編集]

レジャー[編集]

相模川に5本のワイヤーを渡し約1200匹の鯉のぼりが泳ぐ「およげ鯉のぼり相模川」

祭事・催事[編集]

祭り[編集]

市民桜まつり
  • 的祭 - 1月6日。田名八幡宮で開催される。市の無形民俗文化財に指定されている。
  • 市民桜まつり - 4月上旬(2日間)。市役所さくら通りで開催される。統一地方選が行われる年は5月中旬に若葉まつりとして開催する。
  • 相模の大凧 - 5月(節句)。新磯地区で14.4メートル四方の大凧があげられる。かながわのまつり50選に選定されている。
  • 上溝夏祭り - 7月下旬。かながわのまつり50選に選定されている。
  • さがみ湖湖上祭花火大会 - 8月1日。相模湖湖畔で開催される。打上玉数は5000発である[8]
  • 橋本七夕まつり - 8月上旬。かながわのまつり50選に選定されている。
  • 人形浄瑠璃 - 8月中旬。大石神社で開催される。
  • 藤野の祭り - 8月中旬。かながわのまつり50選に選定されている。
  • 小倉橋灯ろう流し - 8月16日。相模川の小倉橋下の河原で開催される。
  • 納涼花火大会 - 8月最終土曜日。相模川の高田橋付近で開催される。
  • 城山夏祭り - 8月27日、28日。川尻八幡宮周辺で開催される。
  • 相模原よさこいRANBU - 9月中旬。

上記の他に、橋本、相模原などでねぶたカーニバルやあんどん祭りなどが開催されている。

伝統芸能[編集]

下記は、いずれも1976年(昭和51年)10月19日神奈川県の無形民俗文化財に指定されている。

経済[編集]

橋本地区
国の都市再生特別措置法に基づく「都市再生緊急整備地域」の指定地域である。

相模原市の小売店舗数は、県下で第4位。年間販売額は、横須賀市を抜き、横浜市川崎市に次いで第3位。4,300店あまりの小売店が市内各所に活気ある商店街を形成している。「暮らしのニーズに応える高感度商業の振興」をメインテーマに、商店・商店街の活性化、ベンチャー企業の創出、魅力ある商業地づくりなどが目指されている。

市民ニーズに対応できる多様で個性的な商業地を形成する目的で、橋本・相模原・相模大野各駅周辺地区が中心商業地に、淵野辺・上溝・小田急相模原・東林間・古淵各駅周辺の地区が地区中心商業地に位置付けられている。相模大野駅西側、小田急相模原駅東側では現在、再開発が計画されており、一部では事業が始まっている。また、再開発が一段落した橋本駅北側でも、さらに超高層マンションの計画や、南側が緊急都市再生地域に指定されたことによる再開発計画が検討されている。

市内全域に蕎麦屋チェーンである「増田屋」が多く、店舗数は「吉野家」や「マクドナルド」と競る。

市内にある企業規模に比べ、ビジネスホテルの数が少ない事から、遠方より出張に来るサラリーマンはあまりいないものと思われていた。だが、2007年6月に「東横イン」が相模原駅前に、2008年上溝バイパス沿いに「ルートイン」がオープンした。

また、相模原市は人口構成、人口伸び率、立地などの観点から新規出店や新発売商品のマーケティング実施地域として有名で、中でも国道16号線沿線は郊外バイパスのロードサイド商業施設の「激戦区」とされ、全国展開の成否を占ううえでの試金石とされることが多く、様々な商業施設の日本第1号店が市内各地にある(例:BOOK OFF)。

相模大野駅周辺地区の商業は、近くに相模女子大学、北里大学、女子美術大学などがあるため、学生の購買力を期待しがちだが、実のところ購買力はほぼ期待できず、撤退/開店が繰り返されている。これは、町田駅周辺の方が商業化が進んでいるためで、相模大野駅ビルの商業形態が幾度も変更された事でも証明される。

ラーメン店[編集]

かなりの数のラーメン店が点在している(また、ラーメン情報誌等でも、旧相模原市全域に渡りラーメン激戦区とかラーメン王国と記される事がある)。(中央大通りを核にまばらながら味自慢の有名ラーメン店が放射状に分布していて、北は橋本・城山周辺、南は淵野辺周辺、西は田名・愛川町方面にまで伸びている、また相模大野や町田駅周辺にも別のラーメンエリアが存在する)。全国各地の有名店の暖簾分けの店も多く進出しているのも特徴である。

主な商業施設[編集]

伊勢丹相模原店
bono相模大野

金融機関[編集]

産業[編集]

農業[編集]

