前橋市

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まえばしし
前橋市
Souja-jinja (Maebashi) keidai.JPG
前橋市旗 前橋市章
前橋市旗 前橋市章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 群馬県
団体コード 10201-6
面積 311.64km²
総人口 335,327
推計人口、2014年10月1日)
人口密度 1,080人/km²
隣接自治体 高崎市伊勢崎市桐生市
渋川市沼田市
北群馬郡吉岡町榛東村
佐波郡玉村町
市の木 ケヤキイチョウ
市の花 バラツツジ
キャッチフレーズ 水と緑と詩のまち
前橋市役所
所在地 371-8601
群馬県前橋市大手町2丁目12番1号
北緯36度23分22.2秒東経139度3分48.3秒
前橋市役所
外部リンク [http://www.city.maebashi.gunma.jp/ 前橋市

前橋市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

特記事項 市章は1909年明治42年)制定
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前橋市(Maebashi_City - 県庁所在地)は、関東地方群馬県の中南部にある中核市。群馬県の県庁所在地である。


概要[編集]

古くは厩橋と書いた。中世の読み方は「まやばし」(『前橋市史』第2巻、1973、前橋市、6-15頁)。初めは「うまやばし」だと推定される。江戸時代に前橋に改められた。明治時代に製糸業で栄えた都市の一つ。戦後は工場誘致を積極的に行い、同時に区画整理を推進した。2001年4月1日に国から特例市に指定され、2009年4月1日に中核市へ移行した。中心地域は旧東群馬郡前橋町を中心とする地域。ニュースなどでは、「まえばし」の「え」の部分のみが高い中高型アクセントの読み方をされるが、地元では「え」以降が高い平板型アクセントで発音するのが普通である。「前橋市」と読むときの「まえばし」である。市章は1909年(明治42年)制定。旧前橋藩主・松平氏の馬印「輪貫」(わぬき)から採用された。外円と内円の半径比は1対0.73。

地理[編集]

JR東日本群馬総社駅近辺を蛇行する利根川と前橋市街。利根川の奥は烏川

関東平野の北西端、赤城山南麓に位置する。市内には利根川が流れる。伏流水による水質の良さで知られ、中心部で供給される水道水は、その地下水である。又、全国の都道府県庁所在地では海から最も遠い。鉄道交通では中心駅の前橋駅が幹線から外れているため、隣の高崎市にある高崎駅が前橋市への中継点の役割を果たしている。

1986年(昭和61年)撮影の前橋市中心部周辺の空中写真。利根川が北から南へ流れる。1986年撮影の18枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

気候[編集]

太平洋側気候内陸性気候を併せ持つ。新潟県長野県から北西の季節風が吹き、県堺に跨る山岳部に甚大な積雪をもたらし、前橋市に到達する風は乾燥している。この冬の北西からの乾燥した季節風は「上州のからっ風」と呼ばれ、この影響で晴天の日が多い。同県内の平野部にある伊勢崎館林に比べて気温も比較的高く、最低気温が-5℃以下になることは稀である。は内陸部に位置するため地表が温まりやすく、熊谷埼玉県北部)などと並び暑さが烈しい。2001年7月24日気象庁管区での最高気温の記録としては第5位となる40.0℃を記録した。更に、この高温のためが多い特徴がある。

前橋市(1981-2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 22.0
(71.6)
24.6
(76.3)
27.1
(80.8)
32.4
(90.3)
36.5
(97.7)
38.3
(100.9)
40.0
(104)
39.1
(102.4)
38.1
(100.6)
33.0
(91.4)
26.6
(79.9)
25.2
(77.4)
40.0
(104)
平均最高気温 °C (°F) 8.8
(47.8)
9.4
(48.9)
12.9
(55.2)
19.0
(66.2)
23.5
(74.3)
26.2
(79.2)
29.7
(85.5)
31.3
(88.3)
26.7
(80.1)
21.2
(70.2)
16.0
(60.8)
11.4
(52.5)
19.7
(67.5)
平均最低気温 °C (°F) −0.8
(30.6)
−0.4
(31.3)
2.6
(36.7)
8.0
(46.4)
13.1
(55.6)
17.5
(63.5)
21.4
(70.5)
22.6
(72.7)
18.9
(66)
12.5
(54.5)
6.5
(43.7)
1.7
(35.1)
10.3
(50.5)
最低気温記録 °C (°F) −11.8
(10.8)
−9.0
(15.8)
−7.8
(18)
−3.1
(26.4)
0.3
(32.5)
6.0
(42.8)
11.9
(53.4)
13.6
(56.5)
8.4
(47.1)
0.6
(33.1)
−3.5
(25.7)
−7.4
(18.7)
−11.8
(10.8)
降水量 mm (inch) 26.2
(1.031)
32.1
(1.264)
61.5
(2.421)
78.1
(3.075)
101.9
(4.012)
145.2
(5.717)
197.3
(7.768)
202.3
(7.965)
220.6
(8.685)
115.5
(4.547)
44.7
(1.76)
23.1
(0.909)
1,248.5
(49.154)
降雪量 cm (inch) 8
(3.1)
9
(3.5)
4
(1.6)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
2
(0.8)
24
(9.4)
平均月間日照時間 210.1 194.3 206.2 199.7 192.6 132.2 139.0 165.1 126.2 161.0 179.3 205.1 2,110.9
出典 1: 気象庁[1]
出典 2: 気象庁[2]

