北側一雄
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| 衆議院議員 北側 一雄 | |||
|---|---|---|---|
| 生年月日 | 1953年3月2日(56歳) | ||
| 出生地 | 大阪府大阪市生野区 | ||
| 出身校 | 創価大学法学部 | ||
| 学位・資格 | 法学士 弁護士 税理士 |
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| 前職 | 弁護士 | ||
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所属委員会
内閣役職
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国家基本政策委員会委員 | ||
| 世襲 | 無 北側義一(衆議院議員) |
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| 選出選挙区 | 大阪府第16選挙区 | ||
| 当選回数 | 6回 | ||
| 所属党派 | 公明党 | ||
| 党役職 | 幹事長 | ||
| 会館部屋番号 | 衆・第二議員会館723号室 | ||
| ウェブサイト | 北がわ一雄HP | ||
北側 一雄(きたがわ かずお、1953年3月2日 - )は、日本の政治家。公明党所属の衆議院議員(6期)。
目次 |
経歴
- 1953年3月2日 大阪市生野区に生まれる。父親は元衆議院議員の北側義一。
- 1971年3月 創価高等学校卒業。
- 1975年3月 創価大学法学部法学科卒業。
- 1981年 弁護士登録。
- 1990年2月18日 第39回衆議院議員総選挙に公明党から立候補し初当選。
- 1993年8月 大蔵政務次官に就任。
- 2000年6月 政務調査会長に就任。
- 2004年9月27日 国土交通大臣に就任。
- 2006年9月 党幹事長に就任。国土交通大臣の職を冬柴鐵三に譲る。
人物
政策評価
- 国土交通大臣就任中に耐震強度偽装事件、豪雨災害など事件事故災害やJALのトラブルの多発、JR福知山線脱線事故、JR羽越本線脱線事故など重大事故が頻発していたが、その対応を的確に行い、マスメディアや首相の小泉純一郎(当時)から評価され、2005年に国土交通大臣に再選している。特に福知山線脱線事故については、JR西日本が早期の運転再開を求めたのに対して、北側は「改良型ATSを設置するまでは運行再開を許さない」とJR西日本の要望を一蹴したことが評価されている。
- 関西圏に続いて首都圏の鉄道会社にも女性専用車の設置を推進した。しかし鉄道関係で特筆される政策はこれだけで、むしろ鉄道会社に締め付けを行う(先の福知山線脱線事故の際、各鉄道会社に改良型ATSの設置を義務付けたがそれはすべて各鉄道会社の負担とさせた)一方、道路関係では道路特定財源の一般財源化を渋ったり、高速道路関係では新直轄方式で建設を認めるなど、モータリゼーションに偏向した大臣でもある[1]。そのため、トヨタのリコール問題が起きてもトヨタに対しては及び腰であった。地元を走る阪堺電気軌道の存続問題についても終始冷淡であった。そして、道路建設を推進する財界との絡みからホワイトカラーエグゼンプションを支持していた。
- 外国人参政権の積極的な推進者であり、国会開催中の2007年11月8日に、在日本大韓民国民団が開催した決起大会に参加して「永住外国人地方参政権の立法化に全力をあげて取り組む」という趣旨の発言をおこなった[2]。
関連する政策
その他
- 出身地は大阪府で南海[3]沿線の堺市を地盤としているが、彼は埼玉西武ライオンズのファンである。
- 彼のマスメディアに対するスタンスとして、インターネットや本よりもテレビを見ることを勧めている。そしてニュース番組やスポーツ番組よりバラエティ番組を見ることが人間的に幅ができると主張している。
- 彼は前述の通り鉄道よりも道路を重視する為、ETC大幅割引を大いに評価し、「これからはマイカーの時代。エコカーをどんどん普及させよう」と発言し、更に「エコカー普及の為には夫の小遣いを減らすなど男性が多く痛みを伴うべき」とも発言した。
主な所属議員連盟
- 北京オリンピックを支援する議員の会(副会長)
- たばこと健康を考える議員連盟所属。
役職歴
- 内閣
- 大蔵政務次官
- 国土交通大臣
- 衆議院
- 公明党
- 政務調査会長
脚注
関連項目
外部リンク
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