明治から昭和初期にかけて当市域では養蚕が農家の主要な収入源として盛んに行われた。この時期の地形図では台地上が「桑畑」の記号で埋め尽くされている(ただし、相模原周辺では防風などの目的で畑の周囲に桑を植えることが行われており、このような「畑」を地図上で「桑畑」としていることも多いようである。なお、このように畑の周囲に植えられた桑の木をマワリックワなどと呼ぶ)。相模原市が発足した1954年の市域内の桑園面積は約600ha超、養蚕戸数が約2,500戸で、繭の生産量について神奈川県の3分の1を占めていた。また、畑では麦類や芋類が中心に生産されていた。しかし、都市化の進行とともに養蚕は急速に衰退し、畑での栽培作物も野菜類と花卉類に主力が移っている。

一方で、東京や横浜という大消費地をひかえ、養豚養鶏酪農という畜産業も盛んに行われた。養豚は、相模原台地南部に続く旧高座郡下の他の各町村と共に大正期以降に盛んとなり、昭和初期にイギリスから導入された「中ヨークシャー種」の豚は高座豚の名で広く知られた。養鶏が特に盛んになったのは1960年代以降である。麻溝台には規模の大きな鶏舎が建てられ、1980年の市内の鶏卵生産額は31億円余りに達した。また1960年代には乳牛の飼育頭数が増え、乳業メーカーへの牛乳出荷が盛んになった。しかし都市化が進行するとともに悪臭の発生などによって経営が困難となり、いずれも衰退している。

市発足以前の1950年当時の農家戸数は総世帯数の約40%を占める約5,500戸で、うち約3,000戸が専業農家であった。しかし都市化の進行とともに農家数は減少を続け、2000年には1,600戸に満たず(総世帯数の1%にも満たない)、専業農家はわずかに155戸となっている。1954年に4,500haを超えた経営耕地面積は、2000年には700ha未満にまで減少している。

現在、旧相模原市域で農業が盛んに行われているのは西部の大沢・田名・麻溝・新磯地区であり、それ以外の区域では住宅や工場の進出が著しい。

工業[編集]

平らな土地が広がっているので、戦後は工場の進出が進み、内陸工業都市として発展を続けている。1955年に「工場誘致条例」が制定され、工場誘致が進められ、それまでの養蚕、製糸などの手工業から、電気機械、金属製品といった組立加工型工業が多く見られるようになった。内陸工業都市として知られる相模原市も、昨今では、産業構造転換のあおりを受け、大型工場などの多くが廃業を余儀なくされ、大型マンションや商業地として生まれ変わりつつある。

特産品は、電子部品、特殊車両

市内の主な企業[編集]

※米国シュルンベルジェ社100%出資日本法人、アジア地域開発・生産拠点

以前拠点を置いていた企業[編集]

教育[編集]

大学[編集]

短期大学[編集]

高等学校[編集]

相模原市では、学校教育法に規定する高等学校、中等教育学校後期課程、高等専門学校及び専修学校高等課程に在学する者を対象に、「相模原市奨学金条例」に基づく奨学金制度がある。なお、奨学金には返還義務がある。

県立
私立

中等教育学校[編集]

県立【1校】
私立【2校】

幼稚園・小学校・中学校[編集]

幼稚園・小学校・中学校については各区の記事を参照されたい。

インターナショナルスクール[編集]

小中一貫校[編集]

認定こども園[編集]

幼稚園型認定こども園
  • 認定こども園田名幼稚園
  • 認定こども園ひばりっ子クラブ

特別支援学校[編集]

公立(神奈川県立)

学校教育以外の施設[編集]

自動車教習所
公立保育所(相模原市立)
  • 麻溝台保育園
  • 田名保育園
  • 南大野保育園
  • 相模原保育園
  • 東林保育園
  • 大沼保育園
  • 南上溝保育園
  • 陽光台保育園
  • 谷口保育園
  • 大沢保育園
  • 上矢部保育園
  • 相原保育園
  • 文京保育園
  • 古淵保育園
  • 麻溝保育園
  • 新磯保育園
  • 相武台保育園
  • 中野保育園
  • 津久井中央保育園
  • 串川保育園
  • 串川東部保育園
  • 青野原保育園
  • 青根児童保育園
  • 鳥屋児童保育園
  • 与瀬保育園
  • 内郷保育園
  • 千木良保育園
  • 城山中央保育園
  • 城山西部保育園
  • 日連保育園


軍事施設[編集]

戦前、軍都計画のもと、軍施設が多数設置され、道路が整備された。敗戦により計画は中止されたが、軍施設は米軍に接収され、現在も相模総合補給廠キャンプ座間上鶴間米軍相模原住宅地区 (Sagami Housing Area) が残っている。

市南部にはかつて陸軍士官学校があり、昭和天皇の行幸を仰いだ事がある。「相武台」はその際、昭和天皇によって命名された地名である。

また、横浜線原町田駅(現:町田駅)と士官学校の間に整備された道路は現在も「行幸道路」と呼ばれている。

日米合意に基づき、2013年3月26日付をもって陸上自衛隊の機動運用部隊である中央即応集団司令部が朝霞駐屯地より移駐、「座間駐屯地」が開庁する。

終戦時の軍事施設[編集]