隣接する自治体[編集]

View from Gunma Prefectural Government Building east.jpg
群馬県庁舎展望ホールから見た前橋市街(上:東方面、下:北方面)
群馬県庁舎展望ホールから見た前橋市街(上:東方面、下:北方面)

歴史[編集]

町村制施行当時の町村[編集]

市制移行後の周辺町村との合併[編集]

高崎市との関係[編集]

前橋市への県庁誘致に尽力した初代前橋市長・下村善太郎
明治時代の群馬県庁

前橋市と南西に隣接する高崎市は、競合・対立関係にあるとされ、 よく「行政や文化の中心は前橋、交通や商業の中心は高崎」といわれることがある。これは前橋に県庁が置かれており、日本銀行の支店、国の出先機関や大手金融機関、県民会館に代表される県の施設や医療施設などが集中するなど、古くから行政の中心地として機能してきたのに対し、高崎は古代から東山道・鎌倉街道が開け、江戸時代には中山道・三国街道・日光例幣使街道などの主要幹線が交差する一大交通拠点であり、現代においても新幹線高速道路などの県内交通の拠点としての地位を占めていることによる。同じような例に、福島県における行政都市福島市と交通・商業都市郡山市がある。

両市の関係はよくいえば「両翼興県」であり両市においての前橋高崎連携事業でもキーワードとなっている。県庁が置かれ萩原朔太郎ら多くの文人を輩出している「文化都市」前橋と、駅の周辺や古くからの街道沿いに商業施設が密集する「商業都市」高崎は、しばしば好対照として比較される。ただし実際は、後述のとおり年間商品販売額の県内第1位は前橋市であり、一方の高崎市は前橋市にない県立美術館や市立美術館(ただしこちらは中心街に開設予定がある。)、地方オーケストラとして著名な群馬交響楽団といった文化施設・団体を擁するなど、一面的な比較が難しいのも事実である。

前橋市と高崎市の人口は、大正9年の第一回国勢調査より、一貫して面積の広い前橋市が優勢であり、桐生市に首位を譲った時期を除き、群馬県下一の座を維持していた。しかし高崎市による2006年10月1日の榛名町合併により、高崎の人口は前橋市を上回ることになった。もっとも、高崎市は純山村である旧倉渕村などを市域に含めているため、人口密度やDID(人口集中地区)人口では依然として前橋市が上回っている。

両市の競合・対立関係は、以下に挙げる明治初期の県庁誘致合戦がその原因の一つである。現在の群馬県が成立した当時、県庁は前橋に置かれていたが、一時県庁は高崎に移転して置かれた。しかし、高崎城が当時の兵部省の管轄に入ったため、市内に散在する手狭な仮庁舎に各部署が分散配置された。当時、生糸の輸出で財を成していた前橋では、生糸商人と後の初代市長・下村善太郎により、県庁を厩橋城跡に誘致する事を明治政府に提案し、10万円の移転資金を用意することで移転を了承する旨を要求される。

当時、安田銀行の支店長の給与が17円であった時代において、明治政府もこの巨額な資金を用意するのは不可能と思われていた。ここで下村善太郎は自ら1万円を寄付することで先鞭をつけ、取り纏めを5,000円の寄付をした荒井其次郎など数名に依頼した。明治維新の年に川越藩から松平氏と共に移住して財をなした荒井氏などは、その伝を頼りとすると共に有志に勝手に巨額な金額を算定して請求書を送りつけるなどの強引な資金集めをした。

