池田大作

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池田 大作
いけだ だいさく
生年月日 1928年1月2日(86歳)
出生地 日本の旗 日本東京都大田区
出身校 富士短期大学
現職 創価学会名誉会長
創価学会インタナショナル会長
称号 創価大学名誉博士・名誉教授
準学士(富士短期大学)
マハトマ・ガンディー世界平和賞
親族 長男・池田博正
二男・(一般人、故人
三男・池田尊弘
配偶者 妻・池田香峯子

任期 1960年5月3日 - 1979年4月24日
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池田 大作(いけだ だいさく、1928年1月2日 - )は、日本の宗教家作家宗教法人創価学会の名誉会長、SGI(創価学会インタナショナル)会長。 山本 伸一(やまもと しんいち)、法悟空のペンネームで作家活動もしている。

来歴

入信以前

1月2日 東京府荏原郡入新井町(現在の東京都大田区大森北[1][2][3]に誕生

[4][5]

3月 尋常小学校卒業の後、兄が勤めていた「新潟鐵工所」に就職[3]
8月 肋膜炎を患い茨城県の結核療養所へ入院するための順番待ちをしていた中で終戦を迎える[6]
9月 新橋にある「昭文堂印刷」で文選工をする傍ら、私立の「東洋商業高校」(現、東洋高等学校)に編入[1]
東京都大田区森ヶ崎にある「協友会」に加入[7][8]
高校卒業と同時に「昭文堂印刷」を退社。半年後、京急蒲田駅裏にある中小企業の組合「蒲田工業会」(現:「蒲田工業協同組合」)に勤務[9]

入信以降

3月、東洋商業学校を卒業。
8月14日 小学校時代の同級生の女性から「仏教哲学のいい話がある」と誘われ座談会に出席。戸田城聖の御書講義を受け、小平芳平の折伏を受け、入信を決意、8月24日、創価学会に入信手続きを行なう[10][8]。入信したことで、家からは勘当状態になる。
「大世学院」(後の東京富士大学短期大学部)の政経科夜間部に入学。
1月3日日本正学館」に入社[6]。少年雑誌『冒険少年』(同年8月に『少年日本』と改題)の編集に携わる。
5月 「日本正学館」編集長に就任[1]
「大世学院」を中退[11][12]
10月 「東京建設信用組合」に入社。
10月 「大蔵商事」(現:「日章」)に移動。[13]
5月3日 戸田が創価学会の第2代会長に就任。
5月 蒲田支部大森地区の地区委員に任命される。
7月 青年部(男子部)が結成され、第1部隊長になる[8]
2月9日 創価学会青年部の教育参謀に[11]
3月 参謀室長となる。
5月3日 白木香峯子と結婚[1]
11月25日 長男博正の誕生を期に、正式に「太作(たいさく)」から「大作(だいさく)」に改名[1][14]
3月30日 青年部参謀室長に任命される[1]。同日 設置された「情報部」の最高顧問ともなる[1]。この頃、「大蔵商事」の仕事を離れる[1]
12月3日 新設された「渉外部長」を兼任。
3月11日 北海道小樽市の小樽公会堂における日蓮宗と創価学会との法論において司会を務める。
7月4日 参院大阪選挙区の補欠選挙が行われた際、創価学会員に戸別訪問や日雇い労働者達に候補者名の氏名の入ったタバコを渡すようを指示したとして公職選挙法違反(買収)の疑いで逮捕され、大阪東警察署大阪拘置所勾留
7月29日 創価学会幹部45人と共に起訴される。 後に検察官より禁固10か月の求刑を受ける[15]
4月2日 戸田が死去(58歳没)。
4月20日 戸田の「学会葬」で司会を務める[16]
6月 自ら新設した総務を青年部参謀室長と兼任[17]
6月2日 第5回参議院議員通常選挙において選挙参謀を務める。
6月30日 青年部参謀室長を辞任し参謀室の北条浩龍年光と共に創価学会理事に就任。[17]