施設名 開設年 戦後の利用
陸軍士官学校 1937年 米軍キャンプ座間
陸軍士官学校相武台演習場   麻溝台・新磯野入植地 →北里大学、麻溝台工業団地、県公社相武台団地、ほか
米軍座間小銃射撃場(1969年返還) →県立相模原公園
臨時東京第三陸軍病院 1938年 国立相模原病院(現国立病院機構相模原病院
相模原陸軍造兵廠 1938年 米軍相模総合補給廠
陸軍技術研究所  
相模原集団住宅
(造兵廠工員住宅)
  星が丘住宅地
陸軍兵器学校 1938年 麻布大学、市立大野北中学校、防衛庁技術研究本部、ほか
電信第一聯隊 1939年 米軍相模原住宅地区
陸軍通信学校 1939年 相模女子大学相模原市立大野南中学校、県立相模台工業高校(現県立総合産業高校)
相模原陸軍病院 1940年 米陸軍医療センター(1981年返還)
グリーンホール相模大野、市営駐車場・駐輪場、相模大野中央公園、外務省研修所、国家公務員相模大野住宅、県立相模大野高校、住宅団地(ロビーシティ相模大野五番街)、伊勢丹相模原店
陸軍機甲整備学校 1943年 米軍キャンプ淵野辺(1974年返還)
淵野辺公園宇宙科学研究所、県立弥栄高校、相模原市立博物館、東京国立近代美術館フィルムセンター相模原分館ほか
  • 相模原陸軍病院は、当初「陸軍原町田衛戍病院」という呼称であった。
  • 星が丘という地名は陸軍徽章の星に由来するとされている。

交通[編集]

鉄道[編集]

JR横浜線が通る相模原駅は相模原市役所の最寄駅である。
東日本旅客鉄道(JR東日本)
京王電鉄(京王)
小田急電鉄(小田急)

主要部へのアクセス[編集]

日中の東京・横浜方面への所要時間は以下のとおりである。なお、朝夕の通勤時間帯には5〜25分程度所要時間が余計にかかる場合もある。なお、ここでは中心市街地と認定されている地区の駅である橋本駅と相模大野駅を取り上げる。

橋本駅[編集]
相模大野駅[編集]
  • 東京方面
    • 相模大野 - 新宿(小田急線快速急行で約35分)
    • 相模大野 - 下北沢乗換 - 渋谷(小田急線快速急行+京王井の頭線急行で約35分 ※乗換時間を含む)
    • 相模大野 - 新宿乗換- 東京(小田急線快速急行+JR中央線快速電車で約60分 ※乗換時間を含む)
  • 横浜方面
    • 相模大野 - 町田乗換 - 新横浜(JR横浜線快速で約35分 ※乗換時間を含む)
    • 相模大野 - 大和乗換 - 横浜(小田急江ノ島線線快速急行+相鉄線急行で約30分 ※乗換時間を含む)

鉄道の計画[編集]

  • 東海旅客鉄道
    • リニア中央新幹線品川名古屋間が2027年に開業予定。2013年9月に詳細なルートが公表された。神奈川県内の駅が橋本駅の南側、神奈川県立相原高等学校の敷地内[9]に、車両基地が緑区鳥屋に設置される。相模原市内は車両基地付近、相模川(小倉橋)付近、道志川(緑区青山)付近を除いて全線地下で敷設されるが、深度40メートル以内のため、「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法」は適用されない。リニア新駅設置と連動して東海道新幹線新駅を倉見駅に誘致する計画が神奈川県主導で行われている。なお、相模原駅周辺の二つの地区自治会連合会から米軍補給廠跡地を活用した相模原駅への誘致を求める要望書が提出されていたが、米軍補給廠は全面返還されるわけではないため非現実的であり[10]、相模原駅案は立ち消えとなっている[11]
  • 小田急電鉄
  • 東日本旅客鉄道
    • 相模線で、上溝駅南橋本駅との間に作ノ口駅相武台下駅下溝駅との間に上磯部駅の設置が検討されている。また、全線にわたる複線化と編成車両数の増強への要望があるが、橋本駅付近の立体交差(ふれあい立体)や上溝駅新駅舎は複線化を考慮しない構造で設計されるなど実現の目途は立っていない。
  • 相模原新交通(仮称)
    • 相模原市が主体となって、相模大野駅を基点とし、麻溝台を経由し、原当麻駅に至る新交通システムの導入が検討されている[12]。当初はバス・ラピッド・トランジット(BRT)の導入を検討していたが、沿線住民の反対意見が多く撤回した。
    • 上記の経緯を踏まえて相模原市は「新しい交通システム導入検討委員会」を新たに設置し、交通形態の選定について引き続き協議している。