しかし、応じない高額納税者もあり期限が迫っても巨額な資金要求のため5万円まで集まったところで頓挫する。困った下村善太郎はこの5万円を持って上京し直談判をした。明治政府は集まった巨額な金額に驚くと共に移転を了承した。これによって、県庁は前橋に戻り、県庁所在地として確定した。この当時の前橋市の経済力には驚くほどの目を見張るものがあり、多額の資金を用意出来なかった高崎と対比できる。

高崎市民は、明治政府に県庁の奪還を幾度も訴えるが、いずれも却下されている。これにより、発展の基盤を奪われた高崎市民は、前橋に対する感情を悪化させた。この経緯が前橋に対するわだかまりとして残り、高崎市民・前橋市民が互いに対抗意識を抱くこととなる。

現在では、前橋・高崎およびその周辺自治体の商工会議所などが主体となり、県央政令指定都市の実現を目指した活動や、両市役所による前橋高崎連携事業など官民一体となった活動が行われているなど新たな局面も生まれている。

なお地政的には、江戸時代の前橋藩領・高崎藩領は入り組んでいた。一例を挙げれば、現在は高崎名物とされる「縁起だるま」で知られている少林山達磨寺は、前橋藩を守護する寺院である。一方、上野国府や総社神社・国分寺を含む古代上野の中心地域は高崎藩領であり、前橋城(現在の群馬県庁舎)の対岸にまで及んでいた。

高崎の藩域は、初代高崎藩主井伊直政の時代を除いて前橋藩を上回ることはなかった。しかし前橋藩主松平氏が利根川の氾濫で前橋城を廃し、江戸中期から幕末までの約100年間(江戸を中心に隆盛した化政文化時代を含む)は居城を川越に移したこと(川越藩の分領となる)などから、陣屋が置かれた前橋は城下町としての発展が少なかった。

1869年(明治2年)、明治政府により東京 - 京都の両市を結ぶ鉄道建設計画(中山道幹線)が発表され、1883年(明治16年)日本鉄道よって上野 - 熊谷間などが開業。翌1884年には上野 - 高崎間が開通した。古代から交通の要衝であった高崎は、交通の拠点として、また商都として発展することとなった。

後年、上越線開設の際にターミナルを巡って前橋・高崎間で誘致合戦が行われた。前橋駅をターミナルとする案は実現しなかったが、当時の幹線ルートであった三国街道よりもかなり東側(利根川右岸)を通過するルートで敷設され、新前橋駅経由で高崎駅がターミナルとなることで決着した。

地域[編集]

