手塚仁雄
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てづか よしお
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| 生年月日 | 1966年9月14日(45歳) |
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| 出身校 | 早稲田大学第一文学部 |
| 所属政党 | (日本新党→) (無所属→) (旧民主党→) 民主党 |
| 公式サイト | 手塚よしおオフィシャルサイト |
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| 内閣 | 野田内閣 |
| 任期 | 2011年9月5日 - 現職 |
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| 選挙区 | 東京5区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 2000年6月25日 - 2005年8月8日 2009年8月30日 - 現職 |
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| 選挙区 | 目黒区選挙区 |
| 任期 | 1993年 - 1996年 |
手塚 仁雄(てづか よしお、1966年9月14日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(3期)。内閣総理大臣補佐官(政治主導による政策運営及び国会対策担当)。元東京都議会議員(1期)。
父は音楽評論家のいソノてルヲ(本名:磯野晃雄 1930年7月28日 - 1999年4月21日)。手塚姓は、後に養子縁組を行った母方の祖父によるもの。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 略歴
東京都目黒区出身。早稲田大学本庄高等学院、早稲田大学第一文学部卒業。
1987年、神奈川県議会議員選挙で松沢成文をボランティア支援し、これが縁で後に松沢は手塚の結婚式で媒酌人を務めている。早大では雄弁会に加わり、同会の副幹事長を務めた。
大学卒業後、細川護煕が結党した日本新党に入党。1993年の東京都議会議員選挙に目黒区選挙区から出馬し、当時最年少で初当選を果たした。日本新党は1994年に解党したが、新進党には参加せず、1996年の旧民主党結党に参加した。
1996年、第41回衆議院議員総選挙に東京都第5区から旧民主党公認で出馬したが、自由民主党の小杉隆に敗れ、落選。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、前回敗れた小杉隆を破り、東京5区で初当選を果たした。2002年の民主党代表選挙では、野田佳彦の擁立に尽力するが、野田は鳩山由紀夫に敗れる。同年12月、鳩山代表の辞任を受けて行われた代表選では岡田克也を支持したが、岡田は菅直人に敗れた。
2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京5区で再び小杉を破り、再選(小杉も比例復活)。2004年、民主党東京都連幹事長に就任。第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区で蓮舫を擁立し、当選に導いた。2005年の第44回衆議院議員総選挙では小杉に敗れ、比例復活もならず落選した。2007年の第21回参議院議員通常選挙では、落選中ながら比例区から立候補した横峯良郎の世話役を務めた[1]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙に東京5区から民主党公認で出馬。引退する小杉隆に代わり、岐阜県第1区から国替えしてきた自民党の佐藤ゆかりに比例復活すら許さず大差で破り、4年ぶりに返り咲きを果たした。
2011年8月の民主党代表選では野田佳彦を支持し、野田陣営の幹部を務め、代表選勝利に貢献した。その後、9月の野田内閣発足に伴い内閣総理大臣補佐官(政治主導による政策運営及び国会対策担当)に就任した。
[編集] 政策・主張
- 外国人参政権賛成。2009年11月26日、衆議院第1議員会館で在日本大韓民国民団が主催する「永住外国人の地方参政権法案の早期立法化を求める11・26緊急院内集会」に参加し、在日外国人に地方選挙権を付与する法案を早期に成立させる決意を表明した[2]。この集会には、同じ東京都選出の末松義規や小川敏夫、初鹿明博や、渡辺浩一郎、白眞勲らが参加している。
[編集] 人物
- 元秘書に早大の同級生で元衆議院議員の宇佐美登がいる。
- 2006年、堀江メール問題を追及する永田寿康を陰で支え、永田が精神的に不安定な状態にあった際は手塚の親族が経営する病院に入院させた[3][4]。永田の議員辞職後も、手塚は折に触れて永田を気遣っていた[5]。
- 永田町きっての熱狂的阪神ファン。
- 競馬好き[6]。
- 手塚が代表を務める民主党東京都第5区総支部が、覚せい剤取締法違反で東京地裁から2005年10月に懲役3年、執行猶予5年の有罪判決をうけた人物から計750万円の政治献金を受けていたことが判明した。手塚の事務所は「以前、本人が事務所に来て縁ができた。道義的観点から返金を検討中」とコメントしている[7]。
- 「がんばろう、日本!」国民協議会の代表者から手塚は522千円の政治献金を受け取っている。「がんばろう、日本!」国民協議会の前身はマルクス主義青年同盟で警察庁警備局は警察法第二条に基づいて「その動向には重大な関心を寄せている」としている。(平成23年12月6日の参議院予算委員会)
- 議員会館から政策秘書を通じてネットオークションにボッテガ・ヴェネタのバッグなどを出品販売し、そのことを週刊新潮(2012年2月2日号)に報じられた。花田紀凱によると「何が悪いんですか」「秘書にやらせちゃいけないの?」「倫理的に問題あると思う?」「どれだけ道義的に問題あるのか」などと本人は開き直っているという。[8]