山本有二
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やまもと ゆうじ
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| 生年月日 | 1952年5月11日(59歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 早稲田大学法学部卒業 |
| 現職 | 自由民主党高知県支部連合会 副会長 自由民主党高知県第三選挙区支部 支部長 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 称号 | 法学士(早稲田大学・1977年) 弁護士 |
| 公式サイト | ようこそ山本有二ホームページへ |
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| 内閣 | 安倍内閣 |
| 任期 | 2006年9月26日 - 2007年8月27日 |
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| 選挙区 | (旧高知県全県区→) 高知県第3区 |
| 当選回数 | 7回 |
| 任期 | 1990年 - 現職 |
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| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 1985年 - 1989年 |
山本 有二(やまもと ゆうじ、1952年5月11日 - )は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(7期)、衆議院懲罰委員長、自由民主党高知県支部連合会副会長、のぞみ代表。
高知県議会議員(1期)、衆議院経済産業委員長、衆議院法務委員長、内閣府特命担当大臣(金融担当)などを歴任した。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
高知県高知市出身。土佐高等学校、早稲田大学法学部卒業(早大在学中は雄弁会所属)。1980年、27歳で司法試験に合格し司法修習第35期を修了(同期に鈴木喜久子)。
[編集] 政治家として
1985年、高知県議会議員選挙に出馬し、初当選。1990年、第39回衆議院議員総選挙に高知県全県区(定数5)から自由民主党公認で出馬し、3位で当選する。第40回衆議院議員総選挙では、得票数は最下位(5位)ながら再選を果たした。
羽田内閣総辞職に伴う1994年6月29日の首班指名選挙では、自民・社会・さきがけ3党は日本社会党委員長の村山富市を擁立したが、中曽根康弘・海部俊樹両元首相や渡辺美智雄らが村山擁立に反発し、新生・公明・民社・日本新ほか旧連立与党が海部を擁立。山本や伊吹文明らは党本部の決定に造反し海部に投票したが、決選投票で海部は村山に敗れた。同年、衆議院議事進行係に就任。
小選挙区比例代表並立制導入後の第41回衆議院議員総選挙(1996年)以来、高知県第3区から出馬し、小選挙区で連続5選。対立候補が比例復活したのは96年の春名眞章(日本共産党)のみで、毎回対立候補に大差をつけて圧勝している。
2003年、財務副大臣に就任。2006年自由民主党総裁選挙では、ポスト小泉候補に内閣官房長官の安倍晋三を擁立する。山本は安倍を支持する再チャレンジ支援議員連盟会長を務めており、中堅・若手議員の票の獲得に奔走し、安倍の圧勝に貢献。その後、安倍内閣で内閣府特命担当大臣(金融担当)に抜擢された。また、あわせて「再チャレンジ可能な社会を構築するための施策を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」も担当した。安倍改造内閣では続投せず、退任。
2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、高知3区で民主党の中山知意を約1万票差で破り、7選。全国的に自民党に猛烈な逆風が吹き荒れた選挙であったが、山本は高知3区で終始安定した選挙戦を展開し、対立候補に比例復活すら許さず当選を果たした。
2010年1月、所属していた高村派を退会。政策グループ「のぞみ」を結成し、代表に就任した。
2011年3月、自由民主党高知県支部連合会にて、再選を目指し会長選挙に立候補するも、副会長の中谷元も立候補した[1]。2004年に会長を公選する規定が導入されていたため、初の会長選挙が実施されることになった[2]。その結果、山本が938票を獲得したものの、1904票を集めた中谷に破れ落選した[3]。その後、中谷の下で副会長に就任した。2011年5月、衆議院議員 山本拓が事務局長を務める地下式原子力発電所政策推進議員連盟(略称 地下原発議連)の顧問に就任した。
[編集] 政策・主張
- 道路建設
- 道路整備に情熱を燃やしており、道路特定財源一般財源化後の道路整備を考える高知県緊急集会においては、「高知が全国でも一番早く道路整備緊急集会を開いた。高知の声を国に反映したい」との意見を表明している[4]。山本は党の道路調査会長であった。
