佐田玄一郎

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日本の旗衆議院議員 佐田 玄一郎
生年月日 1952年12月22日(61歳)
出身地 日本の旗 群馬県前橋市
出身校 北海道大学工学部
学位・資格 学士(工学)
前職 会社員
所属委員会 議院運営委員会
世襲 祖父・佐田一郎(元参議院議員)
選出選挙区 旧群馬1区→)
比例北関東ブロック→)
群馬1区→)
(比例北関東ブロック→)
(群馬1区→)
(比例北関東ブロック→)
群馬1区
当選回数 8回
所属党派 自由民主党額賀派
会館部屋番号 衆議院第2議員会館424号室
ウェブサイト 公式サイト
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佐田 玄一郎(さた げんいちろう、1952年12月22日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(8期)。

安倍内閣内閣府特命担当大臣(規制改革担当)第1次小泉内閣総務副大臣を務めた。

参議院議員佐田一郎は祖父。元佐田建設社長の佐田武夫は父。

来歴・人物[編集]

群馬県前橋市生まれ。群馬県立前橋高等学校北海道大学工学部卒業。1979年、大学卒業後の4月、鉄建建設に入社。

1990年第39回衆議院議員総選挙旧群馬1区(定数3)から自民党公認で出馬し、日本社会党田邊誠、自民党の尾身幸次に次ぐ3位で初当選(当選同期に岡田克也藤井裕久亀井久興中谷元森英介福田康夫石原伸晃河村建夫小林興起塩谷立古屋圭司細田博之小坂憲次山本拓赤城徳彦村田吉隆簗瀬進山本有二など)。1993年第40回衆議院議員総選挙では尾身に次ぐ2位で再選。

1995年村山改造内閣大蔵政務次官に就任。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年第41回衆議院議員総選挙では、旧群馬1区でライバル関係にあった尾身幸次が群馬1区から出馬し、佐田は比例北関東ブロック単独で立候補する住み分けがなされた。同年、文部政務次官に就任。第41回衆議院議員総選挙以降、コスタリカ方式により尾身、佐田が群馬1区、比例北関東ブロックから交互に出馬している。2000年第42回衆議院議員総選挙では群馬1区から出馬し、3選。

2001年第1次小泉内閣総務副大臣に任命された。2005年衆議院議院運営委員長に就任。2006年安倍内閣内閣府特命担当大臣(規制改革担当)に任命され初入閣。あわせて国・地方行政改革、公務員制度改革、地域活性化、道州制を担当する国務大臣も兼務した。2006年12月25日、自身の政治団体「佐田玄一郎政治研究会」が1990年から2000年までの10年間、実態のない架空の事務所費を計上し、約7800万円を支出したとする虚偽の政治資金収支報告書を提出していた問題が発覚[1]。佐田の公設第1秘書の証言によれば、同団体には活動実態が無く、1990年から1999年までに活動費として収支報告書に記載していた2億1300万円についても虚偽記載の可能性が指摘され[2]、佐田は同年12月27日に閣僚を辞任した[3](後任は渡辺喜美)。

2009年第45回衆議院議員総選挙では比例北関東ブロックから出馬し、7選。一方、群馬1区から出馬した尾身は落選した。

2012年10月、安倍晋三総裁の下で自民党財務委員長に就任。

同年12月の第46回衆議院議員総選挙では群馬1区から出馬し、8選。当選後、衆議院議院運営委員長に就任。2013年6月、週刊新潮に女性問題を報じられたため引責辞任[4][5]。同誌の報道記事は「『佐田玄一郎』常習的買春の現場報告」と題するもので、壇蜜を彷彿とさせる20歳の女子大生と1回4万円で援助交際していたとの内容であり、佐田が背広姿で湯島ラブホテルから出てくる写真も掲載されていた[6]。役職を辞任するのは前述の事務所経費問題に続いて2回目。

自民党では初当選以来竹下派→小渕派→橋本派→津島派→額賀派に属し、また同郷の小渕恵三の側近であった。

所属団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
髙木義明
川崎二郎
日本の旗 衆議院議院運営委員長
2012年 - 2013年
2005年 - 2006年
次代:
高木毅
逢沢一郎
先代:
遠藤武彦
日本の旗 衆議院総務委員長
2002年 - 2004年
次代:
実川幸夫
公職
先代:
中馬弘毅
日本の旗 内閣府特命担当大臣(規制改革担当)
第6代:2006年
次代:
渡辺喜美
先代:
遠藤和良
小坂憲次
日本の旗 総務副大臣
若松謙維と共同
2002年
次代:
若松謙維
加藤紀文