会長就任以降

3月30日 戸田の三回忌法要を前に、会長への就任を正式に要請され、4月14日、正式に会長就任を受諾[18]
5月3日 創価学会第3代会長に就任。戸田の七回忌までに300万世帯の信徒獲得[19]邪教撲滅を目標に掲げる
6月、池田会長就任に反対し理事の石田次男を会長に推す幹部が、学会内に別組織『顕徳会』を立ち上げた。顕徳会の意志に男子部幹部約200名などが賛同し気勢をあげたが、わずか1年で解散となる。[20]
10月 南米を訪問。
11月27日 公明党の前身「公明政治連盟」が発足
1月25日 「大阪事件」で無罪判決が言い渡される。もし、有罪判決が確定すれば、池田は宗教法人法第21条3項の規定で刑期期間満了まで創価学会の役職を退かなければならなかった。
10月30日 リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーと会見。
5月3日 第27回本部総会において、政党の創設と衆議院進出、ならびに正本堂の建立・寄進の計画を発表。
宗門から法華講総講頭に任命される。
11月17日公明党」を結成。結党宣言で、日蓮の『立正安国論』を引用し、「『王仏冥合』・『仏法民主主義』を基本理念とする」旨を謳う。
1月1日 『聖教新聞』紙上で小説『人間革命』の連載を始める。
9月8日 第十一回創価学会学生部総会における講演で、中華人民共和国正式承認と日中国交正常化、中国国連加盟などを提言。
創価学会と公明党に対する批判本に対して、創価学会員、公明党議員らが出版・流通を妨害したとされる「言論出版妨害事件」に関し、野党議員が池田の証人喚問を要請[21]
5月3日 創価学会第33回本部総会において、「言論妨害という意図はまったくなかったが、結果として、妨害と受けとられ、関係者に圧力を感じさせ、世間にもご迷惑をかけてしまったことは、まことに申し訳ないと残念に思っております」[22]と謝罪、公明党と創価学会の分離を約束。
4月1日 創価大学を創立。
イギリス歴史学者アーノルド・J・トインビーと対談。
4月1日 アメリカ・カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のディクソン講堂で講演。
5月29日 香峯子や幹部らと共に中国を初訪問。
9月 ソ連を訪問し、アレクセイ・コスイギン首相と会見。
10月29日 創価学会の代表役員を辞任し、北条浩が代表役員並びに理事長に就任。
11月 『中国の人間革命』(毎日新聞社刊)を出版
12月29日 松本清張の仲介により、日本共産党の宮本顕治委員長と松本の自宅で会談。創価学会と日本共産党とが互いの存在を認め、相互不干渉を約束する、いわゆる「創共協定」を結ぶ(発表は約7ヶ月後の翌1975年7月)。
創価学会本部総会で、「七つの鐘」構想を発表。1990年までに広宣流布の総仕上げを目標に掲げた。
1月1日 創価学会本部において本尊の開眼入仏法要を行う[23][24]
1月 創価学会の世界的組織、SGI(創価学会インタナショナル)の会長に就任。
1月9日 イェール大学客員教授加藤周一とニューヨークで会談。
創価学会の青年部が中心になって集めた廃絶・原水爆禁止の1千万人の署名ニューヨーク国連本部で事務総長に手渡す。
池田と創価学会員との不倫関係を報じた月刊誌月刊ペン』に対し、名誉毀損に当たるとして創価学会及び相手とされた創価学会員らと共に月刊ペン社の発行人と編集長隈部大蔵刑事告訴
8月 宮本委員長から「創共協定」を遵守するようにと、会見を申し込まれるが、拒否。公明党からの異論が大きくなり(この件に関して後年、当時創価学会の顧問弁護士であった山崎正友の暗躍が取り沙汰されている)、「創共協定」は死文化する。
1月15日 第9回教学部大会で「仏教史観を語る」と題する講演を行う。寺院否定論など、独自の教義を打ち出し、創価学会独自の経本を作る。(「昭和52年路線」)これに反発した日蓮正宗内の若手僧侶が創価学会の教義逸脱を正すという活動を始める。
6月30日 「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱を是正することを『聖教新聞』紙上で表明。
9月3日 『聖教新聞』が本尊模刻の事実を認める記事を掲載[1]。創価学会側は本尊の謹刻について事態の収拾のために他の7体の本尊は総本山へ納められることとなった。
11月7日 本尊謹刻などについての院達を不服とする一部宗内を治めるため、創価学会創立48周年記念登山代表幹部会として、2千人の創価学会幹部、全国の教師と共に大石寺に登山を行い、本尊模刻を初めとする教義逸脱を謝罪(おわび登山)[1]

名誉会長就任以降

4月24日 日蓮正宗との問題で創価学会会長を引責辞任。新しく創設したポストである名誉会長に就任。終身制だった会長職を5年の任期と変更、後任の会長には北条浩が就任。
4月26日 法華講総講頭を引責辞任。他の法華講と同様に日蓮正宗の監督を受けることを約束。日蓮正宗の管長日達より、法華講名誉総講頭の辞令をもらう。
5月3日 日蓮正宗の法主、日達が池田名誉会長ら創価学会幹部の反省を受け入れ、問題の収束を宣言。
10月15日 東京地裁における『月刊ペン』に関する差し戻し裁判(第27回公判)に検察側の証人として出廷。
1月25日 「SGIの日」記念提言を発表(これ以後、毎年発表)。
6月 ルーマニアを訪問、当時の大統領だったニコラエ・チャウシェスクと会談。「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることがよく、理解できました」との賛辞を贈る[25]。しかしこの6年後ニコラエ・チャウシェスクは長期にわたり独裁政治を行ったとしてルーマニアの人民裁判で死刑判決が下り死刑が執行された。
8月8日 「世界保健機関」を初め、国連機関への貢献が評価され「国連平和賞」を受賞。なお、国連平和賞は国連の名称が付いているが、国連の公用語[26]。には国連平和賞の名称がない。また国際連合(United Nations)は同賞を制定、発行していない。
1月2日 日達の後を継ぎ、67世の法主となった 日顕により再び「法華講総講頭」に再任される。