  • 青梨子町
  • 青葉町
  • 青柳町
  • 朝倉町
  • 朝日が丘町
  • 朝日町
  • 天川大島町
  • 天川原町
  • 天川町
  • 新井町
  • 荒口町
  • 荒子町
  • 荒牧町
  • 飯土井町
  • 池端町
  • 石倉町
  • 石関町
  • 泉沢町
  • 市之関町
  • 今井町
  • 岩神町
  • 笂井町
  • 江木町
  • 江田町
  • 大胡町
  • 大手町
  • 大利根町
  • 大友町
  • 大前田町
  • 大渡町
  • 荻窪町
  • 女屋町
  • 表町
  • 柏倉町
  • 粕川町新屋
  • 粕川町稲里
  • 粕川町女渕
  • 粕川町上東田面
  • 粕川町込皆戸
  • 粕川町下東田面
  • 粕川町膳
  • 粕川町月田
  • 粕川町中
  • 粕川町中之沢
  • 粕川町西田面
  • 粕川町一日市
  • 粕川町深津
  • 粕川町前皆戸
  • 粕川町室沢
  • 勝沢町
  • 金丸町
  • 上青梨子町
  • 上泉町
  • 上大島町
  • 上大屋町
  • 上沖町
  • 上小出町
  • 上佐鳥町
  • 上新田町
  • 上長磯町
  • 上細井町
  • 上増田町
  • 亀泉町
  • 亀里町
  • 川原町
  • 川端町
  • 川曲町
  • 河原浜町
  • 神沢の森
  • 北代田町
  • 清野町
  • 公田町
  • 小相木町
  • 紅雲町
  • 幸塚町
  • 国領町
  • 小坂子町
  • 小島田町
  • 小神明町
  • 駒形町
  • 小屋原町
  • 後閑町
  • 後家町
  • 五代町
  • 山王町
  • 敷島町
  • 下阿内町
  • 下石倉町
  • 下大島町
  • 下大屋町
  • 下沖町
  • 下川町
  • 下小出町
  • 下佐鳥町
  • 下新田町
  • 下長磯町
  • 下細井町
  • 下増田町
  • 昭和町
  • 新前橋町
  • 城東町
  • 住吉町
  • 関根町
  • 総社町
  • 総社町植野
  • 総社町桜が丘  
  • 総社町総社
  • 総社町高井
  • 高井町
  • 高花台
  • 滝窪町
  • 田口町
  • 千代田町
  • 堤町
  • 鶴が谷町
  • 鶴光路町
  • 稲荷新田町
  • 徳丸町
  • 鳥取町
  • 富田町
  • 鳥羽町
  • 問屋町
  • 苗ヶ島町
  • 中内町
  • 南橘町
  • 新堀町
  • 西大室町
  • 西片貝町
  • 西善町
  • 日輪寺町
  • 二之宮町
  • ぬで島町
  • 野中町
  • 端気町
  • 箱田町
  • 鼻毛石町
  • 馬場町
  • 光が丘町
  • 東上野町
  • 東大室町
  • 東片貝町
  • 東金丸町
  • 東善町
  • 樋越町
  • 日吉町
  • 広瀬町
  • 富士見町赤城山
  • 富士見町石井
  • 富士見町市之木場
  • 富士見町漆窪
  • 富士見町小沢
  • 富士見町小暮
  • 富士見町時沢
  • 富士見町原之郷
  • 富士見町引田
  • 富士見町皆沢
  • 富士見町山口
  • 富士見町横室
  • 富士見町米野
  • 古市町
  • 文京町
  • 平和町
  • 房丸町
  • 堀越町
  • 堀之下町
  • 本町
  • 前箱田町
  • 三河町
  • 三俣町
  • 緑が丘町
  • 南町
  • 嶺町
  • 宮地町
  • 三夜沢町
  • 茂木町
  • 元総社町
  • 横沢町
  • 横手町
  • 力丸町
  • 龍蔵寺町
  • 六供町
  • 若宮町

ナンバープレート[編集]

前橋市は、群馬ナンバー(群馬運輸支局)を割り当てられているが、2014年11月17日からご当地ナンバーである前橋ナンバーが交付される。

群馬ナンバー割り当て地域(~2014年11月16日)
前橋ナンバー割り当て地域(2014年11月17日~)

人口[編集]

  • 人口:343,391人
    • 男性:167,883人
    • 女性:175,508人
  • 世帯数:140,515世帯
  • 人口密度:1,101.88人/km²

(2011年12月31日現在)

Demography10201.svg
前橋市と全国の年齢別人口分布(2005年) 前橋市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 前橋市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
前橋市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 273,864人
1975年 293,135人
1980年 311,121人
1985年 325,304人
1990年 335,704人
1995年 338,845人
2000年 341,738人
2005年 340,904人
2010年 340,390人
総務省統計局 国勢調査より

行政[編集]

前橋市の歴代市長
氏名 在職期間
初代 下村善太郎 1892年5月19日 - 1893年6月2日
2 弥城友次郎 1893年7月23日 - 1898年9月22日
3 笹治元 1898年11月11日 - 1902年5月9日
4 稲葉秀作 1902年6月13日 - 1910年1月14日
5 江原桂三郎 1910年2月28日 - 1911年9月20日
6 今鉄平 1911年10月23日 - 1913年6月14日
7 木村二郎 1913年8月30日 - 1925年8月30日
8 竹内勝蔵 1925年9月16日 - 1931年10月6日
9 田中稲一 1931年11月7日 - 1933年12月9日
10 江原桂三郎 1933年12月24日 - 1941年12月23日
11 堀康雄 1942年2月23日 - 1946年11月13日
12 関口志行 1947年4月5日 - 1958年5月31日
13 石井繁丸 1958年7月12日 - 1978年7月11日
14 藤井精一 1978年7月12日 - 1988年1月11日
15 藤嶋清多 1988年2月28日 - 1996年2月27日
16 萩原弥惣治 1996年2月28日 - 2004年2月27日
17 高木政夫 2004年2月28日 - 2012年2月27日
18 山本龍 2012年2月28日 - 現在

市長[編集]

現市長は山本龍(やまもと りゅう)。前群馬県議会議員で、2012年2月19日に行われた市長選挙により選出され、2012年2月28日就任。前任は、高木政夫(たかぎ まさお)で、2期・8年間、前橋市長を務めた。3期目を目指し2012年2月の市長選挙に出馬したが、山本龍に敗れた。

