西村眞悟
|
にしむら しんご
|
|
|---|---|
| 生年月日 | 1948年7月7日(63歳) |
| 出生地 | 大阪府堺市 |
| 出身校 | 京都大学 |
| 前職 | 神戸市職員・弁護士 |
| 所属政党 | (民主改革連合→) (民社党→) (新進党→) (自由党→) (民主党→) (改革クラブ→) (無所属→) たちあがれ日本 |
| 称号 | 法学士 |
| 親族 | 実父・西村栄一 義父・岡澤完治 従兄弟・西村章三 |
| 公式サイト | 西村眞悟ホームページ |
|
|
|
| 選挙区 | (大阪府第5区→) (大阪府第17区→) 比例近畿ブロック |
| 当選回数 | 5回 |
| 任期 | 1993年7月19日 - 2009年7月21日 |
西村 眞悟(にしむら しんご、1948年(昭和23年)7月7日 ‐ )は、日本の政治家、元弁護士(大阪弁護士会)。元防衛政務次官。前衆議院議員(5期)。たちあがれ日本大阪府第17選挙区支部長。
実父は元衆議院議員西村栄一(民社党第二代委員長)。従兄弟は元衆議院議員西村章三。岳父は元衆議院議員岡澤完治。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 生い立ちから神戸市職員の頃まで
大阪学芸大学付属天王寺中学校(現大阪教育大学附属天王寺中学校)、大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎を経て一浪後京都大学に入学。
大学には八年在学した。西村眞悟によると「なにしろ、父親が亡くなったうえは、奮起して生活路線を築くというのが大学卒業を控えた息子の通常の姿ではないか。しかし、僕はその反対をころがりはじめた。大学は卒業するどころか、八年も在学してしまった。裏表といえば聞こえはいいが、僕の場合は裏裏だった。八年で大学を放り出されるのが判っていても、将来の進路が定まらない。それでおふくろは、あるとき、突然僕にこう言った“明日、職安へいけ”と…」[1]。
1976年(昭和51年)京都大学法学部卒業。1979年(昭和54年)神戸市職員になる。
[編集] 弁護士として
1982年(昭和57年)、司法試験合格。37期司法修習生となる(同期に稲田朋美がいる)。1985年(昭和60年)、弁護士登録。この後政界入りするまでに連合大阪顧問弁護士を経験する。
[編集] 政治家として
1992年(平成4年)7月、第16回参議院議員通常選挙大阪府選挙区に連合の会公認、社会党・民社党・社民連推薦で出馬し、落選。
1993年(平成5年)7月、第40回衆議院議員総選挙旧大阪5区に民社党公認・新生党推薦で出馬し初当選。
1994年(平成6年)12月、民社党解党。新進党結成に参加。同党初代党首選では米沢隆民社党委員長の推薦人となるも、米沢は落選。
1996年(平成8年)10月、第41回衆議院議員総選挙大阪17区に新進党公認で出馬し当選(2期目)。
1997年(平成9年)12月、新進党解党。翌年1月小沢一郎を党首とする自由党結成に参加。
1999年(平成11年)10月5日、小渕内閣第2次改造内閣の防衛政務次官に就任(同月20日辞任)
2000年(平成12年)6月、第42回衆議院議員総選挙大阪17区に自由党公認で出馬し小選挙区で落選するも比例代表で復活当選(3期目)。
2003年(平成15年)9月、自由党解党。民主党に合流。11月、第43回衆議院議員総選挙大阪17区に民主党公認で出馬し当選(4期目)。
2005年(平成17年)9月、第44回衆議院議員総選挙大阪17区に民主党公認で出馬し小選挙区で落選するも比例代表で復活当選(5期目)。11月28日、弁護士法違反容疑(弁護士資格がない法律事務所元職員に、弁護士印を使用させるなど自分の名義貸しをした容疑)で逮捕される[2]。11月29日、民主党が除籍処分を常任幹事会で決定。
2006年(平成18年)3月18日、衆議院本会議で議員辞職勧告決議を受ける。
2007年(平成19年)9月25日、大阪地裁に於いて、弁護士法違反(弁護士の名義貸し)として懲役2年、執行猶予5年の判決。組織犯罪処罰法(犯罪収益収受)に関しては無罪判決。検察側、弁護側ともに控訴しなかったため、弁護士法違反の判決が確定し、弁護士資格剥奪が確定。
2008年(平成20年)9月24日、改革クラブへ参加し、同クラブの衆議院代表に就任。西村の参加により改革クラブは所属議員が衆参合わせて5名となり、政党助成法に基づく政党要件を満たした。総理大臣指名選では平沼赳夫支持(前年は民主党代表小沢一郎支持、前々年は自民党総裁安倍晋三支持)。
