土屋正忠

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日本の旗 日本の政治家
土屋 正忠
つちや まさただ
生年月日 1942年1月13日(72歳)
出生地 東京府東京市神田区
(現:東京都千代田区
出身校 早稲田大学法学部
前職 武蔵野市議会議員
武蔵野市長
所属政党 自由民主党(無派閥)
公式サイト 土屋正忠オフィサルサイト

選挙区 東京18区
当選回数 2回(うち比例1回)
任期 2005年9月11日 - 2009年7月21日
2012年12月16日 - 現職
所属委員会 総務委員会(理事)
法務委員会(理事)
憲法審査会(委員)
議員会館 衆議院第2議員会館1111号室

当選回数 6回
任期 1983年5月 - 2005年8月
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土屋 正忠(つちや まさただ、1942年1月13日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(2期)。

武蔵野市長(6期)、武蔵野市議会議員(2期)、83会会長を歴任した。

略歴[編集]

東京都武蔵野市出身(出生地は旧東京府東京市神田区1950年に武蔵野市に転入)。武蔵野市立第3小学校、第3中学校を経て東京都立武蔵高等学校早稲田大学法学部卒業。高校時代は山岳部に所属し生徒会長を務め、早大在学中はワンダーフォーゲル部に所属。大学卒業後、武蔵野市役所に就職し、武蔵野市職員組合委員長を務めた。

1975年、武蔵野市議会議員選挙に出馬し、初当選。市議会を2期務め、1983年に「高額な退職金の是正」等の公約を掲げ、武蔵野市長選挙に保守系無所属自由民主党新自由クラブ推薦)で出馬し、革新系藤元政信市長を859票の僅差で破り初当選した。6回連続当選し、2005年までおよそ22年にわたり市長を務めた。

2005年小泉純一郎首相から直々に首相官邸に呼ばれて第44回衆議院議員総選挙への出馬要請を受け[要出典]東京18区から出馬。小選挙区では民主党菅直人に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、初当選した。なお、同年11月の武蔵野市長選挙では自身の後継候補を応援したが、菅らが擁立した邑上守正に敗れる。

総選挙後、05年初当選組の新人議員で結成された83会の会長を務める。2006年安倍内閣総務大臣政務官に任命され、安倍改造内閣でも再任された。2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では東京18区で菅に敗れ、比例復活もならず落選した。

2012年第46回衆議院議員総選挙では菅を破り小選挙区で当選し衆議院議員へ返り咲いた(菅も比例代表で復活当選)[1]

政策・主張[編集]

不祥事[編集]

  • 元市議の開業祝いなど、市長交際費6件を違法に支出したとして、6件分の金額7万5千円の返還を求めた住民訴訟で、違法であるとする住民側とあくまでも社会通念上の儀礼の範囲内であるとする土屋側双方の上告を棄却する判決最高裁は言い渡し、6件のうち3件を違法であると認め、土屋側に5万円の返還を命じた東京高裁判決2006年(平成18年)に確定した[5][6]

発言[編集]

  • 最高裁判所は、2013年9月4日に相続において婚外子を差別する民法の規定が違憲であるとの判断をくだし[7]民法が改正されることになったことについて、「今回の判決並びに民法改正によって、具体的な利益を受けるのは不貞の子ども」として最高裁判所を批判した[4]

活動[編集]

武蔵野市長[編集]