日蓮正宗との決裂、日蓮正宗からの破門宣告以降

10月31日 アフリカ民族会議(ANC)副議長だったN.マンデラと会談。
11月16日 第35回本部幹部会において、宗門および日顕を批判。
12月13日 日蓮正宗より創価学会に対して池田のスピーチの真意を問いただしたが「出処不明のテープを本とした文書は受け取ることができない」と創価学会は拒否。
12月27日 日蓮正宗は法華講総講頭に任期制を導入。これにより任期終了と共に池田が法華講総講頭の資格を自動的に失う。
TBSの取材に対し日蓮正宗との対立については、「より高い次元に行くための現象」と説明、日蓮正宗からの独立をきっぱりと否定。
11月28日 創価学会とSGIが日蓮正宗から破門される。
8月11日 池田自身を含む全創価学会員が日蓮正宗から信徒除名処分。
日寛の本尊を創価学会が会員に配布。
8月8日 第69回創価学会本部幹部会において、細川連立政権の内閣発足前日に公明党が大臣ポストを獲得したと語ったことが、国会で問題となる[27]当時創価学会会長であった秋谷栄之助は国会で、「当日の新聞の閣僚予想記事の内容を話したのであって、党から何か事前に連絡や相談があったのではない」という旨を説明。
9月24日 アメリカのハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題して講演。
12月18日 オウム真理教が池田殺害を計画。創価大学キャンパス内でサリンを噴霧。池田は被災を免れるが、牙城会員数人が被災。新実もサリンを吸い込み一時重体に陥る。
4月 『中央公論』1995年4月号において、田原総一朗と対談。14年ぶりに国内ジャーナリストのインタビューを受ける[28]
11月28日 宗教法人法改正の問題で、池田を参考人招致しようとする自民党に対し、公明党系の新進党国会議員やその秘書ら約300人が、佐々木満委員長を委員長室に閉じ込め、 ピケを張り、座り込みをして審議再開を妨害。最終的に創価学会の法律上では責任者ではない池田の招致は見送られ、法律上の代表者となっている秋谷栄之助会長を招致することで決着。
2月11日 「戸田記念国際平和研究所」を設立[28]
6月、女性信者が過去数回にわたり池田から強姦を受けたという訴えを起こされる。
12月1日 日蓮正宗の一部改正に伴い、創価学会員の日蓮正宗の檀信徒資格が喪失。
11月27日 東京・元赤坂迎賓館中華人民共和国主席江沢民と会談。
6月4日 フィリピンジョセフ・エストラーダ大統領と会談。
  • 12月6日、創価学会の機関紙、創価新報に掲載された記事および写真に対する宗門との民事裁判で、東京地方裁判所は宗門の訴えを全面的に認め、被告の池田大作、および創価学会に対し原告1人当たり200万円の支払いと、機関紙における謝罪記事の掲載の命じる判決が下った。[29]
  • 2002年
中華人民共和国主席胡錦涛と会談
池田は会則を変更し、初代会長牧口常三郎、第2代戸田、第3代池田の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れる。
中華人民共和国首相温家宝と会談
3月22日ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフと会談。
4月末~6月にかけて、池田が重病で入院したという情報がマスメディアを駆け巡る。脳梗塞心臓病だとの憶測が飛んだが、創価学会広報室は「風邪疲労で体調を崩した」とのコメントを出す。以後、複数回にわたり重病説や死亡説がマスメディアを駆け巡る事がおおくなった。
12月 アメリカの世界的経済誌『フォーブス』(Forbes、2004年12月27日号)は、2004年9月6日号に「先生の世界」(「Sensei's World」)と題して、池田及び創価学会に関する記事を特集し掲載。[30]
11月30日 国際原子力機関IAEA)のM.エルバラダイ事務局長と会談。
4月12日 来日中の中華人民共和国首相温家宝と会談。日中友好を訴えた[31]首相の国会演説を「不滅の名演説だった」と讃える[32]
5月8日 中華人民共和国主席胡錦涛と会談[33]
5月の本部幹部会以降、体調不良から創価学会内の公式行事を全て欠席、現在へ至る。そのため重病説が一部マスメディアで取り上げられた[34]