2004年2月15日の市長選挙(有権者数225,986人、投票率48.83%)の結果は次の通りである。

  1. 高木政夫 - 56,232票
  2. 萩原弥惣治 - 44,406票
  3. 生方秀男 - 8,334票

2008年2月17日の市長選挙(投票率52.40%)の結果は次の通りである。

  1. 高木政夫 - 66,006票
  2. 金子泰造 - 60,102票
  3. 生方秀男 - 7,678票

2012年2月19日の市長選挙(投票率49.06%)の結果は次の通りである。

  1. 山本龍 - 65,173票
  2. 高木政夫 - 51,552票
  3. 亀田好子 - 9,650票
  4. 樋口和彦 - 7,037票

前橋広域圏における「平成の大合併」の経緯[編集]

この地域の合併協議は最終的な決着まで紆余曲折があった。

政府の合併推進施策を受け、以前から結びつきの強かった前橋広域圏(前橋市・大胡町宮城村粕川村富士見村)の首長は、2001年夏に新潟県を視察中、同県弥彦村で会合(いわゆる「弥彦会談」)を行った。この席で、「合併特例法期限内に熟度の高まった所から順次合併」という方針が決められ、関係市町村は合併検討に動き出した。

弥彦会談では、実質的には4町村が「前橋市に編入」で大筋合意となっていた。しかし、富士見村と粕川村は議会から待ったがかかる形となり、2002年に任意合併協議会が開催された時、参加したのは前橋市・大胡町・宮城村であった。4か月後、議会の了承を取り付けた粕川村も任意合併協に加わる。

富士見村は当時の関口村長が議会の圧力もあり自立を表明。しかし住民は反発し村長はリコールで失職する。リコールによって「前橋市との合併」という意思が示されたものの、その後就任した星野村長は当初「中立」というスタンスをとった。そして住民投票を行ったところ結果は合併賛成が63%となり、前橋市との1市1村で法定合併協議会を設置する。

この間にも、前橋・大胡・宮城・粕川の合併協議会は順調に進み、2003年秋に合併調印。そして2004年12月5日に合併。前橋・富士見の合併協議も2004年夏に「2005年5月1日合併」で一度は決着し、調印となった。

しかし、その後富士見村議会が合併に反対。2度出された合併議案を共に否決し、星野村長は「自立」表明することになる。合併協議会は解散、合併調印も取り消された。

この地域の合併に伴って富士見村1村のみが孤立して残存し、前橋広域圏行政が消滅することとなった。取り残された富士見村は消防など一部行政を前橋市へ事務委託しなくてはならず、合併解消に際しては県の仲裁で何とかこれを取りつけた。調印を反故にされた形の前橋市側は実質的な報復措置として、富士見村民の前橋市営斎場利用料や市立工科大学入学料をはじめとする優遇措置を廃止、村民は以前よりも不便を強いられることになった。

富士見村内の有力者間抗争で長引いた泥仕合が村内社会の分裂をも招いて一般村民の不興を買ったこともあり、2007年の富士見村長選では合併推進派が村長に当選。さらに村議会議員選でも、合併推進派の勢力が拡大した事に伴い、2008年1月15日に3度目の正直となる合併協議会が設置され、2009年5月5日に富士見村は前橋市に合併された。

この一連の合併によって以下の支所が設置された。

  • 大胡支所(旧大胡町役場) - 前橋市堀越町1115番地
  • 宮城支所(旧宮城村役場) - 前橋市鼻毛石町1426番地3
  • 粕川支所(旧粕川村役場) - 前橋市粕川町西田面216番地1
  • 富士見支所(旧富士見村役場) - 前橋市富士見町田島240番地

住所表記[編集]

  • 前橋地域は変更なし。
  • 大胡地域と宮城地域は前橋市の後に大字名(町)が付く。
    • 例1:勢多郡大胡町大字茂木→前橋市茂木町
    • 例2:勢多郡宮城村大字柏倉→前橋市柏倉町
      旧大胡町の金丸だけは前橋市の金丸町と名称が重複してしまうため、「東金丸町」となった。
  • 粕川地域と富士見地域は前橋市の後に旧村名に町を付け、その後に大字名が付く。
    • 例1:勢多郡粕川村大字女渕→前橋市粕川町女渕
    • 例2:勢多郡富士見村大字田島→前橋市富士見町田島

土木事業[編集]

議会[編集]