計画が中止になった鉄道路線[編集]

  • 南津電気鉄道
    • 1924年南多摩郡多摩村関戸(現在の聖蹟桜ヶ丘駅)から絹の道鑓水地区を経由して津久井郡川尻村(旧・城山町)までを結ぶ南津電気鉄道(南津は「南多摩郡」の「南」と「津久井郡」の「津」の意)の敷設も計画された。東京都八王子市の『絹の道資料館』近くには「鑓水停車場」と書かれた石碑が建っている。
  • 相武電気鉄道
    • 1927年、相武電気鉄道が設立され、鶴川駅から淵野辺駅・上溝駅を経由して、田名方面まで鉄道を建設する免許を取得し、(神奈川県道・東京都道57号相模原大蔵町線とほぼ並行している)第1期線である淵野辺 - 田名間で工事に着工したが、恐慌による資金難によって断念し、解散を余儀なくされてしまった。
  • 西武多摩川線
    • 1960年代に、西武多摩川線は、多摩ニュータウンへのアクセス路線として是政から多摩川を渡り、多摩ニュータウンを経て橋本まで延長する計画があったが、都心との連絡に当時輸送力が逼迫した中央線を経由する必要があったため、この計画は中止となった。
  • 小田急多摩線城山中央延伸計画
    • 小田急多摩線は、当初多摩センターから京王線の北側を通り、橋本で国鉄と直交し、旧・城山町の城山中央駅(仮称)まで延伸する計画で、1966年に免許を取得したが、京王線と平行し、採算が取れない可能性が非常に高かったため、1987年に免許を失効させた。
  • 京王相模原線相模中野延伸計画
    • 京王相模原線は、橋本駅より旧・津久井郡方面の相模中野(緑区中野、計画当時は津久井町)周辺まで延伸する計画があり、小田急と同じく1966年に免許を取得し用地買収も進めていたが、建設を断念、1988年に免許を失効させた。なお、相模原市のウェブサイトには、合併後のマスタープランにこの計画に関する記事が掲載されていたが、その後削除されている(新市まちづくり計画 (PDF) )。また、神奈川県鉄道輸送力増強促進会議の要望書に対して、京王電鉄は上下分離方式での延伸に含みを残すものの「単独での建設は極めて困難」と回答しており、橋本駅開業時に京王帝都電鉄(当時)と共に用地買収を行った不動産業者も京王線橋本駅の延長線上に自社ビルを建てたり、京王も国道413号線沿いに路線用地として確保していた土地の大半を売却したため、京王電鉄単独での延伸計画は中止となった。代替として津久井広域道路を活用した急行バスを橋本駅から運行させる案が浮上している。

道路[編集]

建設中および計画中[編集]

津久井広域道路

旧相模原市域と旧津久井郡4町を結ぶ道路で、国道412および413号線のバイパス機能も担う。現在、圏央道(さがみ縦貫道路)のアクセス工区として新小倉橋 - 根小屋(県道65号線との交点)間の建設が進められており、橋本五差路 - 新小倉橋間と勝瀬橋付近(旧勝瀬橋の架け替えに伴う)ではすでに部分供用されている。ルートは国道16号線橋本五差路から新小倉橋を通り、圏央道(さがみ縦貫道路)相模原ICにアクセスし、国道412号線、国道413号線と交差し、勝瀬橋を通って中央道相模湖IC付近に接続する予定となっている。しかし、都市計画道路城山津久井線を延長する形で区間に組み入れられた根小屋(県道65号線との交点) - 青山(国道412号線との交点)以西は都市計画決定されていない。

路線バス[編集]

市内のほぼ全域を神奈川中央交通(神奈中)および、神奈中の子会社である相模神奈交バス津久井神奈交バスがカバーしているが、橋本駅北口およびJR相模原駅北口に京王バス南が、藤野駅および上野原駅山梨県上野原市)から富士急山梨バスが、どちらも僅かながら乗り入れている。公営交通(市営バス)の運行実績は旧津久井町からの引継ぎである市営循環バス(根小屋方面循環線「やまびこ号」。津久井神奈交バスが受託運行)以外なく、今後も市の方針として新規の開設予定はない。なお、コミュニティバスは橋本地区で「せせらぎ号」(橋30系統 橋本駅南口‐北の丘センター‐相模川自然の村)が相模神奈交バスの受託により運行されている。

市内路線の乗車方式は武相運賃地域の対キロ制で、周辺地域と同様にほとんどが運賃後払い・整理券方式の後乗り前降りまたは前乗り前降りがとなる。一部に前払い(前乗り後降り)があるほか、運賃区間が均一1区間のみの路線では中乗り前降り(後払い)の場合がある。また、非接触型ICカードであるPASMOSuicaが使用できる。