  • 市長就任後、職員の退職金の減額を行った[要出典]。これに対しては、自治労から2000人以上の組合員のデモが行われた[要出典]。その後も給与の適正化、在職者調整制度・「わたり」昇給制度の廃止、職員定数の抑制、退職者不補充、業務の民間委託など、職員の士気高揚策も考慮されながら継続的な合理化が進められ、市長就任時の昭和58年には29.1%だった人件費率は毎年20~25%で推移しながらも国会議員転出前年の平成16年度には19.1%まで切り下がるに至った[要出典]
  • 市役所内の行革に並行し、就任後は吉祥寺駅周辺の都市計画事業に取り組んだ[要出典]1985年3月に土地収用法を適用。東京都下での市町村による土地収用法適用は初めての事例である[要出典]
  • 市東部の井の頭公園付近が計画地に含まれる東京外環自動車道1966年に都市計画が決定されるも1970年に凍結)については、国家事業であるものの地元負担の押し付けを認めず、高架案が凍結されていた状況下では前任の藤元政信市長同様に反対し、地元の住民運動に連帯する姿勢を明確にした[要出典]。のちに国・東京都が東京外環自動車道の高速道路部を高架から大深度地下に変更して推進する方向に転じたため、総合的なまちづくりの観点から外環道路の議論を行うべく、1967年以来継続して市議会に設けられていた「外環道路反対特別委員会」から「反対」の文字を外すよう市議会に諮り、2004年に「外環道路特別委員会」に名称が変更された[要出典]
  • JR中央線三鷹立川間の連続立体交差化事業を東京都や沿線自治体、JR東日本と連携して強力に推進した[要出典]
  • 木の花小路公園やむさしの自然観察園、吉祥寺西公園など地域住民が計画段階から参画し維持管理も行う市立公園づくりや、都市計画法に基づく都市マスタープラン[1]など市の重要施策で市民によるワークショップ方式を取り入れた。
  • 体験教育に力を入れ、都市に生きる子ども達を自然の豊かな地方に長期滞在させ、農業自然を体験させ、人間は自然の営みの中で生き生活してきた生物であることを実感してもらう、生産の仕組みを知る、労働の意味を知るなど、普段の学校生活(ファーストスクール)では不可能な体験学習を正規の授業のカリキュラムの一環として行うセカンドスクールの充実に努めた[要出典]
  • 「都市は単立できない。都市と農山漁村は対立するのではなく協力すべきだ」と主張した[要出典]
  • まだ東西冷戦影響下にあった1987年(昭和62年)に始まった日本-ソビエト間を行き来する渡り鳥の研究に関する民間交流がきっかけとなった極東ロシアハバロフスク市との交流を市長として進めた[要出典]。土屋は武蔵野市としての正式な交流を始める前年の1991年(平成3年)、15人の子供たちに付き添い、アムール川を始めとした現地を訪れ実地調査をしている[要出典]。その他、中国北京市、テキサス州ラボック市等の青少年海外相互派遣交流、ルーマニアブラショフ市との市民交流、大韓民国ソウル特別市江東区との職員相互派遣交流などが行われるようになった[要出典]。土屋市政22年の間に、市民の理解・協力もあり、武蔵野市の国際交流事業は大幅に拡充された。武蔵野市は、現在でもセカンドスクールや民泊事業など、国内においても姉妹友好市町村を中心に積極的に交流事業を続けている。関連して、武蔵野市長としてのシベリアとの野鳥観察交流や寒帯林保護などの実績が評価され、2006年(平成18年)から小杉隆文部大臣の後任として、日本野鳥の会の理事(無給)の1人に就任し、主に環境省への橋渡し役を務めている[2]
  • 1994年(平成6年)4月、当時、知事・市長・町村長(郡守)が任命制であり、翌1995年(平成7年)7月より民選に移行予定だった韓国の忠清北道知事からの招待を受け韓国を訪問、「選挙で選ばれた市長の役割」をテーマに講演し、メディアからも日本の地方自治のエースとして紹介された[要出典]
  • 市民の満足度を重視する政策を採り、日本経済新聞社と日経産業消費研究所が行う行政サービス評価の全国調査で全国トップの常連になった[要出典]
  • 全国初のコミュニティバスムーバス」を導入した[8]
  • 「一部の団体利益より全体の市民益」として西多摩郡日の出町にある多摩地区のゴミ最終処分施設設置に関して、地権者や環境団体の理不尽な要求や圧力を拒否し続けた[要出典]
  • 青梅市二俣尾での森林の活用(農林漁業の第五次産業化の実践)や鹿害で悩む西多摩郡奥多摩町での植林事業(奥多摩・武蔵野の森事業、予算は奥多摩町50万円、武蔵野市100万円、東京都50万円)を推進し、多摩地区の市で構成するゴミ最終処分組合が日の出町の二ツ塚処分場で焼却灰の埋め立てをしてきた[要出典]
  • 市長時代、2000年(平成12年)から新たに導入が検討されていた介護保険制度について、国民的論議がなく現場無視で政策決定がされている[9]
  • 中学校給食を新たに始めることに関しては一貫して慎重な姿勢を取り続けた[要出典]
  • 市の資産負債の状況を表すバランスシートの作成を市長として進めた[要出典]
  • 政治主導で始まった多選問題に批判的であり、地方自治の本旨(住民自治、団体自治=自治体のことはその自治体の住民が考え判断し決めていく、そして法律の範囲内で必要限度を超えた国の関与は受けないということ)にかかわる問題として捉え、更なる議論が必要であり、多選を法律で制限するという国の関与は地方分権と多様な地方自治の保障という時代の潮流に反すると主張し、「多選禁止は合憲か」というレポートを研究機関に提出している[要出典]
  • 全国市長会理事、東京都市長会会長、49歳までに当選した市長で構成される全国青年市長会会長(土屋は設立時のメンバー)、中央教育審議会義務教育部会臨時委員などを歴任。

衆議院議員[編集]