人物

執筆

随筆小説、対談集などの他、仏法哲学の解説書、子ども向けの童話なども執筆している。また、写真家詩人としても活動している。

2007年3月7日にリリースされたアグネス・チャンの新曲『そこには 幸せが もう生まれているから』の作詞を手がけた(山本伸一名義、作曲はアグネス・チャン)。

対談・講演

国家指導者を初め、教育者、文学者、科学者、芸術家、社会活動家などと会見を多数行ない、発刊した対談集は50にも上る。特に印象に残った人物として周恩来を挙げている。「名優のごとく、言葉がわかりやすく、しかも深い。鋭さと温かさがある。」と評している。また、海外の大学・学術機関で講演を多数行なっている。

海外の大学・学術機関での講演回数
  • 中国7回(香港1回を含む)
  • アメリカ6回
  • ロシア3回
  • メキシコ、ブルガリア、ルーマニア、フランス、アルゼンチン、マカオ、フィリピン、インド、トルコ、ブラジル、イタリア、スペイン、ネパール、キューバ各1回

顕彰

国家勲章、大学からの名誉学位、国連や学術機関からの表彰など、多くの顕彰を受けており、授賞のたびに、創価学会の機関紙『聖教新聞』の一面を飾る事が多い。[35][36]

海外では、モスクワ大学グラスゴー大学ボローニャ大学フランス学士院ナイロビ大学等より「名誉博士号」「名誉教授称号」を授与されている。今では、池田が高齢のため学長や一行がかけつけ、特例として日本で現地の形式に則った、授賞式が行われるようになった。

日本では学校教育法106条名誉教授号の規定により今後、日本国内の大学で勤務経験のない池田が名誉教授の称号を受ける可能性は極めて低い。池田は今まで、自身が創設した創価大学からは1974年に名誉教授を、1983年11月に名誉博士を授与されている[37]

地方自治体からは、静岡県富士宮市名誉市民となっている他、第2代会長、戸田城聖の故郷の北海道厚田村(現「石狩市」)から「栄誉村民章」(1977年)を授与されている[38]。2009年には大阪府高槻市から「国際文化交流貢献賞」が送られた[39]

活動

創価学会系のメディアは、上述した著名人との対談や諸外国の大学等の講演で池田が精力的に活動をしていると度々報じているが、 2010年に創価学会インターナショナルはフランス政府により正式にカルト宗教認定された。[要出典]

批判者側からは、池田が平和活動をしているとアピールするのは池田に「ノーベル平和賞」を取らせるための戦略だとの見方がなされることがある。一方で池田自身は オーストリアの政治学者、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーとの対談において対談の中で「ノーベル平和賞」について、「そのような栄誉はほしくもありません。また下さるといっても、受けることもありません。そのような人間が世界に一人くらい、いてもいいでしょう」と語っている[40]。永年の貢献に対し1995年マハトマ・ガンディー民衆福祉財団(Mahatma Gandhi People's Welfare Trust, India)、正式名称、マダヴィ・マンディラム民衆福祉財団(The Madhavi Mandiram Loka Seva Trust)よりガンディー平和賞が贈られている[41]1988年「国際理解のためのG・ラマチャンドラン賞」を受賞。この他数々の賞(国連平和賞(1983年)、国連栄誉表彰(1988年)、ラウレアナ・ロサレス 教育・人道賞(1989年) (フィリピンにあるキャピトル大学から受賞)平和貢献・国連事務総長表彰(1989年)。を授与されているが、一部の賞は、国連及びその専門機関は制定していない。

また、上記の団体とは無関係のガンディー平和賞を受賞したとのデマがネット上で喧伝された。

中国との関係

これまで10度訪中し、北京西安鄭州上海杭州広州などを訪れている。また、毛沢東、周恩来、鄧小平、江沢民胡錦濤温家宝といった政府指導者をはじめとする中国各界の要人と会見するなど、親密な関係にある。

中国首脳陣との会談

1968年9月8日 「日中国交正常化提言」を発表。

1974年5月30日 中国の招聘により初訪中。 李先念副総理と会見。[42]

1974年12月5日 2度目の訪中。鄧小平副総理と会見。その直後、病気療養中の周恩来総理の強い意志により、周恩来と池田との会見が行われる。[43]

2007年4月12日 温家宝首相と会談。[44][45]

中国人学生との交流

1984年、「中華全国青年連合会(全青連)」と創価学会青年部との交流が始まる。池田自身が全青連の訪日団と会見。また、創価大学は、1975年に日本で初めて、中国から日本への正式な留学生を受け入れた。

中国の大学との文化交流

北京大学中国社会科学院などで記念講演を行っている。また、創価大学との教員・学生の交換などが活発である。さらに北京大学では「池田大作研究会」等の研究機関が設立されている。

