桜井三男 (立川市長)

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桜井 三男 (さくらい みつお 1905年明治38年〉6月4日[1] - 1967年昭和42年〉7月17日[1])は、東京都立川市長(3期)。

経歴[編集]

1905年東京府北多摩郡立川村(立川町を経て、現在の東京都立川市)生まれ。1933年慶應義塾高等部卒。翌年南満州鉄道に入り、撫順炭鉱総務部に配属され、文書課長となる[2]

その後、帰国し、東京復興産業総務部長を経て[2]、桜井電機(株)社長、立川市議会議員になり、同議長になる[2]

1959年の立川市長選挙に立候補し、市長に就任する。在任中に砂川町を合併した。また、交通安全に力を入れ、交通安全都市を宣言し、交通安全日の制定、交通相談所の開設などをした[2]

また、市内の公園やプールを完成させ、下水処理場の工事に着手した[2]

しかし、市長として3期目の1967年7月17日、病気で死去した。62歳。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』145頁。
  2. ^ a b c d e 『日本の歴代市長』第1巻、952頁。

参考文献[編集]

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。