  • 子供が被害者となる事件が多発していることから、2006年(平成18年)10月、自民党政務調査会の中に、当時の中川秀直政調会長の特命で「子どもの犯罪防止対策に関するプロジェクトチーム」が発足し、中山成彬委員長の下で事務局長を務め、子育て・教育など地方自治の現場での経験をもとに発言し、まとめ役のひとりとなった[要出典]
  • 総務大臣政務官としては、主に旧自治省の所管である地方自治の面で当時の菅義偉総務大臣を補佐し、財政再建団体となった夕張市の財政再建プロジェクトチームのリーダーとして役割を果たした。2008年(平成20年)度決算時からは、自治体の財政状況の悪化を予見し早期健全化をはかる目的の「財政健全化法」が機能し始める。また、子どもを犯罪から守るための「携帯電話フィルタリング」でも携帯電話3社の社長に強く協力を要請するなど菅義偉総務大臣の下、役割を果たした[要出典]
  • 市長時代の2004年(平成16年)、課税額総額を変えない前提で、第二住民登録・第二住民税制度の創設を自著の中で提言し、お笑いグループの爆笑問題が活用して話題になった現行のふるさと納税制度につながる提案をしており、2002年(平成14年)発行の市勢要覧においても既に第二住民登録・第二住民税制度の導入による抜本的な取り組みの必要性を記述していた[要出典]
  • 2009年(平成21年)3月に自由民主党内に立ち上げられた「公務員の違法就労撲滅プロジェクトチーム」(通称・ヤミ専従撲滅PT、委員長・原田義昭)が、公務員による違法な組合活動、就労実態を正す目的で、国家公務員法で認められていたが拡大解釈され、ヤミ専従の温床になっていたといわれる「短期従事」制度を削除する「公務員違法就労禁止法案」(通称・ヤミ専従撲滅法案)を2009年7月1日に議員立法で衆議院に提出し、国会で審議されることになった。土屋はこのヤミ専従撲滅PTのメンバーに入った[要出典]
  • 2008年(平成20年)1月、ガソリン税をはじめとした税制は時間をかけしっかり議論しましょうという趣旨の法律「国民生活等の混乱を回避し、地方団体における予算の円滑な執行等に資するための地方税法の一部を改正する法律(セーフティネット法)」の提案者となった[要出典]
  • 衆議院総務委員会でNHK職員の地位利用による株のインサイダー取引について、犯罪行為で許されざるものであり、職務時間内の取引は職務専念義務違反ではないかと批判した[要出典]
  • 予算委員会分科会では、国土交通省に対し予定される吉祥寺駅改築について、高架下という限られた空間なので商業スペースの拡張だけではなく公共スペースの確保をJRに指導するよう主張した[要出典]
  • 郵政民営化については3年経過したら見直すという見直し規定があるので規定にのっとって見直すことについてはひるむことなく見直すべきだとした[要出典]
  • 2006年(平成18年)3月、83会有志15名により沖縄県名護市辺野古地区にあるキャンプ・シュワブを視察、稲嶺惠一知事(当時)や県議会議員との意見交換を行った[要出典]
  • 2013年6月21日に参議院にて可決成立・同年9月28日に施行された「いじめ防止対策推進法案」の共同提案者のひとり。同法案は滋賀県大津市で起きた深刻ないじめ問題を受け各党で検討されてきた案を1本化したもので、馳浩衆議院議員他13名による議員立法により自民党公明党民主党みんなの党日本維新の会生活の党の6党共同で提出された。可決成立に先立つ同年6月19日の衆議院文部科学委員会では実務担当者のひとりとして答弁に立った[要出典]

所属団体・議員連盟[編集]

役職[編集]

著書[編集]

  • 「ムーバスの思想 武蔵野市の実践」 ISBN 4492222529
  • 「武蔵野 草の根からの行革」 ISBN 4492220607
  • 「武蔵野から都市の未来を考える」 ISBN 4492221492
  • 「介護保険をどうする - 市長からの「改革」提言」 ISBN 4532163226
  • 「ムーバス快走す - 一通の手紙から生まれた武蔵野市のコミュニティバス」 ISBN 4324050376
  • 「青年よ故郷に帰って市長になろう 地方から日本の変革を」(共著) ISBN 4643940107
  • 「学童保育ここに始まる - 武蔵野市の「ともだちの家」」 ISBN 476340329X

脚注[編集]

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  1. ^ 同選挙区で自民党が議席を獲得したのは初
  2. ^ 本人のブログ
  3. ^ 本人のブログ
  4. ^ a b 衆議院法務委員会2013年11月15日
  5. ^ http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiroto-giin/kousai-hanketsu.html
  6. ^ 本人ブログ
  7. ^ 「婚外子相続差別は違憲 最高裁大法廷」日本経済新聞 2013年9月4日
  8. ^ 『ムーバスの思想 武蔵野市の実践』
  9. ^ 『介護保険をどうする 市長からの「改革」提言』

外部リンク[編集]

公職
先代:
桜井郁三上川陽子古屋範子
日本の旗 総務大臣政務官
河合常則谷口和史と共同

2006年 - 2007年
次代:
岡本芳郎二之湯智秋葉賢也