北側一雄
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きたがわ かずお
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| 生年月日 | 1953年3月2日(60歳) |
| 出生地 | 大阪府大阪市 |
| 出身校 | 創価大学 |
| 前職 | 弁護士 |
| 現職 | 党副代表 |
| 所属政党 | (公明党→) (公明新党→) (新進党→) (新党平和→) 公明党 |
| 親族 | 父・北側義一 |
| 公式サイト | 北がわ一雄HP |
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| 内閣 | 第2次小泉改造内閣 第3次小泉内閣 第3次小泉改造内閣 |
| 任期 | 2004年9月27日 - 2006年9月26日 |
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| 選挙区 | 大阪府第16区 |
| 当選回数 | 7回 |
| 任期 | 2012年12月17日 - |
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| 選挙区 | (旧大阪府第5区→) 大阪府第16区 |
| 当選回数 | 7回 |
| 任期 | 1990年2月19日 - 2009年7月21日 |
北側 一雄(きたがわ かずお、1953年3月2日 - )は、日本の政治家。公明党所属の衆議院議員(7期)。
目次 |
経歴 [編集]
- 1953年3月2日 大阪市生野区に生まれる。父親は元衆議院議員の北側義一(地盤は継承していない)。
- 1971年3月 創価高等学校卒業(在学中はサッカー部で活躍)。
- 1975年3月 創価大学法学部法学科卒業。
- 1981年 弁護士登録及び税理士登録。
- 1990年2月18日 第39回衆議院議員総選挙に公明党から立候補し初当選(以後6期連続当選)。
- 1993年8月 政治改革政権大蔵政務次官に就任。
- 1996年11月 衆議院大蔵委員会筆頭理事
- 1998年01月 衆議院予算委員会理事
- 1999年01月 衆議院科学技術委員長(2000年1月まで)
- 2000年6月 公明党政務調査会長に就任。
- 2004年9月27日 国土交通大臣・観光立国担当大臣に就任。
- 2006年9月 党幹事長に就任。国土交通大臣の職を冬柴鐵三に譲る。
- 2009年8月30日 第45回衆議院議員総選挙で落選[1]。9月3日に党本部で党幹事長を辞職する意向を表明し、党の了承を受け辞任した。[2]この選挙では太田昭宏代表も落選し、公明党は党のツートップが揃って落選、さらに小選挙区当選者ゼロの大惨敗を喫した。北側の後任の幹事長には井上義久が就任。
- 2009年9月 非議員ながら公明党副代表に就任した。
- 2012年12月16日に執行された第46回衆議院議員総選挙では、大阪16区から自民党、維新からの推薦もうけ出馬し、民主党前職の森山浩行らを破り当選[3]。
- 2012年12月27日、衆議院総務委員長に就任した。
人物 [編集]
- 弁護士時代は庶民派弁護士で知られ、主としてサラ金、地上げ、悪質訪問販売などの被害者救済を得意とした。
- 中選挙区時代の対立候補に同じ大阪弁護士会の西村眞悟がいた。
- 司法修習33期・90年衆院選で初めて国会議員になった両方の同期に簗瀬進。
政策評価 [編集]
- 国土交通大臣就任中に一級建築士らの耐震強度偽装事件、豪雨災害など事件事故災害やJALのトラブルの多発、JR福知山線脱線事故、JR羽越本線脱線事故など重大事故が頻発していたが、その対応を的確に行い、マスメディアや首相の小泉純一郎(当時)から評価され、2005年に国土交通大臣に再任されている。特に福知山線脱線事故については、JR西日本が早期の運転再開を求めたのに対して、北側は「改良型ATSを設置するまでは運行再開を許さない」とJR西日本の要望を一蹴して再開を遅らせたが、鉄道技術的には従前のATS-Swにも過速度ATS機能がありJR西日本領域17個所で運用中(2005/04/30記者会見)であって、当初のマスコミ群の誤報に乗って、鉄道局技術部門に確認することなく方針発表してしまったため、尼崎事故の原因・予防措置とは無関係のATS-P化まで再開を遅らせてしまい、国会答弁でも翌5月中旬、記者会見で強調した「全線ATS-P化」方針を撤回して「従前の国鉄型ATS(=ATS-Sw)で安全である」と答弁している。