新党日本

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日本の政党
新党日本
代表 田中康夫
副代表 有田芳生
成立年月日 2005年8月21日
本部所在地
〒102-0093
東京都千代田区平河町1丁目7番11号
衆議院(下院)
0 / 480 (0%)
2007年7月29日現在)
参議院(上院)
1 / 242 (0%)
(同上)
党員・党友数
未公表
2006年現在)
政治的思想・立場 中道左派
政党交付金
2億0,300万 円
(2009年1月現在)
公式サイト 新党日本
シンボル http://www.love-nippon.com/image/ROGO_iro.gif
  

新党日本(しんとうにっぽん、略称:日本New Party Nippon"NPN")は、日本政党

2005年8月21日に東京都千代田区のパレスホテルで立党記者会見が開かれ小泉純一郎内閣総理大臣自由民主党総裁)が進める郵政民営化法案の反対者を中心に結成された。

当初の政党名は日本(にっぽん)、略称は新党日本であったが、総務省より「略称の方が長いのはおかしい」と注意を受けたため、2005年8月27日に政党名を新党日本、略称を日本にそれぞれ変更した。

かつて存在した日本新党1992年細川護熙によって結党された政党)は、名称こそ類似しているものの全く関係ない。

また他の政党とは違って一般有権者が党員になる事は不可能(但し、党友的立場である「サポーター」、党員候補である「信じられる日本を創る若き獅子」、関連団体「チーム・ニッポン」会員は募集している)。

目次

[編集] 概要

[編集] 結党

郵政三事業民営化関連法案(郵政民営化)に反対した自由民主党所属議員に対し、法案が参議院で否決されると、第2次小泉内閣はこれを理由に衆議院を解散し、反対した衆議院議員総選挙で党公認しないと発表。対立候補(いわゆる「刺客」)を急ピッチで擁立した。無所属候補は公職選挙法の規定により、選挙で不利な扱いを強いられることから、自由民主党の公認を受けられず離党した議員・元議員と長野県知事(当時)・田中康夫により、新党日本が結成された。設立時の国会議員は滝実青山丘小林興起荒井広幸の4人。

初代代表(党首)には田中が就任するが、第44回総選挙には出馬せず長野県知事のまま代表を務めることになる。しかし、当初は国会議員4人しかいなかっため、国会議員5人以上必要とする公職選挙法の政党の要件を満たせず、政治団体としての発足であった。その後、この時点で友好関係にあると見られていた国民新党側の配慮によって参議院議員長谷川憲正の同党からの移籍を受け入れ(同年9月12日に国民新党へ復党)て、8月23日に公職選挙法の政党要件である国会議員5人以上の要件を満たす事となった。このことからマスメディアからは「選挙互助会」と批判されたが、田中は8月27日付の『毎日新聞』朝刊で「靖国神社参拝や国家観で隔たりのある自民党と公明党」の連立や、「さまざまな考えの方が政権を獲得するという一点で集まっている民主党」も選挙互助会だと反論した。

この背景には、政党とその他の政治団体(無所属含む)では、公職選挙法に認められた選挙運動の範囲にポスター枚数、政見放送重複立候補の有無など、大きな差がある実情がある。新党日本結成の背景に、政党にしないと選挙運動の制限が厳しくなり、極めて不利になるという理由が大きな要素を占めていた。ただ新党日本は8月17日にほぼ同じ目的で結成された国民新党と異なり、都市型政党を目指していた。

また、急に政党が結成されたため、群馬県選挙管理委員会の2005年衆院選の選挙標語「ニッポン ファイト! 未来を 支えるこの一票」が「新党日本」への応援と誤解されないために、投票啓発用のチラシ12万枚などが配布中止となる事態も発生した。