旧市内バス路線の多くは橋本駅、JR相模原駅淵野辺駅上溝駅(上溝)、相模大野駅小田急相模原駅相武台前駅座間市に所属)をターミナルとし、それぞれの駅相互間や市内中部域や田名地域などへ路線を運行して鉄道の空白を補完している。また、北里大学も各駅発着路線の結節点の機能を持つ。以前は旧上溝(現:上溝中央バス停)や国立相模原病院にもターミナル機能があったが、バス路線の再編によってターミナルとしての役割は大幅に低下した。一方で、橋本駅、JR相模原駅、淵野辺駅、古淵駅などからは東京都町田市中部および西部や八王子市南部付近をエリアとする路線も発着しているほか、境川沿いを中心とした町田市との境界付近では、町田街道を走行する町田 - 橋本駅・淵野辺駅などの町田駅発着路線や橋本駅 - 相原 - 法政大学・大戸などの路線も利用される。

市外への長距離路線としては、淵野辺駅から上溝・田名を経て愛川町の半原へ向かう路線や、橋本駅より八王子駅、本数は少ないものの相模原駅から南大沢駅を抜け聖蹟桜ヶ丘駅多摩市)へ抜ける路線などが運行されている。以前はJR相模原駅および上溝、原当麻駅、相模大野などから本厚木駅(座間経由および依知経由)や愛川町役場へ向かう路線も運行されていたが、数次の路線再編によって座間経由本厚木線や愛川町役場線は廃止、依知経由本厚木線は短縮されて原当麻駅からの発着となっている。

緑区の旧津久井郡地域では、橋本駅より旧城山町・津久井町への路線を数多く運行しているほか、緑区三ケ木(みかげ)に置かれた営業所(津久井営業所(三ヶ木操車所))をターミナルとして、相模湖駅、愛川町半原、清川村宮ヶ瀬などを結ぶ路線を運行している。また、旧藤野町域では藤野駅からの路線が主体となる。かつては三ヶ木から八王子駅本厚木駅平塚駅などへの長距離路線が運行されていた。

  • 1999年、不採算路線維持のために津久井神奈交バスが設立され、主に三ヶ木以西の路線が移管された。2002年以降、津久井営業所管内で数次にわたる路線の再編・廃止が進み、2004年9月には大幅な路線再編が行われた。2005年4月に神奈川中央交通は津久井営業所を相模原営業所およびに統合、および津久井神奈交バスに全面受託し三ヶ木操車場・城山操車所に再編している。

姉妹・提携都市[編集]

日本国内[編集]

日本国外[編集]

メディア[編集]

コミュニティFM

送信所は相模原市中央区星が丘1-10-1。 相模原市のコミュニティーFMであるが、町田市を始め周辺各都市でも受信可能。

ケーブルテレビ

日本最大のケーブルテレビ局である同社が、合併前の旧相模原市全域と城山町の一部をサービスエリアとしていたが、現在は相模原市全域にサービスエリアを拡大した。

新聞
  • 相模経済新聞
    カバーエリアは相模原市(旧津久井町、相模湖町、城山町、藤野町を含む)、大和市の100万人地域。

スポーツチーム[編集]

相模原市出身の人物[編集]

相模原を舞台とする作品[編集]

  • デパート!夏物語デパート!秋物語夏!デパート物語 - いずれも南区相模大野の伊勢丹相模原店が舞台。
  • 万引きGメン・二階堂雪 - 中央区内にあるアイワールド相模原店が舞台。
  • 三太物語 - 緑区青山が舞台。
  • ただいま満室 - 中央区内のホテル アイリーン・ドナンが舞台。
  • School DaysSummer Days - 主人公の住む原巳浜(はらみはま)は相模原がモデル。作中にも相模原という地名が度々見受けられる。
  • 生徒会役員共 - アニメにおいて、主人公の通う私立桜才学園は相模大野周辺として描写されており、相模大野駅が「桜才学園前駅」として登場する。
  • 向井荒太の動物日記 〜愛犬ロシナンテの災難〜 - 主人公が通う大学は中央区内の麻布大学。
  • オーバーレブ! - 横山峠のモデルが大垂水峠である。また、主人公の通っていた高校が橋本高校であったりと、作中には市内の描写を多数見ることができる。
  • 明日のよいち! - 作品の舞台である浅模川市(あさみがわし)のモデルは相模原市であり、JR相模原駅や市内各地の風景がほぼそのまま使用されている。
  • 未来日記 (漫画) - アニメにおいて、舞台の神奈川県桜見市(さくらみし)のモデルとして相模原市内の各所が描写されており、桜見駅はJR相模原駅がそのまま描かれている。
  • リミット (漫画) - 相模原市内にある県立陽乃高校の学校行事である交流キャンプへと向かう途中、バスが崖下への転落事故を起こすところからストーリーが始まる。また、陽乃高校として中央区内の共和中学校が舞台として使われている。

相模原市内が舞台ではないがロケを行った作品[編集]