2009年(平成21年)8月、第45回衆議院議員総選挙大阪17区に改革クラブ公認で出馬するも、小選挙区、比例区ともに落選。
2010年(平成22年)7月9日、眞悟の時事通信にて「たちあがれ日本の運動員」という言葉を使い、たちあがれ日本に参加したことを明かした。のちにたちあがれ日本に入党、同党の大阪17区支部長となる。
[編集] 人物像
- 親台派で金美齢と深い交友関係にある。
- 戸塚宏の脳幹論に賛同し、戸塚ヨットスクールを支援する会の発起人に名を連ねている。
- 弁護士としては上海列車事故の遺族側弁護団の一員として現地調査に参加した。
- 北朝鮮による日本人拉致問題には早い時期から積極的に取り組み北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟の幹事長であった。
- 「ビートたけしのTVタックル」や「たかじんのそこまで言って委員会」などのテレビ番組の出演が多かった。日本文化チャンネル桜(スカイパーフェクTV!767ch)では自らの名を冠した番組『西村眞悟の「眞悟十番勝負!」』に出演した。
- アメリカ合衆国の強い姿勢を良しとする一方で、核武装議論の必要性を示唆し、「現行憲法はアメリカに押し付けられたもので、大変迷惑」と発言した。
- 全国犯罪被害者の会幹事・本村洋を支援している。
- 2005年当時の民主党代表であった岡田克也が小泉首相の靖国参拝を批判する質問をした際、それを中華人民共和国寄りの発言として「中国(中華人民共和国)の代弁者をした奴が総理になれるはずが無い。あんな奴はスーパーマーケットを経営しとったらええねん」と批判した(岡田はイオングループ創業家出身である)。
- 保守的な政治団体である維新政党・新風の党友である。
- 第170回国会(2008年9月24日- 2008年12月25日)で提出された「パチンコ店における出玉の換金行為を取り締まり、完全に違法化することに関する請願」の紹介議員である。[3]
[編集] 政策・主張
- 1997年2月3日 - 衆議院予算委員会において、初めて横田めぐみ拉致事案を取り上げ、また田口八重子・地村保志・濱本富貴惠・蓮池薫・奥土祐木子・市川修一・増元るみ子などの実名も挙げ、彼らが北朝鮮に拉致されていると明確に指摘した質疑を行い、橋本龍太郎総理大臣、池田行彦外務大臣に政府の見解を質した。当時13歳の中学生少女が拉致されていたという事実の指摘は、北朝鮮による日本人拉致問題が広く国民に認識される契機となった。同時に被害者家族は家族会を結成し、救出活動を開始することになった。また国会内では議連結成の動きが本格化した。西村は同月、中山正暉が会長となり設立された「北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟(旧拉致議連)」の議連幹事長に就任した。
- 1997年5月6日 - 現在領有問題がある日本固有の領土、尖閣諸島魚釣島に石垣市議会議員の仲間均、フリーカメラマンの宮嶋茂樹、映像教育研究会の稲川和男の三人と視察を行った。国会議員の上陸はこれが初めてのことであった[5]。
- 2002年4月 - 中山正暉の不可解な言動による旧拉致議連の解散に伴って改めて立ち上げられた「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(新拉致議連)」の幹事長に就任し、家族会・救う会と結束して行動することを確認した。
- 2002年6月 - 朝まで生テレビ!にて、出席者の一人である日本共産党の衆議院議員・穀田恵二に対し、「共産主義者は母国が日本じゃない」と発言した。
- 2004年2月25日 - 議員連盟「教育基本法改正促進委員会」設立総会のあいさつで「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子ども達に教える。これに尽きる」と発言した。
- 2006年9月26日 - 民主党を除籍されたあと、最初の総理大臣指名選挙では、民社党解党後の同志だった民主党代表・小沢一郎ではなく、93年衆院初当選同期で同じ保守派で親しかった自由民主党総裁・安倍晋三に投票した。
- 2007年6月 - 米下院121号決議に対する抗議賛同の国会議員として名を連ねる。
- 2007年9月25日 - 安倍内閣総辞職に伴う総理大臣指名選挙では、民主党代表・小沢一郎に投票した。
