片山虎之助

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日本の旗 日本の政治家
片山 虎之助
かたやま とらのすけ
生年月日 1935年8月2日(79歳)
出生地 岡山県笠岡市
出身校 東京大学法学部
前職 国家公務員自治省
岡山県副知事
現職 日本消防協会最高顧問
所属政党 自由民主党→)
たちあがれ日本→)
太陽の党→)
日本維新の会→)
維新の党
称号 法学士
親族 義弟・石川嘉延
公式サイト 片山虎之助のホームページ

日本の旗 第1・2代 総務大臣
内閣 第2次森改造内閣(中央省庁再編後)
第1次小泉内閣
第1次小泉第1次改造内閣
任期 2001年1月6日 - 2003年9月22日
議員会館 参議院議員会館418号室

日本の旗 第68代 郵政大臣
第56代 自治大臣
第26代 総務庁長官
内閣 第2次森改造内閣(中央省庁再編前)
任期 2000年12月5日 - 2001年1月6日

日本の旗 参議院議員(2期目)
選挙区 比例区
当選回数 1回
任期 2010年7月26日 - 現職

日本の旗 参議院議員(1期目)
選挙区 岡山県選挙区
当選回数 3回
任期 1989年7月24日 - 2007年7月28日
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片山 虎之助(かたやま とらのすけ、1935年(昭和10年)8月2日 - )は、日本政治家自治官僚維新の党所属の参議院議員(4期)、維新の党総務会長日本消防協会最高顧問、日本防火協会会長。

郵政大臣第68代)、自治大臣第56代)、総務庁長官第26代)、総務大臣(第12代)、参議院予算委員長自由民主党参議院幹事長国会対策委員長たちあがれ日本参議院幹事長、日本維新の会国会議員団政策調査会長・参議院議員団会長等を歴任。

東京大学法学部自治省の後輩にあたる元静岡県知事石川嘉延は義弟。

来歴[編集]

岡山県笠岡市金浦生まれ。岡山県立岡山朝日高等学校東京大学法学部卒業。1958年、旧自治庁(のち自治省、現総務省)に入庁。静岡県総務部長、自治大臣官房審議官、地元岡山県の副知事などを歴任する。1988年7月、自治省消防庁次長を最後に退官した。

1989年、元参議院議長木村睦男の地盤を引き継ぎ、第15回参議院議員通常選挙自由民主党公認で岡山県選挙区から出馬し、初当選した。党内派閥では平成研究会に所属し、大蔵政務次官や自民党参院国会対策委員長等を歴任する。1995年第17回参議院議員通常選挙で再選。翌1996年岡山県知事選挙への立候補に一時、意欲を示したが、最終的に出馬を断念。

2000年第2次森改造内閣郵政大臣自治大臣総務庁長官に任命され、初入閣した。三つの閣僚を兼任したのは、翌年の中央省庁再編により郵政省自治省総務庁が統合されるためである。2001年、中央省庁再編により初代総務大臣に就任し、第1次小泉内閣でも再任された。同年、第19回参議院議員通常選挙で3選。また、横浜市が導入を目指していた勝馬投票券発売税を国の経済施策に照らして不適当とし、法定外普通税で唯一の不同意通知を出した。翌2002年に発足した第1次小泉第1次改造内閣でも留任。2003年、総務大臣を退任し、参議院予算委員長に就任。

2004年、参議院議員会長・青木幹雄の下で自民党参議院幹事長に就任。郵政国会では、かつて総務相、郵政相を務めた経験を生かしながら、参議院自民党幹部の立場から与党内でも反対論が強かった郵政民営化法案への賛成者を増やすべく、法案修正に尽力(ただし、参議院では同法案は否決され、首相の小泉純一郎衆議院を解散した)。2005年、自民党岡山県支部連合会会長、自民党通信放送産業高度化小委員長に就任。2006年、財団法人日本消防協会会長に就任(2010年5月に退任し、同時に最高顧問に就任)。

2007年7月29日第21回参議院議員通常選挙では自民党に対する逆風に危機感を覚え、2005年郵政国会で造反した平沼赳夫の協力を得る。しかし、岡山県選挙区では「姫の虎退治」を標榜する民主党の新人候補・姫井由美子に敗れ落選した。片山が協力を呼びかけた平沼の選挙区である岡山3区内での投票では片山は姫井より約4000票上回ったものの、他の地域では姫井が片山より票で上回る地域が多かった。落選が確定した後、事務所前で後援者に対し「大変な逆風だった。敗北は私の不明不徳の致すところ。幹事長でありながら、同志の応援もできず、責任を感じている」と敗戦の弁を述べた。大敗を受け、参議院議員会長の青木ら参議院自民党執行部は総退陣し、片山も参議院幹事長を辞任。