[編集] 総選挙と国民新党との連携

総選挙では東京・北関東・南関東・近畿・東海ブロックのみに比例候補を擁立し、当該比例ブロックでの自民系反郵政民営化票の受け皿となった。また国民新党とは比例ブロックで重ならないようにした(しかし、国民新党側に不満はあった)。総選挙では近畿ブロックで滝実が当選したのみで、所属する国会議員は滝と荒井の2人となったが総選挙において有効投票総数の2%以上の得票があったため、国会議員がいれば次回衆院選まで政党要件を満たすこととなった(長谷川憲正の国民新党への復党はこの理由による)。国会内では、国民新党と統一会派(院内会派)を組んだ。

[編集] 総選挙後の相次ぐ離党者

総選挙後は、同じ立場にある国民新党と異なり、離党者が相次いだ。まず、2006年5月に党副代表・青山丘と宮本一三が離党し、国民新党へ移籍。また同年10月31日には、代表代行であった小林興起が離党し、11月1日に国民新党に入党した。

[編集] 代表・田中康夫の県知事選挙落選

2006年8月には、長野県知事選挙で党代表であり現職知事であった田中が再任を目指して立候補。田中は2人の国会議員が所属する国政政党の党首であったが、新党日本が田中を公認候補としなかったため、報道では田中を無所属候補として扱われた。長野県知事選挙で田中は村井仁に敗れ落選。報道では、党の存続を危惧する見方もあったが、今後も現体制で党活動を継続する方針を示した。

[編集] 国民新党との決裂

2006年9月、参議院首班指名選挙において、幹事長の荒井広幸が民主党・小沢一郎、国民新党・綿貫民輔のいずれにも投票せず、10年来の親友であった自民党総裁安倍晋三に投票した(衆議院の首班指名選挙では新党日本議員の滝実が綿貫に投票している)。新党日本は田中が国会議員でないため自主投票としていたが、この行動に反自民を鮮明にしている国民新党側が反発し、荒井への厳正処分を要求した。田中が荒井を処分しない方針をとったため、10月2日に国民新党は新党日本との統一会派を解消すると発表した。新党日本の国会議員は全員自民党から除名されているため、自民党復党は容易なことではなく、この国民新党からの三行半は新党日本の存続と、党参加者のそれ以降(後述)の政治生命に大きく影響を与える可能性が出た。

2007年の第21回参議院議員通常選挙では、綿貫は『スポーツ報知』の取材に「最初は国民新党と兄弟みたいな形でスタートしかかったが、途中から手法が変わったので、私たちは絶縁した。だから今は一切、関係ありません。無視しています。党首討論で田中(康夫)が来ても、あいさつもしません。知らん顔してます。“コンマ以下”という風にみてます」、「わがままいっぱい。本当は一緒になるべきところを、荒井君らが田中康夫を連れてきて、知名度を利用しようとした。選挙でも(新党日本は)大都市圏に集中して候補者を擁立したが、それに対し『国民新党は候補者を立ててもらっちゃ困る』というような条件まで出してきた。そんなバカなことはない。こんなこと許すかという感じで『このヤロー』となった。ライバルというより敵(かたき)ですね」など、痛烈に批判している(「ラストサムライ?いや、これからのサムライだ…党首直撃《5》国民新党・綿貫民輔代表」)。

[編集] 地方選挙への対応

新党日本は2006年8月の長野県知事選挙以外、地方選挙に事実上参加していない。2006年に行われた香川県知事選・福島県知事選・沖縄県知事選では党推薦・支持を出したものの、党としての実質的な活動はなかった。2007年4月の東京都知事選挙統一地方選挙においては、田中が北海道夕張市長選挙への立候補を示唆していたものの結局見送った。また総務会長・滝実の元秘書である山田昌彦が奈良県議会議員選挙に生駒郡選挙区から無所属で立候補し、滝が個人的に応援を行ったが落選。しかし党としての活動はなく、公認候補の擁立や他党候補及び無所属候補の推薦・支持は行わなかった。

生駒市長選や福島県知事選などでは自民・公明両党と同一候補を共同推薦しており、全体として他の野党より与党との協調路線が目立つ傾向にある。しかし、近年では2008年の狛江市長選挙や、2009年の千葉県知事選挙をはじめ、野党系候補を推薦する機会が増えている。