- 2008年9月24日 - 福田内閣総辞職に伴う総理大臣指名選挙では、無所属で拉致議連会長の平沼赳夫に投票した。
- 2008年11月1日 - 自身のブログで田母神俊雄航空幕僚長の主張に対し「当たり前のことを述べておられる。同感である。」と賛同した[6]。
[編集] 所属議員連盟
[編集] 家族・親族
- 父・栄一(政治家・民社党第2代委員長)
- 1904年(明治37年)3月生 ~ 1971年(昭和46年)4月没。
- 西村眞悟によると、「思えば父は、明治生まれの伝統を濃厚に持っており家の中では家父長的で自己中心的でなければならないと思い込んでいた。すなわち父は、急に怒り始める、手が出はじめればなかなか一回でとめることができない。静かに食事をしているのに、父が急に怒ってお膳をひっくり返したことが数度あった。要するに、父が家にいるときは、緊張を強いられ気を緩めることができないのだ。後年、選挙区などで、父のことを温厚な優しい方だったと多くの人から言われるようになるが違和感を覚えること再三である」という[7]。
- 母・秀子(音楽家東儀哲三郎の娘)
- 1909年(明治42年)1月生 ~ 2002年(平成14年)12月没。洗礼名マリア。
- 東儀家は、宮中の雅楽を伝える家であり、大陸からの渡来人・秦氏の末裔という。
- 東京神田三崎町に生まれた。評論家の俵孝太郎の妹のピアノの家庭教師をしたことがあったが、俵はその著書で「東儀秀子さんは、その当時和服やモンペだけの時代に洋服姿で颯爽と現れた」と書いている(眞悟の時事通信バックナンバー/母のこと)
- 兄・勇三(画家)
- 1945年(昭和20年)8月 - 2008年(平成20年)9月没
- 早産の為に小児麻痺の障害を持って生まれた(西村勇三 | 口と足で描く芸術家協会、眞悟の時事通信(西村勇三の帰天・・・果たし尽くした生涯))
- 妻(弁護士、税理士、政治家岡沢完治の娘)
- 二男一女あり
- 2008年(平成20年)1月9日長男林太郎が議員宿舎の自らの部屋から転落死した。この件に関して、西村は旧知の記者を通じて「強いうつ病の症状があり、前日に慶應大学病院の医師の診察を受けており、当日も同病院まで連れて行く予定があった」との手記を発表した[8]。
- いとこ・西村章三(政治家)
[編集] 系譜
父・栄一の郷里
- 父西村栄一は1904年(明治37年)3月、奈良県北葛城郡五位堂村(旧鎌田村、現香芝市)に生まれた。出身地の鎌田村は、大和高田市の近くであり、奈良県といっても西側にすぐ金剛生駒国定公園をのぞむ大阪府との県境に近いところである[9]。国鉄和歌山線の「しもだ」と「なかだ」の中間にあたり、近鉄南大阪線がその南方を走っている[9]。その「たいま」駅の近くにあたり付近は農村である[9]。西村の好んだ千早城跡や金剛山は、その西よりの南方にあたり鎌田から行くには時間がかかるが距離的にみると比較的近い[9]。生家は水のみ百姓[10][11]で、「苦学もできないほど貧乏だった[10][11]」。
一家離散
- 西村眞悟によると、「小さい頃、父は孤児であったと聞いていたような気がする[12]。そして、幼いながらも、我が父は、苦労した人だなーと思ったものだ[12]。(中略)父の家は材木商をしていたが、父が六歳の頃破産した[13]。
- 栄一の祖父は奈良県下に電線を引く工事を請け負い多くの電信柱の用材を購入して工事を開始しようとしたが、用材の価格が暴騰した。請負代金の範囲では工事が無理となった。しかし、栄一の祖父は、お上との約束は守ると言って私財をつぎ込んで電信柱を約束通り立てた。それが一家破綻につながった。当主は久太郎といい、戦前までは鍵のなかに久と書いた「鍵久」のマークのはいった電信柱がみられたと母が言っていた。[14]。
- 一家は離散し父の生まれた家はあとかたもなくなっていた。それゆえ、村の墓には、江戸期からの西村家の墓石が並んでいるが明治末で途絶えている。その墓石の列の中に相撲取りや浄瑠璃作家のような古い墓がある。道楽者の当主が抱えた相撲取りや作家であったということだ。母に言わせると、西村家は、金と暇があればご機嫌の当主とやり手の当主が交互に出る家だということだ。父の祖父は、侠客肌のやり手で信望が厚く、父の父は、金と暇があればご機嫌の部類であった」という[13]。
父・栄一の経歴