町名・字名等[編集]

本庁・管轄出張所名等の後に続く町名・字名は市役所・管轄出張所等の庁舎の所在地を示す
末尾の*は後述の厚木MAエリアを示す
末尾の墨付括弧内に注意書きのある町名・字名は複数の出張所の管内にまたがる町名・字名であることを示す

町名・字名及び郵便番号[編集]

緑区[編集]

  • 緑区役所管内…区役所:橋本6丁目2-1
  • (〒252-0141)相原[あいはら]1 - 6丁目
  • (〒252-0141)大字相原[あいはら]
  • (〒252-0146)大山町[おおやまちょう]
  • (〒252-0134)大字下九沢[しもくざわ] 【一部】
  • (〒252-0131)西橋本[にしはしもと]1 - 5丁目
  • (〒252-0137)二本松[にほんまつ]1 - 4丁目
  • (〒252-0143)橋本[はしもと]1 - 8丁目
  • (〒252-0132)橋本台[はしもとだい]1 - 4丁目
  • (〒252-0144)東橋本[ひがしはしもと]1 - 4丁目
  • (〒252-0142)元橋本町[もとはしもとちょう]


  • 大沢まちづくりセンター管内…まちづくりセンター:大島1776-5
  • (〒252-0135)大字大島[おおしま]
  • (〒252-0136)大字上九沢[かみくざわ]
  • (〒252-0134)大字下九沢[しもくざわ] 【大部分】
  • (〒252-0124)大字田名[たな] 【一部】


城山地区(旧津久井郡城山町,2007年3月11日編入)…城山総合事務所:久保沢1丁目3-1

  • 城山まちづくりセンター管内
  • (〒252-0115)小倉[おぐら]
  • (〒252-0111)川尻[かわしり]
  • (〒252-0105)久保沢[くぼさわ]1 - 3丁目
  • (〒252-0116)城山[しろやま]1 - 4丁目
  • (〒252-0113)谷ケ原[たにがはら]1 - 2丁目
  • (〒252-0117)中沢[なかざわ]
  • (〒252-0114)葉山島[はやまじま]
  • (〒252-0102)原宿[はらじゅく]1 - 5丁目
  • (〒252-0103)原宿南[はらじゅくみなみ]1 - 3丁目
  • (〒252-0106)広田[ひろた]
  • (〒252-0101)町屋[まちや]1 - 4丁目
  • (〒252-0104)向原[むかいはら]1 - 3丁目
  • (〒252-0112)若葉台[わかばだい]1 - 7丁目


津久井地区(旧津久井郡津久井町,2006年3月20日編入)…津久井総合事務所:中野633

  • 津久井まちづくりセンター管内  (当センターの下部組織である串川・鳥屋・青野原・青根の各出張所を束ねる役目も兼ねる。)
  • (〒252-0152)太井[おおい]
  • (〒252-0157)中野[なかの]
  • (〒252-0158)又野[またの]
  • (〒252-0151)三井[みい]
  • (〒252-0159)三ケ木[みかげ]


  • 串川出張所管内…出張所:青山1012
  • (〒252-0156)青山[あおやま]
  • (〒252-0154)長竹[ながたけ]
  • (〒252-0153)根小屋[ねごや]


  • 鳥屋出張所管内…出張所:鳥屋1064
  • (〒252-0155)鳥屋[とや]
  • 青野原出張所管内…出張所:青野原1619
  • (〒252-0161)青野原[あおのはら]
  • 青根出張所管内…出張所:青根1331
  • (〒252-0162)青根[あおね]

相模湖地区(旧津久井郡相模湖町,2006年3月20日編入)…相模湖総合事務所:与瀬896

  • 相模湖まちづくりセンター管内
  • (〒252-0173)小原[おばら]
  • (〒252-0176)寸沢嵐[すわらし]
  • (〒252-0188)寸沢嵐新戸[すわらししんと]
  • (〒252-0174)千木良[ちぎら]
  • (〒252-0171)与瀬[よせ]
  • (〒252-0172)与瀬本町[よせほんちょう]
  • (〒252-0175)若柳[わかやなぎ]


藤野地区(旧津久井郡藤野町,2007年3月11日編入)…藤野総合事務所:小渕2000

  • 藤野まちづくりセンター管内
  • (〒252-0184)小渕[おぶち]
  • (〒252-0181)佐野川[さのがわ]
  • (〒252-0182)澤井[さわい]
  • (〒252-0187)名倉[なぐら]
  • (〒252-0185)日連[ひづれ]
  • (〒252-0186)牧野[まぎの]
  • (〒252-0183)吉野[よしの]


中央区[編集]