市議会は従前、部分的な派閥対立はあったが親・自民党系を中心とする無所属の保守派が、市長与党となる形で多数派を占めていた。しかし、2004年の3町村合併を目前とした時点で現高木市長が当選したことに伴い、萩原前市長を支持した派閥がこれに対立し、相前後しての市議選による改選や、大合併に伴う旧町村系議員団の動向も影響して、市長派と反市長派が拮抗する事態に至った。

加えて、前県知事である小寺弘之が任期末期に自民党多数の群馬県議会と激しく対立しながら迎えた2008年7月の群馬県知事選挙の際には、保守系で元は県議会自民党の有力幹部であったが小寺候補と親しい高木市長が公に小寺支持に回る(結果的にこの選挙では自民系の対立候補である大沢正明が当選した)など、対立の構図は群馬県当局・県議会をも巻き込んでより根深く錯綜することになった。2009年末時点でも両派の慢性的な抗争状態は続いている。

前橋市議会庁舎
会派名 議員数
清新クラブ 12
真政会 9
市民フォーラム 6
日本共産党前橋市議会議員団 5
公明党 4
心世紀 3
未来の会 2
真澄会 1
市民の会 1
43
※2009年5月31日増員、2012年3月16日現在

司法[編集]

前橋地方裁判所

裁判所[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

経済[編集]

産業[編集]

年間商品販売額(万円)
(2004年度商業統計調査、いずれも調査当時の市部、%は県内に占める割合)
年間商品販売額(万円、2004年)
204,945,840 (群馬県全体の33.9%を占め、県内第1位)
売場面積(m²、2004年)
424,789(群馬県全体の15.4%を占め、県内第1位)
製造品出荷額(百万円、2004年)
653,635(群馬県全体の8.6%、太田市のほぼ2分の1であり、大泉町に次いで県内第3位)

関東・甲信越エリアを統括する団体・企業[編集]

工業[編集]

市内各所に合計十七ヶ所の工業団地を造成。(カッコ内は主な進出企業)

この他、粕川町中之沢に近自然工法をとりいれたサンデンの赤城事業所(サンデンフォレスト)、元総社町に理研鍛造、岩神町に富士機械がある。市内を代表する大工場として、JR前橋駅南東にダイハツ車体本社・工場があったが、2004年11月をもって大分県中津市に移転した。「サッポロ一番」のサンヨー食品は前橋で創業し、現在は朝倉町に本社工場を構える。登記上の本社は東京都港区に置かれている。

2012年12月現在分譲を行っている工業団地は以下の通り。(市工業課)

  • 五代南部工業団地(敷地北端に上武道路開通)

農業[編集]

前橋市の2007年農業産出額は310億円で、市町村別で全国16位、群馬県内の農業産出額に占める割合も13.8%に達する。ちなみに「平成の大合併」前の2003年農業産出額でも県内一位で、168億6千万円であった。

特徴的なのは、畜産業の産出額210億円(全国6位)、乳用牛の産出額55億円(全国17位)、豚の産出額69億円(全国9位)と畜産関連の生産額が突出していることであり(いずれも農林水産省平成19年農業産出額データより)、これは前橋の農業産出額を全国トップレベルに押し上げている要因でもある。いずれの数値も群馬県内全体の産出額の20%前後のシェアを占めている。近年では「TONTONのまちまえばし」として、官民挙げてPR活動を行っている。

畜産以外でも大正時代から市内の耕地整理を進めており、1980年代までに市内の大部分で耕地整理が行われ、整然と区画された耕地が郊外に広がっている。

金融[編集]

群馬銀行本店
東和銀行本店

この他に横浜銀行足利銀行大光銀行栃木銀行などの地方銀行第二地方銀行が支店を置いている。

商業[編集]

中心市街地は商業の衰退が著しく、中心市街地の再活性化は目下最重要課題である。対して、後述の要因により商業施設は市街地外周や郊外に多く立地している。

以前の前橋では、千代田町2 - 5丁目に位置する中心商店街が商業の中心であった。しかし、現在では多くの例に漏れず商店街の衰退が激しく、昼間でもシャッターが下りる通り、いわゆるゴーストタウンとなり、大通り沿いでもほとんど人気が目立たない。1972年に6万人近くあった商店街の歩行者通行量は、1992年には4万人弱、2004年には1万人程度と激減している[3]。商店街の最盛期時には、以下を始めとする大型店舗があったが、スズラン以外全て中心商店街から移転および撤退した[4]