- グレーゾーン金利
- 安倍内閣初閣議後の記者会見では、政府が臨時国会に提出する予定の貸金業規制法改正案について、「厳しくすればいいというわけではない」「多重債務をなくす一方で、必要な人にお金が行き渡るようにもしなければならない」と述べ、グレーゾーン金利が必要であるとの認識を示した。なお、消費者金融など貸金業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)から政治献金を受けている[5] 。
- パチンコ
- 自民党遊技業振興議員連盟(自民党パチンコ議連)所属
- パチンコ・チェーンストア協会政治アドバイザーであり、パチンコ業界と強い繋がりを持つとされる[6]。
- 外国人参政権
- 永住外国人に対する地方参政権の付与(外国人参政権)に対しては反対しており、党内の議員五人と反対派グループのぞみを立ち上げた。
- 靖国神社
- 安倍内閣の金融担当相在任中の2007年、「公的立場の参拝は歴史的経緯からアジアの政治的安定を害する」として、終戦記念日に靖国神社への参拝を行わないことを表明した[7]。
[編集] 人物
2006年自由民主党総裁選挙では、それまであまり縁のなかった安倍晋三を総裁にすべく奔走し、安倍内閣で大臣として初入閣したため、マスコミから当時放送されていた大河ドラマになぞらえ、「政界功名が辻」と揶揄された。ただ山本は高知県出身であり、そう呼ばれることを気に入っていたという(山内一豊は初代土佐藩主)。
2007年に新興宗教崇教真光の47周年秋季大祭に出席し、祝辞を述べた。
早大卒業後、司法試験に合格するまでは土木作業員をして学費を稼いでいだ。
[編集] 不祥事
[編集] 大臣規範違反
安倍内閣にて入閣後、都内で大規模な政治資金パーティーを開いたため、閣議決定「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」(いわゆる「大臣規範」)の1-(5)「パーティーの開催自粛」に違反したと報じられた。山本の事務所は、入閣決定前にパーティー券を販売してしまい、会場の予約もしてしまったため、パーティーを中止することができなかったと釈明している。その後、2006年秋になってから、内閣府特命担当大臣(金融担当)、金融庁が所管する金融機関からのパーティー会費の徴収は疑念を招きかねないため、山本は金融機関に対してのみパーティー会費を返金した。この問題について、山本は本違反行為に伴う閣僚辞任、議員辞職等をする考えはないとしている。なお、安倍内閣の閣僚では松岡利勝、長勢甚遠、溝手顕正も大臣規範違反と報じられている。また、大臣政務官では、吉田六左エ門も、大臣規範違反を3度に亘って指摘されている。
[編集] 所属議員連盟
- 地下式原子力発電所政策推進議員連盟顧問
- 再チャレンジ支援議員連盟 会長
- 日韓議員連盟 常任幹事
- 自民党遊技業振興議員連盟
- 人間サイエンスの会 会長 - 超党派の国会議員で「人間の潜在的能力について研究・議論する」会
- のぞみ 代表
- 創生「日本」 副会長
[編集] 著書
- 「私説 坂本龍馬」金高堂、1985年11月
- 「わかりやすい あっせん利得処罰法 Q&A」勝丸充啓著・山本有二監修、大成出版社、2001年6月
- 「マンション管理士・管理業務主任者受験ハンドブック PART1」LEC東京リーガルマインド編著・山本有二監修、2001年8月
[編集] 脚注
- ^ 「自由民主党高知県連会長選挙」『自由民主党高知県連会長選挙 - 自由民主党高知県連合会』自由民主党高知県支部連合会。
- ^ 「自民高知県連会長選――初の投票」『高知新聞:高知のニュース:政治:自民高知県連会長選 初の投票』高知新聞社、2011年3月18日。
- ^ 「県連会長選――決定の件」『県連会長選 決定の件 - 自由民主党高知県連合会』自由民主党高知県支部連合会。
- ^ [1][リンク切れ]
- ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日
- ^ 「パチンコ・チェーンストア協会」(PCSA)
- ^ “全閣僚が終戦記念日の靖国参拝見送り”. 産経新聞. (2007年8月10日) 2010年10月22日閲覧。
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 与謝野馨 |
2006年 - 2007年 |
次代: 渡辺喜美 |
| 議会 | ||
| 先代: 河村建夫 |
2010年 - |
次代: (現職) |
| 先代: 園田博之 |
2002年 - 2003年 |
次代: 増田敏男 |
| 先代: 新設 |
2001年 - 2002年 |
次代: 谷畑孝 |
| 党職 | ||
| 先代: 中谷元 |
自由民主党高知県支部連合会会長 2005年 - 2011年 |
次代: 中谷元 |
| その他の役職 | ||
| 先代: (新設) |
のぞみ代表 初代:2010年 - |
次代: (現職) |