落選後、2007年10月1日に放送が開始されたニッポン放送の新番組『上柳昌彦のお早うGoodDay!』に、毎週金曜日に出演。政界引退は否定し、引き続き政治活動を行う意向を表明した。2010年1月、第22回参議院議員通常選挙への比例区からの出馬を模索。参議院議員会長を退いて以降も参議院自民党に強い影響力を有していた青木幹雄が、片山の比例区への擁立を後押しした。しかし、中堅・若手議員を中心に比例区70歳定年制の内規を遵守するよう執行部に求める声が高まり、執行部は片山や同様に比例区からの出馬を模索していた山崎拓らについても定年制を適用し、比例区では公認しない方針を固めた。そのため、片山は同年5月に自民党を離党し、たちあがれ日本に入党。会長を務めていた日本消防協会の組織票を固めながら、地元・岡山県を中心に選挙運動を行い、11万7636票を得て当選し国政に復帰した。当選後、たちあがれ日本参院幹事長に就任。その後、たちあがれ日本の解党・太陽の党結成を経て日本維新の会に合流。日本維新の会国会議員団政策調査会長・参議院議員団会長に就任した。以降みんなの党との政策協議の矢面に立ち、当時のみんなの党の柿沢未途政調会長代理らと積極的な議論や交流を進めてきた。2014年6月の日本維新の会分党に際しては旧太陽系のほかのベテラン議員らの多くが石原新党に参加意向を示したのに対し、橋下徹共同代表の新党に参加する意思を会執行部に届け出た。橋下新党においても引き続き政策調査会長・参議院議員団会長を務めた。

同年9月に維新と結いの党が合流して維新の党が結党されると、党総務会長・国会議員団政調会長・参議院議員会長に就任した。

人物[編集]

  • 総務大臣在任中、小泉内閣で「三位一体の改革」等のキーワードを提唱。聖域なき構造改革を推進した[要出典]
  • 旧自治官僚だった経歴から地方自治・地方財政政策に精通しているが、自民党参院国対委員長を務める等、国会対策畑での経験から党人派的な部分も併せ持つ[要出典]
  • 2005年11月に自民党内の通信・放送産業高度化小委員長に就任して以降、総務省が所管するNHKNTTグループの改革をめぐっては、改革に積極的な竹中平蔵総務相と対立していた[1]。特にNHKの改革に関しては受信料義務化を推進[2][3]し、値下げを否定する等NHKを擁護する立場を明確にしている。
  • 2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派の勉強会に参加した[4][5]
  • 選択的夫婦別姓制度の導入に反対[6]
  • 学生時代は柔道部に所属し、5段の段位を有する。趣味は読書、囲碁(5段、ただし実力は初段)、ゴルフ(ハンディ18程度)、ジョギング歴は35年[要出典]
  • ブログ、メールマガジン、ツイッターを配信しており、ブログでは毎日の気温、ウォーキング経路、一日の様子と新聞で話題の記事について言及。メールマガジンではタイムリーな時事問題を語る一方、ツイッターではグルメレポートが大半を占めている。高齢でありながら多種多様なグルメを楽しみ、たまにビッグマックを食べる模様[要出典]
  • 選挙では必ず、実家のある笠岡市金浦を訪れ演説を行っている[要出典]

その他[編集]

  • 2001年、片山の岡山市内の地元事務所に市内の建設会社が男性社員を私設秘書として派遣し給与を全額負担していたが、この社員が、昨年七月の参院選で、片山氏の選挙運動をしていた、としんぶん赤旗が報じている[7]。2002年6月26日の衆院総務委員会において、春名直章から、「社員を派遣した建設会社は国の事業を多数受注しており、もしそこから社員の給与が出ていたとすれば、『請負その他特別の利益を伴う契約の当事者』による寄付を禁じた公職選挙法第一九九条に違反するのではないか」と追及を受けた。これに対し、片山は「報告するか分からないが、調査はする」と回答している[7]

所属団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


党職
先代:
(創設)
維新の党総務会長
初代:2014年 -
次代:
(現職)
先代:
(創設)
日本維新の会国会議員団政策調査会長
初代:2012年 - 2014年
次代:
(解党)
先代:
(創設)
日本維新の会参議院議員団会長
初代:2012年 - 2014年
次代:
(解党)
先代:
中川義雄
たちあがれ日本参議院幹事長
第2代:2010年 - 2012年
次代:
(解党)