中国との文化交流

1967年に北京芸術団が、民主音楽協会で公演。東京富士美術館で中国敦煌展、北京・故宮博物院名宝展を開催。

政見

公明党に関して

1976年11月16日に、「天下を取れることが少し私には見えて来た。天下を取らない党ならやる必要はない、私が控えているから心配するな」など公明党議員と記念撮影において述べたが公明党は国政選挙では大都市において候補者を擁立するだけであり全国に候補者を擁立したことは無い。

その他の政見

安全保障
憲法改正の論議はいいが、憲法第9条だけは絶対に変えてはいけない。」との見解を持っている[46]。日本は国連の常任理事国入りを望んでいるが、安全保障理事会の機軸である集団的自衛権という考えと、それを禁じる日本の憲法との間には矛盾があるので、「国際連合平和維持活動」(PKO)に参加するために、自衛隊とは別個の組織を作るというのが正しい道であろうと思う」との見解を示した(1991年・第16回「SGIの日」記念提言)。1991年湾岸戦争の直前には、5人の識者と共に、「戦争回避のための『緊急アピール』」をイラクフセイン大統領宛に送った。しかし、2003年「イラク戦争」の開戦が迫っていた1月26日『聖教新聞』紙上で「軍事力を全否定するということは(中略)政治の場でのオプションとしては、必ずしも現実的とはいえない」、「武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない。そうした毅然たる姿勢がテロへの抑止効果をもたらすという側面を全く否定するつもりはない」と武力行使を容認する見解を示した。
選挙
1999年 SGI(創価学会インタナショナル)の日(1月25日)付の『聖教新聞』で首相公選制を提言。
多様化した日本社会には、幅広い選択できるという理由で、中選挙区制が一番合っているとしている。
早くから「日本における外国人参政権」を認めるべきだと主張してきており[47]、創価学会を支持母体とする公明党も積極的に推進している。
教育
『朝日新聞』(2001年5月23日付)の「私の視点」というコラムで、「教育基本法」の見直しについて、「拙速は慎むべきである」、「『教育勅語』に盛られたような具体的な徳目は、基本法の性格になじまないと思う。法文化されれば、必然的に権威主義的な色彩を帯びてしまう」と述べている。

歴史観

池田の歴史観は日本を卑下し韓国をたたえているものが多い。韓国SGIの機関紙和光新聞が池田の歴史発言を数度にわたり掲載している。

和光新聞のコラムに掲載された歴史観

  • 「貴国(韓国)は、まことに日本に“文化の師匠”の国で、教育でも兄さんの国です。私は心深い所から尊敬しています。それにもかかわらず、……貴国を侵略した日本はいくら愚かだったか。」[48]
  • 豊臣秀吉朝鮮出兵を、朝鮮から仏教を初め、様々な文化的恩恵を受けたことを踏みにじる侵略だとして強く非難[49]
  • 日本は韓国と友情を結んで、韓国を尊敬して、韓国の心を学べばこそ平和と、繁栄の方向に進むことができる。しかし、韓国に対して傲慢になったら日本は必ず衰退して滅亡する。これが万代にかけて生命に刻まなければならない歴史観でまた人間の道だ」[50]
  • 「韓国が日本文化の“大恩である”ことは言うまでもない。仏教を含めてすべてのものに恩恵をこうむったと言っても過言ではない。(日本は)どうして“大恩である”国を裏切っただろうか」[51]

創価学会機関紙に掲載された歴史観

  • 戸田会長は原水爆禁止を宣言したが池田は『大東亜戦争の際、日蓮正宗を国家が弾圧し、創価学会を弾圧し、二度の原子爆弾投下をされております。一発は九州、一発は広島。日本の国が正法を誹謗した報いである』と発言、戸田との違いが表れている[52]

池田本仏論

池田が創価学会会長となった1960年以降、福島源次郎など一部の過激な幹部が池田会長をであるかのように喧伝。宗門との軋轢を招いた。日達は1974年4月25日の法華講登山において、「最近ある所では、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておるということを薄々聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません」と池田本仏論を批判した。

『聖教新聞』の紙上で、池田は「代々の会長を神格化などしてはなりません」「私などを絶対視してはならない」「私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております」と創価学会会長は指導者であって、仏ではないことを明言している[53]

1983年10月31日、元創価学会幹部の山崎正友の裁判に証人として出廷した際に、「一部の同志が調子に乗って自分を美化したのでは」という旨を述べている。

疑惑

週刊誌において出所が定かではない(不明である)内容が掲載されることがあり、池田に対する疑惑も多い。過去には裁判所が掲載した記事についてマスメディア、創価学会双方を断罪した例がある。

個人資産疑惑

「行政調査新聞」によれば、池田大作は1兆円の資産を「個人資産」としてスイス銀行に預けていたが2001年、スイス銀行が諸事情により「個人名義の預金」を一切扱わなくなってしまったためニューヨークの銀行に6000億円、ブラジルの銀行に4000億円と振り分けられたとされる。しかし「行政調査新聞」以外ではこの説は述べられていない。 それとは別に1977年5月には国会において池田の豪華専用施設等について調査し、質問する旨を知らせる手紙が届くなど個人資産に対する疑惑がある[54]