  • 中央区役所管内…区役所:中央2丁目11-15
  • (〒252-0235)相生[あいおい]1 - 4丁目
  • (〒252-0224)青葉[あおば]1 - 3丁目
  • (〒252-0205)小山[おやま]1 - 4丁目
  • (〒252-0205)大字小山[おやま]
  • (〒252-0214)向陽町[こうようちょう]
  • (〒252-0217)小町通[こまちどおり]1 - 2丁目
  • (〒252-0231)相模原[さがみはら]1 - 8丁目
  • (〒252-0254)大字下九沢[しもくざわ] 【一部】
  • (〒252-0213)すすきの町[すすきのちょう]
  • (〒252-0216)清新[せいしん]1 - 8丁目
  • (〒252-0221)高根[たかね]2 - 3丁目
  • (〒252-0239)中央[ちゅうおう]1 - 6丁目
  • (〒252-0237)千代田[ちよだ]1 - 7丁目
  • (〒252-0228)並木[なみき]1 - 4丁目
  • (〒252-0027)光が丘[ひかりがおか]1 - 3丁目
  • (〒252-0215)氷川町[ひかわちょう]
  • (〒252-0236)富士見[ふじみ]1 - 6丁目
  • (〒252-0238)星が丘[ほしがおか]1 - 4丁目
  • (〒252-0223)松が丘[まつがおか]1 - 2丁目
  • (〒252-0225)緑が丘[みどりがおか]1 - 2丁目
  • (〒252-0253)南橋本[みなみはしもと]1 - 4丁目
  • (〒252-0212)宮下[みやしも]1 - 3丁目
  • (〒252-0211)宮下本町[みやしもほんちょう]1 - 3丁目
  • (〒252-0229)弥栄[やえい]1 - 3丁目
  • (〒252-0232)矢部[やべ]1 - 4丁目
  • (〒252-0226)陽光台[ようこうだい]1 - 7丁目
  • (〒252-0242)横山[よこやま]1 - 6丁目【大部分】
  • (〒252-0241)横山台[よこやまだい]1 - 2丁目


  • 大野北まちづくりセンター管内…まちづくりセンター:鹿沼台1丁目10-20
  • (〒252-0251)大野台[おおのだい]3丁目 【一部】
  • (〒252-0233)鹿沼台[かぬまだい]1 - 2丁目
  • (〒252-0201)上矢部[かみやべ]1 - 5丁目
  • (〒252-0201)大字上矢部[かみやべ]
  • (〒252-0234)共和[きょうわ]1 - 4丁目
  • (〒252-0221)高根[たかね]1丁目
  • (〒252-0203)東淵野辺[ひがしふちのべ]1 - 5丁目
  • (〒252-0206)淵野辺[ふちのべ]1 - 5丁目
  • (〒252-0202)淵野辺本町[ふちのべほんちょう]1 - 5丁目
  • (〒252-0207)矢部新町[やべしんちょう]
  • (〒252-0208)大字矢部新田[やべしんでん]
  • (〒252-0222)由野台[よしのだい]1 - 2丁目


  • 上溝まちづくりセンター管内…まちづくりセンター:上溝7丁目7-17
  • (〒252-0243)上溝[かみみぞ]1 - 7丁目
  • (〒252-0243)大字上溝[かみみぞ] 【大部分】
  • (〒252-0244)大字田名[たな] 【一部】
  • (〒252-0242)横山[よこやま]5丁目 【一部】


  • 田名まちづくりセンター管内…まちづくりセンター:田名4834
  • (〒252-0243)大字上溝[かみみぞ] 【一部】
  • (〒252-0246)水郷田名[すいごうたな]1 - 4丁目
  • (〒252-0244)大字田名[たな] 【大部分】
  • (〒252-0245)田名塩田[たなしおだ]1 - 4丁目


南区[編集]

  • 南区役所管内…区役所:相模大野5丁目31-1
  • (〒252-0304)旭町[あさひちょう]
  • (〒252-0301)鵜野森[うのもり]3丁目 【一部】
  • (〒252-0302)上鶴間[かみつるま]1 - 3丁目・6丁目 【一部】
  • (〒252-0318)上鶴間本町[かみつるまほんちょう]1 - 9丁目
  • (〒252-0306)栄町[さかえちょう]
  • (〒252-0303)相模大野[さがみおおの]1 - 9丁目
  • (〒252-0307)文京[ぶんきょう]1 - 2丁目
  • (〒252-0317)御園[みその]1 - 3丁目
  • (〒252-0305)豊町[ゆたかちょう]
  • (〒252-0334)若松[わかまつ]2・3・5丁目 【一部】


  • 大野中まちづくりセンター管内…出張所:古淵3丁目21-1
  • (〒252-0301)鵜野森[うのもり]1 - 3丁目 【大部分】
  • (〒252-0331)大野台[おおのだい]1 - 8丁目 【大部分】
  • (〒252-0344)古淵[こぶち]1 - 6丁目
  • (〒252-0332)西大沼[にしおおぬま]1 - 5丁目
  • (〒252-0333)東大沼[ひがしおおぬま]1 - 4丁目
  • (〒252-0334)若松[わかまつ]1 - 6丁目 【大部分】