高度の技術的知見を含む内容を、誤報道の流れに乗って事務局にも確認せず発表したパフォーマンスの失敗と言って良い。同じ鉄道局対応で官僚の話を聞きながら強い指導力を発揮した扇千景初代国交相とは対極の結果となった。福知山線脱線事故対応として各鉄道会社に転覆懸念個所算出式を示して抵触する個所に従前型ATSを含めて「過速度ATS」の設置を義務付けたが、それはすべて各鉄道会社の負担とさせた。従前型のATSにも過速度ATS機能は有ったが、必要個所総てには設置していない鉄道事業者が多かった。(ちなみにJR東海は独自の解析計算で危険個所8個所を抽出してそこに過速度ATSを設置済みだった)。また鉄道事故調査機関を国際的基準のある航空機事故調査機関と統合し、権限を持たせた、いわゆる「運輸安全法」制定に尽力した。
- 関西圏に続いて首都圏の鉄道会社にも女性専用車の設置を推進した。しかし鉄道関係で特筆される政策はこれだけで、むしろ鉄道会社に締め付けを行う(従前型ATSを含め、過速度ATSの設置を義務付けたが、それはすべて各鉄道会社の負担とさせた。)一方、車業界とのつながりが深く、道路関係では道路特定財源の一般財源化を渋ったり、高速道路関係では新直轄方式で建設を認めるなど、モータリゼーションに偏向した大臣でもあった[4]。そのため、トヨタのリコール問題が起きてもトヨタに対しては及び腰であった。地元を走る阪堺電気軌道の存続問題についても終始冷淡であった。そして、道路建設を推進する財界との絡みからホワイトカラーエグゼンプションを支持していた。
- 日本における外国人参政権の積極的な推進者であり、国会開催中の2007年11月8日に、在日本大韓民国民団が開催した決起大会に参加して「永住外国人地方参政権の立法化に全力をあげて取り組む」という趣旨の発言をおこなった[5]。
- 地元堺市や大阪の経済振興、地域活性化施策に熱心なことで知られ、堺市の政令指定都市移行を強力に後押しした。また、これまで堺浜臨海部にシャープ液晶パネル堺工場などの大型企業誘致を積極推進した。その他、自ら国土交通大臣時代に推進した、我が国における主要港湾を拡大し物流国際競争力を高める「スーパー中枢港湾プロジェクト」において、堺泉北港をスーパー中枢港湾に指定した。
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛同する。
関連する政策・政治問題 [編集]
その他 [編集]
- 出身地は大阪府で南海[6]沿線の堺市を地盤としているが、彼は埼玉西武ライオンズのファンである。
- 彼は前述の通り鉄道よりも道路を重視する為、2009年3月から始まった「千円高速」を大いに評価し、「これからはマイカーの時代。エコカーをどんどん普及させよう」と発言し、更に「エコカー普及の為には夫の小遣いを減らしその分クルマに費やすなど、男性が大いに協力しなくてはならない」とも発言した。
- 成田空港B滑走路の2,500 mへの延伸および供用開始は、反対派の敷地を避けるため、条件派の土地を収用して空地となった北西方向へ320 m延長する案を北側(当時国土交通大臣)が認可したものである。この延伸は、滑走路の延伸方角と大臣名双方の語句から俗に「北側延長」と言われている。
主な所属議員連盟 [編集]
- 北京オリンピックを支援する議員の会(副会長)
- たばこと健康を考える議員連盟所属。
役職歴 [編集]
- 内閣
- 大蔵政務次官
- 国土交通大臣
- 衆議院
- 公明党
- 政務調査会長
脚注 [編集]
- ^ 公明北側幹事長が落選 民主新人に惜敗、大阪16区共同通信2009年8月30日
- ^ 太田公明代表が辞任表明、後任8日に選出 北側幹事長も辞任NIKKEI NET(日経ネット)2009年9月3日
- ^ “衆院選:返り咲きの北側一雄さん笑顔見せる 大阪16区”. 毎日新聞. (2012年12月16日) 2012年12月19日閲覧。
- ^ ◆国幹会議 まず道路建設ありき?
- ^ <11・7決起大会特集>各激励辞 「参政権」付与は当然 民団新聞2007年11月14日
- ^ 南海ホークスの後身が福岡ソフトバンクホークス
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 小宮山洋子 |
2012年 - |
次代: 現職 |
| 先代: 大野由利子 |
1999年 - 2000年 |
次代: 田端正広 |
| 官職 | ||
| 先代: 石原伸晃 |
第5・6代: 2004年 - 2006年 |
次代: 冬柴鐵三 |
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