外国籍疑惑

池田は朝鮮人から日本人に帰化しているという説。当初は学位販売団体であるイオンド大学に籍をおく冨士谷紹憲が國民新聞に掲載したものであるが、この説がネット上に流布され、自称ジャーナリストの在日朝鮮人リチャード・コシミズが公演している。またそれとは別に韓国SGIや在日韓国人が池田大作は在日韓国人であり先祖は朝鮮半島から連れてこられたと主張している[55]。前者は「嫌韓」(韓国を嫌う)の立場から行われ、後者は「被韓」(韓国のものにする)という意味でつかわれているため同じ外国人説でも内容は全くの正反対である。また当時韓国では、創価学会は日本の宗教として認知され「禁教」扱いされていた。そのため在日韓国人が創価学会を韓国でも布教できるようにするための主張であるとされる。

ちなみに、これらの外国籍疑惑も池田大作の戸籍を直接確認したという話は全く無く、逆に池田の家系図が週刊誌に掲載されていることから外国籍説は否定されている。

信者暴行疑惑

1996年、北海道創価学会の幹部だった女性が、「過去数回にわたり創価学会名誉会長池田大作からレイプされた」との告発手記を『週刊新潮』に発表した後、女性とその夫が池田を相手取り損害賠償請求の訴えを起こした。内容は全くのデマであり、訴訟も金銭目当てであるとされた。判決も「訴権の濫用による却下」という前代未聞の判決が下る。

新聞では池田の随筆や論文が掲載され、テレビでは池田は近年メディアに出ないこともあり取り上げられることはないがゴルバチョフ氏や温家宝など外国の要人との会談は放送されたり[56]創価大学や聖教新聞社のTVCMが流れるようになった。

池田大作暗殺計画

池田は過去に暗殺計画をかけられたことがある。

藤原行正による暗殺計画

1988年、弟弟子であった藤原行正が池田大作を暗殺し自分の息子を創価学会の会長に据える計画を立てる。実際に藤原は暴力団関係者と密会し暗殺は実行寸前にまで至ったが金銭トラブルから契約は頓挫し暗殺計画が発覚した [57][58]。その後藤原は『池田大作の素顔』という暴露本を出版し池田に対抗した。

オウム真理教による暗殺計画

1990年代に創価学会とオウム真理教との間で信者の奪い合い(改宗合戦)が横行し多数のオウム信者が創価学会に改宗した。そんな中1993年12月18日に池田が創価大学での演奏会に出席するという情報を手に入れたオウム真理教はかねてより仏敵と称していた池田大作をサリンで殺害しようと暗殺計画を実行した[59]。しかし会館の警備を担当していた創価学会員に怪しまれ計画はとん挫、池田に被害はなく創価学会員数名が負傷するだけに終わった。しかし池田の行動予定という情報が漏洩した事態を重く見た創価学会は以後情報管理を徹底するようになった。

関係する人物や団体

  • 安倍晋太郎 1958年、大石寺大講堂完成記念の祝典に岸信介の代理で安倍晋太郎が出席して以来、何度も面会したという。「きれいな心で学会のこと、世界のことなど私と話し合うことを楽しみにして下さったようである」と池田は述べている[60]

評価

  • 冬柴鐵三(公明党元幹事長、国土交通大臣):「人生で最も影響を受けた人物」「あらゆる面で影響を受けた」[61]
  • 遠藤乙彦(元外交官、公明党所属の国会議員):「人生に関するどんなことでも相談して、教えを受けられる先生」、「池田先生の思想・仏教に基づいた教えに耳を傾ければ、もっと(世界の)問題が解決していくでしょう」[62]

批判

批判する立場になったまたは袂を分けた元幹部

エピソード

  • 評論家・高瀬広居のインタビューにおいて、自らを「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」と豪語したという[78]
  • 1969年、『月刊宝石』紙上での「話せるなァ、会長は!」と題する青島幸男との対談において、「もし、それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私は男性として認めます。」と述べた。池田の女性スキャンダルを書いた『月刊ペン』を告訴した裁判の中で、最高裁の裁判長はこの発言に言及し、「学会幹部の男女問題に疑惑を感じていた者らにとってはやはりそうであったかと思わせる素地につながっていることも否定し難いのである。」と述べた。(最高裁判所 第一法廷1981年4月16日)
  • 2005年6月、韓国の『東亜日報』(2005年6月18日付)が「小沢一郎自民党幹事長(当時)の要請で、海部俊樹首相が韓国の盧泰愚大統領に池田大作との会見を依頼する親書を送った」と報じた。