ニチイは千代田町の店舗を一旦閉店させた後、中心商店街から1.2km北に位置する国領町のグンゼ工場跡地にサティとして移転オープンさせた。また、ダイエーも六供町と国領町のシルクプラザ内に2店舗あったが、ダイエーは完全撤退した(※ダイエーの撤退は、イトーヨーカドーやサティとの競合やダイエー自体の業績悪化によるものである)。

2006年1月29日にLIVIN別館で単体として残っていたWALKが閉店したことにより、WALKの中にあったテアトル前橋西友も閉店。後にユナイテッド・シネマが開業するまで前橋市から映画館も全て無くなった。その後テアトル前橋西友跡は、前橋芸術週間という団体の運営により2009年12月4日に名画座「シネマまえばし」として再オープンしている。

1990年代頃から、前橋駅前に出店したイトーヨーカドーやサティなどの大型店舗、郊外で駐車場が完備されロードサイドに展開された専門店等に客を奪われた中心商店街は、ライフスタイルの変化や自動車保有率全国1位という車社会、市の中心駅である前橋駅と離れた立地、駐車場の不足、市内中心部の人口減少などの要因が絡み、衰退が激しくなる。旧日本銀行前橋支店跡地の八番街開発の停滞や商店の後継問題なども絡み、全国有数の「シャッター商店街」としてマスコミに取り上げられることも多くなった。

2000年代以降も中心商店街外周や郊外には、ショッピングセンターが相次いで出店。中心商店街から東に2.5kmの上泉町にベイシアが前橋への大型店出店。

地場スーパーのフレッセイは、駒形町と若宮町、荒牧町に中規模のショッピングセンターのほか、中心街の前橋プラザ元気21内に、前橋プラザ店をオープンさせている。

前橋駅南東の文京町に位置するダイハツ車体工場跡地に、ユニーが同社初の大型ショッピングモール「けやきウォーク前橋」を2007年3月10日に開店させた。スーパー「アピタ」や9スクリーンを擁するシネマコンプレックス「ユナイテッド・シネマ」、大型書店「紀伊國屋書店」などを核店舗としている。2012年5月には増床しケーズデンキがオープンした。

2009年4月には、オリックス・アルファにより小屋原町駒形バイパス沿いに、茨城県つくば市に本社を置くカスミユニクロなどを核店舗とした「ガーデン前橋」が、隣地に建設されたヤマダ電機テックランドと同時にオープンした。オープン当初2階の多くが空きスペースであったが2012年にドンキホーテ ガーデン前橋店、2013年4月にスポーツDEPOガーデン前橋店が追加オープンした。しかし2013年現在も2階部分のほとんどが埋まっていない状態であり、中心市街地が影響を受けているとは言えなかった。

けやきウォ一クや郊外のショッピングセンターの相次ぐ開業に加えてGMS業態自体の不振により、イトーヨーカドー前橋店は2010年8月16日[5]に、前橋サティは、2010年10月17日[6]に閉店した。その後イトーヨーカドー前橋店はエキ一タ前橋として、前橋サティは前橋リリカとして再オープンした。

最近まで、イオングループ北関東自動車道前橋南IC南側の農地に超大型ショッピングセンターを建設する計画があった。この土地はかつてカルフールが出店を計画していた場所であり、それよりも広い敷地(約25ha)で、全国最大規模のショッピングセンターとなる予定だった。しかし、関係各署との調整難航や大型店の郊外出店を規制する「まちづくり三法」改正で出店が難しくなったために出店を断念した。

前橋市および地元まちづくり対策協議会は、上記イオン進出予定地含む周辺地域の開発事業「前橋南部拠点地区開発」の主たる事業者をベイシアに決定。ベイシアやカインズホームを核店舗とする、同社最大になる敷地面積23haの「パワーモール前橋みなみ」が2010年12月に第1期オープンした。順次、他の店舗もオープンする予定である。

家電量販店最大手にまで成長したヤマダ電機は前橋で創業、日吉町に本社を構えていたが2008年7月1日をもって本社を高崎駅前に移転した。会社の急拡大に伴い横浜市みなとみらい地区に本社機能の一部を移し大型店鋪を併設する計画だったが、周辺道路の渋滞を懸念した横浜市側が土地の譲渡売却を断念。その後、JR高崎駅東口へ新本社を移転新築した。