- 栄一は、保険会社勤務、堺市議を経て1946年(昭和21年)衆議院議員に当選。1953年(昭和28年)衆議院予算委員会での吉田茂首相との質疑応答が「バカヤロー解散」を引き起こす[15]。1962年(昭和37年)民社党書記長、1967年(昭和42年)第2代委員長に就任。
┏━━━━━━━━━西村章三 ┃ ┃ ┃ ┃┏兼松龍平 ┃┃ 西村久太郎━━西村栄太郎━━┫┗幾子 ┃ ┃ ┏男 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━━╋男 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗女 ┗西村栄一 ┃ ┏西村勇三 ┃ ┃ ┣━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ ┗西村眞悟 ┏秀子 ┃ ┏西村林太郎 ┃ ┃ ┃ 東儀哲三郎━━━━╋女 ┣━━━━━╋男 ┃ ┃ ┃ ┗東儀正博 ┃ ┗女 ┃ 岡沢完治━━━━━━━妻
[編集] 文献
[編集] 著書
特記なき物は展転社より。
- 『亡国か再生か : 自虐50年の戦後日本から脱却する』1995年12月、ISBN 4886561179
- 『誰か祖国を思わざる : 政治家の使命とは何か』クレスト社、1997年5月、ISBN 4877120556
- 『海洋アジアの日出づる国』2000年1月、ISBN 4886561756
- 『誰が国を滅ぼすのか : 靖国、憲法、謝罪外交』徳間書店、2001年9月、ISBN 4198614172
- 『闘いはまだ続いている』2003年7月、ISBN 4886562302
- 『真悟の憂国』高木書房、2005年4月、ISBN 4884710681
- 『中国の恫喝に屈しない国』WAC、2010年12月、ISBN 4898316360
[編集] 共著
- 『この日本をどうする : 再生のための10の対話』石原慎太郎著、西村真悟他述、文藝春秋、2001年3月、ISBN 4163572406
- 『国益会議 : 「アメリカ一極支配時代」を日本はいかに生き抜くか』日下公人他著、PHP研究所、2003年7月、ISBN 4569629237
[編集] 関連項目
- 東儀家 - 母方の家系である。
- 向山好一
- 鈴木尚之
- 高池勝彦
- 藤野義昭
- 南出喜久治
- 阿羅健一
- 田母神俊雄
- 小山和伸
- 平沼赳夫
- 連合参議院
- たちあがれ日本
- 念法眞教 - 支援団体の1つ。愛国心の涵養、教育勅語の復活、北方領土の返還などを訴える保守系宗教。
- 建国義勇軍 - 西村が名誉顧問を務めた「刀剣友の会(日本人の会)」の会長と幹部が参加していたグループ。
[編集] 脚注
- ^ 西村眞悟著『真悟の憂国』241頁
- ^ この際の主任検事は、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件で逮捕された前田恒彦である(西村眞悟ホームページ・眞悟の時事通信「こらー!検察! そして 菅の売国内閣め!」)
- ^ 第170回国会 15 パチンコ店における出玉の換金行為を取り締まり、完全に違法化することに関する請願
- ^ 2.2 「頑張れ日本!全国行動委員会」結成大会& 日本解体阻止!外国人地方参政権阻止!全国総決起集会 日本文化チャンネル桜
- ^ “民主・自民の衆院議員、尖閣諸島海域を視察”. 読売新聞. (2012年1月21日) 2012年1月21日閲覧。
- ^ 西村眞悟ホームページ・眞悟の時事通信(「強い国」とは歴史の真実を堂々と明言できる国・さらば村山富市)
- ^ 西村眞悟著『真悟の憂国』229頁
- ^ オフイス・マツナガによる手記公開
- ^ a b c d 『西村栄一伝―激動の生涯―』61頁
- ^ a b 『西村栄一伝―激動の生涯―』397頁
- ^ a b 昭和42年(1967年)6月15日毎日新聞朝刊『ときの人』欄
- ^ a b 西村眞悟著『真悟の憂国』224頁
- ^ a b 西村眞悟著『真悟の憂国』225頁
- ^ 西村眞悟ホームページ─《僕の生い立ち 〜 疾風怒濤前夜 1 〜》
- ^ 衆議院予算委員会議事録1953年2月28日
[編集] 外部リンク
- 西村眞悟ホームページ(公式サイト)
- 東京西村塾BLOG(東京西村塾の公式ブログ)
- 真悟の会・堺(西村眞悟の地元堺市後援会組織)
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 池端清一 |
2000年 |
次代: 菅原喜重郎 |