家族

著書

  • 人間革命聖教新聞社
  • 『新・人間革命』 聖教新聞社
  • 『私の履歴書』 日本経済新聞社
  • 『若き日の日記』
  • 『忘れ得ぬ同志』 聖教新聞社
  • 『心に残る人びと』 角川書店
  • 『法華経の智慧』 聖教新聞社
  • 『アレクサンドロスの決断』 集英社
  • 『青春対話』 聖教新聞社
  • 『母の詩』 聖教新聞社(発行部数120万部のベストセラー)
  • 『明日をみつめて(Embracing the Future)』ジャパンタイムズ

ほか共同著書として多数の著書を出版している

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 古川利明 『シンジケートとしての創価学会=公明党』(第三書館 1999年11月20日) ISBN 978-4-8074-9924-3
  2. ^ a b 新「創価学会」を斬る【第7回】(『週刊新潮』2003年12月18日号)
  3. ^ a b 月刊ペン』1976年5月号(月刊ペン社)
  4. ^ 溝口敦 『池田大作 権力者の構造』(三一新書(1972年3月)、講談社(2005年9月) ISBN 978-4-380-72004-8 ISBN978-4062569620
  5. ^ 週刊宝石』(1996年4月号)
  6. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「koguti」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  7. ^ 「協友会」は東大出身の経済学者が主導していた20名ほどの青年グループであり、文化芸術政治経済哲学などを研究していた
  8. ^ a b c 財界』(財界研究所 1967年8月1日号)
  9. ^ 加盟業者への社会保険の指導と業界内の連絡などの仕事を任される。
  10. ^ 『聖教新聞』(1957年
  11. ^ a b 朝日新聞』(1965年2月)「新人国記」
  12. ^ 創価学会の会長になった後、卒業論文を提出し、1968年に経済科の卒業が認められた。
  13. ^ 当時の『聖教新聞』の名刺広告に「大蔵商事」の幹部としての肩書きが載っている。『週刊新潮』平成15年(2003年)12月18日号
  14. ^ a b 戸口浩 『創価学会の真実―「地涌正統」からの通信』(日新報道 1992年4月)P200 ISBN 4-8174-0278-4
  15. ^ 朝日新聞』 1957年7月29日付夕刊
  16. ^ 大白蓮華2010年4月号P28「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に」
  17. ^ a b 古川利明 『システムとしての創価学会=公明党』(第三書館 1999年10月25日) ISBN 978-4-8074-9922-9
  18. ^ 大白蓮華2010年4月号P39「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に」
  19. ^ 大白蓮華2010年4月号P32「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に」
  20. ^ 「創価学会に内乱起る・鉄の団結にいどむ顕徳会」 『週刊公論』昭和35年7月12日号
  21. ^ 公明党と自民党の反対により、実現には至らなかった
  22. ^ 週刊実話』 1970年5月18日号
  23. ^ 『 聖教新聞』 1975年(昭和50年)1月4日付
  24. ^ a b 原島嵩 『池田大作先生への手紙―私の自己批判をこめて』(晩声社 1980年8月)
  25. ^ 『聖教新聞』昭和58年(1983年)6月10日付
  26. ^ 英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語など
  27. ^ 第129回国会 衆議院 予算委員会 第8号 平成6年(1994年)5月24日(議事録
  28. ^ a b 朝日新聞アエラ編集部 『創価学会解剖』(朝日新聞社 2000年1月1日) ISBN 978-4-02-261286-1
  29. ^ 偽造写真事件判決全文
  30. ^ 記事内容に多くの誤りがあったためアメリカSGI(創価学会インタナショナル)のガイ・マクロスキー主任副理事長の抗議文を掲載。編集部名にて訂正。
  31. ^ 公明党幹部はこの来日は、日中間の政治問題となっている「首相の靖国神社参拝問題」に釘を刺す狙いがあるとの見方を示した。
  32. ^ 温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談捏造記事asahi.com 2007年4月12日20時51分)[リンク切れ]
  33. ^ 『聖教新聞』2008年5月9日付捏造記事
  34. ^ 週刊新潮2010年9月22日号
  35. ^ 財団法人「東洋哲学研究所」
  36. ^ [1][リンク切れ]
  37. ^ 『池田大作なき後の創価学会―巨大教団が迎える危機の研究』 宝島社、2007年、P189