ベイシアビジネスセンター

一方で、ベイシアは前橋に本部を移転した。前橋南ICに近い亀里町に、ベイシア本体とセーブオンベイシア電器などグループ企業十社の本社が、創業地の伊勢崎から2006年1月に移転し、業務を開始している。

また近年では、さらに前橋南IC付近の開発が進み、「パワーモール前橋みなみ」に北関東初進出となるコストコがオープンした。今後周辺のさらなる開発が見込まれる。

前橋駅周辺では、南口に程近い、旧ダイハツ車体(現:ダイハツ九州)本社工場跡に、ユニーのモール型ショッピングセンター「ウォーク」1号店として、けやきウォーク前橋2007年春に開店した。

教育[編集]

大学・高等専門学校[編集]

高等学校[編集]

群馬県立
前橋市立
私立

中等教育学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

特別支援学校[編集]

専修学校[編集]

各種学校[編集]

学校教育以外の施設[編集]

文化[編集]

文化施設[編集]

ぐんまアリーナ
図書館
美術館博物館
劇場・ホール
スポーツ施設
映画館
遊園地


交通[編集]

前述の通り、市の商業施設の郊外移転や自動車保有率全国1位という車社会から、公共交通機関の利用者は減少傾向にあり、特にバスにおいては1990年代より不採算路線の相次ぐ廃止や上毛電鉄の路線バス事業撤退、自治体による欠損補助を受けて運行を維持する路線の拡大など深刻な状況下にある。[7]

道路[編集]

県道17号のケヤキ並木(前橋駅前)
高速道路
国道
県道(主要地方道)


主な市道
  • 国体道路 (利根川東岸の道路。沿線にグリーンドーム前橋敷島公園県総合スポーツセンター)
  • 東部環状線
    • 東部バイパス。 全線片側2車線。県道2号線(天川大島町交差点)、国道50号線、県道3号線、県道4号線と国道17号(群大病院東交差点)を連絡する。
  • 西部環状線
    • 国道17号線(元総社町南交差点)と県道12号線を連絡する。さらに南部大橋線を介して県道11号線、県道2号線(天川大島町交差点)を連絡する。
  • 江田天川大島線
    • 西部環状線の南側で江田町・天川大島町間を連絡する片側二車線の環状線。県道11号線との重複部、朝倉町内の一部区間が開通。

鉄道[編集]

前橋駅南口
東日本旅客鉄道(JR東日本)
上越線
両毛線

※ かつては前橋大島駅付近に東前橋駅が、下増田町に下増田駅が設置されていたが、1968年(昭和43年)の両毛線全線電化に際して休止(実質廃止)、1987年(昭和62年)に正式廃止されている。

上毛電気鉄道
上毛線

バス[編集]

ヘリコプター[編集]

メディア[編集]

観光[編集]

2011年(平成23年)度の観光客数は5,917,400人で、群馬県内市町村別第一位であった[8]

観光地・植物園[編集]


名所・旧跡[編集]

群馬県庁舎
水道資料館

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スポーツイベント[編集]

名物・特産物[編集]

出身著名人[編集]

政治家[編集]

  • 田邊誠 - 元・日本社会党委員長(第11代)
  • 佐田玄一郎 - 衆議院議員、比例代表北関東
  • 宮崎岳志 - 衆議院議員-民主党、財務金融委員会委員、厚生労働委員会委員、政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会委員、元・上毛新聞記者、群馬県1区選出
  • 桑原功 - 衆議院議員-民主党、法務委員会委員、政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会委員、元・前橋市議会議員、元・群馬県議会議員、比例代表北関東

官僚[編集]

実業家[編集]

  • 速水堅曹 - 前橋藩士(生まれは川越藩士)、日本初の器械式製糸所である藩営前橋製糸所開設、富岡製糸場所長

文化人[編集]

アナウンサー[編集]

スポーツ選手[編集]

芸能[編集]

その他[編集]

前橋を舞台とした作品[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 前橋 1981-2010年”. 気象庁. 2012年11月17日閲覧。
  2. ^ 前橋 観測史上1~10位の値”. 気象庁. 2012年11月17日閲覧。
  3. ^ 広報まえばし 平成17年12月1日号より。
  4. ^ また食品スーパーとしては、ヤナイストアーが2011年7月28日をもって事業停止している。
  5. ^ イトーヨーカドー前橋店のページより。
  6. ^ 2010年4月17日 読売新聞より。
  7. ^ 全市域デマンド化研究会第1回研究会議:資料2(前橋市審議会資料)
  8. ^ 群馬県統計情報提供システム

外部リンク[編集]