  • 麻溝まちづくりセンター管内…出張所:当麻1324-2
  • (〒252-0328)麻溝台[あさみぞだい]1・7丁目 【一部】
  • (〒252-0328)大字麻溝台[あさみぞだい] 【大部分】
  • (〒252-0329)北里[きたざと]1丁目
  • (〒252-0335)大字下溝[しもみぞ]
  • (〒252-0336)大字当麻[たいま]


  • 新磯まちづくりセンター管内…出張所:磯部916-3
  • (〒252-0325)新磯野[あらいその]2・5丁目 【一部】*
  • (〒252-0325)大字新磯野[あらいその] 【大部分】*
  • (〒252-0327)大字磯部[いそべ]*
  • (〒252-0326)大字新戸[しんど]


  • 相模台まちづくりセンター管内…出張所:相模台1丁目13-5
  • (〒252-0328)麻溝台[あさみぞだい]1 - 8丁目 【大部分】
  • (〒252-0328)大字麻溝台[あさみぞだい] 【一部】
  • (〒252-0325)新磯野[あらいその]2丁目 【一部】*
  • (〒252-0325)大字新磯野[あらいその] 【一部】*
  • (〒252-0302)大字上鶴間[かみつるま]
  • (〒252-0329)北里[きたざと]2丁目
  • (〒252-0321)相模台[さがみだい]1 - 7丁目 *
  • (〒252-0322)相模台団地[さがみだいだんち]
  • (〒252-0315)桜台[さくらだい]
  • (〒252-0316)双葉[ふたば]1 - 2丁目
  • (〒252-0317)御園[みその]4 - 5丁目
  • (〒252-0314)南台[みなみだい]1 - 6丁目


  • 相武台まちづくりセンター管内…出張所:新磯野3丁目29-13
  • (〒252-0325)新磯野[あらいその]1 - 5丁目 【大部分】*
  • (〒252-0324)相武台[そうぶだい]1 - 3丁目 *
  • (〒252-0323)相武台団地[そうぶだいだんち]1 - 2丁目 *


  • 東林まちづくりセンター管内…出張所:相南1丁目10-10
  • (〒252-0302)上鶴間[かみつるま]4 - 8丁目 【大部分】
  • (〒252-0312)相南[そうなん]1 - 4丁目
  • (〒252-0311)東林間[ひがしりんかん]1 - 8丁目
  • (〒252-0313)松が枝町[まつがえちょう]


郵便番号[編集]

  • 政令指定都市移行に伴い、2010年平成22年)4月1日より相模原市内全域と座間市において郵便番号が変更となった。
    • 252-00xx 座間市       (例)座間市緑ヶ丘  変更前:228-0021 → 現行: 252-0021
    • 252-01xx 相模原市緑区   (例)緑区橋本     変更前:229-1103 → 現行: 252-0143
    • 252-02xx 相模原市中央区 (例)中央区中央    変更前:229-0039 → 現行: 252-0239
    • 252-03xx 相模原市南区   (例)南区相模大野  変更前:228-0803 → 現行: 252-0303

電話番号の市外局番及びMA[編集]

  • 相模原MA 042(042-700〜716、718〜730、732〜780、782〜799、810〜816、818〜819、850〜869)相模原市の大半
  • 八王子MA 042(042-680、682〜689)相模湖町・藤野町地域自治区
  • 厚木MA 046(046-251〜259、266、298)相模原地区南部の一部(町名等のリストで末尾に*を付けた地域)
相模原MAの地域から厚木MAの地域への通話は県内市外通話
相模原MA・厚木MAの地域から八王子MAの地域への通話は県間通話
なお、相模原MAには東京都町田市も含まれる(三輪町及び三輪緑山を除く)ことから、相模原市の大半のエリアから町田市の大半のエリアへの通話は市内通話となる
天気予報は042-78-177となる
郵便番号・電話ともに一部例外有り
  • 大月MA 0554 藤野町小渕地区のごく一部であるが、該当する建物の住所が、山梨県上野原市にあると示している場合がある

住所表記の変遷 (2006年以降)[編集]

地域 -2006年3月19日 2006年3月20日-
2007年3月10日
2007年3月11日-
2010年3月31日
2010年4月1日-
現在
旧津久井町域 津久井郡津久井町○○ 相模原市津久井町○○ 相模原市緑区○○
旧相模湖町域 津久井郡相模湖町○○ 相模原市相模湖町○○
旧藤野町域 津久井郡藤野町○○ 相模原市藤野町○○
旧城山町域 津久井郡城山町○○ 相模原市城山町○○
旧相模原市域 (北西部) 相模原市○○
(中心部) 相模原市中央区○○
(南東部) 相模原市南区○○

その他[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]


外部リンク[編集]