  38. ^ 北海道創価学会「池田大作第第会長と北海道」北海道SOKA net[リンク切れ]
  39. ^ 聖教新聞2009.3.28 大阪・高槻市が民主音楽協会創立者・池田先生に「国際文化交流貢献賞」
  40. ^ 1967年10月13日の会談
  41. ^ 財団法人東洋哲学研究所
  42. ^ 席上、李先念は、池田による「国交正常化提言」等の活動に対し、「大きな働きをされました。大変に価値あるものです。周総理も重大な関心を寄せておられます。本来なら総理が会って、ごあいさつすべきなのですが、総理は今、病気療養中です。『池田会長にお会いしたいけれども、今回はお会いできないので、くれぐれもよろしく伝えてほしい』と申しておりました」と語った。「聖教新聞」2004/12/05
  43. ^ 席上、周恩来は「池田先生とは、どうしても、お会いしたいと思っていました」「池田先生が再三にわたって、中日両国人民の友好関係を発展させねばならないと提唱されてきたことをうかがい、私は大変にうれしかった」「これからは世界の国々が互いに尊敬し、励まし合って進むべきです」「中日平和友好条約の早期締結を希望します!」と語った。
  44. ^ 温家宝首相は、「贈池田先生/慈航創新路/和諧結良縁/温家寶/二〇〇七年四月」という自筆の書を贈り、「私は、先生のことを、大変、尊敬しています。池田先生は、文化、文学の面において、大変、造詣が深いだけでなく、中日両国の友好のために、自ら多くの努力を捧げてこられました」「私は、先生の著作を読ませていただくときに、これは哲学であり、修養だという気持ちを抱いています」と語った
  45. ^ 『聖教新聞』2007年4月13日付
  46. ^ 『毎日新聞』(2001年9月25日付)でのインタビュー
  47. ^ 櫻井よしこ 「野中幹事長さん、国を売る気ですか!」(『諸君!』(文藝春秋 平成12年(1990年)10月号)
  48. ^ 韓国SGI機関紙『和光新聞』(2005年4月8日号)コラム「来光」
  49. ^ 韓国SGI機関紙『和光新聞』(2005年4月22日 633号) コラム「来光」
  50. ^ 韓国SGI機関紙『和光新聞』(2005年4月15日号)コラム「来光」
  51. ^ 韓国SGI機関紙『和光新聞』(2005年5月20日号)コラム「来光」
  52. ^ 池田会長講演集 第三巻 290~291ページ
  53. ^ 「所感恩師の二十三回忌に思う」(『聖教新聞』昭和55年(1980年)4月2日付)
  54. ^ 朝日新聞アエラ編集部 『創価学会解剖』(朝日新聞社 2000年1月1日)
  55. ^ 週刊新潮2005年5月19日号 42ページ
  56. ^ テレビ朝日系『スーパーJチャンネル』 2007年4月12日放送
  57. ^ 『地涌(じゆ)からの通信 - 日蓮正宗中枢の傲慢と戦う〈1〉』 はまの出版1991年3月 ISBN 4893611232
  58. ^ 『暁闇 - 二枚舌・山崎正友と宗門問題』 報恩社2002年12月 ISBN 4902059002
  59. ^ (毎日新聞東京夕刊「オウム真理教『93年11月にサリン使った』化学班の森脇佳子被告が供述」1995.06.23, p. 17 から引用:「これまでの調べで、教団が池田大作暗殺未遂のほかにも、大川隆法・幸福の科学代表ら数人の襲撃を計画していたことも判明した。」)。小林よしのりもポアの対象であった
  60. ^ 『聖教新聞』(2001年3月付)
  61. ^ 大臣のほんね 冬柴鐵三国土交通大臣(後編)政府広報オンライン[リンク切れ]
  62. ^ 第129回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成6年(1994年)2月21日(議事録
  63. ^ 諸君!』 2005年6月号
  64. ^ イギリスの新聞『ガーディアン』 1984年5月19日付での手記。
  65. ^ 『池田大作の真実』
  66. ^ 週刊新潮』 2007年4月12日号
  67. ^ 山崎正友 『闇の帝王、池田大作をあばく』(三一書房 1981年12月)
  68. ^ 『朝日新聞』の連載「秘話・・・55年体制のはざまで」1998年8月26日~9月18日
  69. ^ 矢野絢也 『二重権力・闇の流れ―平成動乱を読む、政界仕掛人・矢野絢也回想録』(文藝春秋 1994年8月)
  70. ^ 『月刊Asahi』1991年4月号
  71. ^ 石田次男 『内外一致の妙法 この在るべからざるもの』(縁友会 1995年)
  72. ^ 大橋敏雄 『吹けば飛ぶ男の奮戦記--古参代議士が見た創価学会』(人間の科学社 1900年1月15日)ISBN 978-4-8226-0000-6
  73. ^ 『宝石』1995年5月号126ページ
  74. ^ 『宝石』1995年5月号126ページ
  75. ^ 『宝石』1995年5月号126ページ
  76. ^ 『宝石』1995年5月号126ページ
  77. ^ 『宝石』1995年5月号126ページ
  78. ^ 高瀬広居 『人間革命を目指す池田大作・その思想と生き方』(有紀書房 1965年)
  79. ^ 『聖教新聞』 2005年6月19日付

関連項目

外部リンク