[編集] 2007年参院選に向けての動きと党分裂

2007年1月、川田龍平が参議院選挙に東京都選挙区から無所属で立候補することを表明、記者会見において新党日本から出馬の打診があったことを明らかにした。

5月には、党静岡県第一支部長の木部一(自由民主党元衆議院議員、元建設大臣木部佳昭の甥)が離党し、参議院選挙に静岡県選挙区から無所属で立候補することを表明した。

7月の第21回参院選には、田中康夫及びジャーナリスト有田芳生比例区から擁立したが、7月5日に荒井及び滝が選挙公約の憲法部分[1]に関して「事前に党としての協議が一切ないまま発表されたものであり、受け入れられない」と主張し、田中に対して解党を要求した。田中はこれを拒否した。そのため荒井及び滝は離党し無所属で活動する方針を表明。このため、所属国会議員がゼロとなったが、前回総選挙において政党要件を満たしているためマスコミの討論会にも呼ばれるなど、国会議員が存在しないにも関わらず「主要政党」として扱われる珍しい事態となった。

[編集] 2007年参院選、民主党との統一会派結成

滝と荒井が離党し、新党日本に現職国会議員がいなくなったことにより政党交付金の受給資格を喪失する逆風の中、政治団体なら参議院比例区に候補者を立てるには選挙区と合わせて計10名以上を擁立しなければならない所を新党日本は2005年総選挙の得票率ベースで政党要件を満たしているため、候補者が10名未満でも比例名簿の提出が可能であった(実際に擁立したのは比例区3名)。開票の結果、国民新党を上回る得票数を得て田中が初当選を果たす。これに伴い、国会議員が1名となり再び政党交付金が受け取れるようになった。比例区での政治資金規正法上の政党要件(有効投票総数の2%以上)を満たす3.01%の得票率を獲得しているため、国会議員がいる限り2013年まで政党交付金が受け取れる。

発足当初在籍していた元自民党議員が相次いで離党したこと及び田中の参議院選挙当選により、新党日本の「反自民党」という立場が鮮明になった。

選挙後、民主党代表・小沢一郎が田中に対して参議院での統一会派結成を打診。田中がこれを受諾し、統一会派「民主党・新緑風会・日本」を結成した。同会派には10月23日より国民新党も加わり、2008年第169通常国会より「民主党・新緑風会・国民新・日本」に名称を変更。

民主党が賛成した法案に反対又は棄権する場合もあり、独自路線を貫いている。

[編集] 次期衆院選への対応

2008年8月、副代表・有田芳生が次期衆議院選挙に東京9区から立候補することを明らかにしたが[2]、同年9月、民主党からの選挙協力の申し入れを受け、「国民中心、生活中心の日本を作る」という大義のため、立候補する選挙区を東京11区に変更することを発表した[3]。民主党推薦予定。

[編集] 代表一覧

新党日本代表
代表 就任日 退任日
1 田中康夫 1 2005年8月21日 現職

[編集] 党勢の推移

[編集] 衆議院

選挙 当選/候補者 定数 備考
(結党時) 3/- 480 正式には0。下記参照
第44回総選挙 ●1/8 480

[編集] 参議院

選挙 当選/候補者 定数 備考
(結党時) 1/- 242 -
第21回通常選挙 1/3 242 -
  • 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
  • 新党日本結党は衆議院解散後なので、形式的には結党時の所属衆議院議員は0。ここでは、解散時に議員で、結党に参加した人数を議席数とした。
  • 追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、2000年~2006年)、(2) 参議院(2000年~2006年)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。

[編集] 議員一覧

[編集] 支部長一覧

[編集] 2007年第21回参議院議員通常選挙立候補者

[編集] 政党交付金

平成18年(2006年)現在の政党交付金

  • 新党日本 1億6000万円

[編集] 関連組織

(新党日本の政策立案団体。「編集長」は、平山誠

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク